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2015年3月31日火曜日

ソルフェージュは必要か

ソルフェージュは、最初はやっていたけど時間もないし効果もあるんだかないんだかわからないからやめたという方は多いです。ピアノの先生も指導するにあたって同じように思うようです。

ソルフェージュは演奏のために必要な事をバラバラにして覚える事、と私は思っています。そして実は楽譜同様「便利なものだから」やるといいのです。


ピアノは一度に5個10個の事をします。それを一度に出来るようになるためには訓練が必要です。一つづつ強化しないといちいちそこで考えてしまって繋がりません。
たとえば右手ミ♭の音を4番の指で弱く弾くというとき、楽譜でミと読む、右手はこっち、鍵盤のこれはミの音、そこに♭をつける、4番の指はここ、弱く、、、と考え考えではとても時間がかかります。
右手って日常生活ではわからないわけないのに、一度にあれもこれもとなるとそれすらわからなくなるものです(笑)。しかも実際の曲になるとミだけではなく音の連続です。

これを解決するのがソルフェージュ力だと思います。

・まずは一つづつ覚える。
・一つづつ覚えた事を二つ同時に出来るようにする
・二つ同時に出来た事を三つ同時に出来るようにする…

と言うように一度に5個10個の事が瞬時に出来るようにする。
それを効率よく短時間で出来るようにするのがソルフェージュなんだと思います。

好きな曲だけ弾いていればその曲は何となく弾けるようになる。
でもすごく時間がかかる。
なぜなら回路が出来ていないから。
そして何となくの域は脱しない。
回路を作りいいか悪いかを瞬時に耳で判断出来る力、それがソルフェージュです。





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2015年3月30日月曜日

松戸はじめてピアノの会 4月開講

先日体験会をした松戸ピアノサークル、4月6日から開講します!

月2回月曜日です。

基礎コースが3ヶ月。
その後本コースになります。

同じ事を何回も繰り返しながら基礎の定着をするので途中からの入会も可能です。
本コースではそれぞれの好きな曲にチャレンジしていきます。
(いきなりソナタとかはムリです!)


お近くの方は是非のぞきに来てください。



info@hajimetepiano.org  一般社団法人はじめてピアノの会








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木管五重奏

昨日、講師のミドリ先生出演のコンサートに行きました。
木管五重奏とプラスピアノです。

小さな会場で目の前で演奏してくれたので、誰がこのパートをどんなふうに演奏しているかがわかってとても楽しくまた勉強になりました。
木管は息で吹くので当然息継ぎをします。
だからフレーズの始まりと終わりがわかります。
息を瞬間的に使っているところ、長く使っているところもわかりやすくて「音楽が生きてる」って感じです。
そしてピアノはというと、伴奏でもアンサンブルでも埋もれることなく際立っていてその魅力にワクワクしました。

生徒さんにも聴かせてあげたいなぁ〜と思いました 。


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2015年3月29日日曜日

練習

「先週はすごく練習したのに合格しなかった、、、」
やらなかったから出来ないのはわかる、でもやったのに出来ないって自分の能力のなさを突きつけられるようでつらいです。


世界フィギュアがあり宮原知子さんが2位になりました。
宮原さんのコーチが「彼女は飲み込みが早いわけではない、人の3倍やって人並み」と言っていました。

これを聞いてある小学生の生徒さんを思いました。
とにかく素直に聞いて言われた事をやります。練習して来ても合格しないことはもちろんあります。そんなときはものすごくがっかりしていますが、それでも次の週言われたところをくさらず直してくる。それでも合格しない、そうしたら更にがっかりして半分イライラしているけれど次の週またちゃんとやってくる。
「すごいなあ」と思い感心します。どんどん上手になるのをいつも楽しみにしています。


私たちが「すごく練習した」というのは、自分の今までの人生の中でほかの日と比べて、他の事と比べて練習したって話だけであって、本当にすごく練習しているという人はもっともっとしているのです。しかもそういう人は練習してもダメでも練習している。ダメじゃなくなるまで練習しているのです。


やれば出来るのは天才。やって出来るならもっともっとみんな出来ているのです。
やっても出来ない、これを乗り越えていくのが練習だと思います。




2015年3月28日土曜日

春先

本日もようこそお越し下さいました。
いつも読んでくださってありがとうございます。


春先は体調を崩される方が多いです。
季節の変わり目というより「春」が悪いみたいです。
春は暖かくなるし花も咲いて一見いい季節なのに皮肉なもんです。

植物を見ていると本当になぜ季節がわかるんだろうと思います。
人間も意識でなく生物として春を感じるのですね。

無理をせず体調に気をつけてお過ごしください。


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2015年3月27日金曜日

まずは聴くことから

ピアノを習いたての方は、レッスンにいらしても弾くことに夢中になってしまい一番大事な聴くことが後回しになってしまいます。


レッスンは弾きにくるのでなく本当は聞きくるところです。先生の言うこと、弾く音、他の人が弾く音、他の人が言われていること、を聞く事の方が自分が何回弾いたより何倍も大事です。

