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2014年7月31日木曜日

夏のピアノ

ヨーロッパでピアノを弾いたことがない私はよくわかりませんが、ヨーロッパのピアノを日本に持ってくると音が変わってしまうそうです。


日本のピアノでもパーンという音が夏は出なくなります。
これはだらけてる自分に理由があるのかと思っていましたが、気候に理由があるようです。昔は亜熱帯に住んでいる人たちはなぜ引っ越さないんだろうと不思議でしたが、そう簡単に海外移住出来ない事をこの年齢になって知りました。

ピアノ共々暑くても日本で頑張ります。

2014年7月30日水曜日

あがり症

ドイツ語や英語では舞台恐怖症というそうです。


この上がる、上がらない、を直すにはまず、

1、「出来る事が本番でだけ出来なくなる」
2、「本当は出来てないのに出来てると思い込んでいる」

この1、2のどちらなのかを見極めることが重要だそうです。


出来るとは能力として出来ているか、ということだそうで、つまりピアノで言えばその1曲だけでなく、そのレベルのものは確実に出来ている、それをこなしきれる能力があるのが「出来る」です。

普通の人は能力以上の事を注目を浴びながらすると失敗するそうです。
ただし子供とトップの人は能力以上の事が本番で出来るのだそうです。
子供は天才って言いますもんね。

腑に落ちる感じです。納得し過ぎです。
「練習では出来ているのに間違えた」と弁解していた自分の大失敗の理由は「その曲はかろうじて弾けてたけどそれを弾きこなす実力はまだ付いていなかった」ということでした。

あがり症を直す、とは
「本当は出来る」人のことなので、まずは「本当に出来る」域に達しなければと反省しました。




譜めくり

この間テレビでピアニストが頭に来る事として、譜めくりを間違えられる事、と言っていました。


プロの譜めくりは責任重大です。
その譜めくりが失敗したとしても失敗を譜めくりのせいにできないし、何が起こってもその場をしのがないといけません。
私みたいなやっとこさ弾いてる人間には、譜めくりの失敗は致命傷です。なんとかしのいだとしても心の動揺はもうおさえきれません。暗譜すればいいじゃんって話ですが、伴奏や連弾ではそうもいきません。
譜めくりは初見能力と関係ありますので、弾いているつもりになって楽譜をめくらないと必ず遅れます。かといって早けりゃいいってものでもないし。難しいです。

普段のレッスンでは、指が乾燥していたりページがくっついていて、めくりそびれることがよくあって、指なめる訳にいかないし大慌てです。

でも本番の楽譜は角を折るなど工夫して絶対譜めくり事故ないようにしないといけませんね。譜めくりをあなどってはいけません。
やるときは奏者に迷惑がかからないよう心して臨まなくては、と思いました。




2014年7月25日金曜日

オペラの会

オペラは一番わかりやすいクラッシックだと思います。言葉があるってこと以外に、表情がそのまま見えるからです。悲しい顔して嬉しい歌詞歌ってるわけないですから。


中道友香さん   木村翠先生

今日のオペラの会では、
ソプラノの中道友香さんとピアノの木村翠先生のオペラアリアが大好評で、とくにフィガロの結婚の伯爵夫人のアリア「幸せな日々はどこへ」には多くの感動が寄せられました。

オーケストラ伴奏を一人でピアノで弾いちゃうこと。

語っている部分も歌の部分もボリュームのあるそれでいて透き通った美しい声。

表情を見て音楽を聴いていると引き込まれてしまいます。







またオペラの会やります。
ヴァイオリンの会とかもやりたいな〜。
ピアノの会なのに!?って思わないで下さいね。
オペラも管弦楽も身近になってくると、絶対ピアノが変わります。



”””””””””” 中道友香コンサート情報 ”””””””””””””

2014年 9月7日(日曜日)14:00開演
会場 音楽室ゆらぎ (板橋区)
料金 3000円

予約制です



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2014年7月24日木曜日

ある晴れた日に

ある晴れた日に、って和訳ステキですよね。


プッチーニ作曲オペラ蝶々夫人の中の有名なアリアの題名です。
オペラ作曲家で有名なプッチーニですが、ピアノ曲も書いていてさすがメロディメーカー、とてもすてきな曲があります。

