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2016年7月31日日曜日

やりたい練習 やりたくない練習

ピアノとは部分練習を組み合わせていくもの、として始めている子供と違って、大人の方はピアノは全体として出来上がっているものと思って始めているので、部分練習の大切さを理解していただくのが難しいです。

それには「全体的に弾けてるから」という前提があります。
大人の方は頭を使えるので一見弾けてしまうのですね。すると部分練習する必要がない。しかも部分練習するとせっかくの全体は壊れてしまう、と。

はっきり申し上げますが
「部分的には弾けないけど全部は弾ける」は幻聴です。
それは実際の音は聞けていないから思うだけです。
先生に「部分練習をしてください」と言われるのは、本当は全体が弾けていないからです。

それに、仮に、、仮にですが部分練習ができなくて全体ができたとしても部分的に弾けないと、一度止まったら弾けない、ということが起きます。
起きなければ運が良かっただけ、奇跡です。
奇跡は何回も起こりません。

ピアノはメロディだけでなくいろいろな音を一度に出します。
人間メロディは覚えやすいですが、他の部分はそれでなくても覚えにくい。ましてそれをいくつも同時にやるのです。それも人前で!!

曲が弾きたくて始めたピアノ、全体を弾かなきゃピアノやっている意味ないと思うかもしれませんが、やりたい練習と上達は違います。
やりたくない練習してこその上達です。「それなり」になっちゃっていると、部分練習はしなくていいようなしたくない気持ちになりますが、しないとできないのがピアノです。

やりたくないと思いますが、部分練習、片手練習、リズム練習、拍ごとの練習あらゆる練習をしているピアノはやはり聞いていて心に響きます。

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2016年7月30日土曜日

時代は個人を超える

私は合理的なことを求めます。
これはお金も時間もです。

しかし変なものや変な事に、お金や時間をかけてたりします。
これは合理性の精神に反します。

で、この矛盾はなんだろうと考えました。

もしかしたらこれは、私がバブル世代だから、
の気がしてきました。

時代は個人を超えて私を形作っています。

2016年7月29日金曜日

道程

大人の方で「部分練習すると弾けなくなるんです」とおっしゃる方がいます。
「片手練習をすると両手で弾けなくなるんです」とおっしゃいます。

でもそれが上達の過程。
一旦、後戻りすることになっても必要なことです。

フォルテで練習、ゆっくり練習、アクセントをつけて練習、リズムを変えて練習なども同様ですね。最終的にそれで弾くわけではないけれど必要なことを一つずつやっていく。たとえ全体が崩れてしまっても。

運動とピアノの練習は似ています。
試合に勝ちたければ、練習試合だけでは勝てない。
ランニングや素振りや筋力トレーニングやいろいろする。
プロの選手の試合での様子を真似ていても練習にはならない。

ピアノも同じです。
ピアニストはこの速さで弾いている。
左手をすごく弱く弾いてる。
ここでゆっくりしている。
体を揺すっている。
これを表面的に真似していてもピアニストのようには弾けません。
運動選手がまず体を作るのと一緒でまず指を作らないと。
音楽的にどうこうできるのは指があってこそです。

一つづつ、一歩づつあらゆる練習を、完成時とは真逆の矛盾するような練習を含めて積み重ねてやってピアノが弾けるその曲が弾ける指を作る。
これが地味すぎてヤになっちゃうんですが、これしかないんですよね。

音楽に憧れて、それがやりたくて始めるわけですが、弾ける指がなければどんなに音楽的に優れたものを持っているか主張したところでそれは実現不可です。


練習の過程において音楽は、いつか近づきたい遠い遠いところにある「憧れ」です。

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2016年7月28日木曜日

長くて強いものに巻かれる

都知事選がもうすぐです。


組織、集団というのは力を持ちますし、それも大事で、それも実力のうちです。
一人で出来ないことも多数では出来る。

しかしそれが悪用されることもあるのが怖いです。
一人でできないことを組織でしてしまう。
みんなでやればこわくない。

これはどこの世界でも「集団」になると同じですね。
一言で言ってしまえば、人間みんな長いものに巻かれる。
心が弱いんです。

前知事のお金の使い方が法的に問題ないという話は納得できませんでした。一般人が会社のお金で個人的な買い物をしたら大変です。
でも本当にこれをしていたのは前知事一人か、ってことですよね。そこが一番の核心だったと思います。
でも結局強い何かの力で一人の責任ってことで全然責任とっているとも思えない責任で終わる。

「みんながしてる」という力は恐ろしく大きく強いです。
そして人間みんな強い人に従う。
正しいかどうかでなく強さ。
強い人がしてることは、間違っていても「いい」ってことになってしまう。


その強い力を悪用せず、良い道へと導く本当に強い天才政治家がいればいいんですけど。
今回の中にいますか?