「こんなふうに…」と先生が弾く時、弾いているそばからお隣ですぐ真似して音を出してしまうのはよくありません。先生が何を弾いているか聴き終わってからそれを真似しましょう。
弾いてる最中は自分の音を良く聴き、弾いている時に先生が注意してくることは弾きながら聞きましょう。弾いている最中に注意すると、時々はっとして「なにか言いました?」と止まってしまう方がいらっしゃいます。自分の音を聴きながらでも充分耳を澄まして注意は聞けるものなのですが、止まってしまう方のほとんどが、次の音は次の指はと考えることに夢中になって力が入り過ぎています。先生の注意もですが自分の弾いている音も聞こえず耳が閉じてしまっている状態です。

どんな音か聞けなければ、どんなに練習しても「弾きたい音楽」にはなってくれません。
弾くのに精一杯でそれどころではないという方は、指の運動は運動、耳は耳、口は口とそれぞれをバラバラに強化して下さい。いわゆるソルフェージュ力というやつですね。是非弾きながら聴けるよう歌いながら弾けるよう聴く力を付けてください。


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2015年3月26日木曜日

悪い人

悪い人は悪いんじゃなくたいてい弱い人。


私はそう思います。
弱いからそうしてしまう。
そんな風に思います。

私はすぐ流されるし、ずるいことをするし、自分が良ければいいと思っています。
そこそこ悪いです。でもそこそこでなくサイテーな事をしてしまったときは自分の弱さに負けたときです。

人間は弱いからみんな負けます。
それでもここぞというとき強くなれる、そんな人になりたいです。





2015年3月25日水曜日

発想記号 速度記号

楽譜にはアレグロとかカンタービレとか速度記号、発想記号というものが書かれています。これは作曲家の決めたことですので守らないといけません。しかし囚われてしまってはいけません。こだわることととらわれることはちょっと違います。


たとえば、左手にレガートと書いてある。
すると左手つなげる事に全力を注ぎ、、、
アラ!?確かに繋がってるけど重すぎる、うるさ過ぎる、巨大音量で右手のメロディーが聞こえない。。。
真面目になる部分、間違ってますね。

音楽はいつもいうようにセリフです。
人間の感情は記号で分けられるほど単純ではありません。
記号の意味はしっかり調べて把握しておくことが大事です。しかしこだわっても囚われないようにして下さい。記号の奥にあるものまで読み取る、それが記号にこだわるという事です。

音楽は拍の中で動くので、感情に走りすぎると崩壊してしまいます。
しかしあまりに機械的にとらわれると感情がなくなってしまいます。
発想記号や速度記号は感情として大事にする、こんな理解がいいかと思います。





はじめてピアノの会の5線ノート、1冊250円絶賛発売中です!


罫線


マス目





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2015年3月24日火曜日

言わない言葉

言わざりし言葉は言ひし言葉よりいくばくか美しきやうにも思ふ    稲葉京子


いつも思う大好きな歌です。
芸術は言わない言葉。

「アマデウス」というモーツァルトの映画があります。
モーツァルトはふざけた性格でお調子者に描かれています。その通りだったようですが、でもモーツァルトの音楽を聴くとモーツァルトの言わない言葉が聞こえてくる気がします。

不真面目なはずのモーツァルトの音楽は、どこまでも真面目で美しいこと。
人をおちょくっては馬鹿にするのが得意だったモーツァルトの音楽は、愛に満ちていること。
反抗的だったモーツァルトの音楽は、水の流れのように自然で素直なこと。

全てが受容され全てが美に昇華されています。
モーツァルトを知りたければオペラを見なさいと言われていますが、歌詞や物語があるオペラでさえモーツァルトは言葉で説明しない。
ただ音楽だけが孤高の言葉を奏でます。


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2015年3月23日月曜日

仕事ができること

私はダラダラした性格をしています。
春先はますますダラダラしてます。
ダラダラしていますが、仕事には行きます。
仕事に行くとメリハリが出来て生活に活気も出てきます。
仕事があって本当に有り難いものです。
日々仕事が出来る有り難さを感じます。
仕事がなかったら一日中ダラダラしてるに決まってます。
なのでその分、皆様に喜んでいただける仕事をしなくちゃと思います。

