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2015年6月30日火曜日

石の上にも3年

何事も3年はやらないとわからないという意味ですね。

3年でわかるとは早いです。
私はピアノの良さがわかるのに30年かかりました。
密度が薄いからです。

皆様は私ほど薄くはないにしても、私が思うになんでも10年くらいでやっと何たるかがわかるのではないかと思います。3年でわかる方は相当密度が濃いかわかったつもりかもうやる気がないかのどれかの気がします。

はじめてピアノの会は今年で10年、法人になって3年です。
この10年、手探りで失敗しては修正するのくりかえしでした。また、経営のことをわからないまま法人に成ってしまったので、正直もとの任意団体に戻れるなら戻りたいくらいですが、3年じゃ何もわからないからせめて10年やってから考えようと思ってます。

頑張ることもめんどくさいことも努力も大嫌いな私に、石の上にも30年と教えてくれたのはピアノです。3年でやめてたらわからなかった。密度が薄すぎて10年でもわからなかった。30年たったころ、はじめて心からピアノをやってて良かったと思うようになりました。

『才能がないからやるだけムダ』と思う方も30年やれば形になります。
世を覆うような活躍は出来なくても、30年やれば喜んでくれる人がいます。
私も、初心をもう一度思い出して、とりあえずこの1年、この1ヶ月、今日この日と頑張ろうと思います。











2015年6月29日月曜日

造園技能士

日本庭園とイングリッシュガーデン、どちらも大好きです。
計算され尽くされていながら無造作な形状を作る庭園。
計算して作るのに計算を超える自然の力。
その自然の力を想像しつつ超える力に敬意を払ってまた作り込んでいく。
その繰り返し。
すごいです。

どちらも好きですが、日本庭園を作ることに憧れた時期がありました。
通信教育で滝とか石とかの勉強をしました。

でも現実にはやりませんでした。やれるかどうかやる前にやっていません。
あっさりやめた理由は爪の間に土が残ってしまう、土や植物のアクで手が荒れる、力仕事は無理。。

へなちょこです。なめてます。ニセモノです。
指が、、と思ったのはもちろんピアノです。でもピアノを選んだ風を装っていますが、実はそうではありません。
あんな理由、こんな理由があって何かが出来ないって言う人って、たいてい言い訳を探しているんですね、ほんとうは出来ない理由じゃなく、やらないですむ言い訳。
本気だったら捨てられないものはないし、逆に捨てなくても出来る。
ピアノが大事で捨てられないんじゃなくて、造園をやる覚悟がさらさらなかっただけ。

そんな自分が情けなくもなりましたが、私のように不器用で才能のない人間は何かをするのに30年はかかるので造園をやっていたら今でも土運びをしていたと思います。


今でも庭園をみることは好きです。
趣味で土いじりすることも野菜を育てることも大好きです。草むしりだけでも土を耕すだけでも心が無になる。ホッとする。

今世はピアノを弾く手で出来る園芸を楽しもうと思います。




2015年6月28日日曜日

ピアノもさることながら

はじめてピアノの会のサロンの会はピアノの発表会なのでもちろんピアノ抜きには語れません。しかしピアノもさることながら他のことも大事です。

人前で演奏することについては「趣味のピアノなんだし聴かせる腕もない」とおっしゃる方もいらっしゃいました。
ちょっと弾ければいいと思って、ちょっと認知症予防に、と始めた方には大げさかもしれません。でもそういう方って無駄なく暮して来たがんばり屋さん。ピアノだったらピアノが上手になることが目的で、会場もお料理も人前での演奏も、ともするとピアノを楽しむこと自体余計なこと。上達あるのみ。

でもそういう方にこそこんな楽しみ方をして欲しいのです。
だって現代に生きているのだから。
美味しいものがあって素敵なお店があってみんなで集える時間がある。
それを目の敵にしていたら今の世の中に生まれて来た意味がありません。

8回目を終えて、ピアノはスタインウェイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタインと三大名器はもちろん制覇しました。世界のYAMAHAも入ってます。
お料理もフレンチフルコース、イタリアンフルコース、シノワフルコース、日本料理会席と楽しんで参りました。
今回のサロンの会はピアノはシンメル、お料理は中国料理。また新しいお楽しみです。

こんなこと言われたくないかもしれませんが、上達だけ目指しても、悲しいことにピアノには限界があります。自分の経験です。技術的な上達が目的だと目的を失います。

人生に音楽のよろこびを、がはじめてピアノの会のビジョンですが、よろこびは音楽だけじゃない。ピアノのためのピアノでなく豊かな人生を楽しむためのピアノにして下さい。



サロンの会 詳細はこちらから
hajimetepiano.org





2015年6月27日土曜日

時代の変化

1人の人生が80年とすると、その間に時代は変わってます。
時代の移り変わりって1人の人生より早い。
ついていけないはずですよね。

私が一番流行を感じるのは言葉です。
若者ってほんとに回転が速くて新しい面白い言葉を編み出して使います。
その言葉もあっという間に古くなる。
それでも若者だと「この言葉は古くなったから使わない」ようにしますが、私くらいになると2年くらい前に流行った言葉をその変化に気づかずいい気持ちで使っちゃってカッコ悪いです。

もう時代についていけないことは明白なので、時代に乗れてない流行言葉を使うより、流行のない普遍的なきれいな日本語を使えるようにしたいと思います。
今更です。

2015年6月26日金曜日

一番話したくないこと

今一番話したくないことを話すことがこれからの幸せに関係している、と聞きました。隠し事という意味でなく、話すと自分が辛くなることだそうです。
話すと辛くなることって思い出すだけでも嫌なのにそれを人に自分から話す?


