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2015年3月11日水曜日

幸せは最大の復讐?

相手より自分が幸せになったら相手は悔しいでしょうから、たしかに復讐したと言えるでしょう。でも「復讐のために幸せになろうと思って努力したらいつのまにか復讐を忘れていた」ならいいのですが、成功したあと仕返しなんかしちゃったらやっぱり不幸です。

人に対する恨みのエネルギーはすごいです。
何かを成し遂げるには相当のエネルギーが必要ですが、それ以上かも知れません。
なので恨みのエネルギーをやる気のエネルギーに変える…つまり復讐のために幸せになってやるっていいことかもしれません。
非常にエコです。活用しない手はありません。

ただし、成功したのにまだ相手に対する恨みが残っていたら、成功はしても幸せになっていない。そこはゼロになるまでちゃんとエネルギー使わないと。

誰かに恨みを持っているときは、自分が幸せでない証。
もう一度、自分が何を望んで何を幸せと感じるのかじっくり考えてみるといいと思います。

成功と幸せをはき違えないようにしないといけませんね。




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2015年3月10日火曜日

ピアノ弾き合い会のこと

はじめてピアノの会のピアノ弾き合い会はレベルがまちまち、年齢もまちまちです。

理由はアマチュアのピアノですから「ピアノは個性」と堂々と自信を持って楽しんでいただきたいからです。


自分は下手と思っている方は「上手な人と一緒なんて恥ずかしい」と思うでしょう。それは私が一番良くわかっています。これまでの人生どれだけその思いをして来たか。そして予想通りの挫折感、、、。

でもだいじょうぶ。
そんなこと気にしないのがはじめてピアノの会です。そのために作ったんですから。


・本番の予行演習として弾く方は完璧を目指して弾いて下さい。

・チャレンジの方は自分だけの目的を定めて下さい。
  「知らない人の前で弾くってだけで充分」
  「家では間違えないけど人前だとどんなものか」
  「他の人のを聴いて見聞を広める!」
  「レクチャーに興味があるから弾くのはついで」

・人前で弾くのが好きという方は充分楽しんで下さい


どんな目的であれ人前で一人で弾くのは誰にでも出来る事ではありません。
上手く弾けたことより挑戦した勇気の積み重ねが人生を作ります。
私が一番良くわかっています。


まだ若干名ご参加いただけます。
お申し込みは  unfo@hajimetepiano.org まで






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2015年3月9日月曜日

映画のリアリティ

クラッシックとか演劇とかをやっていると「生」至上主義に陥りやすいです。
私もその一人です。
しかし最近「作り込むすごさ」にようやく気づいてきました。
映画です。


映画の製作は0. 何秒の秒単位の作り物です。つなぎ合わせてリアリティを出す。
「生」をやっている人はそれが人工的で嫌なんですよね。

私はそれはいわゆるごまかすためにやっている感じがしていました。
適切な言い方がわからないのでごまかすと言いましたが、編集って悪いところをなくすとかいいとこだけ残す、そんなイメージでした。

でも秒単位でつなぎ合わせることや秒単位で音楽を付けることってものすごく大変で、またそのワンカットにどれだけの時間と労力と人の数とお金を注いでいるか知り「いやいや、そこまでしなくても充分ごまかせてますけど?」という疑問がわきました。

映画は、絵空事さえもリアルに人が感じるよう作られています。心の中が音楽で表されたりします。言い方を変えれば究極のごまかし、でしょうか?
となると、今度は「なぜ?そこまで究極にごまかすのか?」という疑問がわきました。

人は自分の今置かれた環境だけで感情が左右されます。
今つらい人は人生はつらいという感情だし、楽しくてたまらない人はこのままずっと楽しい人生続く気がするし、何かから逃げている人は「楽しければいいじゃん」と刹那的に感情を封じ込めている場合もあります。自分の今に精一杯でほかにどんな感情があったかついつい忘れがちです。