「ある晴れた日に」の哀愁ある旋律は胸に残ります。
蝶々夫人の中にはさくらさくらや君が代も入っています。
遠い東洋の見ず知らずの国、人づてに聞いて色々想像しながらこのオペラを書き上げたのでしょうね。

努力は認めますがちょっとおかしなところ、多々あります。ちょっと日本人としてはいい気持ちしないところもあるし、偉い人たちが歌詞の訂正を申し入れたとかも聞きました。確かに登場人物の名前からして、蝶々さんかと思えばスズキだったりボンゾ(坊主の事?)だったり、名前?姓?職業?ととんちんかんです。

明治時代頃、プッチーニは日本のこと知らなかったんだし、当時東洋の片田舎とバカにされてたとしても、今はイタリアをしのぐ音楽家をぞろぞろ輩出しているんだし、そこはいんじゃないの?と思ったりもします。

といっても、それが間違っているとわかるのは私が日本人だから。やはり第一線で活躍されている方は、変わらず上演されるこの名作に、今の時代の日本もそうであるかのような差別的な扱いに苦労なさっているのかもしれません。

その立場にならないとわからない事って沢山ありますよね。
明日はオペラの会です。









2014年7月23日水曜日

演奏の魔法

いい演奏に聞こえる魔法、ないでしょうか?
あります。


それは拍です。
拍子です。
音楽は流れが大切ですが、拍と拍がつながって大きな流れになっています。

TEDというプレゼンに「音楽と情熱」というのがあります。
ベンジャミン、ザンダーさんのプレゼンです。
ちょっと時間が短いのですが「クラッシック未開発愛」について語っています。
その中で、始めたばかりの子供の拍の取り方から上達するとこんな風になるという違いをお茶目に実演しています。上達すると拍がなくなっているように感じますが、そうではありません。
拍を感じられるので取らなくて良くなるのです。フレーズが活きてきます。
拍を積み重ねてフレーズを感じて弾く。

拍とフレーズを掴む事がかっこいい演奏のコツだとわかります。演奏が冴えてます。
魔法のようにがらりと変わります。


2014年7月22日火曜日

存在意義

もともとは音楽は宗教の教えを伝える役割でした。



確かに音楽には人を洗脳する力があります。学校の校歌が一体感をつくるのもこの種類でしょう。そうすると「人を取り込みやすい」音楽は武器になりますね。

流行の音楽には少なからずこの要素が入っていると思います。無意識であっても、時代にそって歌手の歌い方や歌詞の方向は似ているので、自然に最初にその傾向を作った「元祖」を追ってしまうと思います。その中で元祖でなくても変わらない人間の本質的魅力を持ったものは残っていくのでしょう。


はじめてピアノの会はいわゆる西洋のクラッシックだけの団体では決してありません。生徒さんは映画音楽もポップスも演歌も童謡も弾いています。私自身、クラッシック以外を弾くのも大好きです。でもクラッシックもすごくいいと思っているだけです。何もしなくても日常でポップスは聞ける。何もしなくても今の時代の音楽はそこここにあふれている。その中にあってクラッシックはわざわざ聞かないと学ばないと弾けない。独学で学ぶには大きすぎる。だから下地を作ってあげたい。

生徒さんに「理想と現実は違う。クラッシックがいいのはわかるけど、みんなが求めているものをやらなきゃ先生のところ生徒さんいなくなっちゃうわよ」とアドバイスをもらいました。一流の方の演奏の善し悪しなんてわからないから、どうせなら知っている曲数多く弾いてもらった方が楽しめる、音色と言われても解釈と言われても違いがわからないと言われました。

そうかもしれない。今楽しい、いいと思えればそれでいい。
でも。
だからこそいい音楽を残したい。いい演奏家の音楽を守りたい。
だって本当にいいから。
こんなにいいって思わなかったから。