よくよく考えるとこういうことです。
腕に傷が出来たとする。
そこに誰かが薬を塗ってくれるって言ったら「いい!自分で塗るから!」って絶対言います。だって変な触られ方したらもっと痛くなるから。まだ自分でなら加減を見ながらそうっと薬を塗っていける。。。

つまり人に刺激されるともっと痛いから、自分から話した方が適度に様子をみられてラクだという理屈でしょう。
そして、刺激されるところがあるとそこをかばって動作にも制限が出てくるので、それがなくなれば自由に行動出来る=幸せになるってことですね。


ピアノのレッスンは出来ていないところを先生に確認してもらい教えてもらうところですが、私は子供の頃レッスンで出来ないところをどうごまかすかに苦心していました。そして先生がそこを指摘しないと「バレなかった」とホッとしました。
今指導する側になってわかったのですが、バレてます。先生は全部お見通しです。でも生徒さんが必死でごまかそうとしているので「今日は指摘する所が多過ぎるし、全部は一度に直せないからとりあえず一カ所は見逃してあげよう」とごまかされてあげるのです。
先生は生徒さんが思っているよりわりと能力高いです。
結局ごまかしてもバレてるなら、ちゃんと全てを白日の下にさらしてしまった方が気が楽だったんですよね。教えてもらう場でも見栄を張っていた私です。


「一番話したくないこと」はレッスンでごまかすなんて簡単なことじゃなく、もっともっと重いものだと思います。でもきっと自分で話しちゃった方が少しだけラクなんだろうな、と思います。













2015年6月25日木曜日

地味な練習が嫌いな子供

ピアノの練習が好きな子はいます。
でも地味な練習を好きな子は一人もいませんね。全員嫌いです。

ある程度弾けるようになると楽しいし子供はここで合格すると思っています。
でもほんとはここからがほんとの練習。
地味な練習の始まりです。
子供は「弾けてるじゃん!」と心の中で叫んでいる。泣いてる(笑)。
でもクラッシックではそれを弾けてるとは言いません。

今年音大を卒業した音楽家の卵の方が「ずっと音楽が好きって言ってる人まわりに一人もいない」と言ってました。今も昔も同じですねー。
もちろん、今は大好きで楽しいからやってるしずっとやっていきたいと思っている。
でも、そうなるまでは簡単ではなかったんです。

「音楽じゃなくても良かった。でもここまでやったことは他にない。ここまでやったから、だからこんなに好きになれた」

ちょっと好きなものが大好きになるには、努力と時間が必要です。

2015年6月24日水曜日

子供のピアノ離れ

大人の方、シニアの方がピアノを楽しまれるようになったのは何よりですが、子供がピアノを弾かなくなってると聞きました。私のお務めしている楽器店には沢山お子さんも来てくれているので実感はないのですが、これは由々しきことです。

子供がピアノを習わなくなった理由として、ほかの英語やダンスなどの習い事が盛んになったというのはあるかもしれません。でもやっぱり『地味な練習』が嫌なんだと思います。

70歳から始めた方は60歳から始めればよかったとおっしゃいます。50歳から始めた方は40歳から始めれば良かったとおっしゃいます。20歳から始めた方は子供のときにやっておけば良かったとおっしゃいます。

そうなんです。子供のうちにやった方がピアノは楽なんです。
リズムや音感は子供のうちにわかっているとその後とても役立つんです。

でもそれがわかるのは、大人になってから。
子供のうちは、ピアノの地味な練習は大変なだけ。
楽しい一割苦痛九割。

それでもピアノはやっぱり子供のうちからやって欲しい。
ピアノは音楽の基本。音感がつけば他の楽器もやりやすい。
それに地味なことをとにかくなんでも続けると、その先に良いことが待っているのを心から理解できるようになります。
ピアノがまた習い事ベスト1の王座に返り咲いてくれることを願います。






2015年6月23日火曜日

どこを目指すか

「人は目指した場所に行く」と言います。
そうだと思います。
場所とは世界です。

ピアノにはその人の生き方が出ます。出てしまいます。
曲には作曲家の真実が書かれているけれど、それは楽譜に音符と言う暗号で書かれているので、正解はわからない。全てわかるように答えが書かれていたらもはやそれは芸術ではなくなってしまいますから。