2016年7月27日水曜日

音楽は人生に役立つか?

このあいだ行政の方に
「1回のコンサートくらいではなかなかいまの時代、子供はクラッシックに関心を持たないでしょうねえ〜、他に楽しいことがたくさんあるし」。
続けて「音楽好きになってもそれが人生でどれくらい役に立つかどうか、、。」と言われてしました。

なんだか率直すぎて、今まで誰も言わなかったけど思ってた事を言われたような気がしました。

もともと興味がない上、1回や2回で心を奪われることもなく、その上役に立つ気配もない、、。というのがみんなの本心であり実感なんですね。そういうことか、とある意味納得しました。


音楽をやってる人は音楽があって楽しいと思うけれど、じゃあ代替えがないか、と言われればあるんですよ、ほんとのとこ。
子供の習い事でいえば、お絵かき教室で心を解放して、バレエ教室で根気を培い、剣道教室で集中力を養う。
何も音楽でなくて全然いい(笑)。
ただ、音楽も同じように心を解放して根気を培い集中力を養う。それだけの話です。

人々にとって音楽の代替えはいくらでもある。
だから楽しいことや価値のあるものが沢山ある中で、音楽を選ぶというのは単なる偶然なのかもしれません。

クラッシックは西洋で生まれた世界の宝。
東洋の小さな島国の私が出逢えたこともまた偶然であり奇跡です。

読み書き計算のように数字で効果は現れないかもしれないけれど、出逢った人は音楽でしか味わえない幸せがあることを知っています。


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2016年7月26日火曜日

難しさと楽しさ

難しさが楽しさの深さのような気もしなくありません。
それぞれの良さや楽しさがある中で、「難しさ」というのも人間を駆り立てる楽しさ。これがまさにクラッシックですね。


例えばクラリネットを吹こうとしたらすごい難しかった!
ピアノは簡単だからと思って始めたらいつまでも初級だった!

こんなことってやめるきっかけにもなりますが、続けるモチベーションにもなっています。難しいから挑戦する。人間は複雑で不思議です。

その中で「歌」は声が一応出ちゃえば歌えてる気に一番なりやすい。
歌の指導をされる先生は、どうしたら「その声」じゃなく「あの声」を出してもらえるか、目に見えない体の中のことや音程のことを指摘しないといけないから難しいでしょうね〜。その上、楽器を選ぶことができない。声楽で言う楽器とは体。

ピアノを弾いていて全然弾けなくて嫌になりますが、それも楽しみの理由と思って今日も練習頑張ります。

2016年7月25日月曜日

緊張すると。。

「緊張するとどうなるか」という話を声楽、ピアノを演奏する7人でしました。


7名中、
手足が震える 5票
真っ白になる 2票


なんともない人はいませんでした。
はじめてピアノの会に「緊張しない」という講師がいるのですが、よくよく聞いたら「人間だからやっぱり緊張する」らしかったです(笑)。私は「人間なのに緊張しない」からてっきり病気だろうと思っていました。正常でした。仮に病気だったとしても治さなくていい病気ですけどね。

ピアノで手が震えると弾けないんじゃない?と言われそうですが、ブルブル震えながら弾くのです。小刻みに震えながら、そしてペダルを踏む時には「やだ!足まで震えてる、、!」と感じちゃいながら演奏するのです。

歌の人は、足の震えを一番最初に感じて、手振りを付けた時に「ああ、、手まで震えてる」と感じるそうです。で「お客さんに見られてしまう」と思ってあえて手を動かしてごまかしたり?

頭が真っ白になるのは最悪です。
私は毎回この時間があります。そのまま迷い込んで戻れないこともありました。苦すぎる、、、。すっ飛ぶことはしょっちゅうです。集中力がないんでしょうね。。



堂々と演奏してるように見えるみんなもお客様の前に立つと緊張すると聞いて少しホッとしました。

でも世の中で一番緊張するのは私だと思います!!


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2016年7月24日日曜日

反省の湧き出るころ、、


先日の熊本チャリティ「みんなが元気になるコンサート」から約1週間。
「こうじゃなかった!!」は直後にたくさん出てはきますが、「どうすればよかった〜、ああすればよかった〜」というのはちょうど今頃、たくさん出てきます。

ということは、次回はもっと良くなるってことです!


素敵な看板もご寄付いただきましたので、「この看板を持って色々なところにコンサートをしに行きたいね」と話しました。




      
  




ご出演くださった向かって左からソプラノ林田さつきさん、ピアニスト高山恵理菜さん、バリトン水野洋助さん
ピアニストの森田有紀子さんが写ってるのがなくて残念!














