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2013年12月31日火曜日

収穫と感謝

今日でこのブログは116回目となりました。
めんどくさがりなので、どれだけ書けるかと思っていましたが、読んで下さる方のおかげで続きました。
ブログは今年の大きな収穫です。ブログから広がったご縁もたくさんあります。ブログ始めて良かったです。
有り難うございました。


口ばっかりで行動が伴わないのが私の恥部ですが、少しでもその差を埋めるよう頑張ろうと思います。たくさんは頑張れないので、ちょ〜っとなんですが。
お年賀状も遅くなります。ごめんなさい。

背伸びをせず欲を出さず身の丈にあったやり方で進んでいきます。

本当に読んで下さって有り難うございます。
来年もどうぞ宜しくお願いします。

2013年12月30日月曜日

2013年ゆく年

1月 
三枝成彰さんと健起さんにいらしていただき、オペラ「KAMIMAZE」の講座をしました。小さな部屋で膝を突き合わせての音楽談義&演劇演出の舞台裏のお話、滅多にない貴重な機会でした。

2月 
オペラ「KAMIKAZE」世界初演観劇しました。戦争をしてはいけない、と胸が痛くなりました。このオペラが世界で上演される事を願います。

3月 
千代田区にて「大人のピアノ入門講座」開催、ピアノサークル「ピアニッシモ」誕生。この時始めた方が10月のサロンの会でデビューしました。またこのブログも開始しました。

4月 
小金井市にて「楽典入門講座」をしました。講師は私と針貝先生。8分の6の拍子の理解が難しい事を実感。コードは「なるほど」と割とすんなり理解いただけた気がします。

5月 
サロンの会会場とお料理決定。このころ皆様の曲決めも始まりました。

6月 
室井摩耶子先生のプログラム決定。最後に東日本復興の合唱演奏のボランティアの方も決まりました。

7月 
「室井摩耶子ピアノ&トークコンサート」200名の定員のところ400名くらいの方からの申し込みがあり、残念ながら沢山の方をお断りしなくてはいけませんでした。

9月 
「第1回アルテ交流会」開催。藤田幹氏が同じメロディーでも左手の和音でこんなに曲が変わるよ、というのを実演してくれました。ジャズに興味を持った方もいました。

10月 
「第1回ピアノ弾き合い会」20名の方がそれぞれの曲を弾き感想や講評を話しました。気軽な場慣れ、今後も続けていきたいと思いました。松本音楽記念迎賓館でサロンの会を開催。初出場の方も多い中、演奏後の午餐会はいつにも増して大変なごやかで素敵な会になりました。駅から遠かったのがちょっと不評でした(笑)。

11月 
一般社団法人になって初めての決算の締めでした。ビジネスとはほど遠い結果を目の当たりにしてめげましたが、あと1年はこのままやってみます。

12月 
「第2回アルテ交流会」。中村誠氏の和音はそれぞれの色があるとする考えに納得。先生の気さくなお人柄で座談会も充実したものになりました。


来年は年明け早々、角先生のコンサートです。
来年はこの会の要、ピアノサークルの充実が目標です!

すぐ挫けそうになる私ですが、出来る事を出来るところまでやっていきたいと思っています。





2013年12月28日土曜日

らくちん

明日はヤマハホールで私の先生のところのピアノコンサートです。
私は出演しません。お手伝いだけです。
皆様の演奏を聴くのがとっても楽しみです!
弾かないというのは本当にラクですね〜。
天国と地獄です。
どれだけピアノが嫌いかって話になっちゃいますよね。
いや、ピアノは好きなんです。
でもこうして怠けるのはすごくすごくラクちんです。
でもこれに慣れると、逃げ上手の私は確実にピアノが弾けなくなりますね。
ちゃんと練習はしま〜す。


中高年のピアノ入門

そういえば!
「はじめてピアノサークル」のご紹介をした事がなかったでした!今日になって気づきました。


はじめてピアノの会は「中高年のピアノ入門」という講座から始まりました。
「ピアノなんて自分の人生にはないと思っていた」という50代〜80代の方々が、ピアノに憧れていた熱い思いをお話し下さって、その姿に心から感動しました。今でもそう言ってくださった皆様のお気持ちが私の支えになっています。

それまでに大人の個人レッスンで感じていた「やめてしまうシニアの方特有の共通点」を克服出来る講座を目指しました。
理解力があるのは大人の最大のメリットですが、大人は体で反応する前に理屈を考えてしまうので体が全然覚えないのです。頭でわかっても、出来る事とは全く別です。そして「いくらやっても(いくら頭でやっても)弾けない」となって、やめてしまいます。

私にいわせれば、弾けないに決まってます。頭で「弾ける」気持ちになっている事がすべての間違いです。耳、肌、体で覚えないと。リズムなどまさにそれです。

私なんて45年やってこのザマです。ただ私は子供の頃、幸いにも頭が働かずこのザマとは気づきませんでした。気づかないまま10年過ぎました。石の上にも3年と言いますが、3年じゃ柿もなりません。桃栗3年ピアノ趣味でも10年です。プロになるには1万時間の法則だそうですが、趣味なら1万時間じゃなくていいです。でも、せめて10年の歳月は必要です。

毎日何時間というより、10年の歳月をかけて耳や肌や心にしみ込ませるのです。頭ではないのです。頭で短時間で簡単に近道して弾こうとする大人の方は挫折または移ろいやすい、というのが私の持論です。

というわけで、はじめてピアノサークルは

「長く続けられる」
「頭ではなく五感で親しむ」
「簡単ではないと思い知る」(こわ!)