それをどう読み取ってどう表現するか。
自分はどこを目指すピアノをやるのか。
どんな音楽の世界に身をおきたいのか。

ピアノには正解がないのでこうしたい、こうなりたいがその人にとっての「音楽の世界」になる。そこにはその人の生き方が映されます。

好きなメロディを楽しむこと。
次々に難曲に挑戦して上達すること。
音楽に隠された心を探ること。
人に喜んでもらうこと。

どこを目指すか、それだけでその瞬間にその世界に足を踏み入れます。

2015年6月22日月曜日

9月 感謝コンサート

はじめてピアノの会は今年で10年になります。
地域のピアノサークル指導と音楽鑑賞会やイベントを行ってきました。
講師は発表会では講師演奏をしてきましたが、有り難いことに生徒さんから「先生の演奏をもっと聴きたい」という声を沢山いただくようになりました。
私たちは教えるプロですが演奏のプロではないのでそれは脇に置いていましたが、10周年、支えて下さった皆様にどんな恩返しが出来るかなと思ったとき、そのお声を思い出し『講師のコンサート』をやってみましょうということになりました。

「ピアノの会」ですが、ピアノは様々な楽器のパートを演奏出来たり一台の楽器でデュオが出来たり主役にも脇役にもなれる万能な楽器。
その楽しみをプログラムにたっぷり盛り込んでお届けします。

是非多くの方にお越しいただきたいと思っています。
こちらで順次お知らせしていきますね!
頑張ります!

2015年6月21日日曜日

知性と素直さ

先日、いつもは行かない大人のクラスに見学に行ったら、一人の生徒さんがすごくいいことをおっしゃっていました。
「弾けないなと思ったら、まずは楽譜に戻って、指番号から考え直す」

お手本ですね、この答え。感覚で弾きがちなピアノですが、頭で考える部分もとても重要です。別の方が「Aさんがこないだそうおっしゃったのを聞いて私気づいたんです。自分はそんなことすら考えないから弾けてない。なのに弾けてるつもりになっていたと」とおっしゃいました。

言われたからでなくて、自分で考える。
人の言葉に素直に自分を重ねる。
自分で気づく。
決して人には押し付けない。

私などは小さいときから素直じゃなかったですが、年を取って更に頑固に人の話を聞かなくなってきました。だからなんでも失敗してはまた失敗します。

私より少しお姉さんの皆様のお話を聞いて、年を重ねて素敵な方ってこういうことなんだよなとまた思いました。

2015年6月20日土曜日

こぼれ種

庭(ベランダ)の半分を占めていたルッコラが枯れ一週間前に種を集めて根っこを抜き、土に生ゴミから作った肥料を混ぜました。
あとの半分を占める三つ葉は硬くなってきたので今ある葉っぱは全部摘んで食べちゃいました。
そこにこぼれ種の大葉がところ狭しと芽を出して、周りではツルムラサキがぐんぐん育つ今日この頃。

昨日の雨が上がって朝庭(ベランダ)を見たら。
なんと!また新しい芽がたくさん出てる!
これはもしや…と思いつまんで食べてみました。

やはり…。
ルッコラです。
ルッコラ恐るべし。

三つ葉や大葉やバジル、唐辛子、それにモロヘイヤはこぼれ種で夏になると芽を出しますが、ルッコラのこぼれ周期と言ったら尋常ではありません。1年に3度種が出来てこぼれて芽が出ます。しかもこぼれて1週間で芽がでて成長してあっという間に食べられます。

つまり私は一年中ほとんどルッコラを食べているということになります。
この夏も大葉とルッコラを食べまくります。

2015年6月19日金曜日

ピアノ上達に近道はないけど

グループレッスンでは当然のごとく個人差があります。
なのでその時によってやることがバラバラっていうこともあります。
でもピアノというくくりの中では同じことをしているも同然です。

でも残念なことに、人の演奏を聴いても「私には関係ないわ」と思ってしまう事があります。

「このリズムはそうじゃなくてこう」とか「このフレーズはこう」とか「指はバタバタさせない」とか「片手に戻って練習」とか「ここで区切って部分練習」とか、1年目の人も10年目の人もすべての人に共通する話。
基本はいつまでたっても基本で全員に必要なもの。10年たってはじめて最初の頃に言われていた事が理解できるというのもよくある事です。最初の頃は弾くのに精一杯で先生の話の10分の一しか聞けてなかったかもしれません。どんなレベルの人の注意も全員に共通します。

自分とは違う曲だから関係ないと思ってしまう方は、不真面目なのかというと真面目な方が多いのです。
真面目に他の事には目もくれず自分の曲のCDを聴いてそこを目指してひたすら弾いて練習する。

でもこれではないんですね。
CDは完成形。ピアニストの弾くピアノは音楽が流れていて理想だけれど、そこに至る過程は学べない。それより、音やリズムを間違えたり、曲想の注意をされている人の演奏の方が具体的でわかりやすい。以前テレビで著名なピアニストのピアノレッスンがありましたが、こんな風に練習するんだなというのが良くわかりました。

またピアノには即時反応と応用力がとても必要。ここを鍛えないと練習は何倍も時間がかかってしまう。それに先立つのは観察力と真似る力でしょう。

人のを聴いて自分の曲にいかす。
ピアノ上達に近道はありませんが、「人のふり見て我がふり直す」ことで少しポイントを掴めるかもしれません。

2015年6月18日木曜日

良く生きる

「大切にしなければならないのはただ生きるのでなく、良く生きるということだ」と言っていました。

林先生の『世界の名著』というテレビで、プラトーンの『ソクラテスの弁明』の一文とのこと。この言葉を選んだのは武井壮さんです。

私は「良く生きたい」と思っている気がします。
そこで私の生活を振り返ってみました。

何かをする前、一度立ち止まってどうしたらラクが出来るか、いかに手を抜けるか考えます。疲れるので全力は滅多に出しません。大抵のときはだらだら過ごします。小さいことを気にしてすぐ落ち込みます。嘘は普通につきます。好きな人には優しく嫌いな人には厳しく。人をよく傷つけます。やらずに後悔、やってもっと後悔です。後悔したことを度々思い出しては涙する人生です。