でも映画を観ると、人としての感情が動き出す。忘れていた嬉しいという感情を味わったり怖いという感情を思い出したり。あたかも自分がその人のように疑似体験する。
そのとき、忘れていた人としての感情が沸き上がってきます。

リアルが必要な理由。
それは「人の感情を動かすためなんだ」と思いました。
あたかも本当のことのように、映画の中で人間のさまざまな感情に触れ、もう一度自分のそんな感情に気づく。
映画を観るって「人間に戻る」気がしました。
究極のごまかしには深い意味があるんだなと思いました。


映画はリアルです。ファンタジーまでリアルです。そしてそれが本物のリアルさではなく美しいリアルさだということです。悲しんでいる人や怒っている人はリアルだけれど美しい。ドロドロの物語もわかりやすく見るに耐えられるよう作り込んである。
だからこそ哀しみにも怒りにも映画の中でなら向き合える。

美しくリアルを再現することは、先端の技術や究極の想像力やたゆまない労力を必要とします。映画はまさにハイテクノロジーの芸術です。




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2015年3月8日日曜日

3月5日にお問い合わせいただきましたF様へ

また個人的な連絡で恐縮です。

3月5日に info@hajimetepiano.org へ docomo.ne.jp のアドレスからお問い合わせいただきました Y ・F 様 、送信が出来ません。
受信解除していただくか、ほかにアドレスがありましたらそちらをお知らせください。

連絡先は info@hajimetepiano.orgまで。ご連絡お待ちしております。


教育

教育も流行ですね。
時代で変わります。
何を幸せに感じるかを教えていくのが教育だと思いますがそれも時代で変わってしまうと思います。私が今言っていることだって私の意見のようで、この時代だから言っているだけのことです。

人生、個人的な能力よりどれだけ時代に合っているかで決まると思います。
でも残念ながら誰にも時代は読めない。
時代を言い換えると時間です。
時間は神の領域ですからね。

だからどんな教育がいいかがわからないです。
でも感じるのは教育と言う名のもとに流行を子供に押し付けていることが多いってことです。
確かに学歴社会ならいい大学を卒業するとかいい会社に就職するとかが大事かもしれないし、それでいい思いが出来るかもしれない、。
でも今までそうだったからという流れでそれを疑いもせず子供にそういう教育をしていると、気づいたときは学歴社会が終わっていて、子供としては勉強嫌いなのに何のためにやったんだってことになりかねません。

何より時代が大事。でもこれは読めない。
時代は読めないけれど「何に自分は幸せを感じるか」なら自分にもわかる。
せめてこれを大事にすることが教育に出来ることかなと思います。
これがあれば時代の成功者にはなれないかもしれないけれど、世界の片隅でそこそこ楽しく暮せる気がします。


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2015年3月7日土曜日

親の器

子供を育てている方はきっとその子の得意なことを伸ばしてあげたいと思っていることでしょう。でも得意なものを伸ばすって一言で言ってもこれは相当に大変な事です。


英語が得意だから伸ばしてあげたい、ピアノが上手だから伸ばしてあげたい、サッカーが得意だから伸ばしてあげたい、、、なら大変と言ってもやりがいもあるでしょう。でももしゲームが得意だったら、そもそも伸ばしてあげたいと思うでしょうか?もっと上手になるようにたっぷりゲームをやらせるでしょうか?オリンピック選手を育てるように学校よりゲームを優先させたり家族が協力して新しいゲームに挑戦させたりするでしょうか?

親が言う得意なものを伸ばしてあげたいって、けっこうわりとかなり親のエゴが入ってますよね。まずは得意であっていいもの悪いものという振り分けがある(笑)。
子供が得意なものが親にとって嬉しいものとは限りません。「子供の得意なことを伸ばす」という親の言葉には、職業と結びつくような、名誉と結びつくような得意なことという条件付きな気がします。

でも新しい職業の才能が世に出るときって、そんな親の期待や思惑を子供が超えたときなんですよね。

エジソンのお母さんのように応援する親もいるのでしょうけどそれは相当難しいことです。子供にも才能が必要ですが親にもそれ相応の器が必要です。


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