2016年7月23日土曜日

電子ピアノを贈るプロジェクト〜その③


コンサート後にご寄付下さった方々もいらして、本日で合計

245,960

となりました。
こんなたくさんのご厚意を賜りましたこと、大変有難く思います。
ご支援心より感謝します。
ご寄付いただきました全額を来週初めに広安小学校へお振込みします。

電子ピアノだけでなく、壊れて使えなくなったていたアコーディオンも購入していただくことになりました。
音楽の先生がおっしゃっていました。
「熊本宛に多くの方が義援金を下さっています。でもそれを頂くには申請をして、いつになるかわからないし、その前に楽器の購入に使うなんて申請は通らないだろうし、まして申し訳ない気持ちで。。それが大手を振って、今すぐに音楽に使っていいなんて…」と。

音楽の先生に寄付額をお伝えしたとき、最初「安い電子ピアノにして体育館に避難されている方に使いましょうか?」とおっしゃいました。
私は「きっとその分は皆様他のところでご寄付なさっているので、今回は音楽に使って下さい。皆様そのおつもりでご寄付下さってますから」と申しました。
その意味がわかりました。

私たち音楽家はいつも音楽に囲まれていて、音楽を聴いたりピアノや楽器を演奏する有り難みを忘れていたかもしれません。

今回のコンサートでまた色々学びました。
人生は学びばっかりです。






2016年7月22日金曜日

夢のバックグランド

お子さんがピアニストとしてご活動中のお母様がおっしゃっていました。
「周りの人は素敵ね、いいわね、と言ってくれるけど自分の息子だとそんな風には思えない。コンサートの時はドキドキハラハラでもう精神衛生上すごく悪いし。先々のことは考えないようにしている」と。


好きなことを仕事にしようと夢を持つことも実現していくことも、それは確かに素晴らしい。でも親としたら心配極まりないですね。
芸能人でも「親は応援してくれてます」という言葉をよく聞きますが、応援したから成功するわけでもなければ、そうやってインタビューされてる人の陰には、応援してもしなくても成功しないまま終わる人がごまんといるわけです。

他人だと「すごいね!」と言えることも自分の子供だとそうも言ってられない。
生活できるくらいになるにはお金もすごくかかる。
世間体もある。


夢の実現には様々なバックグランドがあります。





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2016年7月21日木曜日

ピアノ


この間のチャリティコンサートはフラットなステージでした。
なので休憩時間に、小さな子どもがピアノの近くに来てグランドピアノを興味津々で見ていました。スタッフが「こんなふうに鳴るんだよ」としくみをお話しながらピアノの中を見せてあげたら他の子たちも集まってきたそうです。

私たちにとって一番身近な楽器ピアノ。いつもそこにあって、どんな風に鳴ってるかももうわかってるつもりで、有り難みもその凄さをついつい忘れているピアノ。

でもグランドピアノって、特にフルコンサートサイズなんて、初めて見たり聴いたりする人たくさんいるんですよね。
ピアノの音色はどんな楽器と合わせても引き立ちます。
メロディの中に、ハーモニーの中にあって溶けあったり、浮き出したり。

知っているようで知らないピアノの魅力を、自分も再認識しながら多くの方に知ってもらいたいです。


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2016年7月20日水曜日

電子ピアノを贈るプロジェクト〜その②



この度の熊本チャリティ「みんなが元気になるコンサート」のご寄付により、おかげさまで電子ピアノの購入が可能となりました!
ご寄付につきましてはさっそく広安小学校の音楽の坂本先生にご報告しました。

とっても喜んでいて「本当に買えるなんて。子供にさっそく報告します。器楽部が再開できたらどんなに活気が出るか、、」とおっしゃっていました。


熊本の広安小学校から電子ピアノのリクエストをいただいたとき、ピアノを弾く者としてとても嬉しく思いました。
「ピアノ1台あれば、一人で演奏できる。伴奏もできる。みんなでハーモニーを奏でることができる。だからピアノがほしいんです」
ピアノってやっぱりすごいんだと思いました。

広安小学校の体育館には今も避難生活を送ってらっしゃる方がたくさんいて、そんな状況の中で「音楽がしたい」「電子ピアノが買いたい」なんてとても言えません。音楽は当然後回しです。お金は他のところにまわってしかるべきです。

でもコンサートにいらしてくださったお客様が帰りにおっしゃってくださいました。
「すごく癒されました。遠くから来た甲斐がありました」
「生の演奏って本当にいいですね、今日は眠れそうです」
小さなお子さんも「歌すごかった!!」「また来るね〜」と。