3月は年度の切り替え。
卒業してこれからはじめて仕事につく若者も多いです。
人を幸せにしながら楽しく仕事してほしいです。



2015年3月22日日曜日

花の歌

抱かれてこの世の初めに見たる白 花極まりし桜なりしか 

人であり樹であることの偶然の空間に降る葩(はな)の雨

アマリリスの花茎のびてゆく力しづかにおのれを立てよと言へり     稲葉京子


大好きな歌人稲葉京子さんの春の歌三首です。
自分はこんなに美しい世界にいたのかと気付かされます。
意思とやさしさが共存しています。


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2015年3月21日土曜日

松戸はじめてピアノの会体験会 明後日!

3月23日(月)、15:00〜16:00 
松戸はじめてピアノサークルの体験会があります。
参加費は1100円です。

松戸は3クラス目になりますが、とても熱心な方が多くそしてお上品な方が多いです。あ、というと他が違うみたいですがもちろん他も皆様お上品です。
それぞれの演奏をよくお聞きになっていて、終わるとよかったわ〜とお互いを尊重し合ってほんわかしています。あ、笑い担当の方もいらっしゃいました。いつも明るくて言う事なす事皆様を和ませます。




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ピアノ脳

はじめてピアノの会の教材は同じ教本を何回もやる形式です。


これはピアノ脳をつくる基礎の教本です。
音は簡単なのですが、ぱっと見てぱっと手や指がその音やリズムに反応できるようにします。今3回目をやっている子供の生徒さんがいますが、100%できるかというと出来ません。もっともっと難しい曲を弾いているにもかかわらず、です。

難しい曲はかなり回数をこなしています。でもそこまで回数をこなさなくても出来るようになれば、曲数も増えるし精神的負担も減るしその分音楽性などに注意が向けられます。それにはやはり基礎です。ぱっと見てリズムがとれたり、楽譜という目からの情報を脳に伝え指に伝える。これを考えず瞬時に出来るようにするのがピアノ脳です。

ピアノはト音記号ヘ音記号の区別をして読み、指使いを考えて自分の音を確認しながら正しいリズムで正しい鍵盤を弾くという同時にいくつものことをこなします。これ考え考えやると余計わけがわからなくなります。

それを少しでも効率よくやる。
基礎やソルフェージュをやる意味って結局ピアノ脳を作るってことだと思います。


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2015年3月20日金曜日

弱きもの

私はプレッシャーに弱いです。
権威に弱いです。
押しも弱いです。
夜も弱いです。
10時半には大抵眠くなります。
でも今日は寝る時間を過ぎてオウムのテレビを観ていました。考えさせられました。
オウムに入ってしまった人。オウムと戦った親御さん。。

強い人間と弱い人間の違いはなんでしょう?
強くなれるのはなぜでしょう?強くなれる理由はなんでしょう?


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2015年3月19日木曜日

その先にあるもの

私はパズル系のゲームが好きです。
なので数独(ナンプレ)も一時ハマりました。

ピアノも少しこの要素があると思います。
ピアノは拍子の中でリズムがとても数学的に成り立っているし、それが右手左手と交じって小節の中でぴたりとはまったときには方程式を解いた快感にも似てるかもしれません。

歴史に似ている部分もあります。
年号やら名前やらを覚えるように、音符や書いてある発想記号を正しく覚える。

でもピアノはその先がピアノたらしめます。
フランス革命はいついつ誰が指揮して誰を倒した、という事実の背景にあるオスカルとアンドレの物語を知っているのといないのとでは、愉しさが全然違うようなものです。
歴史の深さやロマンはその先にあります。

とりあえずプロが弾いているのと同じ音符を探ってその曲が弾けたと思ったら大間違い。
パズルは解けた時点でおしまいですがピアノはそこからが始まりです。音楽はその先にあるということを忘れてはいけません。

2015年3月18日水曜日

着てはもらえぬセーター

私が編み物をするわけがありません。

実らない恋の象徴として着てもらえないセーターを編むって歌がありました。
これをふと思い出し「なぜ人前で弾くのか?」の謎が解けました。
(はい、私はずっとこのことを考え続けています)

うちで練習しているときはセーターを編んでいる状態、
うちで完璧に上手く弾けたときはセーターが編み上がった状態。
そして人前で弾いたときがセーターを着てもらう時!