ピアノの楽しみ方を追求したいと思っています。まだまだ発展途上の会ですが、この志に共感して下さる方、どうぞ応援して下さいね。

現在都内6カ所、埼玉、千葉各1カ所の地域サークル、それぞれを改めて紹介していきたいと思います。
こちらもご覧下さい。
http://www.hajimetepiano.org/lesson/class.html

2013年12月26日木曜日

才能のなさと努力の出来なさ

「努力する才能」といういい方がありますが、そもそも才能がない人は努力も難しいんです。


努力すれば上達するなら努力も出来ますが、才能が全くないと、最初の0から1に行くまでがものすごく大変で、努力してもまったく上達が見えず、だから努力し続けられないんです。

もちろん、才能ある人でも、やれば出来る時期はあっという間に終わり、あとは努力だけとなるのでしょう。でも「出来る!」という体験が1回もなく、やってもやってもずっと暗闇という才能のなさ。。。これは「努力する才能」以前の問題です。

じゃあどうしろっていうかと言うと、別の分野を探す事かと思います。
サッカーが大好きなのに才能がなさ過ぎて0から1までが大変過ぎる人は、サッカー選手になる事はあきらめた方がいいと思います。けれど、サッカーが大好きという方は、プレイで一流になれなくてもサッカーの周辺で一流になれる才能が隠されていたりします。サッカーを例に挙げた割に、サッカーの事はよく知らないんで、具体的な職業はわかりませんがライターとかスポーツバーの経営とかグッズの企画とかあと経営陣にまわるとか?

いや、今ない職業だって生まれたりします。「好きだ好きだ」って思い続けていると周辺も見えて来て、周辺に0から1までは行けそうなジャンルが現れてきます。そしたらチャンス!1まで行ったらあとは99の努力!(笑)。

「才能がない」とわかるのは実はちゃんとやったからこそ。そしてその分野に才能がないとわかったって事は消去法でいくと才能がある分野がより明確になるってことでもあるのです。

好きなら思い続ける事、好きと言う気持ちと向き合う事、そうすると努力出来る才能の分野に出会えると私は思ってます。







2013年12月25日水曜日

才能と努力と

羽生選手が「練習では出来ている4回転サルコーを本番で出来るよう、もっともっと練習します」と言っているのを聞いて、村上選手が「緊張して足が震えていた」にも関わらずジャンプを成功させるのを見て、私たちが常に「練習では出来るのに」といい訳しているのが、ただのざれ言だと思い知ります。

練習で出来る=本番で出来る

この間の=にどれだけの努力が必要かってことでしょう。

どんなに天才でも同じ人間、疲れたり挫けたりすることもあるはずです。努力したのに日本代表からはずれたり、オリンピックでメダルが取れなかったりと、落胆する事もあるはずです。そんな気持ちに打ち勝って、それでもやり続ける強さに、本当に力をもらいます。やれる事をやり切って引退する選手は、私が何も頑張らずラクして逃げる画策をしていた年齢。。。

レベル90の人がレベル100を目指すプロフェッショナルの努力は無理だけれど、5の自分が6を目指して今の自分より少し頑張れることはやってみようと思った今日でした。

2013年12月24日火曜日

技術と表現と

「表現」と「技術」、プロとアマチュアでは意味が違って来ます。

素人の手作りニットはデザインがかわいいくて編み目が不揃いなのも味です。でもプロのニット師の作品は、何気なくても、編み目が揃って寸法が正確で着やすくてといった最高レベルの技術があった上でのデザインでしょう。敢えて不揃いのデザインとかはあるかもしれません。

プロに関しては技術のない表現はありえません。徹底した基礎と高い技術があってこその表現だと思います。

プロの方がそこにどれだけ力と時間を注いでいるか知れば、素人はそのプロのまねをして、シンプルな編み目で勝負なんか出来るわけがないのです。

なので素人はデザインや素人の味で勝負するわけです。素人らしさは時にプロフェッショナルとは違う魅力を出します。家庭料理選手権という番組で「これは家庭料理というよりプロの料理ですね」と褒められつつ優勝出来なかった方がいました。家庭料理に求められるものはプロの味とは違います。そしてプロのような人とプロでは違います。