音楽はほんのいっときの慰めでしかないけれど、問題は解決しないけれど、でも「もう一度頑張ろう」「立ち上がろう」そんな気持ちにさせてくれます。

そんな音楽を楽しめる機会が電子ピアノ1台で広がっていく。。
音楽家としてこんなに嬉しいことはありません。
皆様の温かいご協力に心から感謝です。


電子ピアノ購入につきましては、坂本先生と色々ご相談中です。
またご報告させていただきます。














2016年7月19日火曜日

猫ちゃんが。。

猫ちゃんが、羽毛布団に粗相してしまったので、洗濯機の布団洗い機能で洗おうと思ったら連日の雨だったのでそのまま洗濯機に漬け置きして、ようやく晴れた一昨日洗濯しました。

洗濯物も溜まっていたので、布団の後に洗剤と漂白剤を入れて洗濯し、乾いた衣類を昨日1日着てました。


確かに洗った時にヤバイとは思いました、、。
でもおひさまに干せばなんとかなると思ったんです、、、。

もう布団は捨てるしかありません。
それより、あの服を1日着ていたっていうのが、、。
洗濯物全部があの匂いだっていうのが、、。
今後あの洗濯機で衣類を洗えるのかっていうのが、、。


重曹とクエン酸を買ってきてとりあえず洗濯槽を洗います!



もう猫ちゃんったらこんなに可愛いのに、、。



2016年7月18日月曜日

熊本チャリティコンサート終了!


本日は熊本チャリティみんなが元気になるコンサートでした!
おかげさまで満席のお客様にご来場頂きました。
もちろん今回も反省は沢山ありますが、お帰りになられるお客様が笑顔だった事が嬉しかったです。
お元気になって頂けたでしょうか?

ご寄付も沢山頂戴しました。
小さなお子様も募金箱にご寄付してくれました。
募金とノートの売り上げ全額をそのままご寄付いたします。

合計238960円になりました。
本当にありがとうございます。

広安小学校に金額をご報告して電子ピアノ購入の準備をすすめます。
詳細は随時こちらのブログやはじめてピアノの会のホームページにてご報告いたします。

このプロジェクトにご賛同頂きましたお客様とご来場出来ずにご寄付だけ下さった方々、
看板その他でご協力下さった方、ボランティアで激務をこなしてくれたスタッフ、いつも通り全力で準備をして本番の緊張に臨んでくれたキャストに心より感謝とお礼申し上げます。


2016年7月17日日曜日

フィンランド

フィンランドの友人の家に滞在したとき、日本の田舎の暮らしも知らない私ですが、北欧の田舎の暮らしに衝撃を受けました。

北欧の暮らしはおしゃれ、ってことになっています。
家は絵本の中に出てくるような外観だし、キッチングッズもインテリアも本当に素敵。
北欧の色がくすんでいるのは空と葉の色。
北欧の色がはっきりしているのはくすんだ世界に咲く明るい花や実の色。
白夜はキャンドルの灯でお食事(電気がないわけではありません、念のため)。

でもその辺で家畜を飼ってその糞で作物を育ててるから、とってもおしゃれな北欧インテリアのお家はクサイ。網戸がない家の中にハエがじゃんじゃん入ってきて食べ物に止まってて、手で払って食べる感じ。
皮革工場がたくさんあって、養豚場があって、クサイ。


でもクサイというのは生命ということなんですよね。
生きてる証拠。。
皮や豚が日本のおしゃれやグルメのために輸出されているという事実は頭ではわかっていたけれど、目の当たりにしたそのショックは今でも忘れられません。彼らはそんなつもりで私に言ったわけでも見せたわけでもないのですが、これが日常なんだというショック。

ずっと見て見ぬ振りをしてきました。
ずっと見て見ぬ振りをしてきたけれど、ずっと私の頭から離れません。

おしゃれで素朴なフィンランド。
田舎の家でも温水セントラルヒーティング。
インターネットや携帯電話がどこよりも早く取り入れられたフィンランド。
福祉の発達しているフィンランド。


だけど知識や写真や動画ではわからなかったことがたくさんあった。
毎回すっぱいパンとチーズと少しの野菜とハムの食事で「今日も同じ!?」と過ごした3週間は、「ステーキが食べたい」「あのバッグ買いたい」と思う時「いいのか」と言う問いを今でも私に投げかけて来ます。



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2016年7月16日土曜日

自分のカードの中で

もともと出来る人がいます。

ピアノも始めたばっかりなのにどんどんできちゃう子がいます。
耳よし、リズム感よし、音程よし、関節よし、体力よし、指は動く、音楽的センスがある、しかも一番大事な努力する、素直な心というのまで持っている。。