どうでしょう、この理論。
やっと理屈が通った気がします。
うちで弾けるだけではなんだか物足りなさを感じるのは、目立ちたいからではなく(はい、このことも考え続けています)それはまるで着てはもらえぬセーター、実らぬ恋だったからなのです。セーターはやはり着てもらいたい。着てもらうために編むものなのです。

着てもらって完成のセーターのようにピアノは人前で弾いて聞いてもらってはじめて完成。

喜んでもらえたら至上の喜び。
着て喜んでもらう。
聴いて喜んでもらう。
それが恋の成就というものです。
やっぱり恋は実らないと!
、、、そうは言っても失恋で終わる恋もある。
でもコクハクはしといた方がすっきりしますよね。

失敗しても人前で弾くのは、失恋してもちゃんと思いを伝えるのと似ています。
セーターを編んだ事がない私ですが編んだ人の気持ちがわかった気がしました。

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2015年3月17日火曜日

やり直せないなら

この年齢になって気づかないでやって来てしまったことが沢山あったと気づきます。


ピアノで間違えてもう一度最初に戻って弾き直したいのは間違えた事をリセットしたいからです。最初から最後まで思い描いている形にしたい、だって普段の私はそれが出来ているから、そんな気持ちだと思います。

でもそれをされると聞いている人はとても不快な気持ちになるんです。
ともするとやり直した時点でもう音楽は耳に入ってこないかもしれない。
ともすると自己満足だけが聞こえてしまうかもしれない。
弾き直したあと間違いなくスラスラ弾けても聴いている方の気持ちはこれです。
反対に、間違えても弾き続けらえると、そのときはあれ?って思っても音楽が進むにつれもう忘れてしまうんですね。間違えたことを。

人生やり直せるならリセットしてやり直したい。
無傷の人生を送りたい。
でももう始まってしまったからには、ピアノも人生も一緒、時間は巻き戻せないのです。たった一度なのです。


演奏が終わったときに「よかった」と思えるのは、無傷の演奏とは限りません。
演奏も人生もやり直せないなら、そこから後どれだけ立て直せるかですね。


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2015年3月16日月曜日

第1回はじめてオペラの会

はじめてオペラの会が誕生しました。


主催は「冥土の土産に」オペラの勉強を始めたOさん。今ではすっかり声楽にはまって、クラッシック歌手のコンサートに行ったり青春を謳歌しています。下のチラシも御年80歳のOさんの手作りです。(iPadも自由自在です)
音楽好きの方が集って音楽の楽しみを分かち合う場になりそうです。

第1回目はモーツァルトのフィガロの結婚の解説と氏家球子さんと平石愛美さんによるミニコンサートです。宜しかったらいらして下さい。


お申し込みは info@hajimetepiano.org まで









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2015年3月15日日曜日

音大受験について

音大入学希望者が減っていると聞きました。


卒業してもそれが仕事になるわけでもないし、タダの趣味にしては大変だしお金もかかる。音大って何のために行くのだろう、ってことになるのかもしれません。でも大学側は経営しないといけない。それで入りやすくしたり。。
でも音大受験はすごく人生の勉強になると思います。お金かかり過ぎますが。


先生の話を短いレッスン時間で耳だけで理解し、覚える。

地味な努力を地道に続ける。

プレッシャーの中、人前で演奏する。

他のこととの時間のやりくりをする。

楽譜から深いものを読み解こうとする。

美しいものを味わう。


いいことが沢山あります。お金かかり過ぎますが。
いや、お金かかり過ぎですかね。
医学部ならそれまでお金かかってもお医者さんになってお金稼げますが音大はお金稼げないですもんね。



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2015年3月14日土曜日

感想

正直な感想ってなかなか言えないし言ってもらえません。
でも正直なご感想って本当に役に立ちます。
芸能人は叩かれてかわいそうですが、みんな気を使わず正直なことを言うので本意でないにしても「そんな風にとられるんだな」というのはわかります。

相手を傷つけずかつ伝わる言い方は難しいですが、みんなもっと良くしたい、と思っているはず。言われたらそりゃ、落ち込むけどやっぱり良くしたい。私もそうです。

率直なご意見は大変ありがたいです。


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2015年3月13日金曜日

久しぶりに夢を見ました。
夢の内容もずいぶん昔のことでした。
夢は自分で見るものなので自分の脳にそれがあるってことですよね。
潜在意識って呼ぶんですよね、それを。