素人は技術がないからこその表現が必要になります。私もプロの演奏家ではなく素人です。素人を見下げてるわけでなく、それだけプロは上の上にいるってことです。


2013年12月23日月曜日

表現の美しさ

全日本フィギュアの男子が終わりました。
高橋大輔選手をS席で見ておきたくて、チケット発売開始時間に申し込みましたがダメでした。なのでテレビで観戦しました。


高橋大輔選手の昨日の演技。張りつめた集中力の中、素晴らしい演技で涙しました。
もともと高橋選手の音楽性と言ったら、類を見ません。動きと音楽と心が一体です。

そして小塚選手。スケーティングとはピアノでいう音色や音の粒というような、ジャンプや表現以上の、究極のスケートの美しさという気がします。ずっと見ていたくなります。音楽性は高橋選手のようにはいきませんが、表現は逆にやりすぎてなくて素直で、好きです。

最近のフィギュアでは、「表現」という名の「表情作り」が多くてそれには辟易しています。プロフェッショナルの行う「表現」とは最高級の技術の上に成り立つデザインのようなものだと思います。狂いのない編み目の揃ったニットが下品なヒョウ柄だったら、いっそ無地にしてくれっていう感じです。3流役者のような顔をするくらいなら無表情で滑ってほしいです。変な顔をされると引きます。ちなみに上品なヒョウ柄もありますね。ようは表面じゃないってことです。
アマチュアは別です。

2013年12月22日日曜日

ヤマハシステム

ヤマハはお月謝が高いとか講師の報酬が低いとか弾けるようにならないとか言われますが、これは全部事実です。でもヤマハのシステムにはそれに勝る充分の価値があると私は思っています。


今の私があるのはヤマハのおかげです。ヤマハ音楽教室の生徒としてピアノ人生が始まって、ヤマハシステム講師として働き、その間大事な事をたくさん教えていただきました。


研修で教わり今でも気をつけている事があります。それはリズムとアインザッツ。
子供は耳がいいので、いいリズムで叩くことは勿論ですが、手で叩く時は手が打楽器なので、手の音色にも気を配る事。
はじまりの「さんはい!」みたいのをアインザッツと言いますが、たとえば3拍子なら3拍子の、2拍子では2拍子の、しかも曲想に合ったアインザッツの出し方をする。指揮者と考えれば当然ですが、ただのリズム打ちや個人レッスンでは、忘れがちな部分です。

こんな細かい一つ一つが子供の音楽性を育みます。大人は「何の曲が弾けるようになった」とそこだけしか見ませんが、どんな可能性を内側に作ってあげられるか、「何を弾ける」でなく「どう弾ける」子になっていくか、そこが本当の音楽教育だと思います。「あっちのお教室の子はあんな曲が弾けてる。あっちに変えよう」というのはありがちですが、成果は1年後ではなく30年後です。大人の方で、子供の頃バイエルを最後まで弾きましたという方より、ヤマハで遊んでました、という方の演奏の方が素敵なことはよくあります。もちろん指を動かすトレーニングも大事ですが、それだけでは楽しい音楽は生まれないと痛感しています。


ヤマハの講師の報酬は決して高くはありませんでしたが、その分お金では買えない音楽の精神も指導法も勉強させていただきました。

2013年12月20日金曜日

世間知らず

「世間知らず」という言葉があります。
わからない事が出て来た時、私も自らこの言葉をよく使っていました。
今はなんて恥ずかしい物言いをしていたのだろうと、赤面しています。


「世間知らず」とは考え無しで勉強不足なだけです。
それなのにこの言葉には、「自分は悪の世界を知らない純粋な人間」アピールが満載です。「世間知らずだったのでだまされた」という発言の中には、私は素直な良い人なので悪い人の餌食になった感たっぷりです。

「世間知らず」を「純粋」と混同して使うのは大きな間違いです。

私は気づきました。
純粋な人は、そもそも人の頭だけ使ってラクするのは失礼だとわかっているので、ちゃんと自分で調べる習慣があって、悪人の餌食になりづらい。
素直な人は、好かれて良い事が多いので、勘で悪い事はわかりやすやすい。上手い話はたくさん来ても上手すぎる話には乗らない。また、自分の責任で判断するので、そうなったときでも「自己責任」ととらえている。
そんな友人たちは自分の事を「世間知らず」と言いません。

私もそれを見習って、恥ずかしい自己アピールはやめ、何かのときには「考えが足りなくて」と使う事にしました。ついでに「世界が狭くて」も、「高尚な音楽の世界だけ知ってて大衆の世界を知りません」アピールが見え隠れするので、こちらは「経験不足」に変えたいと思っています。これで上手い話がたくさん来るようになればと思います。

2013年12月19日木曜日

角先生のブログより〜プロのまねでなく勇気を持って、、、〜

角聖子先生のブログは、短文でわかりやすく親しみやすく、そしてやさしくびしっと核心をついています。大事な事が心にすんなり入って来ます。


最近では

「何を目指すか その2」  http://seikosumi.at.webry.info/201311/article_7.html
「勇気」          http://seikosumi.at.webry.info/201312/article_1.html
「無事終了」        http://seikosumi.at.webry.info/201312/article_4.html