もう生まれつきです。
認めるしかないんですね。

「才能がない」と言われるのは残酷なことですが、ほとんどの人がそうなのでわざわざ残念がるほどのことでもないのです。それを残念がっていたら生きていけないくらいみんな才能ないし、人の容姿や頭脳や家庭環境だって不平等です。
才能がないことを認めるのは気持ちが楽になることでもあるのです。

私は音楽を職業にしていますが、才能があるわけではありません。
上記にあげた条件は一つとして当てはまりません。
耳悪い、リズム感悪い、音程悪い、関節細い、体力ない、指動かない、センスない、しかも努力は大嫌い、ひねくれている。全部揃ってます。

職業は継続なんです。才能ではありません。
継続さえすればこの程度にはなるのです。
会社に入って配属された部でそのことをずっとやっていると出来るようになりますよね。
それと同じです。
好きじゃなきゃ出来ないって言いますが、それも違います。
好きな事も続ければ嫌いになるし、嫌いな事も続ければ好きになります。
ただそれでも続けるとこの上なく好きになります。

「生まれつきの才能には絶対敵わない」とわかっていると無理はしません。
それがわかっていないと、悩んでしまう。
できないのはなんで?向いてないから?やり方が悪いから?努力が足りないから?と。
思考は大事ですから、存分に頭を使ってやり方を見直したり努力はしなければいけませんが、人の100万倍やって手を壊してヘトヘトになっても元々出来る人にはかないません。

この事がわかるまで長い歳月がかかりました。
やってもできないことは仕方ありません。
自分のカードの中で工夫して楽しく生きていく、そんな課題に取り組み中です。


















2016年7月15日金曜日

世界がある

世界を決めるのは自分です。


どんな世界に住みたいか、どんな世界で生きていくか。
その世界は自分で作る。

でも最初から自分の世界なんてない。
そうなるとつい、世界に合わせるか、世界を否定するかになってしまいます。
若いと本当にどっちかになってしまいます。
誰だって自分らしく生きたいけれどそうはいかないし、自分が少数派だととっても生きにくい。
でもそれでもやっぱり自分の世界を、どんなに小さくても作っておくことが自分の人生を生きることになると思います。

同じ人はいないけれど、同じ世界を作る人は世の中に必ずいます。
自己主張が強い人の世界は確かに大きいし前面に出るけれど、小さな世界も人知れず(笑)たくさんあります。
目立つのと強いのは違います。
目立つのと幸せなのも違います。


自分の世界を作るのは誰もがきっと一生の課題です。
それには迎合しない強さと、受け入れるしなやかさと、そこから学ぶしたたかさが必要に思います。


私も訓練中です。



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2016年7月14日木曜日

雨の音

ようこそお越し下さいました。
いつも読んで下さっている方有り難うございます。
そして今日初めてお越し下さった方、どうも有り難うございます。

早いもので7月も中旬。
今日は帰宅時、集中豪雨にぶつかり大変でした。
ずぶ濡れで大変だったはずなのに、なんとなくノスタルジーを感じ心が洗われた感じがしました。


雨のあまりの大きな音に周りの世界がシャットアウトされて、忘れていたむかしをおもいだしたのかも。

言葉のない雨の音は、発想を自由にしてくれるのかもしれません。




2016年7月13日水曜日

たった1小節のために

ハノンやチェルニーには「これこれの練習」という課題が1曲づつにあります。
「指を広げる練習」とか「連続オクターブの練習」とか、もっと細かい4と5を独立される練習、5を強くする練習とか書いてあります。

なぜそこまでやるかというと、そこまでやらないと出来ないからです。

1曲の中に、連続オクターブが出てくるのは1小節かもしれない。
ピアニッシモで弾く箇所は1箇所だけかもしれない。

でもその1小節が弾けないがためにその曲をあきらめることがある。
弱い音を弾くコントロールができなくてその曲が台無しになることがある。

だからやるのです。
1小節のオクターブのためにオクターブばっかりの曲を何曲も弾いて、それを何年も積み上げてやっと「指の感覚」ができてきます。そうやってやっとその1小節が弾けるようになってくる。でもやっと出来上がった感覚もやらないと衰えちゃう。自転車とは違うんですね。その後はそれが衰えないように練習し続けないといけません。


ピアノってそんなもんです。
1のために10000の課題をこなす。できるようになったら1を維持するための努力を続ける。
そんなもんです。


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2016年7月12日火曜日

NOと言えること

私はなかなかNOと言えません。
だからNOと言える人がすごくうらやましいです。

NOと言えないのは嫌われるのが怖いからと言われていますね。
嫌われてもいいような人に対してもNOと言えません。
それは強い人です。
強い人にNOと言えない人って今度は自分より小さいものや弱いものに強く出る傾向があります。これは性格でも癖でもなくその人の弱さです。
弱いから強い人にはNOと言えず、その鬱憤を小さい人や弱い人に向ける。
良くないですね。
そういう人って強い人に怯えているんですよね。
何が自分より強いのかは人それぞれでしょう。
腕力やお金や地位や頭脳や容姿や能力や関係性やいろいろありますね。
私がそうなのでよくわかります。
理由はどうあれNOが言えないのは対等な関係ではありませんね。
きちんとNOと言える人になりたいです。


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2016年7月11日月曜日

成す!




