3、4回を一緒にしたのは面倒くさいからではなく撮影と編集と言うことで関連があったからです。ところで私は録画で見ているので放送はとっくに終わっています。今は宇宙白熱教室というのをやっています。私はまだハリウッドです。
第3回は撮影で「自分自身を理解するために芸術に向かう」と言っていました。
第4回は編集で「時間と空間を操作する」と言っていました。
映画って、正面からのアングルが横顔に変わったり、アップになったり全身になったり。
またふと子供のときの思い出や昨日の出来事が映像として入ったりします。
普段私たちも、たとえば誰かと会話している時、その人の顔を見たり全身を見たり、後ろの風景を見たり隣の人を見たり心の中で昨日のことや別のこと考えたり、よくあることです。
だからそこにワザがあるとは思いません。
でもこれ映画だと「作って」いるんですよね。
いちいちカットしたものを繋げてるんですね。
カットして繋げるって作為的何行為なのに、その方がリアルって不思議ですよね。リアルを作り込んでいるのです。
「なぜ風景を見たのか」「なぜ別のことを考えたのか」「どうしてアップじゃなく全身なのか」なんて普段思わないんだけど作る側はそれが必要かどうか分析して作り込む。
これ、ほんとうに革命的です。しかも時間にすると1カットが2秒とかそんなもんだったりするらしいんです。
クラッシックの作曲と同じですね。
感性で作っているようでものすごい知的作業。
構成を考え、ディテールをそろえ、パズルを合わせるように組み立てていく。
しかも見た人聞いた人の感情に添うように。
そうです。クラッシックの作曲家ってものすごく頭がいいのです。
そうやって分析して緻密に作られたものはすべて整理整頓されたものといえるでしょう。
いい悪い、娯楽だ薄っぺらいと作ったことのない者は言いますが、大変な作業ですね。
それらを見たり聴いたりすることは自分のなにげない行動や感情のなかに、人の手を借りて根拠を見つける作業なのかもしれません。
自分を理解するために芸術に向かう、の意味が少しわかった気がします。
では、芸術を知り自分を理解するのはなんのためか。
それはもちろん幸せになるためです。
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