という記事にとても感銘を受けました。


私が同じ事を書いたら100000字くらい使って説教臭くくどくどねちねち追い込んでしまうところ、角先生はさらりと「ああ、そうなんだ〜」と気持ちに寄り添うように教えてくれます。さすがです。尊敬します。
言葉の選び方がピアノの音のように適切すぎです。

演奏力もレクチャー力も人格も備わっていない私に出来る事と言えば、素晴らしい音楽家の方の素晴らしさを皆様にお伝えする事。
今回角先生のコンサートを企画したのは、一番に私が角先生のピアノとレクチャーを、じっくりコンサート会場で聴きたいというのが理由でしたが(私は主催者なので実はじっくり聞けないのでした)、それにもまして、角先生でない先生に指導してもらっていたりまたは独学の方は、是非1回でも、第1級の指導者のお話を直に聞いて欲しいと思ったからです。今教えていただいている先生が悪いというわけでなく、角先生の一言でわかる事ってあるのです。たった1時間半でも、何か意識が変わると思っています。私が角先生のセミナーを受けたあとは、いつもそんな気持ちでした。


営業下手に加え、宣伝の経費もなくて、たくさんの方に告知出来ず、ホームページとこちらのブログのみの広報ですが、ピアノを学習している方には心から聞いて欲しいコンサートです。

「私は下手だからそんな偉い先生は、、、」という方も「超絶技巧について興味があります」とギラギラしている方も、きっと何かが変わります。本当のピアノの楽しみ方、聴き方、弾き方を聞きにきて下さい。きっと「ピアノをやっていてよかった、もう少し続けてみよう」と思う事でしょう。迷う事なくいらして下さいね!

当日サイン会も行う予定です。



2013年12月18日水曜日

ロケ

今日は寒いですね。、、と言っているうちに桜が咲き散って、もう暑くてたまりませんね、と挨拶するようになるのでしょう。いい事も悪い事も時間は全て飲み込んでしまいます。




「独身貴族」というドラマを見ていたら、令嬢のレイ子さんのお住まいが先日サロンの会をした松本記念音楽迎賓館でした。シャンデリアのデザインがとてもモダンでマッチしているこの素晴らしいお玄関のカットがドラマでも使われていました。こちらの壁の薄く伸べた石、光を透かすようになっていますが、今は購入不可能らしいですが、買うとしたら1枚20万円程とのこと、50枚以上はあったのでお玄関の壁だけで1000万円超です。ご令嬢のお住まいらしく品があります。金額の事で興奮している私は品がないです。



昨年のラリアンスも、そのまえのロビンズクラブも、そして丸の内センチュリーもロケや対談などでよくテレビで見かけます。使った事があるので見ていて気づくだけかもしれませんが。

今後も素敵なところを発掘してサロンの会をやりたいと思っています。ピアノも大事ですが「箱」も大事です。




2013年12月17日火曜日

ピアノの文法

ピアノの文法とはピアノの決まり事です。楽譜を見て、どう弾くか、組み立ての決まりです。決まり事なので「感性」とか「個人差」とかでない原則です。


実際、『楽譜の見方が間違えていないか』レッスンに通っている方が一番多いですし、お子さんの場合はピアノの基礎を身につける=文法を身につけるために、レッスンに通ってくれています。

が、習い始めると楽しくて、知っている曲を弾きたくなります。知っている曲が少し弾けるともう少し難しい知っている曲が弾きたくなります。でも知っている曲のまねだけではピアノの文法は学べないのです。フランス語初心者がフランス人の先生のまねで話せても、自分で単語を組み立てて話せるようにはならないのと同じです。

文法は段階を追って学ぶことです。
簡単な短い文一つ一つを分解して覚えることです。
途中でわからなくなったら戻らないとその先ずっとわからなくなります。

ピアノを習う時使う『教本』に書かれているような事がピアノの文法です。
英語でも複数形にはSを付けるとか、ザがズイにかわるとか、そんなことです。頭でわかっていても、使えないとダメです。指摘されてから「あ、そうだった」と訂正するのでは体で修得出来ていないことになります。文法は頭でわかる事より身につける事の方が難しいですね。

他にも言葉で書いていなくても楽譜から読み取って「こう弾く」という決まり事がたくさんあります。
難しい曲になると原則でない箇所がたくさん出てきますが、原則でない事が起こった時に、原則でないと気づくのも原則がわかっているからこそです。

知っている曲だけでなく教本で文法を簡単なものからしっかり身につけましょう。どんなにしゃべれても母国語でも文法は学びますよね。

独学の愉しみはこの文法があってこそです。

2013年12月15日日曜日

手を痛めないように

ピアノ奏法で大事な前提は手を痛めない事です。そして手を痛めない弾き方だと指も動き、音も美しいです。


手を痛めない弾き方とは力を抜く事です。力を抜いて行う事がどれだけ大事かは他のスポーツを見ていてもわかります。力を抜いて演奏なりスポーツをしてらっしゃる方は高齢になってもそれが可能です。室井摩耶子先生のように。