迷いは続きます。









2014年7月21日月曜日

自分に出来ることなんて

武井荘さんってふざけてますが、心と体と頭を本気で使っている感じがしてひたむきさが心を打ちます。


自分に出来る事なんて何もない私ですが、何も本気で頑張らず出来る事なんてあるわけありません。本気ってがむしゃらに考えなしに何かをやることでなく「心と体と頭」をちゃんと使う事なんだと思います。

自分や他人、その他もろもろを感じるのが心。
それを行動で表す体。
私が百獣の王を目指さないと判断したり、ニーズを考えたり好きなものがどうしたら上達するか考えるのが頭。

頭には、技術的にどうしたら上達するかだけでなく、精神論も入ると思います。気持ちを強く持ち続けるのは知性の力が必要です。脳、ですね。

これらは一方向ではなく相互に行ったり来たりする。
ラクをしたいときってこの3つのどこかを休ませています。
私のような凡人は1年中休ませています。たまに1こ使うくらい、、、。

一人の人間に出来る事なんてたかがしれてます。
その中で人に影響や感動を与える事が出来る人というのは、これらをフル稼働させてらっしゃるのだと思います。


自分に出来る事なんて何もない。
その中で小さなことをしようと思う反面、
気概がない私は「だったらいっそもっとラクしよう」なんて思います。


2014年7月20日日曜日

知らないこと

おともだちがテルミンという楽器をやっています。
でもおともだちは遠くに住んでいるので生で聴いた事はありません。

私はテルミンの仕組みがまったくわからないので難しさも理解出来ていません。
この難しさが理解出来ないって、
例えば100メートルを5秒で走れって言われたら無理!ってわかるけど、
世界一おいしいケニア料理を作れって言われたら
「これが美味しい気がするけどそんなに難しくなかった。そもそも美味しいケニア料理ってどんな?」
って思っちゃうような理解の出来なさです。

少しでも知ると難しいことがわかります。
やってみると身をもってわかります。
でも更にもっとやってみないと何がどれだけ難しいかはわからないものです。
難しいのは嫌ですが、難しいと感じれば感じるほど
そのものの楽しみも奥深くなっていきます。
ということは、難しくて無理って思える事ほど
「知っている」ってことですね。

もうヤダ、難しすぎる、とわかったところから
進歩が始まると思います。

ここであきらめず始めないと!

2014年7月17日木曜日

クラッシックには力がある

「ポップスは向こうから近づいてくるもの、クラッシックは自分から努力して一歩ずつ近づくもの」


認定講師の中村誠先生が、どちらかで聞いてずっと思ってらっしゃることとしてお話してくださいました。

もう本当にその通りです!ポップスが悪いわけではありません。
でもクラッシックは難しいから好きじゃないというのは違うんです。

CMでもなんでもポップスなら1回聞いて
歌詞が自分の境遇とマッチしてたりするとぜったい好きになります。
でもクラッシックって1回聞いてもメロディ覚えられないし、
交響曲とかなると何回聞いてもほぼ覚えられないし、
だれが演奏しても変わらないし、
歌詞のないピアノとか器楽曲に共感て?どこに?何に?
って感じでしょう。

でも「言いたい事を言わず伝える」のがクラッシックなんです。
誰にでも口に出さない思いや言葉で表せない喜びや哀しみってあるばず。
それです。

失恋して心が泣いている〜♪と歌わずに音がありけり、、、
絶望は風に吹かれて希望になった〜♪と歌わずに音のありけり、、
音が泣いていたり音に希望があったりするのです。
言葉がわからなくてもわかる全ての人間の持つ感情が音に詰まります。

こんな風に言葉で説明しても伝わらない、わからない、
そこもクラッシックのいいところです。

聞き流すのでなくちゃんと話を聞いて向かい合って喧嘩もして努力してやっとわかりあえる、これってまさしく人間関係。豊かな人生にかかせないものですよね。
あ、私は人間関係でこれ出来ないので比較して言う資格ありませんでした。


難しいのでなく、深いんです。
クラッシックには力がある。きっとあなたの力にもなってくれます。
そのために自分から一歩ずつ近づいていってください。











2014年7月16日水曜日

2014年 サロンの会 お申し込み開始!

