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2015年7月31日金曜日

奥底の小さな星

私が短歌を習い始めたきっかけは、いつも言いたいことが整理出来ずくどくど余計なことばかり言って最終的に「で、何がいいたいの?こういうこと?」って10秒でまとめられ、「そう!そういうこと!」となる会話の過程を省略し、自分から「こういうこと!」と颯爽と話せる女になりたいと思ったからです。


短歌は古典の教科として大嫌いで「けり」とか「なり」とか見たり聞いただけでイラっとしてたので、好きで始めたわけではありません。57577で伝えられる女を目指しただけです。仕事で英語が必要だからしょうがないから習います的な。それが30代前半の頃。

「いやいや、その目的なら短歌は違うでしょ」と思いますよね。
はい、私も今はそう思います。
しかしその頃は57577を学べば論理的な思考と会話が出来ると思ったんですね。そのくらい短歌がなんなのか全く知らない本物の素人だったのです。

ただ「和歌」という響きに、うっすら魅力を感じていたのは事実です。
なにしろ20代の頃は「30歳になったら毎日着物で過ごす」と夢見ていたくらいですから。

話がそれますが、35歳ころ、夢は叶えなくては!と毎日ゆかたで過ごた夏があります。
マンションの管理の方に「お加減悪いんですか?」と聞かれました。
尋ねて来た証券会社の方に「今時珍しい普段着ですね」と言われました。
それを聞きつけた九州の姉が電話してきてゆかたを止められました。
あれで私の夢は幕を閉じました。

短歌の話に戻ります。
最初はただ字数だけ合わせていましたが、実はただ字数を合わせるものではないことにようやく気づきその魅力に取り憑かれました。ピアノより断然好きになりました。

クラッシックもきっと縁のない方は、私が短歌を知らなかったように「お高く止まった西洋の昔の音楽でしょ」と思われるのでしょう。どちらも「わあ〜!楽しい〜!」「うう、、感動した、、」という大きな感動とは違うものなので、ぱっと見魅力的には映りません。

けれどそれに触れたとき、心の奥にしまっていたなにか小さな星のようなものがキラリと輝く瞬間があるのです。

人間が時代や国を超えて持っている心の中の小さな星。そんな星に気づき、その小さな星が強烈に輝く感動。

私が短歌を沢山勉強してその魅力を伝えられるならそれもしてみたかったのですが、どうも残念ながら縁がなかったので、今いる場所で今出来ること、クラッシックの魅力を伝えてたいと思います。

多くの方にキラリと輝く自分の小さな星を見つけて欲しいと思います。













楽しむ、上達する

ピアノレッスンは楽しくて上達する、両方兼ね備えているのが理想です。


昨日子供の発表会が終わりました。
毎年反省多し、ですが今年は反省する前に迷いが多く考えてしまいました。

楽しむことが音楽は一番大事。

でも習ってるからには上達することも大事。

それを両立させるには、、、


両方できればとてもいいことですが、時間のない子供たちが時間や個人差で上達に直結する練習が難しいこともあります。そうなったときまずは「楽しむ」ことなのか、でもそれだけじゃ足りない。
限られた時間の中で何を優先させるべきか。。

まだまだピアノ講師という職業をナメているのかもしれません。
もうすこし考えてみようと思います。





きうり




きゅうりが出来ました♪


前にも書きましたが、ベランダのお砂場みたいな深さ12、3センチの畑です。

梅雨明け間際にホームセンターで半額で苗を買いました。肥料は生ゴミです。










しかしこの1本では元は取れません。
あと2、3本でとんとん。
水代、手間代として合計6本くらいは収穫したいものです。





2015年7月28日火曜日

クラッシックには表現がない?