昔日本でほとんどの子供が習っていたのはハイフィンガーと言われる奏法で、これは手を痛めやすい奏法でした。子供のうちは筋も柔らかいし筋肉もあって曲も難しくないし手の事なんて考えませんが、曲が難しくなると、力が入っていては指が動かないので、無理矢理力任せになんとか動かして、あげく手を痛めてしまう感じでした。

昔のヨーロッパでもピアノ奏法の歴史をみると、指が動くようになる機械や指を広げる機械、指が強くなる機械が開発され、みんな手を壊していたみたいです(涙)。怖いですね。

手は個人個人違うし関節の柔らかさなども関係してきますので、全員にこれ、というのはないのでしょうけど、「ピアノを弾いて痛くなる」というのは明らかに間違っています。年を取ると余計筋を痛めたりしてピアノが弾けなくなります。はじめからやるのがいいですが、変だなと思ったその時点からでも、先生について力を抜いて弾ける弾き方を学びましょう。

力を抜く事は時間もかかりますし、面白くないです。やらないですむものならやらずにやり過ごしたいです。生徒さんを見ているとその気持ち満々です。私もピアノ以外の事では先頭立ってラクして実を取るタイプです。ピアノでも、熟した実が運良く頭の上に落ちて来ないかと、寝ながら待っていましたが、待っている間に年を取り、余計下手になって、おかげさまで思い知らされました。ここはあきらめて地道に練習するしかないでしょう。人間何かをやるときには力が入るようになっているので、速く弾きたいと思えば思う程自然に力とは入るものなのです。意識を変えましょう。動く時力はわざわざ抜かないと入ったままなのです。

手の事をやると、曲が進まなくなる事は覚悟しないといけません。
めんどくさい上曲が仕上がるわけでもなし、すっきりしない日々が続きますが、急がば回れです。









2013年12月13日金曜日

ピアノレッスンの意義 3

初歩のレッスン、アーティキュレーションのレッスンの次のレッスンの意義は何かというと、ズバリ、「初心にかえる」です。


最初のレッスンの意義1の時はなんだかんだ言って「わかんないけど、でも先生がやれって言うから」的に受け身で学んでいますので、お月謝の半分くらいはぼんやり聞いています。(ただ子供はぼんやり聞いている事も身に付いてます、いい意味でも悪い意味でも)。
レッスンの意義2で書いたアーティキュレーションの部分はいかにも音楽をやっている!って感じで楽しいです。がそこに待っているのは、先生にいわれた通りに出来ない、言われている意味がよくわからない、練習では出来るのにレッスンでは出来ない、という挫折です。つまり先生の言っている事をわかりたいけどわからない、やりたいけど出来ないという感じです。実はこれ、最初の段階でぼんやりやり過ごしてしまった事が明るみになってきているだけなんです。ここで音楽を考えてやることの必要性が出て来ます。挫折は次に進むための恵みなんです。

この段階の挫折により、何が変わるかと言うと耳と指が変わります。なんとか出来るようになりたいと言う気持ちが、耳を変え、思った通りに弾く指作りに考えが及ぶようになります。先生の話が理解出来ないのに変りありませんが、どうしてだろうどうしたらいいだろうと自分で考えるようになって、大変能動的になります。なぜ先生が拍子が大事だっていっていたのか、なぜ手の形を言われていたのか、理由がわかって自分から意識を集中してやるようになります。

受け身で聞いていた事を能動的にもう一度やり直すと、吸収の仕方が全然違います。お月謝の倍くらい身に付きます。だいたいレッスンの意義2くらいのところでやめてしまう方が多いですが、コストパフォーマンスは一番優れていますので、是非ここまでレッスンを続けて元を取って欲しいと思います。浅田真央ちゃんもトリプルアクセルを封印して基礎に戻ったからこそ、いまのスケーティングがあると言っていますね。一緒に語ってしまい大変恐縮ですが。


本来のレッスンの意義は「自分で思っているよりも音楽は深かった」と知ってもらう事と思っています。「こんなもんでいい」なんておっしゃらずに一緒に深みにはまりましょう。



次は独学の愉しみも書きますね。

まだ寒すぎない冬の一日、街はクリスマスムードでした。
皆様、お風邪などひきませんよう。



2013年12月10日火曜日

ピアノレッスンの意義 2

おはようございます。
「秋はこんなに過ごしやすかったんだ〜」と思っていたら、すっかり冬です。「冬はこんなに寒いんだ〜、いや、確かもっと寒かった気もする。。。」と冬本番の寒さに今からドキドキしています。