不思議ですよね〜。
思いもしないことが夢に出てくる。
覚えていないことが夢に出てくる。

夢を見たことで忘れていた感情まで呼び起こされます。
映画を観るようですね。




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2015年3月12日木曜日

ピアノよりゲームが好きな子供

普通そうでしょう。ゲームの方が好きに決まってます。
大人だって「ピアノ練習するのと温泉入って懐石料理食べるのとどっちがいい?」って言われたら懐石に決まってます。


私もゲームが好きです。
ゲームをし出すと何も手に付きません。もちろんピアノは一番後回しです。でも大人なのでそれが続くとヤバいとわかります。

私がやるのはパズルゲームですがゲームを好きな理由は楽しいからです。
楽しいには2種類あります。
一つは自分の成長が楽しい。もう一つはラクだから楽しい。
ゲームはクリアして頭使って成長したように錯覚しますが違います。
ゲームが楽しいのはラクだからです。
ゲームは頭を使わずに楽しめるからです。
自分の頭を使っているようで使っていない思考停止なのです。
思考とは時間をかけて答えの無いものに自分なりの答えを見つけていく作業です。
そしてそれを論理立てることです。
でもゲームは自分なりの答えではなくゲームを作った人の答えです。
そこへ導かれるのです。
いわゆる勝利へのレールですね。
だから成長しているようで乗らされているだけなのです。だからラクで楽しいのです。

今の子供のやるゲームはもしかしたら思考や感情が必要なのかもしれないので、一概に上記のことは言えません。またゲームの才能があって普通の人ならラクで楽しいものなのに非常にクリエイティブになれる子供もいるかもしれません。
ただ私の知っているゲームはほとんどラクな楽しい方だし子供もただラクで楽しいことが多いと思います。
となると子供がゲームばかりしてるのは良いことではありませんね。
ではどうしたらいいんでしょう。
私が思い浮かぶ方法は二つです。

一つ目、決められた時間以上やりたいならやったあと感想文を書かせる。
才能があるならたぶんこれは出来るでしょう。
嫌がるなら才能はないでしょう。
読書感想文で読書が嫌いになった人も多いので一石二鳥です。
もう一つは、親がオニになることです。

「お父さんはやらせてくれるのにお母さんはオニだ!」と言われてなんぼ。
制限した方がいいと思います。
日記に「本当はゲームやらせてあげたいけれど、夫は甘やかすから、子供が思考停止にならないためには私がオニになるしかない、、。ピアノを練習させるのはこちらもつらい。でももし大人になって弾きたいと思った時、あの子が苦労せず弾けるならこの母がオニにもなろう、、、涙」と書いて置いておけば死んだ後見つけて感謝してくれます。

私もピアノの練習が大嫌いでした。
でもやめずに続けて良かった。
ピアノをやって来たたぶんすべての人が言うことです。
やってきて良かった、と。

今は結果は出ません。
オニになるなんていやな感じです。
将来日記を見つけなければ感謝もされません。

でも、それでも、子供が健全に育ってくれたら
それでいいんじゃないんでしょうか?




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2015年3月11日水曜日

幸せは最大の復讐?

相手より自分が幸せになったら相手は悔しいでしょうから、たしかに復讐したと言えるでしょう。でも「復讐のために幸せになろうと思って努力したらいつのまにか復讐を忘れていた」ならいいのですが、成功したあと仕返しなんかしちゃったらやっぱり不幸です。

人に対する恨みのエネルギーはすごいです。
何かを成し遂げるには相当のエネルギーが必要ですが、それ以上かも知れません。
なので恨みのエネルギーをやる気のエネルギーに変える…つまり復讐のために幸せになってやるっていいことかもしれません。
非常にエコです。活用しない手はありません。

ただし、成功したのにまだ相手に対する恨みが残っていたら、成功はしても幸せになっていない。そこはゼロになるまでちゃんとエネルギー使わないと。

誰かに恨みを持っているときは、自分が幸せでない証。
もう一度、自分が何を望んで何を幸せと感じるのかじっくり考えてみるといいと思います。

成功と幸せをはき違えないようにしないといけませんね。




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2015年3月10日火曜日

ピアノ弾き合い会のこと

はじめてピアノの会のピアノ弾き合い会はレベルがまちまち、年齢もまちまちです。

理由はアマチュアのピアノですから「ピアノは個性」と堂々と自信を持って楽しんでいただきたいからです。


自分は下手と思っている方は「上手な人と一緒なんて恥ずかしい」と思うでしょう。それは私が一番良くわかっています。これまでの人生どれだけその思いをして来たか。そして予想通りの挫折感、、、。

でもだいじょうぶ。
そんなこと気にしないのがはじめてピアノの会です。そのために作ったんですから。


・本番の予行演習として弾く方は完璧を目指して弾いて下さい。

・チャレンジの方は自分だけの目的を定めて下さい。
  「知らない人の前で弾くってだけで充分」
  「家では間違えないけど人前だとどんなものか」
  「他の人のを聴いて見聞を広める!」
  「レクチャーに興味があるから弾くのはついで」