「自由に表現がしたいから型にはまったクラッシックは好きじゃない」

と聞き捨てならない話をよく聞きます。

たとえばカラオケ教室に行ったらすぐ歌わせてもらえます。
でも声楽を本格的に習う場合、まず歌は歌わせてもらえません。
最初に息の使い方、発声と基礎を勉強させられます。
そして正確な音程、リズム。

これがしっかり出来るようになると型。
表現なんてまたまだです。

なぜこのようなことをするかというと「美しく表現するため」です。

悔しいから叫ぶ、嬉しいから笑う、それが人間です。
でもそれをそのままじゃなく美しく伝えるのが芸術。

正確さや型は堅苦しい感じがしますが、不自由な型の中でどれだけ自由になれるか、型の中でさえ表現が出来るか、それがクラッシックです。
制約の中だからこそ個性を浮き立たせます。
それにはとてつもなく高度な技術が必要です。
それがクラッシック。

クラッシックはほんとは表現したいものだけを残した究極の表現なのです。

クラッシックの魅力をもっと伝えられたらなと思います。

2015年7月27日月曜日

日本の夏はこんなに暑かったんですね。
よくこの国に住んでいます。

戦争は国取り合戦ですが、なぜ領土のことでなんだかんだ争うのかわかりませんでしたが、確かに涼しくてさわなかな夏の国が日本なら行きやすくていいですよね、日本語も通じて日本食もあって日本の法律となれば。そこに資源があって物価が安かったら言うことなしですね。

戦争が起きる理由がわかりました。
だからってしちゃダメですけどね。


2015年7月26日日曜日

ハリウッド白熱教室5

最終回は『音響』でした。
と言っても私は録画で見てるので、とっくの昔に終わってるんですが。
ハリウッド白熱教室は終わり「宇宙白熱教室」が始まり終わり、今は「文学白熱教室」が始まっています。
文学白熱教室は興味深かったので先に見ました。

さて、ハリウッドの最終回は「世界は音で出来ている」がテーマでした。

今では音があるのが当たり前の映画ですが、昔は音がなくて、音が入った頃は映画から芸術性がなくなると言われていたそうです。
芸術的でなくなるというのは想像力がなくなるってことだと思います。
音って一方的なインパクトが強いです。
音は知らずに心に食い込んできます。
宗教に決まった曲があるのもそのせいです。
音楽は最後の芸術と言われています。
形作られた空間を最後に彩り決定打となる、それが音楽。

映画で悲しい曲が流れると悲しい場面が一層悲しくなってしまうのは作る側の思惑かもしれないけど悪くないです。映画に音楽がつくようになって、映画は音楽という芸術が加わったさらに高い芸術となったと思います。

映画では、ほかに音楽でない音も作り出しています。
馬の走る音、風の音…。
その音の探求には驚くばかりです。
新たな芸術が生まれていますね。


素晴らしい映画の素晴らしい音と音楽。
映画も世界も確かに音で出来ています。














2015年7月25日土曜日

秩序

音楽は感覚で捉えるものですが、音楽の心地よさは秩序の中にこそあります。

無限に広がる宇宙にも重力、無重力という秩序があります。
音楽をやっていくと、秩序がいかに大事かがわかります。

たとえば拍。
これは圧倒的な秩序です。一定の大きさで進んでいくのは安心感がありますし、またそれが揺れたり崩れた時の意外性もそもそも秩序があるからこそです。
日本の雅楽のようなものでも小節の大きさのような拍はなくても太鼓を打つ場所などの拍がきちんとあるようです。
西洋音楽の「変拍子」も雅楽の「無拍子」も拍子という概念があればこそです。

決まり通りになかなか出来ない私ですが、決まりごとがあるからこそその中でどれだけ出来るかぎ試されます。


2015年7月24日金曜日

音楽がない世界

先日「演歌は日本の心!」という方と打ち合わせをしていました。

お店にはクラッシックが流れていました。
その方はクラッシックは全く聴かないそうですが、もしこのお店に演歌が流れていたら、、、という話になりました。
「まず仕事の打ち合わせは出来ないね、心に沁みちゃって」と笑いました。

「でも今、ここのクラッシックは聞いてはいないけど、音楽が何もなかったらほかの人の話がちらほら聞こえてきたりして、話に集中出来ないかもしれない」とその方は続けました。

音楽に耳を傾けてはいないのだけど、間に入ってくるのは音楽。隣の席の会話でなく音楽。音楽は自然に境界線になってくれている。意識はしなくても。

音楽がない世界は「サイレント」ではなく雑音だらけなのかもしれません。聞きたくない音が耳に入ってきちゃう世界。
そういえば耳鳴りが止まらないと言うご年配の生徒さんが、寝る時は音楽をかけて寝るとおっしゃっていました。