どう見ても良く生きていませんね。。

ふとクレヨンしんちゃんを思い出しました。
映画でお友達と別れるとき
「おいらみんなのこと、忘れるまでわすれないからな〜」と言います。
さすがしんちゃんです。
忘れるまで忘れないとは。

しんちゃんをお手本に良く生きるを語るのはなんですが、良く生きるって「死ぬまで生きるからな〜」ではだめでしょうか?忘れないでいよう、と思っても忘れるときは忘れちゃうように、「良く生きたい」と思いながらも良く生きられないうちに死んじゃう。それでいいのかなあと。。

10年前の私なら疲れきったサラリーマンを見て「ただ生きてるだけじゃん」なんて生意気なこと言っていたと思います。
でも今はただ生きてるだけで充分に立派だと思います。人生何もない人なんて誰1人いません。ただ生きてるだけでどれだけたくさんの哀しみや悔しさを抱え生きて来ているか、今ならわかります。


ソクラテスの時代はわかりませんが、ほんとは人間みんな良く生きたいと思っている。
「良く生きたい」。
それだけで人間は充分良く生きているんじゃないかなと思います。









2015年6月17日水曜日

ムチとアメ

サロンの会について「ピアノは弾かないで午餐会だけの参加でいいですか?」と生徒さんに聞かれます。

何を言ってるんですか。
その日そこに行ったら天国ってことは世の中いくらでもあるんです、お金さえ出せば。
だけどそうじゃなくて地獄を味わってから天国のほうが、天国はより極楽となるんです。

せっかくピアノをやっているのに「下手だから」弾かないなんて勿体ないもいいとこです。頑張ることと楽しみを両立させる絶好の機会です。聴いて下さる方も間違えたからどうなんて全く思いません。

それと大事なのは、そんな地獄になるような曲を選ばないで余裕を持って弾ける曲にするといいですね。人前での演奏は本当にあがるから。60%出せたらいい方です。
発表会だから気張って、カッコいい曲を弾こうとか好きな曲を弾きたい気持ちはわかりますが、好きなのと弾けるのは違います。世の中星の数ほどいい曲はあります。
その中で時間や自分に合ったものを探すのもピアノの勉強の一つです。

なんのために人前でピアノを弾くかというと、まずはチャレンジと確認です。
家では弾けるものを更に弾き込んで人前で弾くというチャレンジ。
それが本当に出来たかの確認。

そしてもう一つ「聴いていただく」経験。
ピアノ演奏は作品です。人に聴いていただいてはじめて完成するもの。
家で弾けてるで終えるのは本来完成ではないと思っています。作りかけだと思っています。
聴いて頂こうとすると聴き苦しくないよう精一杯努力する。
上手く弾けても失敗しても、そこまで持っていった過程がかなり自分を成長させたはず。

チャレンジした後は、美味しいお料理とお酒orお茶で優雅な午餐会をお楽しみください。










2015年6月16日火曜日

ひと日を味わう

はじめてピアノの会の「サロンの会」の目的は、ピアノの発表会なのでピアノを披露することにあるのですが、一番の目的は『共に味わう』ことにあります。


素敵な会場で
おいしいお料理をいただきながら
努力の成果を披露し
ステキな音楽を
同好のお仲間と共に味わう


ひたすらピアノだけを追いかけている方には、邪道に思われるかもしれませんが、ぜいたくに思われるかもしれませんが、私はこれが本来の音楽の姿だと思っています。
ピアノの演奏だけの発表会ももちろんいいです。
でもピアノだけでなく「この世界にはステキなものがたくさんある」と改めて感じて欲しいと思います。

何のためにピアノをやっているかというと、人生を楽しむためです。
演奏が上手くいっても分かち合う人がいなければ楽しくない。
喜んでくれる人がいなければ楽しくない。
あの人のピアノはイマイチとわかったところで自分の人生は豊かにならない。
イマイチのあの人の方が豊かな人生を送っていたりする。

その日一日生きているよろこびをピアノを通して味わう。
おこがましいかもしれませんが、はじめてピアノの会でずっと貫き通している提案です。きっとステキな1日になると思います。


お一人でも。ご友人とでも。はじめてでも。初心者でも。上級者でも。
サロンの会の詳細はホームページからご覧下さいませ。








2015年6月15日月曜日

サロンの会決定!

今年のサロンの会が決定しました!