・人前で弾くのが好きという方は充分楽しんで下さい


どんな目的であれ人前で一人で弾くのは誰にでも出来る事ではありません。
上手く弾けたことより挑戦した勇気の積み重ねが人生を作ります。
私が一番良くわかっています。


まだ若干名ご参加いただけます。
お申し込みは  unfo@hajimetepiano.org まで






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2015年3月9日月曜日

映画のリアリティ

クラッシックとか演劇とかをやっていると「生」至上主義に陥りやすいです。
私もその一人です。
しかし最近「作り込むすごさ」にようやく気づいてきました。
映画です。


映画の製作は0. 何秒の秒単位の作り物です。つなぎ合わせてリアリティを出す。
「生」をやっている人はそれが人工的で嫌なんですよね。

私はそれはいわゆるごまかすためにやっている感じがしていました。
適切な言い方がわからないのでごまかすと言いましたが、編集って悪いところをなくすとかいいとこだけ残す、そんなイメージでした。

でも秒単位でつなぎ合わせることや秒単位で音楽を付けることってものすごく大変で、またそのワンカットにどれだけの時間と労力と人の数とお金を注いでいるか知り「いやいや、そこまでしなくても充分ごまかせてますけど?」という疑問がわきました。

映画は、絵空事さえもリアルに人が感じるよう作られています。心の中が音楽で表されたりします。言い方を変えれば究極のごまかし、でしょうか?
となると、今度は「なぜ?そこまで究極にごまかすのか?」という疑問がわきました。

人は自分の今置かれた環境だけで感情が左右されます。
今つらい人は人生はつらいという感情だし、楽しくてたまらない人はこのままずっと楽しい人生続く気がするし、何かから逃げている人は「楽しければいいじゃん」と刹那的に感情を封じ込めている場合もあります。自分の今に精一杯でほかにどんな感情があったかついつい忘れがちです。

でも映画を観ると、人としての感情が動き出す。忘れていた嬉しいという感情を味わったり怖いという感情を思い出したり。あたかも自分がその人のように疑似体験する。
そのとき、忘れていた人としての感情が沸き上がってきます。

リアルが必要な理由。
それは「人の感情を動かすためなんだ」と思いました。
あたかも本当のことのように、映画の中で人間のさまざまな感情に触れ、もう一度自分のそんな感情に気づく。
映画を観るって「人間に戻る」気がしました。
究極のごまかしには深い意味があるんだなと思いました。


映画はリアルです。ファンタジーまでリアルです。そしてそれが本物のリアルさではなく美しいリアルさだということです。悲しんでいる人や怒っている人はリアルだけれど美しい。ドロドロの物語もわかりやすく見るに耐えられるよう作り込んである。
だからこそ哀しみにも怒りにも映画の中でなら向き合える。

美しくリアルを再現することは、先端の技術や究極の想像力やたゆまない労力を必要とします。映画はまさにハイテクノロジーの芸術です。




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2015年3月8日日曜日

3月5日にお問い合わせいただきましたF様へ

また個人的な連絡で恐縮です。

3月5日に info@hajimetepiano.org へ docomo.ne.jp のアドレスからお問い合わせいただきました Y ・F 様 、送信が出来ません。
受信解除していただくか、ほかにアドレスがありましたらそちらをお知らせください。

連絡先は info@hajimetepiano.orgまで。ご連絡お待ちしております。


教育

教育も流行ですね。
時代で変わります。
何を幸せに感じるかを教えていくのが教育だと思いますがそれも時代で変わってしまうと思います。私が今言っていることだって私の意見のようで、この時代だから言っているだけのことです。

人生、個人的な能力よりどれだけ時代に合っているかで決まると思います。
でも残念ながら誰にも時代は読めない。
時代を言い換えると時間です。
時間は神の領域ですからね。

だからどんな教育がいいかがわからないです。
でも感じるのは教育と言う名のもとに流行を子供に押し付けていることが多いってことです。
確かに学歴社会ならいい大学を卒業するとかいい会社に就職するとかが大事かもしれないし、それでいい思いが出来るかもしれない、。
でも今までそうだったからという流れでそれを疑いもせず子供にそういう教育をしていると、気づいたときは学歴社会が終わっていて、子供としては勉強嫌いなのに何のためにやったんだってことになりかねません。

何より時代が大事。でもこれは読めない。
時代は読めないけれど「何に自分は幸せを感じるか」なら自分にもわかる。
せめてこれを大事にすることが教育に出来ることかなと思います。
これがあれば時代の成功者にはなれないかもしれないけれど、世界の片隅でそこそこ楽しく暮せる気がします。