音楽は雑音を消してくれる魔法でもあったのですね。




2015年7月23日木曜日

思ったようには弾けない

ピグマリオン効果と言って思っているとそうなるそうです。
しかし。
「上手く弾けるようになりたい」と本当に思っているだけでは弾けませんよね。

上手く弾けるようになりたいと本気で思うならやるしかないんですが、でもそもそもピアノにそこまで時間を割ける人は少ない。
ここがみんな関門です。
仕事や家族や環境や、、。

それはみんな同じです。
みんな同じに充分はできない。
「仕事」「子供の世話」「家事」「介護」「健康」「防音」、、、
これが全部ない人なんていないのです。
プロはプロでやる事がたくさんあるから、やっぱり一曲にかける時間なんて素人より少ないかもしれない。と言っても、プロは少ない時間でやっていける人の事を言うんですけどね。少ない時間でやれるようそれまで血のにじむ努力をして来たんですもんね。

だから血のにじむ努力をしていない素人の私たちは限られた時間で「思った通りには弾けない」ものなんです。
ここをちゃんと自覚しておかないと、つまらなくなってしまいます。

「思った通りには弾けなくてもそれを目指してやるのが楽しい」
そう思っています。

2015年7月22日水曜日

お読み下さってありがとうございます

今日もお越し下さいましてありがとうございます。
読んで下さる方がいることは書く楽しみを倍増させます。
とても嬉しいです。


NHKで文学白熱教室が始まりました。講師はカズオ イシグロさん。
第一回目の時に何故書き始めたのかについて「思っている事が薄れていきそうだから」とおっしゃっていました。

私もきっとそうです。
今思っていることを忘れてしまいそうだから。
今思っていることは永遠ではなく変わるかもしれない。
でも、だからこそ、変わることと変わらないことを見極めたい。
何が変化して何が変化しないのか。
大切なものが薄れていかないか、どうでもいいことにしがみついていないか
書く中で探していきたい、そんな風に思っています。

言うことがコロコロ変わるのも頑ななのも、私の中では大切な取捨選択です。

2015年7月21日火曜日

凡人たちの責任

政治のことは詳しくないし何も出来ないので話さないんですが、黙っていると怒ってないと思われるので、たまには怒りをわざわざ表わさないといけません。


所詮人間は保身の生き物なので、いざという時、保身の人間性が出るものです。
ごく稀に、保身しない人間がごく稀にいますが、そういう人は歴史的英雄です。みんなそうじゃないから英雄が生まれるのです。杉原千畝さんのように。
9割9分9厘世の中凡人で溢れています。いざというとき保身に走らず英雄になれるような人間性なんてほとんどの人が持ち合わせていないのです。

「いや、私は保身しない」と思っている人だって、彼らほどの地位や権力を持ったときどうなるでしょう?今保身しちゃう彼らだって地位も権力もなかったときは、たぶん「保身しない」と言える人たちだったでしょう。凡人は逆境に弱いんです。それが凡人です。

だからたかが凡人の政治家ごときに期待するのは間違っています。
政治家は政治という職業をしているだけのただの凡人。

会社員が毎日全力で仕事ができないように、いくら税金だろうと毎日全力で仕事が出来ない、それが凡人。言い訳でもなんでもなく英雄でもない凡人の彼らにそんなことできるはずがない、と私は思っているんです。

が、しかし。
それにしてもヒドい。安保のことは語るとわかってないのがバレるので語らないことにして、新国立は素人のわたしでもヒドい話だとわかります。

人前に出てここまで大きな仕事をしているのに全員が保身という凡人丸出し。
安藤忠雄にもがっかりです。凡人の極みですね。
どこまでが責任とかって見苦しい限りです。
選考委員として金もらったんだろうが!って思いますけど。
「へ〜、この人ってなんも責任ない仕事してお金もらってたんだ〜」「これいいじゃん?だけでお金もらってんだ〜」ってみんな思いましたね。
ちょっと違うところは崇め立てられる経験が豊富なので、それらしくその場しのぎが出来たことでしょう。このあたりは凡人も努力すれば出来るという証明でした。

私ももちろん凡人中の凡人。
偉そうな事は何一つ言えませんし出来ません。
凡人は目の前の事を一つ、やっとこやるだけです。















2015年7月20日月曜日

おんがくパーティ終了!