サロンの会とは、一般社団法人はじめてピアノの会のメインイベント、午餐会付きのピアノ発表会です。
毎年厳選した会場でピアノとお食事を楽しんでいます。

今年の会場は高級中国料理として名高い銀座  飛雁閣。
ピアノはドイツのシンメル。ドイツではヤマハのようなポピュラーなピアノで、少し試弾させていただきましたが弾きやすいです。

午餐会は贅沢にフカヒレ姿煮中国料理フルコースです。お飲物もご自由に召し上がっていただけます。
5年前、中国料理をフランス風にアレンジしたシノワはありましたが、本格中国料理というのは初めて。健康によい薄味の中国料理でどんな年齢の方にも喜んでお召し上がりいただけます。こちらのオリジナルの紹興酒は一見…でなく一飲の価値あり、だそうですよ。


サロンの会はピアノだけでなく、会場とお料理とお仲間との交流の場です。
演奏は3分以内(上級は5分)でお願いします。

はじめての方大歓迎です!
各日定員になり次第締め切らせていただきます。


一般社団法人はじめてピアノの会ホームページも是非ご覧下さい。
お申し込みはこちらからお願いします♪



















2015年6月14日日曜日

幸せのツール

今回カテゴリー換えを思い立ったとき、つくづく思ったのです。
何故ピアノを弾くのか。


ピアノは様々な要素が必要なので、やってみると思ったより遥かに難しい。
なのでせっかくはじめても人と比べて自分は下手だ、向いてないとやめてしまう方が多いです。やっても出来ない自分の限界を知ると、また歳をとって思ったように弾けないとやめたくなっちゃいますよね。

でも、結果が出ない、出なければやる意味がないと言っているうちは、まだまだ練習が足りないんです。実は必ず結果は出る。

練習すれば必ず弾けるようになるってことではありません。
出来るまで弾けって事でもありません。
どんなにやっても弾けないものは弾けません。

ただピアノは指が動くとか間違えずに弾けることが結果ではないってことなんです。
ピアノを弾くのは、努力を重ねていくその過程に意味があるのです。
その曲に込められた思いや一音の大切さに一つでも多く気づくこと、それらを一つでも表現することが大切なんだと気づくこと、それがピアノをやることの結果だと私は思うんです。

それに気づくと自分が変わる。
人の演奏の聴き方が変わる。
これって人生と同じなんですね。

出来ないことに向き合う。
出来ないことを受け入れる。
出来ないかもしれないけどそれでも一つ努力する。
そうすると思いもよらなかったことに気づいて味わい深くなる。

続けるのはラクではない。でも人生ラクなのが楽しい訳じゃない。
下手でも人から見たら結果が伴ってなくても、自分だけの結果が出ていることが楽しくて有り難くて私はピアノを続けています。











2015年6月13日土曜日

カテゴリーのお引越し

今まで何も考えず、にほんブログ村のピアノ、クラッシック、ピアノ教室というカテゴリーにブログを登録していました。
でもなんのためのピアノ?っていうと人生楽しむため、自分らしく生きるためなんですよね。そこでカテゴリー換えを思い立ちました。

「先物取引」とか「未確認生物」とかいうカテゴリーがあって、なんだかその響きに非常に心惹かれたのですが、響きだけで登録したらそのジャンルの方に大変失礼なので、先物取引と未確認生物はあきらめました。そして「ライフスタイル」というのを見つけました。

「これだわ!」
しかし、皆様の書いてらっしゃるものを拝読してみるとピアノやピアノ講師のブログと全然違うのです、、。
あまりに違うのです。嘘だと思う方は是非ピアノの方をお訪ねになってみて下さい。

ライフスタイルカテゴリーでは多くの方が「ミニマムに暮らす」とおっしゃっています。
ピアノのブログでそのようにおっしゃってる方は見たことありません。
私のリアルな生活でもそう言ってる友人知人はいません。
それに私、ミニマリストという言葉、初めて知りました。
うーむ。やはり世界は広かった。

ここは貪欲に視野を広げさせていただきます。
ピアノも「ライフスタイル」にかわりありません。
「ライフスタイル」宜しくお願いします。



2015年6月12日金曜日

職業の才能

超一流のピアニストにはピアノの遺伝子レベルの才能が必要です。
ではピアノの先生は皆、音楽的才能あるのでしょうか?

そうでもない感じです(笑)。
ピアノの先生は音楽的才能がなくてもなりたいと念じ、努力すればなれる職業だと思います。
もちろんピアノ遺伝子があるピアノの先生もいらっしゃいますが、なければなれないものではありません。努力すればなれる。これは何でもそうですね。

ピアノの先生の親が音楽的才能があったかっていうと違います。
ピアノの先生の子供はみんな音楽の才能があるかっていうと違います。ピアノの先生の子供は、親にわからないことを聞けたり上手になるやり方がわかるという点でピアノが上手になりやすいです。でもだいたい親に言われるのが嫌でピアノやらなかったって人も多いです。


超一流には念じてもなれませんが、職業となると違う。
念じて努力すればなれる職業って世の中意外に多いと思います。






2015年6月11日木曜日

役割を作る

人は役割を持って生まれてくるといいます。

そうとも言えないと思います。
個性を持って生まれてくるのはわかりますが、役割は作るものだと思います。

私たちの命は、何億分の一の細胞のように、消えてもわからないはかないものではないでしょうか?代わりになる細胞はいくらでもあるレベルだと思います。だからこそ、在ることを認めてもらいたいくてウズウズしちゃうと思います。