2014年サロンの発表会は目黒雅叙園に決定しました!

10月30日の木曜日の開催です。
(29、31日ははじめてピアノサークル優先日ですが、ご希望の方はご相談ください)

ピアノはヤマハ C3です。お食事は目黒雅叙園特製会席日本料理。
演奏時間は2分30秒くらい。超過の方はご相談ください。
参加費は演奏と午餐会費とで会員14500円、非会員15500円
鑑賞のみの方は1500円
鑑賞と午餐会に参加の方は会員8300円、非会員8800円
です。


お問い合わせ、お申し込みは

       info@hajimetepiano.org まで

ご参加お待ちしています。




夢が叶わないこともあるでしょう。
でも夢にチャレンジするかしないかで人生は
大きく変わると思います。


私は小心者だし臆病だし、まあ才能もないし
あ、もっとネックなのが
根っからのめんどくさがりで
自称努力家といってもたかがしれています。
なにしろ大雑把ですから。

今日も仕事しなきゃいけないのに
ルッコラの間引きに夢中になっていました。
でもおおざっぱなので
残っているルッコラが周りを抜かれて傾いちゃってましたが
暑いのでそのままにしました。
私の園芸好きはこの程度です。

話がそれましたが
夢を叶えたくて頑張る人はすごいです。
チャレンジするだけですごいです。
チャレンジしている人はチャンスを逃さないと感じます。
当初の夢は叶わなくても違う夢を叶えています。

「ラブアクチュアリー」という映画の題名は、
愛は実際はそこかしこにあふれている、ということですが
それをわかるのも掴むのもチャレンジする人でしょう。


このあいだテレビで、笑われても本気でやれって言ってました。
笑われる覚悟ってそんな簡単に出来るもんじゃないです。
そのくらい真剣になれるってすごいですね。
応援します。









2014年7月15日火曜日

としで上達しなくなる

一言でピアノが上達しなくなると言っても色々なケースがあります。
ひとつ、年齢を重ねると技術的な問題でなく身体的に
上達どころか維持も大変になってきます。


身体的問題とは普通に老化するということです。
残念ながら全員平等です。
老眼になる、グルコサミンが減って指関節が痛くなる、座ってると腰が痛くなる、記憶力が悪くなる、動きが遅くなる…
以上は今の私です(涙)

難易度の高い曲を弾けるようになることを「上達」と思っていた
いわゆる外へ向かうエネルギーを内に変えないと、
もうピアノは楽しくなくなります。
そのときに何を思えるか。。
何のために生きているか、と同じだと思います。

たとえば旅行好きだった人が
海外旅行に行けなくなったらどうでしょう?
国内旅行に行きますね。
若い頃には興味のなかった日本の歴史や美術を知って
国内旅行もなかなかいいなんて思えたら
もう楽しみ方は上達していると言って過言ではないでしょう。

ピアノもそんな風にシフトを変えられるといいと思います。
長い時間の練習は出来ないから短い時間で区切り
譜読みも暗譜も人の3倍時間をかけて
こんな苦労をしながらも
作曲家や歴史を調べながら
弾き方もがむしゃらでなく肩の力を抜いて
子供の頃より若い頃より
私の場合確実に今の方がピアノは上達している気がします。


2014年7月11日金曜日

音楽を表現するのでなく

オペラを聴いていると「音楽は表現するもの」でない気がいつもします。


今、エレーナ•オブラスツオワさんのカルメンを観ていたのですが、

音楽→表現でなく
感情→表現→音楽

の順番です。一流のオペラ歌手って「歌っている」感がなくて、究極の感情の表現がなんだか音楽になっている風なんです。

ショパンはなぜオペラが好きだったのに作らなかったのか?
逆にオペラ作曲家のヴェルディやプッチーニのピアノ曲はあまり弾かれることはありません。作曲にもジャンルで適正があるのは、長編小説家と短編小説家の違いに似た感じでしょうか?モーツアルトは別ですね。