はじめてピアノの会で後援をしている三郷のおんがくパーティも今回で5回目。


みんなすくすく成長してどんどんしっかりしてきます。
大人と子供が交互に演奏したり歌があったりレクリエーションがあったり、さすが堤先生、工夫満載で参加者も観覧者も共にとても楽しみました。

そして音楽の教育に携わる者として上手に弾けることと楽しむことの音楽教育の大切なバランスについてつくづく考えさせられました。

一つの楽器を極めることはとても楽しいことだけれど、楽器をやる人は楽しんでばかりはいられないというなんだか妙な切迫した気持ちにもなります。

でもそんな切迫した気持ちでなく楽しむ音楽の大切さ。

楽しむことが大好きな子供も、頑張って上達目指してる子供も、どこでも緊張しちゃう大人も、聴くだけで参加した大人もみんながその場で一つになって音楽を楽しみました。





2015年7月19日日曜日

慢心

自分の実力以上に上手くいくことは世の中ありません。
でも神様が時々チャンスをくれることがあります。
物事が上手く運んだ時はそのチャンスなんだと思います。
でもこれは本当の実力ではないから慢心するとすぐ化けの皮がはがれます。

チャンスはあくまでチャンス。
チャンスを頂いたら、全力で実力をつけるよう努力しないといけません。

私は依頼して頂いた仕事は日程があえば今のところ全部引き受けています。
力がある人は自分の持っている引き出しの中で仕事ができるのですが、私のように今までサボりきった人生送ってきた人間は引き出しがありません。
そうすると自分に出来る事の中で仕事をしようとするとほとんどないのです。
だからせっかくこんな私を信頼して仕事を依頼してくれたのだから、今が力をつけるチャンスなんだとやったことがない仕事が来ても、依頼して下さった方の顔を潰さないようとにかく頑張って準備します。お断りしたら依頼下さった方は別の方にまた依頼するという仕事が一つ増えるわけだし。

だから普段だらけきってる私もこうしてときどきは頑張ります。いや、普段だらけきっているので出来るのかもしれませんが。

内情は、こうやっていつもギリギリのところで仕事をしています。
でもその仕事に慣れて来て上手くいくと、うっかり実力と勘違いしてとたんに慢心します。

仕事の失敗は、力が無い事より慢心の方が大きな原因になります。

2015年7月18日土曜日

生きたい生き方

講義は一番前で聞く

意見は一番最初に言う

拍手は一番最初にする

歌は一番最初に歌う


これが出来なきゃ自分の生きたいようには生きられないそうです。
「ふーん、目立てってことか」と思ったらそうではないみたいです。


一生懸命やっている人の話を真剣に聞く

一生懸命やっている人を応援する

場を自分から盛り上げる

人の目を気にせず自分から行動する

人がやりやすいよう自分から空気を作る


こういうことだそうです。
以前ピアノを人前で弾くのは目立ちたいからと言われてなんだかんだどうだこうだとうじうじ書きましたが、目立ちたいとか目立ちたくないとかいう発想自体が貧しいんですね。この発想を超えないといけないんですね。

なるほど。
自分でやりたいことは自分1人では出来ません。
自分のことばっかり考えて自分だけ良ければいいと思っている人に協力しようとも応援しようと思う人もいないですね。
人を応援出来る人が人から応援してもらえる人です。
もちろん、協力して欲しいという下心で人を応援してもダメですね。

自分の生き様がそのまま返ってくるということでしょう。
人は鏡とは良く言ったものです。
ようやくわかってきました。





2015年7月17日金曜日

ヴァイオリンコンサート

何年ぶりかでヴァイオリンのコンサートに行きました。
良かった…。
すごい、音が豊かで…。

ヴァイオリ二ストはグラーフ ムルジャさん。
プログラムはパガニーニのカプリース全24曲。
素晴らしい演奏でした。

そして作曲家とヴァイオリンを作った人の偉大さに圧倒されました。
あー、すごい。
音楽ってこんなにいいんだ〜〜とやられました。




2015年7月16日木曜日

感謝コンサート 3

9月13日のプログラムがほぼ決まってきました。
多彩です。


ピアノソロ、ピアノ連弾、ソプラノ、テノール、クラリネット、ギターデュオ、音楽朗読。

ジャンルは日本のもの、ジャズ、映画音楽、クラッシック。


きっと楽しいと思います。
やる側もワクワクしています♪





2015年7月15日水曜日

相談で試される

仕事では、できるだけ色々な方に相談する よう心がけています。
でも最終判断は自分の直感でします。
すると半分は失敗します。
プライベートはほぼ人に相談しないのですが8割方成功です。