家で、学校で、職場で、団体で、地域で居場所がないと悩むことあります。
私もあります。
それはきっと役割を持ててないのだと思います。
そんな時はちょっとだけ人の役に立つといいのかなと思います。
でも、無理をすると反動が来たり恩着せがましくなるので、いつでも無理せずプラスたった1だけ。

やってあげます!っていうんじゃなく、自分が疲れない程度のプラスたった1。お返しを期待しない程度のたったプラス1。胡散臭がられないたった1。
それを積み重ねる。そうすると役割が出来てちょっと居場所が出来るかも。

1人でも喜んでくれる人がいる。
そうすると心もとなかった気持ちが落ち着く気がします。
人に喜んでもらうのが人間にとって一番のよろこびだから。
それが役割が見つかった時なのかなと思います。

私にだけ出来る事なんて何もない。私に出来ることはみんなも出来ること。
だけど私がやる事で私の隣の人が1人でも喜んでくれたらそれが役割。
そんな風に思っています。










2015年6月10日水曜日

ピアノの先生のアイテム

ピアノの先生たちのブログを拝読すると、きちんとしている感じが伝わってきます。こういうピアノの先生はきっと字もお上手でしょう。見なくてもわかります。色を使い分けたりシールを貼ったりして楽譜にキレイにわかりやすく注意を書いてらっしゃるのが目に浮かびます。

それに比べて私の生徒さんは可哀想です。
大雑把で字が汚い、そもそも書くのがめんどくさい。そもそも鉛筆を忘れる。借りた鉛筆を返し忘れる。色はその場にあったマーカーとかシールは20年前の付録とか。
ごめんなさい。

この間、すぐここ!と借りた鉛筆で楽譜に書いたら、あとで生徒さん同士でひそひそと「すじって書かれたけど…何だと思う?」「すじ…こ…すじこって書いてあるわよ」「すじこ…?筋子?違うよね??」みたいな話してて、受けるどころか落ち込みました。で、ショックで借りた鉛筆返しそびれました。

きちんとしている方には信じられないと思いますが、きたない字は直せないのです。キレイに書こうとすると、すごい時間がかかってしまいます。6時間位かかるでしょう。でも書いてるうちにやっぱりきたなくなって結局は途中であきらめてきたなくなります。手紙でも文書でもきれいに書けたためしがありません。忘れっぽいこととかは何年かたてば忘れてくれるかもしれませんが、字は証拠として残ってしまいます。字は人となり。その通りです。雑です。

ピアノに字は関係ないと思うかもしれませんが、確かにピアニストなら関係ありません。
でも注意書きをするピアノの先生には必要なアイテムです。
また適性がないことに一つ気づきました。












2015年6月9日火曜日

見えなかったこと

昨年見えなかったことが今年になって見えるということがたくさんあります。
『違っていたんだ』と気づいたとき、昨年の未熟な私が恥ずかしくなります。
そして懺悔の気持ちになります。
ということは、今これでいいと思ってやっていることが、後になって間違っていたと思うであろうってことですね。

今の未熟な私とお付き合いいただいている皆様、ありがとうございます。





2015年6月8日月曜日

ハリウッド白熱教室3、4

ハリウッド白熱教室も第三回になりました。
3、4回を一緒にしたのは面倒くさいからではなく撮影と編集と言うことで関連があったからです。ところで私は録画で見ているので放送はとっくに終わっています。今は宇宙白熱教室というのをやっています。私はまだハリウッドです。


第3回は撮影で「自分自身を理解するために芸術に向かう」と言っていました。
第4回は編集で「時間と空間を操作する」と言っていました。


映画って、正面からのアングルが横顔に変わったり、アップになったり全身になったり。
またふと子供のときの思い出や昨日の出来事が映像として入ったりします。
普段私たちも、たとえば誰かと会話している時、その人の顔を見たり全身を見たり、後ろの風景を見たり隣の人を見たり心の中で昨日のことや別のこと考えたり、よくあることです。

だからそこにワザがあるとは思いません。
でもこれ映画だと「作って」いるんですよね。
いちいちカットしたものを繋げてるんですね。
カットして繋げるって作為的何行為なのに、その方がリアルって不思議ですよね。リアルを作り込んでいるのです。

「なぜ風景を見たのか」「なぜ別のことを考えたのか」「どうしてアップじゃなく全身なのか」なんて普段思わないんだけど作る側はそれが必要かどうか分析して作り込む。

これ、ほんとうに革命的です。しかも時間にすると1カットが2秒とかそんなもんだったりするらしいんです。

クラッシックの作曲と同じですね。
感性で作っているようでものすごい知的作業。
構成を考え、ディテールをそろえ、パズルを合わせるように組み立てていく。
しかも見た人聞いた人の感情に添うように。
そうです。クラッシックの作曲家ってものすごく頭がいいのです。

そうやって分析して緻密に作られたものはすべて整理整頓されたものといえるでしょう。
いい悪い、娯楽だ薄っぺらいと作ったことのない者は言いますが、大変な作業ですね。
それらを見たり聴いたりすることは自分のなにげない行動や感情のなかに、人の手を借りて根拠を見つける作業なのかもしれません。