前回は習い始めのピアノレッスンの意義について書きました。今回はもう少し進んだ方の私の思うレッスンの意義です。

算数が出来て指もしっかりして来たら、表現のレッスンです。アーティキュレーションと言うと難しく感じるかもしれませんが、ただその曲らしさを楽譜から読み取ることです。音符の量には関係ありません。2段の曲で充分です。それをすると、生徒さんのピアノが、いきいきしてきて、流れて来ます。自分で譜読みしたり練習したりしてるわけでないのに自分が弾いてる感じを味わえて、わたしはこの感覚がとても好きです。余談ですが、生徒さんがコンクールなどで活躍してくれる事も、ピアノの先生にとってはこの感覚じゃないでしょうか?人のふんどしで相撲を取るってことですね。

アーティキュレーションは、勿論簡単には出来ないので「どういえばわかるかな〜」と悩みます。そして、生徒さんがそれを「出来ません〜、わかりません〜」と言おうものなら「出来るまでやります!わからせます!」とムキになってしまいます。ムキになって、ものすごくねちっこくやります。

ムキになられるのはうっとおしいかもしれませんが、一人だと思い込みや一人よがりが生じてしまうのも事実です。レッスンを受けると、一人で向き合っていると見えないところを第三者として指摘してもらえます。作曲家との仲を取り持ってもらうような、、、。そして、一人だと「まあ、ここまでできたからいっか」と妥協をしてしまうところをレッスンでは追求されるので、うっとおしいと思いながらも、そうなるよう練習し、努力します。これは大きなレッスンの意義ですね。苦しい作業だけれど、仮にそれが出来なくても「音楽ってそんな深いところまで追求するんだ。ピアニストってそこまでやってるんだ、すごいなあ」と音楽の聴き方が変わって来ます。

出来なくても、練習が足りないときでもそれを味わいにレッスンに行くだけでも、ここにレッスンの意義はあると思っています。





















2013年12月9日月曜日

ピアノレッスンの意義


「音楽を好きになる」ためにピアノを習う時代は終わりました。楽しい事は万人が知っている時代です。

わざわざレッスンに通う意義はなんでしょう?
自分で知っていると思っている以上の楽しみが音楽にはあり、それを深められるようにするのがレッスンの意義であり、先生のつとめかと私は思います。

先日も書きましたが、ピアノの先生は本当にたくさんいます。なので逆に先生選びは難しいと思います。習う目的にあった先生を選べばいいだけですが、ピアノは習う前と習ってからでは目的は変わる事がわかりました。

最初は「簡単なものでも弾けるようになれば」位なもんです。あと「楽譜がちょっとわかるようになれば」とか。でもやっていくうちに要求が上がり「上手になりたく」なります。そうなるとただその1曲が弾けるように教えてもらっていただけでは、足りなかった事が多すぎたと、なります。

というわけで、どんな目的に転んでも習い始めに習っておいた方がいいと思う事を3つ書きます。


•歌の大切さ 
音楽はピアノでもフルートでも楽器で歌うことです。歌う大切さを知っておく事は3つの中で最重要課題です。

•音楽の文法とソルフェージュ
とりあえず『正しく演奏出来る力』を付ける事でしょう。そのために音の長さ高さリズムなどを特に体でおぼえる。

•良い演奏を聴く
生の演奏を隣で聴く機会があるのはやはりレッスンです。

この3つです。
弾きたい曲を少しやりつつでいいので、この3つはやっておいた方がいい事です。
弾きたい曲の時間はその分短くなりますが、その分楽しみを将来に貯金しているようなもんです。そしてこの3つが出来れば、好きな曲は自分一人の力で弾けるようになるものです。特に子供は幸いにもショパンが弾きたいなどありませんので、この3つだけ工夫して楽しくレッスンしておいてもらえば、レッスンをやめても30年後、1曲だけマスターした人の何倍も好きな曲を弾けるようになる可能性が広がっているはずです。

あ、ピアノだったら出来なくても「正しい奏法」は学んでおいたほうがいいですね。そうそう、ピアノの独学で一番怖いのは手を壊す事でした。とても大事な事なのでまた書きます。




2013年12月6日金曜日

ピアノ調律

今調律が終わったところです。
バラバラに疲れ果てていた音たちが、すっきりしゃきっと並んだって感じです。


私はずっとピアノの事を知らずにピアノを弾いて来て、あるときその仕組みを知りびっくりしました!ピアノを弾く人はピアノの事を知った方が上手になりますね。仕組みを知るとイメージが作りやすくなると思います。

今日も調律師さんにおもしろいお話をいろいろ伺いました。ピアノは昔と今では違います。調律も今とは違っていたそうです。「古典調律」といわれるもので、『調性の違い』がはっきり出ていたそうです。

先日のアルテの会で「音には色がある」という研究をしてらっしゃる中村先生が和音ごとの色の違いのお話をして下さいましたが、そのころのピアノはまさしく色の違いがハッキリ出ていたそうで、今のような「ハ長調でやさしく弾けるショパン」なんてあったら、まるで違う曲になっちゃったようですよ。今のピアノはあえての部分も含め、そこが感じづらいようです。

ピアノは演奏者ばかりにスポットが当たりますが、ピアノという楽器は、ピアノ製作者と調律師と演奏者の力が揃ってはじめて「いいおと」を作れるんだなあと改めて実感しました。さすが芸術。


調律師さんのお話、調律以外のときにももっと聞きたいです。
ピアノに対する愛は調律師さんの方が強いかもしれません。



2013年12月5日木曜日

暗譜!!