仕事ではもっともっと相談したいのですが、誰に、何を、どんな風に相談していいかがわかりません。経験が足りません。仕事はお金が生じるものなので、本当は何万もかかるような相談をむやみにしたら申し訳ないし、かといって未知の金額で解決してくれるところに丸投げするお金もそれに値する信頼できる相手も今のところ持ちあわせていません。

プライベートの8割の成功に客観性はありません。
2割は人に迷惑をかけた分差し引きました。
人から見たら「8割失敗」な人生かもしれません。

何かあると心配して聞いてくれる親切な人もいます。そういう場合は心配させて申し訳ないのである程度話すようにします。

ただ、ほんとは心配してなくて単に詮索して聞いてくる人も、いなくはありません(笑)。そういう人にはほとほと困ります。そういう人に義理で話す必要もないし、恐縮する必要もないのに、なんか話さないとこちらが悪い人のような感じになります。話さないといけない雰囲気になります。本当に心配しているつもりでも、こちらで話す気がないのに食い下がられたら詮索も同然ですから、単に詮索されてるだけなのにこちらが負い目を感じるって、ぜんぜん釈然としませんね。上手くそらしたいところですが、グイグイ来ます。しかも解決策を押し付けて来ます。

そうなると、心配事の内容よりそっちが重くなってきます。
心配事は自分で解決出来ても、イヤと言えない自分の性格が浮き彫りになって試されている気がしてきます。人生思わぬところに修行があります。






2015年7月14日火曜日

老化

芸能人が老けることを劣化というようですが、老化するんだから劣化して当然です。
でも劣化と使われるのはどうも最初がキレイだった人のことのようです。

私は最近暗に「老けた」と言われる機会が増えました。
暗に、というのは「なんか、雰囲気変わりましたね」と言われたり、この間なんか人生ではじめて席を譲られたし。

でも、なぜかそんなにショックでもないんですよね。
美容に気を遣うことのない私はその道を辿るのが必然と覚悟していたかもしれません。
逆におばあさんになれば、気をつかわないで済んでラクとか思ってたかもしれません。

前向きに老化を受け入れていきたいと思います。


感謝コンサート 2

9月13日の10周年感謝コンサートの準備も着々と進んでいます。


私たちピアノ講師は演奏のプロフェッショナルではありません。
どう違うかというと、演奏することより教えることに仕事の比重があるということです。
ピアノの先生はいつもピアノの前にはいますが、実は普通に会社勤めの方と同じく自分の練習をする時間はそんなに取れません。
なので演奏会というくくりに迷いもありました。

しかしそれでもやろうと思ったのは、感謝を「自分たちの言葉で」「音楽という形で」お届けしたいと思ったから。

今まで支えてくれた生徒さんたちに心を込めた演奏を聴いて欲しい
ひととき音楽で楽しい時間を過ごして欲しい
ふだん生の演奏をあまり聴かない人にも聴いて欲しい

ピアノ講師のほか、はじめてピアノの会でのミニコンサートなどにご出演くださった演奏家の方々もご出演下さいます。スタッフも出演者も全員無償ボランティアです。
そのための練習も合わせも仕事の合間の貴重な時間を割いてくれています。
賛同協力してくれるスタッフや出演者の方々あってこそ、です。

会員の方が「ここに入会して良かった!」と誇りが持てるような
普段あまり生演奏を聴かれない方が「いいもんだな、、、」と感じてもらえるようなコンサートになるよう頑張ります。