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2015年3月7日土曜日

親の器

子供を育てている方はきっとその子の得意なことを伸ばしてあげたいと思っていることでしょう。でも得意なものを伸ばすって一言で言ってもこれは相当に大変な事です。


英語が得意だから伸ばしてあげたい、ピアノが上手だから伸ばしてあげたい、サッカーが得意だから伸ばしてあげたい、、、なら大変と言ってもやりがいもあるでしょう。でももしゲームが得意だったら、そもそも伸ばしてあげたいと思うでしょうか?もっと上手になるようにたっぷりゲームをやらせるでしょうか?オリンピック選手を育てるように学校よりゲームを優先させたり家族が協力して新しいゲームに挑戦させたりするでしょうか?

親が言う得意なものを伸ばしてあげたいって、けっこうわりとかなり親のエゴが入ってますよね。まずは得意であっていいもの悪いものという振り分けがある(笑)。
子供が得意なものが親にとって嬉しいものとは限りません。「子供の得意なことを伸ばす」という親の言葉には、職業と結びつくような、名誉と結びつくような得意なことという条件付きな気がします。

でも新しい職業の才能が世に出るときって、そんな親の期待や思惑を子供が超えたときなんですよね。

エジソンのお母さんのように応援する親もいるのでしょうけどそれは相当難しいことです。子供にも才能が必要ですが親にもそれ相応の器が必要です。


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2015年3月6日金曜日

モーツァルト

モーツァルトの話をする準備をしています。
作曲家の事を知ると音楽の深みが増します。
またその時代を知ると作曲家の偉大さに驚きます。


フランス革命の前、時代は王侯貴族の時代でした。
今でこそ作曲家は芸術家ともてはやされますが、その時代は使用人の一人に過ぎませんでした。(今でもたいして変わりませんかね)。
宮廷の望むもの教会の望むものを作り演奏するのが、仕事であり生活の糧であり名誉でした。

そんな中、宮廷楽団に入らず自分の作りたい音楽を作るため独立したモーツァルト。
自由奔放と言われるモーツァルトですが、大変な覚悟と決断と努力を持って自由に生きた人です。映画や小説では不真面目な面がデフォルメされていますが、私から見るとこんなに自分に正直で真面目な人はいないんじゃないかと思います。モーツアルトの音楽を聴いていると胸が熱くなります。

モーツアルトの曲を理解するにはやはり人生を知ることだと思います。
ふざけていて皮肉屋で自信家で、でも真面目で正直で美しく優しい。


4月5日のオペラの会はモーツァルトの一番の傑作「フィガロの結婚」のレクチャーです。
宜しかったらいらして下さい。




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2015年3月5日木曜日

ピアノ弾き合い会 開催!



日時     4月5日 日曜日 午前10:00〜12:00 
場所     都内 
ピアノ     KG2C
参加費    アルテ、ピアノサークル会員1000円/非会員1500円
曲      5分以内

テーマ    「小さな曲の大きな魅力」
       講師のワンポイントアドバイスと発表会に使える小曲のご紹介

アドバイザー 堤陽子先生 ♪
    


今回は、小品の良さをご紹介する「小さな曲の大きな魅力」というミニレクチャー付きです。

よく知っている憧れの名曲を弾くのも楽しいけれど、皆があまり弾かないような曲をすてきに弾くのも、まるで「自分だけの曲」のような感じでちょっぴり誇らしい気分になれます。また音符が沢山ある曲でなくても一見ちょっと簡単そうにみえる曲でも「こんなにステキなんだ」と感じていただけると思います。これから発表会、何を弾こうか迷っている方は1曲引っさげつつそんな曲も探しにいらして下さい。

アドバイザーは堤陽子先生。いつも「こんな発想があるんだ〜!」と驚かされ感心させられるアイディアウーマンです。今回も「難しい曲でなくてもこんなにいい曲があるって知って欲しい」という堤先生の提案でミニレクチャー付きになりました。

ご披露していただく曲はご自身のチャレンジとしてお持ちになって下さい。
もちろん5分以内でしたら小品でなくてもOKです。
歌や他の楽器でも可です。

「まだ完成してないし自信ないけど場慣れのために」とか
「完璧に出来ているはずだから試しに弾いてみる」とか
「練習曲は発表会で弾けないからこの場で弾かせて」とか
「本番が2週間後なので」とか
「他の人の演奏を聴いてみたい」とか
「ピアノを弾く人と友達になりたい」とか