おはようございます。
今日もようこそお越し下さいました。ブログの仕組みがいまだによくわかっておらず、読んで下さる方がどちらの経路からお越し下さっているのかいつも不思議に思っています。詳しい方にしくみを教えていただきたいものです。それににしても有り難うございます。


ところで、先日ピアノの先生たちと今までの『失態』について話をしました。
私ほどの『大失態』をしでかした先生はいらっしゃいませんでしたが、やはり、一度や二度、思い出したくもない『失態』がある事を伺い、申し訳ないのですが、ほっとしました。

一番の大恐怖は『暗譜』です。
身近に、現代曲でもなんでも譜読みと同時に1週間で暗譜出来ちゃって忘れるのがわからない、という友人がいますので、人それぞれですが、凡人には出来ないのが普通です。これは間違いなく『才能』の問題です。

暗譜を克服出来る!?と期待してこのブログを読んで下さった方には申し訳ないのですが、『克服したい』と思っている時点で私の友人のような「自然に出来ちゃう能力」はないってことになるので、残念ですが、もう『克服』はあきらめるしかないと思います。1回1回慎重に綱渡りするしかないでしょう。

生徒さんは、ピアニストやピアノの先生は緊張もせず暗譜も難なくこなし、落ち着いて弾いていると、大勘違いしているようですが、とんでもありません。一線で活躍しているピアニストにも常に暗譜の恐怖はつきまとっているし、ましてコンサートピアニストでないピアノの先生の大半は、講師という看板の重さを背負いながら、生徒さんの羨望のまなざしにぐさぐさ刺され、毎回その恐怖と闘っています。しかも生徒さんの発表会での講師演奏となると、自分の曲には集中出来ないまま自分の番になります。(愚痴を言ってすみません、だったらやめろって話ですね、いいえ、やめません)


いずれにしても、生徒さんそれぞれが「私は極度のあがり症なんですが、どうしたらいいでしょう?」とおっしゃっていますが、”私”だけではありません、才能のある人以外全員それです、ということです。才能のある人の方が世の中少ないのです。子供がみな暗譜ですいすい弾くのは楽譜がまず違いますし、集中力が違います。

その中で、わたしが暗譜の事故を防ぐためにやってきた事は、片手ずつの暗譜や部分的な暗譜、鍵盤を弾かない楽譜だけでの暗譜、目をつぶって弾く、など皆がやっている事でしたが、それをマスターしてもダメな時はダメでした。今修行している方法は

•緊張しても力が抜ける脱力の徹底

•落ち着いて弾こうと考えず、細部まで注意深く弾こう、と考える

•集中力の練習

です。そもそも緊張すると力が入るのは当たり前の事なので、意識的に力がちゃんと抜けること、また意識しなくても脱力状態で弾けるような手にしておくことです。それが出来たら、いつもの力の抜けたいい音を出す事に意識を集中させるのです。いちいち次の音をイメージして注意深く弾くと、音楽に入り込めて忘れる隙がなくなる気がします。そしてどんなに心臓がドキドキして頭に血が上って帰りたくなる気持ちになっても弾けるように、家でそのシュミレーションのなか弾くようにします。誰もいない穏やかな昼下がりの家で、わざわざドキドキして頭に血が上って家に帰りたくなるシュミレーションを作るのも結構大変です。才能がないのは苦労します。

お互い頑張りましょう。











2013年12月2日月曜日

ホールの会 開催のお知らせ

2014年3月24日(月)ゆめりあホール(練馬区大泉学園)13時開演〜16時ごろ
『はじめてピアノ ホールの会』
参加費入退場入れて4分まで6800円(会員6000円)、超過1分ごとに+1000円

お申し込みはこちらまで  info@hajimetepiano.org


詳細はまたホームページにアップします。が、私の事、いつになるかわかりませんので、とりあえず申し込んで練習始めておいて下さい。ふるってご参加下さい。勝手ですみません。性格改善に努力します。宜しくお願いします。

今になってこの日はまだ小学校がある事がわかり、ちびっこは終業式を終えてから来てもらうことになりますが、弾く順番が選べるようになっています。後ろの方なら充分間に合いますので、ちゃんとお昼を食べてからご参加下さいね。習っている先生の発表会やコンクールのリハーサルとしても最適です。
勿論大人の方も大歓迎です。昨年は大人:子供=3:1くらいの割合でした。