コンサートは入場無料ですが、入場券が必要になります。
お電話またはメールでお申し込み下さい。

☎️   042-316-4250

📩 info@hajimetepiano.org







2015年7月13日月曜日

思うピアノ 考えるピアノ

音楽は情緒的で音は思いで奏でると思われがちですが、実際演奏する側には『緻密に考える』作業が欠かせません。


音楽は芸術です。好きな相手に「好きだ好きだ!」とわめき散らすまたは泣き散らすことはあってはなりません。

音楽は言葉。
一つ一つの音を吟味して「この想いの時は果たしてどんな言い方をするだろうか」と考えるのです。
激しく思うとき、たとえば大きい声で言うだけだろうか、それとも思いが深ければ深いほど声にならないそんな状況じゃないか、なんでもないフリをしてしまうかもしれない、、、そんなことを考えます。

ではそれは好き勝手に想像を巡らすことかというと、そうではなくて楽譜に書かれていることを読み解くのです。
ABAA'の形式のとき、何故こんなにAを繰り返すのか、人と会話するとき、同じことを何度も言うのはなぜか考えればわかります。
音が上がっては下がり上がっては下がり、最後にやっと上がっている音型からは、気持ちの変化が読み取れます。

自分の思いというより、普遍的な人間の思いが描かれているのが音楽です。
独りよがりにならずにそれを表現するには、何と言っても考えることです。
そして考えたら次に必要なのは、それを表現する技術に他なりません。

私のような未熟者にはそれは大変難しいことですが、そこは技術ありきを面倒くさがらず実践していくしかありません。

高い表現には必ず豊かな感受性と高い技術が必要ですし、豊かな感受性と高い技術無くして高い表現は出来ません。
思いつつ考える。
芸術への畏敬の念が年々深まります。







2015年7月12日日曜日

ハノンの悩み

ハノンの練習では皆様色々な悩みがあります。


一番多いのは「私は4、5が弱いんです。動かないんです。」ですね。4、5はそういう指です。人間なので全員そうです。
次に多いのは「指が短い、曲がっている、手が小さいので弾きづらいんです」のような手や指の問題。これもよくある事です。
確かにオクターブの連続は難しい。でも脚が短くてもO脚でも走れる。
あとは「全体的に力が入って疲れてしまう」。
これもみんな通る道です。ゆっくりなら弾けるけど速くした途端力が入る。


ハノンは指を鍛えるトレーニングですが、やたら動かすというアクロバティックなことに挑戦していると何より音が汚くなったり、力が入り過ぎたり、その挙句手首や肘を痛めることもあります。

かくいう私もそのような使い方をして手を痛めた経験者です。
メトロノームを一つずつ下げていき、とにかく勢いで弾く。
この練習は上手くいくと速く弾ける(笑)。
でも出来にムラがあってコントロールのきく指には到底ならない、
その上、手や肩が痛くなる。

4、5の指のことも、手の事も、疲れるとか、コントロールを効かせるとか根本的な解決は脱力しかないんだと思います。関節が元々強い人は脱力してなくても痛くならないし、緊張してても若いうちは弾けるらしいですが、年を取るとやっぱり弾けません。私は元から関節が弱いし集中力がないので若いうちから弾けませんでした。

ただ脱力に関しては、you tubeなど見ても色々なアドヴァイスがあって真逆のことを言ってたり混乱します。先生によって言うことが違うのはよくある事、日常茶飯事です。私も昔はだいぶ混乱しました。

陸上でも水泳でも走法や泳法が人によって色々なようにピアノ奏法もひとつではありません。色々なやり方を見聞きした上で、論理的にも実践的にも自分がやりやすいしっくりする脱力の方法を学ぶしかないと思います。

転がるような粒の揃った軽やかでそれでいて響く音は、ピアノを弾く人のあこがれです。
でもそれを手に入れるには、ハノンをがむしゃらに弾いてもほど遠いです。受け身でやっていてもダメです。
めんどくさいですが、一度立ち止まって自分に向いている奏法をじっくり探り、「質よく」積み重ねることが大事だと思います。








2015年7月11日土曜日

こどもにピアノ

「大人にもピアノを楽しんで欲しい」そう思ってはじめたはじめてピアノの会ですが、時代は変わって今、子供にもピアノをやって欲しいと言わないといけなくなりました。
確かに大人からでもピアノは楽しめます。でもこどものうちにやっておくと後々ラクなんです。