ナスが結実しました。







ナスは「成す」ってことで縁起がいいそうです。
明日か明後日くらいが収穫です。





ピーマンも成しています。





                つやっっつやです。









2016年7月10日日曜日

楽譜を買う理由

ドラクエで有名な作曲者のすぎやまこういちさんは、あの有名な序曲を5分で作ったそうです。それで人から「5分で出来た曲で著作権料ガッポリ稼いでるね」と言われるそうです。でもすぎやまさんは言っています。「あの曲は5分ではなく54年かけて作った」と。


楽譜に関して
「1曲欲しいだけで他の曲はいらないから1冊2000円もする楽譜は買いたくない」

「弾いてみなきゃどんな曲かわからないから2000円も出して買って弾きたい曲がなかったら勿体ない」

「趣味でやってるんだから楽譜にお金をかけたくない、コピーで欲しい」

という風に思う方が多いと思います。1枚の楽譜のコピーなら10円で済むわけです。
私も皆様と同じに、1曲だけのために楽譜は買いたくないし、見ただけじゃどんな曲かわかりません。買ってみたら思っていたのと違うからと1曲も弾かなかった曲集はザラです。同じ曲が何冊もに重複していたりします。そういう楽譜が家にゴロゴロしています。そんな楽譜がごまんとあります。仕事でも当然楽譜は全部自腹ですし、逆に仕事なのであまり良くなかった楽譜を使うわけにはいきません。
決してお金が余っているわけではないのにそれでも楽譜を買うようにしています。その理由とは。

私が自宅のお隣の特別安くはないスーパーでお買い物をするのと一緒の理由です。
なくなっては困るからです。


冷静に考えてみましょう。
「1ヶ月で10000ページの小説か、1ページのオーケストラ曲どちらかを書け、書かないと殺す」と言われたらどちらを書きますか?どちらなら書けそうですか?

小説ですよね。
もちろん小説も難しいですが、でも全然面白くなくても、話も支離滅裂で読めるような代物でなくても、自分の生い立ちから今日までをだらりだらりとりあえず日本語で書けば、まあ小説のテイは取れると思います。

でもオーケストラ曲を書くとしたら、、、。
ウビヒ語で小説書いて下さいと言われるようなもんでしょう。
まず見当がつかない。
一般の人にとってオーケストラの楽譜ってそれくらい遠い存在です。

となると、曲を作る前にまずオーケストラをよく聞かないといけない。
楽譜がどうなっているか学ばなくてはならない。
楽器の事を知らなくてはならない。
ピアノが弾けなくてはいけない。
楽譜の書き方を覚えなくてはならない。
入力ソフトが使えなくてはならない、、、。
1ヶ月で出来ません。
はい、殺されます。

杉山さんの54年というのは、こういうことです。
音楽は形にならないもの。だからこそカタチにするのはとても大変で難しい作業なのです。それが楽譜です。

口に合わないランチにだって食べたらお金を払います。楽譜も同じなんです。
2000円出して自分の好きな曲じゃなかったとしても、好きな曲1曲も入ってなかったとしても、人生を楽しませてもらう1曲を探すために支払うお金です。美味しいお店を探すにはそういう失敗も必ずしているものです。楽譜代は音楽がくれる幸せを探す旅にかかる必要経費です。

そうやって一生のお気に入りの曲を探せたら2000円だって破格の金額です。考えたら激安です。お花は枯れますが楽譜は永遠に残ります。暗譜を忘れても楽譜があれば10年後でももう一度学習しなおせます。

それに曲集があると、興味のある曲以外も結構見るようになるんですね。
そうすると「こんな名前の作曲家がいるんだ」とか「同じ作曲家はこんな特徴があるんだ」とわかりますし、「これはどんな曲なんだろう?他の曲も知りたいな、やってみたいな」と興味や知識が広がり、好き嫌いに関係なく弾いたりもします。
ちゃんとは弾けなくても試しに斜め弾きしたりするので、初見の練習にもなります。