7月25日のはじめてのオペラはこじんまり少人数でやるので、おかげさまで定員になりました。お断りした皆様ごめんなさい。また次回もあると思います。またブログでお知らせしますね。





2014年7月10日木曜日

映画

私のような変わり者は小難しい映画をこれ見よがしに好みそうですが、
どっこい、性格でなく頭のレベルにあった単純なのが好きです。


トイストーリーとかラブアクチュアリーとか大好きです。
これを単純だというのはもちろん褒め言葉です。
Mr.ビーンは今でも思い出し笑い出来るくらい観ました。
ニューシネマパラダイスは思っただけで胸が締め付けられます。
ほかにも好きな映画がきりがないくらい沢山あります。きりがないので言いません。


学生の頃、毎日映画が見れたらどんなに楽しいだろうと思っていました。
私は周りが見えなくなるので映画もずっと封印していました。
そろそろ封印を解いて
また、もっと、たくさん、
素晴らしい映画に出会いたいです。

2014年7月9日水曜日

見るだけで香る、、

近くの公園の
くちなしの花が開きかけました。

この白はいったいなんなんでしょう。
ハクモクレンと同じ白だけど微妙に違う白です。
花びらの裏側に緑が残っているのもとても美しいです。
写真が下手で恐縮です。

冬の赤い実もかわいいですよね。
以前はこのギラギラした厚手の葉っぱが好きでありませんでした。
でもこのやぼったい葉っぱが和風でいい感じと最近わかってきました。

2014年7月8日火曜日

思い通りでない先には

望んだ通りの人生という言葉があります。


私は漫画家になりたかったので
今の人生は望んだ人生でないということになります。
人生全然望んでないがっかりなこともたまにはありました。
でも、一つ一つ負けていった先に
今の人生がありました。

ピアノを続けることを意識的に望んではいなかったけれど
続けたことで
知らなかった自分と知らなかった幸せに出会った、そんな気がします。

今の自分とは違う遠い何かになろうともがく中でわかってきたのは
自分になることが夢の実現なのかもしれないということです。
夢とは自分そのものになるためのツールなのかもしれません。

思い通りでない先の人生も悪くないです。













2014年7月7日月曜日

著作権とコピー 2

ノーベル賞を取った方が
「IP細胞は特許をとらず皆が自由に研究して技術発展を促したい」と言っていました。
これと同じように売れっ子作曲家が、みんなが自由に音楽を楽しめるよう著作権は取りませんと言うのはあるかもしれません。
しかし、売れっ子ではなく食べるのがやっとの作曲家だったらどうでしょう?


科学者が成果を出さないといけないプレッシャーは相当でしょうが、お給料はもらえてるんですよね。国立大学にも研究所にも、開発のための研究費は税金からまわりますよね。

「みんなが自由に音楽を無料で楽しむ」は聞こえがいいですが、
税金はもちろん回っていかなくて、ギリギリの暮らしをしている作曲家が作ったものを、
優雅に暮らしている人たちが無料で楽しんでいるとしたら間違っています。

作曲家が好きで作っていると言えばそれまでですが
もしその音楽に楽しみをもらっているのなら、違法コピーはやはり非礼なことです。
作曲家がどれだけ生活をかけてそれを作ったか、大げさに言うと命をかけて人生をかけてその1曲を真剣に作ったか、、。

今日食べる物も無い雨風もしのげない方がコピーするなら別として、
自分よりはるかに豊かに暮らしをしている人に楽譜代をケチられてコピーされても
創作活動を続ける作曲家や編曲家。
さむらごうちゴーストライター事件のとき、新垣氏が本当につましい生活をしているのをテレビでご覧になった方も多いでしょう。
「音楽を食べて生きている」そんな感じでした。
「聞いてくれる人がいるだけで嬉しかった」
お金のために作ってる訳じゃなくても、でも人間ほんとに食べないと死んじゃうんですよね。

アーティストってクリエイターって、生み出すのに命を削っています。
最近有名な歌手が覚せい剤で逮捕されました。
「弱い人だった」と非難されています。裏切られたと言ってる人もいます。