人と比べず自分なりの目的でご参加ください。
私もバイエル程度の小曲に挑戦してみようかなと思っているところです。




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2015年3月4日水曜日

プロは違う

プロの演奏家はスピードが違う、と思います。
曲のテンポの話ではありません。
理解のスピード、要望に応えられるスピード、臨機応変にその場に対応するスピード、って話です。

出来ないものを安請け合いしているのではなく、プロはいつでも本番の準備が出来ている。これはすごいですよね。さすがです。でもこれは日頃の積み重ねなんですよね。そして小さい頃から頑張ってきたんだなあ、と思います。

プロが弾く最初のたった1音が全然違うってことも、そういうことです。
その1音のためにずっと準備している。毎日時間をかけて培って来たものがそのたった1音に出る。


間際に慌てて準備して心配が的中する私とは大違いです。



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2015年3月3日火曜日

生き甲斐

好きな事は生き甲斐になると書きました。
その通りです。

でももっと生き甲斐になるのは、喜んでもらうことですね。
自分のやったことが理解してもらえて喜んでもらえると、こんな嬉しいことはないです。嫌々やったことでも、相手に喜んでもらうと申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちでいっぱいになります。そして次からは喜んでやろうと決意します。

自分も相手も喜ばしいと生き甲斐になります。




2015年3月2日月曜日

心配事は的中する?

心配していると本当にそうなるから心配するな、ってそういう片付け方私はあまり好きではありません、
ていうか嫌いです。
心配しちゃってるんだからそれを無理にやめるのは余計大変です。
それに私は真面目なので、心配なのに心配じゃないフリをするのは自分の心に嘘をついているようでとても居心地悪いです。
だからと言って心配してるのも体に毒ですよね。


と思っていたらある方に「そういうときは心配な事を全部書き出すといいよ」と言われました。そこで書いてみよう、と思いました。

書いてみたら心配な事が何か、なぜ心配していることが起こったら困るのか、なぜそのような事は起こりえるのか、という思いが色々沸き上がってきました。その作業は不安をあおると言えばあおられるのですが、書き終わったら冷静になれてとてもいいことだとわかりました。

解決策を考える事が出来るからです。それをカバーする情報を集めたり気持ちを切り替えたりできるからです。「的中」とか言うとまるで神がかりですが、そうではなくて能力不足や経験不足を無意識に実感しているだけなんですね。
ピアノでも本番は上手くいかない気がするって、「的中」じゃなくて初めからわかってる「練習不足」だったりします。練習不足で上手く弾けなければ「的中」じゃなく「予想通り」(笑)。この心配事がなくなるには練習しなきゃいけませんが、このことをわかっていれば少なくとも「心配事が的中した」なんていう天災に遭ったかのような表現はつかわずに、やっぱり練習不足だな、って納得します。


心配事があるときは自分を知る。
これが大事ですね。
自分のことでなくても、もしかしたらコミュニケーションを上手くとることで解決することもあるかもしれません。念入りにコミュニケーションをとる。それでもダメだったらこういう相手とはコミュニケーションが取りづらいという経験になる。そこは経験を積まないとわからない。でも次の対策は考えられますよね。

心配事は的中しないよう事前に解消する努力が大事だということでした。


2015年3月1日日曜日

間違えるのになぜまた弾くのか?

「もしかしたら次は少し出来るかもしれない」と思うからです。


思うと言うよりそうなりたい。
そうなると信じてやる。
しかし現実は死ぬまで 間違えるかもしれない。
でも1つだけでも間違いが減るかもしれない。
間違えてもこんなふうに弾きたい部分が少しだけ進歩しているかもしれない。

それを確かめたくてまた弾きます。
またダメかもしれないとわかっていてもやらなければ、そのままダメなままだから。

といっても、私がダメかもしれないものをなんでもやっているかというと全く違います。とっとと諦めて捨て去っているもの多数です。ただ、私のようにラクができるならラクしますという生き方の人間は、どこか何か一つでもラクが出来ない部分を持っておかないと堕落の一途なのです。

いつも思うのですが、普通の小学生や中学生高校生ってあれもこれも頑張っていますよね。
勉強も習い事も部活も友人関係も家族も。
いつ遊んでいるの?と思います。
好きな事をする時間はあるのだろうか?と思います。
好きな事がなくなってしまうんじゃないかと思います。
好きな事はちゃんと残しておかないと守っておかないと、と思います。

上手下手は抜きにして好きなものならラクしないでやってみようと思える。
ラクするより成長するよろこびの方が大きいから。
そういうものが一つでもあると生き甲斐になります。


私が間違えるのにまた弾くのは好きだから。
好きだからダメでも頑張れる。
私は好きな事があって良かったなと思います。
だから間違えても懲りずにやっています。




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