著作権が切れた曲でも出版社が五線にしてくれているのです。これだって専門の知識がなければできません。どれだけ有難いか。

楽譜はどんどん絶版になっていきます。
せめて自分のレパートリーとして大切に心を込めて弾く曲はコピーでなく楽譜を買って下さい。ネットからのプリントでももちろんいいのです。


音楽が世の中に残っていくために、楽譜を世に出してくれる会社がなくならないために、才能ある作曲家がいなくならないために、そして自分の気に入ったその曲が次の世代の人も同じように楽しめるよう、楽譜を買ってください。













2016年7月8日金曜日

いらないものといるもの

いらないものはいつかいるものになるかもしれない。
嫌いなものもいつか好きになるかもしれない。

でも最中はわからないですね。
断捨離の時代、特に若い子はものをどんどん捨てます。それはきっと次のものがあるから。ものだけに限らず、食べ物も情報も人間関係も趣味も好きなものも夢も。

自分のお金で買ってるんだし自分の人生だし誰にも迷惑はかかってない、ということみたいですがそこで失っているものはなんでしょう?

失っているものは、お金や時間や人間関係だけでなく、私は可能性の気がします。









2016年7月7日木曜日

身につく習慣

何かを身につけるためには習慣にするしかありません。
逆に身に付いてしまったものを取り去るのも、それをしない習慣にするしかありません。
その習慣がその人の身体なり人格となり人生を作っていくと思います。


ということで私の自慢できる習慣は何かというと、食事です。

何を持って食事かというと、嫌いなものが乾燥納豆だけというのがまず自慢です。
何でも美味しいです。今の時代、食べ過ぎは良くないと言いますが、残さず食べるのも自慢です。
そして好きなものが身体にいいものというのも自慢です。


じゃあどうやってこの習慣を作ったかというと、これは母の贈り物です。
まずは胃腸が丈夫だという前提がありますが、自分で食材を選んだり調理をしたりできない子供時代、母が毎日やってくれたことで習慣になりました。それが知らず知らずのうちに身につき大人になっても自分で正しい食生活を送れるようになりました。


小さい頃からピアノを習い、今それが仕事になっていることで、「お母様のおかげですね」とよく言っていただきます。しかしそれより何より食事です。花や野菜作りもそうです。それは多分母が好きでやっていたことだから、というのが一番大きい気がします。

子供って口で言われたことより背中を見ていますよね。親が楽しくやっていることって子供の習慣になる気がします。


子供が音楽好きになるには、お母さんが音楽を楽しんでいる姿が一番だと思います。










2016年7月6日水曜日

なす






「親の小言とナスビの花は千に一つの無駄もない」ということわざがあるそうです。
花がいっぱい付いているので、これが全部実になると思うと楽しみで仕方ありません。

無農薬の苗を買って無農薬、生ゴミで育てているのでとても健康なナスです。ナスは葉を育てると良いと書いてありました。
うちのナスは大きい葉で30センチあります。こんな大きな葉を見たことがありませんが事実でしょうか?
これが事実なら30センチくらいの実がなりそうです。


理想のナスが実るよう頑張ります!









2016年7月5日火曜日

がっかり

今日連弾の合わせをしました。
ちゃんと練習して準備は万全…と思ったら楽譜を忘れました。
一緒にやる先生の楽譜はありますが、それではダメです。
何故かと言うと、ジャズなのでアドリブを自分の楽譜にメモしておいたからです。ないとアドリブ弾けません。
それじゃアドリブじゃないだろうと言われそうですが、そうです。アドリブではありません。
アドリブは出来ないのでメモをしておきました。

しかし、合わせてみたら、アドリブじゃないところも弾けなくてアドリブ以前の問題でした。まだまだ練習が足りませんでした。がっかりです。

しかしいいことに気付きました。
メモを見て弾いたら、アドリブでないことがバレます。
さもアドリブのように楽譜がなくても軽々と弾けるようもっと練習します。

2016年7月4日月曜日

その選択は正しかったのか

自信満々そうな経営者の方から「この選択が正しかったのかなあと今でも思う。違う道が良かったのかなあと思ったりもする」という言葉を聞きました。
意外であると同時になんだかホッとしました。


「この選択は正しかったのか」という思いは常に私の中にはあります。
私レベルだと「人生とは後悔だ」というのが逃れられない人生の掟のようなもんです。
が、まさかポジティブ志向の方もそんな風に思うとは思いもしなかったです。
なんだか権力者が味方についてくれたような心強さです。

過去のことを気にしてもしょうがない、と巷では言いますが私に言わせれば気にしなくてどうする、というところです。人間なら思い返すと恥ずかしいこと、残念なこと、悔しいこと、申し訳ないこと、悲しいこと、たくさんあるじゃないですか。だって感情があるんだから。
それを考えてたら前に進めないと言いますが、それを考えつつ前に進むのです。
全部を受け入れて自分の人生を後悔しつつ(笑)前に進む。