自分を理解するために芸術に向かう、の意味が少しわかった気がします。
では、芸術を知り自分を理解するのはなんのためか。
それはもちろん幸せになるためです。







2015年6月7日日曜日

生きる

ご病気や事故で早くに亡くなる方を思うと無念だっただろうなと思います。
ご家族もそれはそれは悲しい事でしょう。
私なんてたいした苦労もないのに、「生きるのって大変よね」なんて軽口をたたいて罰当たりです。

人生は修行、人生は楽しむもの、人生は暇つぶし、人によって考え方は違います。
なぜ生きるのかという問いは私も若かりし日に考えました。
その頃の私は夢を叶えるためとか思っていたかもしれません。
青いですね。

今の私の答えは、生まれて来たから死ぬまで生きるというのが一つ。
もう一つは、太陽が明るいから、スープが温かいから。。
哲学的です。

いえ、ほんとは今日みたいにお天気だと気持ちよくて、美味しい食べ物もいっぱいあってシアワセだというだけの話です。
悩み事がないときは、生かしてもらってて本当にありがたいなぁと思います。
体調悪かったり嫌な事あるとすぐ「生きるのって大変よね」となるんですが。







2015年6月6日土曜日

私が一番です

生徒さんは皆様「あがる、あがる」とおっしゃいますが、世の中で一番あがるのは私だと思います。


あがっても弾けるのが実力なんです。
あがって弾けないのは単にそれが実力なんです。
その曲を弾く実力がないって事です。
実力、ありません。
ピアノに向いた体、指、頭脳、目、運動神経、容姿、音感、リズム感、集中力、、
適正はほぼありません。

こんなに出来ない条件が揃っているのにやってる私は相当の努力家なんだと思います。

ふと、もし全員あがらなかったらどうなるんだろう、と考えました。
ピア二スト、今の100万倍いますよね。
ピア二ストはあがらない訳じゃなくあがっても弾ける位の練習を積んでいる人たちです。
その実力の持ち主です。
その練習をしなくていいならかなりラクにピアニストになれるでしょう。

でもその分ピアノの魅力はなくなるかもしれません。
ピアニストではありませんが「あがって弾けない」のが理由で人前で演奏しなくなり、ピアノをやめる方は多いです。じゃあ人前で演奏しなければ続くかというと逆です。何のためにやっているかわからなくなりやめてしまいます。
戦い続けるモチベーションがピアノを続けさせるのは間違いないと思います。

ピアノは認知症予防にいいらしいです。
でも弾けるものを弾いていても意味ないそうです。
人前で練習通り弾けなくても、それに挑むその過程に価値がある。
年を取ってようやくわかってきました。









2015年6月5日金曜日

お客さま

「聴かせるために弾いているわけじゃない」という方は、レッスンで先生に聞いてもらっているのかもしれません。家でそれとなく家族に聞かせているのかもしれません。
人間、上手になったら聴かせたいのが本能です。


でも先生や家族は本来お客さん=聞いてくれる人ではないんです。
本質が違うのです。
先生は、変な言い方ですが「あらを探す」のが仕事です。
心を無にして音楽に浸っていたら、仕事になりません。
ここはこうした方がいい、どう弾けばよくなるかと聞いています。

もちろん「先生にちゃんと弾けるのを聞いてもらおう!」と思ってレッスンに行くのですが、レッスンは注意されてなんぼの場です。弾けないところを指摘されて直す場です。
途中で止められることも全曲弾けないことも普通です。
それどころか上手に出来るところは飛ばされます。
先生をお客さんとしてレッスンに行くと、これは受け入れられませんよね(笑)。

そして家族ですが、聞いてません。
ピアノをやらない人はピアノの難しさがわからないので、CDのように弾けて当然だと思っています。だからつっかえつっかえのピアノは面白くないです。
練習に理解があったとしても興味深くは聞いていません。

先生や家族は聞く人でないとしたら。。
聞いてくれる人が誰もいないと音楽はむなしくなります。
音楽は間違いなく聞いてもらいたいのです。

聞いてもらうのはお客さんです。お客さんと言ってもお金を出して聞いてくれる人ではありません。「聞いてくれる」ためにその場にいてくれる人。お客さんも大変です。家族だったら迷惑がるピアノを聞いてくれるのですから。


だから、お客さんには「聞いて下さってありがとう」という気持ちを持つ。そして自己満足だけでなく「せっかく聞いて下さるのだからお客さんが少しでも楽しい時間が過ごせるよう」意識して練習、演奏する。
つい自分が弾くことに夢中になって聞いて下さる人のことを私も忘れてしまうのですが、これはピアノを弾く人のマナーですね。













2015年6月4日木曜日

人生はわからない

今年90歳になる生徒さんのお話です。
ずっとご夫婦仲が良くなかったらしいのですが、一つ下のご主人が倒れられ介護をされることになりました。

「この年になって、暴飲暴食の自業自得の人を介護するなんて私の人生なんなの!?しかも本人は家にいたいって。勝手すぎるでしょ!?」と。
お仲間の方は皆さんうなずいて同情しました。
「やめた方がいいですよ!自分が倒れちゃいますよ!」と。