でも私は思うのです。どんなに才能があると言ってもやっぱり人間、
本当に苦しくて大変だったんだろうな、と。。
藁にもすがりたい、その藁が薬だった気がするんです。
そんな彼らの生み出した物をこちらは努力せず気楽に楽しませてもらっている。

ですからせめて対価としてお金を払いたいと思うのです。
素人のあそびなんだからタダでいいでしょ、は申し訳けなさすぎるのです。

ピアノでは1冊の曲集のなかで弾きたい曲が1曲ってこともあります。
そうすると1冊買うのもったいないですよね。
でもたった1曲にも沢山の方の労力やお金が使われています。
わたしなんか作曲どころか人が見やすい楽譜を作るのだって一苦労二苦労です。

口先だけで何も正しく生きていない私が「コピーはいけません」とは言いません。
私は正しくない上、かなりのケチで計算高い人間です。
でもそんな私と違ってそれでも作曲を続けてくれている人たち。
「こんなに楽しい思いをさせてもらったせめてものお礼」
楽譜が出来るまでに思いを馳せるだけで少し気持ちが変わります。

私が学生の頃は輸入版の高い楽譜ばかりで何千円もしていました。
今は国内で安価な楽譜を販売してくれるようになりアマチュアも手が出せる範囲です。
素人の人が気軽に弾けるようわんさか編曲されています。
豊かな知識と技術を持ちながら薄謝で編曲してくれている編曲者さんには本当に頭の下がる思いです。楽譜出版社さんもあってこそです。

何回かに1回でもいいのです。コピーじゃなく楽譜を買ってくださると音楽家と音楽の世界を守る手助けになります。売れない楽譜は当然ですがすぐ廃版です。いいなと思った楽譜を買ってくださるとその楽譜が残れる道となり、それが多くの方の次の楽しみへとつながり、またアーティストさんの次の活動につながっていきます。


音楽で生活させていただいている者のはしくれとしてお話させていただきました。





なんと、、、!

先週ルッコラの種を1000粒くらい収穫しました。そのあとにはピーマンの苗を植えようと思っていました。

一昨年98円で買ったピーマンの苗から33個も大きいピーマンが12月の中旬くらいまで収穫出来た実績が私にはあります。ピーマンに備え土を耕し生ゴミ堆肥を混ぜました。


でもずっと雨続きなのでピーマン植えられないなあ、、と思ってふと見たら!
なんか小さい芽がいっぱい出ている!
うちは同じところに色々蒔いているのでこれが何のこぼれ種かわかりません!

そういうときは食べる。

食べたらルッコラでした!

ルッコラの種を収穫したときいっぱいこぼれて、それがもう芽を出しちゃったんです。


これは確か二期作と言うやつ、、、。

ああ、嬉しい!!

でもキュウリとかって輪作ダメって言うから1年で同じ土で同じものって大丈夫なのかと思い調べたら、ルッコラ三期作もありとか。
農家の方ってこういうの全部知ってるんですもんね。
すごい。

今年はピーマンなくなりました。
ルッコラの消費を考えるだけで忙しいです。





2014年7月6日日曜日

著作権とコピー 1

著作権が消滅するのが作者の死後50年から70年になるというウワサを聞きました。


いろいろ反発があるようです。
著作権料を払わなくてはいけなくなるからです。
しかし反発するだけマシかもしれません。
演奏会や放送業界などでは著作権料は支払って当然のものですが、
一般の人々にとって著作権などなきに等しいのが現状、違法コピーがまかり通っています。

ピアノ学習者にとって身近なコピーは楽譜のコピーが一番多いでしょう。
実際、ほとんどの方がコピーの楽譜は使ったことがあると思いますが、
そこに罪悪感はどれくらいありますか?