それが人生の醍醐味だ、というにはまだまだ修行が足りませんが、周りから見て成功している方でもそんな風に思うことを知って気が楽になりました。
大きな決断をするとき、人はみな迷います。
未来のことはわからないから迷います。
でも、選ぶしかないんですね。

後悔するかもしれないけれど選ぶ。
やらずに後悔するよりやって後悔した方がいいというのは違います。
やらずに後悔しないことの方が人生多いのです。

これからも間違いを多く重ねて前に進みます。











2016年7月3日日曜日

イマジン

想像すること。

ジョンレノンさんのイマジンは名曲ですね。こんなに大切なことはないですね。
でもつい目の前にある事でいっぱいいっぱいで、心の白いキャンバスを失ってしまう。
白いキャンバスがないと想像って出来ません。

発明は想像から生まれるといいます。
こうなるといいな、という想像が形になって発明になる。
現実でやらなきゃいけないことはやらなきゃいけないけれど、そればかりでは発明は生まれない。自分はどう思うのかどうなるといいなと思っているのか。

発明は人を豊かにしますね。便利にもしますね。
電球も薬も世界を変える大きな発明でした。

でも発明はそれだけじゃないと思います。
戦争がなくなる方法が発明されれば、、。
世界が変わります。
そんな発明は夢なのでしょうか?


イマジンを聴いていると、夢でない気がしてきます。
イマジンは、まるでそれぞれの人の心に平和という奇跡の光を灯す発明のようです。





2016年7月2日土曜日

ピアノを歌わせる

ピアノの会なのに何故オペラや他の楽器のレクチャーコンサートをするのかというと、ピアノはオーケストラだからです。ピアノは色々な楽器のパートを演奏する訳ですから、元となるリアルな音がわかってはじめて本当のその曲のイメージが湧くと思ってます。

そしてもっと大事なのが音楽の根本、歌うことを学ぶためです。
ピアノを指導していると、「曲想をどうやってつけるかわからない」というのを聞きます。「歌って」と言っても「歌う」ことがそもそもわかりません。
歌わずにどう曲想をつけるかというと、フォルテと書いてあるところを強く、クレッシェンドと書いてあるところをだんだん強くする。それがピアノをステキに完成させる事だと思ってしまう。それは歌う音楽とは違います。

なぜ歌うの意味がわからないかというと、それは美しく歌われた歌を聞いた経験が少ないからだと断言します。
声を出すのが歌うわけではありません。
音程が取れたり声量があるのは歌う人にとって必要不可欠なことですが、ここでいう歌う、という意味においては違います。
アナウンサーのようなしゃべり、声優のようなしゃべり、聞いたことがなければ真似も出来ないですよね。
「ピアノを歌わせて」という時は、歌を真似るという意味です。

歌はもちろんですが、弦楽器も菅楽器も歌詞のない歌です。
ピアノのようにハーモニーが奏でられてしまうと、全体として大雑把にしか音が聞けずメロディが歌えなくなる事が多いです。そしてピアノのように叩けば音がする楽器は叩くだけになってしまいます。

歌や弦、菅楽器の演奏をたくさん聴いて、歌うピアノを目指して下さい。



2016年7月1日金曜日

音痴を治す

私は子供の時すごい音痴でした。
リズム感も元々ないし。
でも頑張って努力で直しました。

音痴を治すには声帯の訓練も欠かせませんし、リズム感をつけるには運動も必要ですが、何より聞くことです。たくさん聞いてそれを声に出して体で叩いて確認するということだと思います。聞いては出す、聞いては叩く、です。


聴音と初見視唱は同じ能力だそうです。
つまり、耳で正しい音程が取れれば正しく歌えるということです。逆を言えば、正しくない音ばかり聞いていると音痴になっちゃうということです。

子供の耳は本当にすごいです。動物です。
だからこの時期、変な音程やリズムばかり聞いてると、耳がいいのに音程が不安定だったりリズムがカッコ悪くなっちゃいます。

私はヤマハシステムにお勤めしていましたが、何が良かったってハーモニーやリズムをしっかり教えていただけたことです。ヤマハは画一的、ピアノが上手にならないと批判的なこともよく聞きます。確かにピアノの上達だけ取れば物足りないかもしれません。しかしヤマハは、リズムやハーモニーの指導法はピカイチでした。


音程も、リズムも何でも身につけちゃうのが子供。
音程、リズム両方の音痴を治すには、まずは正しい音程、リズムを聞いてください。