それが
「あんなに威張ってた主人が申し訳なさそうに寂しそうにしているのを見てそんな気持ちはなくなって。いがみ合っていた私たち夫婦がお互い労わり合うようになる、、、こんな日が来るなんて」と。

人生わからないものです。


ずっと苦労なさってきてその上90歳で介護…。
それを全員やるべきだとは思いませんし、そんなに苦労なさって来たのなら最後は好きに生きて欲しい気もします。
けれどその方はそれを心から受け入れた。
すべて水に流す、とはこのことですね。
正確には何かによって水に流されたのでしょう。

何かとはきっとその方の人間愛の深さ。
好きに生きる生き方もいいけど、怒りや憎しみがすべてなくなる生き方というのは、とても美しく感じます。自分に出来ないことだからかもしれませんね。


『イケメンって見てるだけで癒されるわ〜』とおっしゃるいつもおしゃれなそのご婦人、本当に魅力的です。








2015年6月3日水曜日

画期的な音楽

発明は人々を驚愕させ時代を変えます。
ただどんなに画期的なものであっても時とともにそれは「日用品」になってそのすごさが薄れていきます。それどころかいつしか古くさいものとなる。
たとえば蛍光灯。。。

実はクラッシック音楽も当時としては非常に画期的でした。
今となっては古典的な趣きの音楽もその時代には新しい試み満載だったのです。

バッハが平均律クラヴィーア集を作ったこと。
モーツァルトがオペラに6重唱を取り入れたこと。
モーツァルトがオーボエ協奏曲を作ったこと。
ベートーヴェンが第四楽章の交響曲を作ったこと。
などなど、今私たちが聞くクラッシックの王道のような曲は実は当時としてはとっても斬新だったのでした。

でもバッハやモーツアルトが蛍光灯と違うのは、古くさくならないことです。知ったつもりでもう一度振り返ると実は全然わかってなくて、そして今の時代でも十分新しいことに気づく。これ以上のものは、これに変わるものは未だ無い事に気づく。

まだまだ辿り着けない新しさ。
クラッシックを楽しんで下さい。




2015年6月2日火曜日

電車の中での音楽

私はよく電車で乗り過ごします。
寝ている時もあれば何かしていて気づかなかい時もあります。何もしていないのにうっかり乗り過ごすという時もあります。

車内での通話や子供の泣き声などはまったく気にならず、むしろ長い車中耳をそばだてて人の通話を聞いて楽しんでます。
「この方は営業職なのね、ずいぶん腰の低い応対だわ、なんの会社かしら(心の中)」とか
「あら、この方は明日発表会だって。爪伸びてるからピアノではないわね…(心の中)」とか。

泣いてる子供をあやしてるお母さんには心から同情&応援します。
「お母さん!こっちは全然うるさくないからね!頑張って子育てしてね!(心の中)」と。

しかし、イヤホンからの音漏れ、あれは大嫌いです。
音漏れに関しては共感一切無しです。腹立たしいだけです。
なので嫌がらせをします。
Mr.ビーンだったらハサミを出します。
しかし、気が弱い私は睨んだりため息をついたりするくらいです。
小技過ぎて気づいてもらえません。いや、気づいても無視されてるのかもしれません。

どなたかMr.ビーンほどでない、でも強烈で、だけど気の弱い私でも出来る穏便な嫌がらせ、ご存知でしたら教えて下さい。







2015年6月1日月曜日

練馬はじめてピアノサークル体験会

ピアノ初心者のかたのためのグループレッスンです。
体を動かしたり発声をしたり、健康にも頭にも、もちろん心にもいいピアノサークルです。

まずは基礎をきちんと学んでいただきそれから好きな曲にもチャレンジします。
一度挫折しちゃった方もお仲間と一緒ならもう一度頑張れるかも。
ぜひ体験にいらして下さい。


日時 6月9日(火曜日)12時半〜2時 1時間半

会場 練馬区

講師 野村静香先生

参加費 1100円

定員8名


詳しくはお手数ですがお問い合わせ下さいませ。
info@hajimetepiano.org









ハリウッド白熱教室2

映画の照明というのは、実は「心理描写」らしいです!

「カサブランカ」でイングリッドバーグマンが嘘をつくところ、歩いてる場所が少し暗くなります。
夫と帰った彼女を思うハンフリーボガードの顔、お店のライトが片側からあたって半分陰になっています。とっても自然なので、そうなってることにすら言われないと気づかない位のことです。

でもスタジオですから照明は全て故意、意図した光なのです。
普通に場面が変わったからなんとなく陰になったのかなくらいに思うことなんですが、実はちゃんと計算されているそうです。情景描写だと思っていたことが実は心理描写だったんです。俳優さんの表情は変わらないんですよ。でも見た人は「かげり」を感じます。その自然なまでの策略に、心が動かされているということです。

以前に、映画の中で家の中から外に出る場面では人間の瞳孔は自然に閉じるので、それを計算して光を作るって聞いた事があります。自然を作り込む。
すごいですね。

ベートーヴェンのソナタ14番月光なんかも情景描写でありつつ心理描写の感じがします。情景と心理が重なるには、情景を感じる力と想像する心の力両方必要ですね。
日常の生活を大事にしたいです。




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