それで営業をしていないんだから、
個人の楽しみのためなんだからいいんじゃないという意見があります。
しかし、美味しい物を食べるとき、材料費はかかります。
フラワーアレンジメントを楽しむとき、
個人の楽しみだからって花代はタダってことはあり得ません。

ほんとうは音楽だってこれと同じです。
これは自然に生まれたものではなく、
人が人のために、スゴく忍耐強く歳月をかけて作りあげた作品です。
製品です。商品です。
それが生まれるために
作者、編集者、印刷屋さん、出版者、販売者と沢山の方が労力やお金を使っています。

食べてなくなる食料にお金を払うように、
枯れるお花をお金で買うように、
形として残らないけど心の栄養になる音楽にもお金は払うのが筋だと私は思っています。
種から果実が実るように音楽にも時間と手間がかかっているのです。
コピー代30円ではあまりに安すぎです。


ピアノを聴いたり学んだりする側の気持ちだけでなく、
作ったり提供する側の権利もきちんと考え守ることこそが
本当に音楽を愛し広めることだと私は思います。












2014年7月4日金曜日

「言っときますが」

考えてもしょうがないこともありますが
考えないといけない事案も人生には沢山あります。
波風立ててでも向き合わないといけない問題もあります。

いずれにせよ、どんなときでも自分の思いは言った方がいいと思います。
結果に関わらず。
聞く耳を持たない人に何を言っても無駄だから黙っているという人も多いです。
でも言ったという既成事実は自分の中で何か違うと思います。
結果はどっちでも同じかもしれませんが。

、、と言うとまるで私はちゃんと言っているようですが、
強いものに弱いのと変なプライドがあるので
実は全然これが出来ません。

変なプライドって言うのは
かわいそうな自分を認めたくないって言うのが一番大きいでしょうか。
言い分が通らなかったり意見を無視されたり言って馬鹿にされたりするのが
怖いのです。
そもそもそれを言わないといけない自分が惨めになります。

そんな場面に臆することなく
「言っときますが」とビシっと言える人になりたいです。

2014年7月3日木曜日

命がけ

自分の人生で、やれって言われて一番怖いことの一つと言っても過言ではありません。
フルマラソンとか国連でスピーチとかやれって言われたら
「え、私が?」と、とりあえずやってみて
200%の予想通り棄権or失敗して「ほらね〜っ。エヘッ」で済ませるでしょう。
もともと出来ないの当然ですから。
ネタです。

でも「エヘ」で済まされない怖さです。
命がけです。

練習通りにいかない、は練習が足りない証拠です。
練習で10回中9回しか出来ないなら失敗して当然です。
練習で10回中10回できても20回中15回じゃダメです。
1000回中1000回出来ていても本番はわかりません。
10000回中9999回出来て1回出来ない、の1回に大当たりするかもしれません。
でも10000回練習しないので大当たりの確率はもっと格段に高いです。

スキがあれば楽をしたい私が人前でピアノを弾くということは
神が私に与えたもうた試練でしょうか。


2014年7月1日火曜日

本心

人に聞かせるために弾いているわけじゃない


「そういうのって本心ですかね?」とM先生がおっしゃいました。
私のことを言った訳ではありませんが、その洞察力の鋭さに私は思わず手で口を押さえていました。
本心を見透かされた気がしたのです。

上手だったら聴いてほしい願望が心の底にはずっとあったかもしれない、、、。
はじめてそんな風に思いました。
上手に弾いて、聴いてもらって、よかったと言ってもらいたい。
これは私だけでなく、ピアノを弾く人全員の、間違いなく100%全員の心の本音ではないでしょうか?

ふと考えました。
もし聴く人全員がピアノの上手下手がわからなくて、必ず絶賛されるとわかっていたら、、、
私なら間違いなく得意げに、でもその得意さを顔には出さず
「こんなの普通ですから〜」、みたいな顔してさりげなく弾いたでしょう。

結局、実際はそれを得られないことを知っているから弾けないのです。
それでも私は人前で弾きたくないという言い方はもうやめようと思いました。
練習のように弾けないのは緊張するのは全員一緒。
でも、ほめられないだろう覚悟で臨むピアノだからこそ誰かに勇気を与えることもあるかもしれない。

好き好んで命がけで弾いてます。