私自身はピアノを続けるのが大変だった、嫌だった。
でも今大人になって、ピアノをやれた有り難さがしみじみわかるようになりました。
「先生は幸せですね、小さい頃からピアノが出来て」。
そうでした。本当に恵まれていました。

大人の方は、ピアノが大好きなのに「リズムが取れない」「覚えられない」「耳が悪い」「音程が悪い」「指が動かない」「関節が硬い」と悩みはつきません。
音符は読めるのです。楽語もわかるのです。目に見えることは出来る。でも目に見えないことがとても難しい。

子供のときに習ったって、一生懸命やらなければすごいピアノ曲は弾けない。でもピアノのいいところは、ピアノだけじゃなくて音楽全般を楽しむための準備をする事が出来ること。楽しみたいと思ったとき音楽の下地が出来ている。そんな音感練習は、そのとき花開かなくても必ず役に立つものです。

音楽のない世界はないから。これからもずっと世界に音楽はあるから。

こどももピアノを始めて欲しい。
こどももピアノを続けて欲しい。
と心から願います。


2015年7月7日火曜日

おんがくパーティ

次の日曜日は三郷のおんがくパーティです。

おんがくパーティはいわゆる音楽のお楽しみ会。カジュアルな発表会です。
ちびっこのリズムアンサンブルから70歳を超えた方のピアノソロまで、それぞれが「音楽をたのしむ!」という感じ。
上手に出来ることよりやることが楽しい!そんな感じ。

ピアノは1人であの大きな黒い楽器に立ち向かわないといけないのでどうしても緊張しちゃいます。
どうしたら緊張しないかは、私もわかりませんが、少し気楽なステージから始めるのもいいと思います。

鑑賞やお茶会だけも受付中です。
info@hajimetepiano.org



2015年7月6日月曜日

断捨離?

不要なものを棄てて執着をなくすことだそうです。
不要かどうかの判断は「3年使わなかったもの」「ときめき」などの判別の方法があるようです。


私は整理整頓は非常に苦手ですが、物はあまり多くありません。買い物に行かないのと収納が面倒くさいので『使わないかな』と思ったら捨てちゃうからです。中学の頃、2、3年で使う教科書を2年が終わった春休みに捨てて、慌てましたが、すでに卒業している物持ちの良い姉が大事に教科書を取っておいてくれたので助かりました。

断捨離という言葉自体は面白いので使いますが、実際それをしなきゃという意識はありません。ものが少ない方が良く暮らせるというのもちょっと釈然としません。

不要なものもあっての人生。
家の中で、昔昔の忘れていた不要な長物を見つけた時のワクワク感。
人それぞれですが、私はなんかそういう家の方がずっと情感豊かに暮らせると思います。

若い頃はなんでも白黒つけたくて、必要不必要、好き嫌い、付き合う縁を切ると極端に分けて来ましたが、今この歳になってすぐに結論を出さず、まぁいいかと引き出しにしまっておく大切さも感じます。

断捨離が性格に合ってる人は言われなくてもきっとやってる。
物を持ち続けるのが合っている人は、部屋が見た目きれいじゃなくたって別断、断捨離しなくてもいいんじゃないかと思います。人のために暮してるわけではないんですから。

そういう方には、持つことが悪いみたいな風潮に惑わされず、大事に物を持ち続けて自然に暮らしていただきたいです。ある日それで妹が助かるかもしれません。







2015年7月5日日曜日

いつ役に立つか

今役に立たないものは後回しになります。あわよくばやらずに済ませようとします。


私は、役に立たないとわかっているものに時間とお金を使うなんてそんなコストパフォーマンスの悪いことはしない性格です。ダラダラする時間を何よりも大切にする私がそんなムダなことするわけありません。

なので役に立たないことはやらないか、嫌々泣きながらやって生きてきました。しかしここに来て「こんなことして何になるの?」とかつて思ってしかたなくやっていたことに非常に助けられています。
あるいは「これは全然役に立たないのはわかってるけど、好きだし〜」とやっていたことが意外にも役に立っています。