はじめてピアノの会では、「サロンの会」という小さな会場で、至近距離でピアノを聴いたり弾いたりする会もしていますが、これはクラッシック音楽が宮廷や貴族のお屋敷での演奏会だったことからで、「サロンの会」と「ホールの会」、2通りの歴史を味わっていただいています。(現代の事情に合った「弾き合い会」もしてます)

では「ホールの会」とは。

近現代のピアノの発達、市民への音楽普及、音響学の発達に伴って登場したのが音楽ホールです。ホールは現代のハイテク技術が施されマイク無しで音が響くよう設計されています。ピアノが材質からこだわるように、ホールも会場内の材質、壁も天井も椅子も、すべて音の響きを考え作られています。響きは空席でどれくらい、満席でどれくらいと設計されています。ホール自体が一つの楽器なんです。

ですので、ホールで弾くのは大きな大きな特大ピアノを弾くようなものです。そんな大楽器を家で、サロンで、弾ける事はありませんから、これが一番のホールの会の意義です。
もちろんピアノや会場によって弾きやすい弾きにくいはありますが、ほとんどが弾きやすいと感じるはずです。ホールで下手なら自分が下手なのです。(その前に緊張して弾けないという大問題がありますが)。

逆に言えば「サロン」は生活の場だったり、調度品を飾る場だったりしたわけですから、銀の食器やら金の細工のされた椅子やら音響的には良くないものがたくさん並んでいた事でしょう。ですが、ピアノ自体がそれらをガタガタ言わせるような大音量楽器ではなかったし、奏者もそこで人を圧倒させようということもなかったので、至近距離でのサロンの演奏会は、本来の楽器の音や演奏者の息づかいを聴きながら楽しめたでしょうね。ショパンなど、ほんとうに小さな美しい音で演奏していたそうですよ。そう言えば、ショパンの愛したピアノで有名なプレイエル社が無くなってしまうのですよね、寂しい、ヤマハさんが買ってプレイエルのピアノ、残して欲しいです。

サロンもホールもアコースティックな音を肌で感じて楽しむことは同じです。
しかし最近ではクラッシックでも、スポーツをやるような大きな会場で、マイクを使って後ろの方にも聞こえるようなコンサートが行われています。一度にたくさんお客さんに聴いてもらうためと言いつつ、それより1回でたくさん入ってもらった方が儲かるということでしょうね。時代はそうなるのでしょうか?
そうだとしたら残念としか言いようがありません。

臨場感や息づかい、木の響きが私は好きです。











2013年12月1日日曜日

第2回アルテ交流会

交流会のご案内をしようと思っているうちに前日を迎え、
今日その交流会が終わってしまいました。
このブログを読んで会に参加してみよう!と思って下さった方が
いらしたかもしれないのに残念です。

ということで、そのご報告をさせていただきます。
プログラムは以下の通り、ご参加は26名でした。





第一部 
 アルテプレゼンテーション 部門 : 音楽 
 ピアノ&講座 中村誠 氏 

      「音には色がある 〜 やさしく学べるピアノ音色奏法 〜」 

          プロフィール  
           武蔵野音楽大学ピアノ科卒。  
           元静岡サレジオ小、中、高等学校音楽科教諭。 
           現在はピアノ音色奏法代表として研究執筆のかたわら、清水うどコーラス会
     員、はじめてピアノの会アルテ会員として音楽を楽しみつつ、音楽普及に力を
     注いでいる。 


第二部 
 アルテ座談会「本日のプレゼンについて」「芸術ってなんだろう」 



中村先生のプレゼンは、とても興味深く、
指導者としても学習者としても参考になりました。
今回はプレゼンという事で、時間も短かったので、
次回はもう少しじっくり聞いてみたいです。

座談会は「こんな漠然とした壮大なテーマで何を話せば??」と
誰もが引いたのですが、論議は白熱して大きな収穫になりました。

1、耳という抽象的な捉え方しか出来ないものより、
  目からだとイメージがしやすい

2、色も見た事がない人は、他の五感を使ってイメージを深めていると思う

3、国語の成績が悪い人間でもいい小説を読んで感動するように、
  良い芸術とは、プロアマを超えたところで人を感動させられる。
  人はそこから生きる力をもらう


などなど書ききれない程良いお話がたくさん出ましたが、
書ききれないので3つだけにしました。


座談会では、普段スルーしてしまっている事を立ち止まって考えられます。
『そんな事考えた事もない」はずのことが、ほんとは身近にあって、
たとえば今回なら、芸術という捉え方はしていなくても
「そんなことなら考えた事ある!」という話になって。
だから誰かの言葉にきっかけがあると、どんどん出て来ます。
そして再認識するんですね。認識すると、
次はそこから意識的な行動をとるようになるので、結果が断然変わって来ます。
だんぜん、です。

もう一つ、同好の仲間と共通する話を掘り下げるのもこの上なく楽しい事です。
喜びは分かち合うと2倍になります。

今回ご参加出来なかった方も是非次回のぞきにきて下さい。
行ってよかった〜といっていただけるよう、
まずはちゃんと告知します!