限られた人生の中で何をやって何をしないか取捨選択は難しいですが、私が得た教訓は「なんでもいつか役に立つ」「好きなことはやっておけ」です。

いつか役に立つ。つまり今やっておくと後でラクが出来る。
そして好きなことは思う存分、、、は難しいけれど、出来る範囲でやっているとある日役に立つ。そこからいい出会いがあったり仕事に繋がったりただただ生き甲斐になったり。好きなことをやるってちょっと後ろめたさがありますが、好きなことをやっている人の方がいきいきしてて、嫌なことばかりやっている人より断然魅力的。つまり自分だけでなく明るい世の中のためにもなるのです。

私は教訓を生かし「目の前のことはとりあえず責任を持ってやる」「大好きなことはやる」「後の時間はダラダラする」の3本立ていこうと思います。

2015年7月4日土曜日

トイストーリー3

テレビでやっていました!


私の大好きな映画の一つです。
忘れていたことを思い出させてくれます。
人にはこんなに感受性があるんだと思い起こさせてくれます。
バービーとケン、このユーモアのセンスも大好きです。

なんでこんなに豊かなんだろう。。
アメリカ映画は単純で好きじゃない方も多いですが、私は大好き。
バットマンもスパイダーマンもスターウォーズも。

半年ぶりにみたトイストーリー3。
仮想の世界なのにリアルな感情に終止笑い、泣き、切なくなり、温かくなりました。
汚れきった心がほんの少し洗われました。

2015年7月3日金曜日

畑はありません

先日、土を耕すのが好き、と書いたら「畑借りてるんですか!?」と聞かれました。
いえ、シャベルで、ベランダの土掘ってるだけです。


ベランダに土を入れた小さな一畳のお砂場みたいな庭があります。
深さは12センチくらい。
東京ドームを作った会社の『庭』ですので、排水なども完璧です。
一畳でも色々なものが出来ます。
冬は生ゴミ処理機の堆肥を混ぜて肥料作り。
これから夏にかけては野菜をたくさん作ります。

楽しいです。



2015年7月2日木曜日

イングリッシュガーデン




最寄り駅への道のサイドです。



イングリッシュガーデンと言っても過言ではないくらいすてきです

とても手入れが行き届いています
 



     色とりどりの葉の中にちょっとだけお花

     この様々な葉の形状と花の形状!


 
葉っぱの色も花の色も

葉っぱの質感も花の質感も

全部違って全部マッチしている












近くにこんな素敵な小道があって、私はますます出掛けなくなります。













 

2015年7月1日水曜日

ピアノの指とバレエの足

「指を動かす練習」のつもりが手首、肘、肩を酷使する練習になっていることが多いです。そのあげく痛めてしまう方が多いです。

指先を使うと言っても、ピアノはPCのキーボードを叩くのとは全然違います。キーボードは触れれば入力出来るし、入力の途中で考えたり確かめたり止まることも出来る。ピアノはそうはいきません。間違えてもdeleteはありません。

ピアノで指を使うということは、バレエダンサーの足を想像していただくといいと思います。
バレエダンサーは上半身も下半身も腕も手も指先も首も頭の先も顔も鍛えています。しかし何より正しく美しく「足」を鍛えなければいけない。脚もですが「足」。全体重を支える「足」、正しい重心が乗る「足」、柔軟で強いしなやかな「足」。これを作らないと大きなけがになったりきれいでなかったりします。

ピアノも全身運動ですし、肩、肘手首ももちろん使います。
けれどやっぱり直に鍵盤に触れるのは指ですから「指」を鍛えないことにはお話しになりません。指を動かす練習をしている方の多くが無理に指を動かそうとして手首や肘を酷使する練習をしていることが多いようです。つま先や足裏を鍛えないでジャンプしたり回転したりするバレエダンサーのようなものです。

バレエダンサーのつま先や足の裏が弱かったらあのジャンプや着地はどうなるでしょう?ドタンバタンではバレエじゃなくなるし、膝とか腰とか痛めそうです。
ピアノはコレが「指」なんです。
ドタンバタンまではいきませんが、打鍵バタバタで弾いてたら『美しい音』が出るわけありません。


美しい音のために肘肩手首の安全のために、バレエダンサーの足先のようにコントロールのきくしなやかで強い「指」を作りたいものです。