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2016年4月30日土曜日

好きな事は化ける

続ける事は容易ではない。
精神的にも肉体的にも経済的にも人間関係も何も問題なくは続けられないでしょう。

でも続けると必ず変化します。嫌いなことでも何かが変わります。

まして好きなことなら続けると化けます。

こう言ってる私がなんでもちゃんと続けてるかというと違います(笑)。
好きな事でも理由をつけてやめて来ました。ピアノは流れでやっただけで、好きだった絵もアッサリやめてます。ぐうたらなので。嫌いな事は言うまでもありません。
だからこそ、続けるのは大事だなぁ〜と思うのです。

続けることは、好きの気持ちもなくなるくらい大変でしょうけれど、好きなら続けて欲しいです。化けるまで続け続けて欲しいです。


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2016年4月29日金曜日

習い事と才能探し

親が子供に習い事をさせる理由は生涯の趣味となるものを、という思いが大半でしょう。が、「才能探し」の面もあると思います。


幸せに豊かに生きて欲しいから、好きな事をして生きて欲しい。
そしてあわよくばそれを職業にしてお金を稼げるようになって欲しい。過激な表現ですが要するにそうでしょう。得意なことを伸ばす、というのは究極そういうことです。

でもこう言っては身も蓋もありませんが、才能はそんなに転がっていません。人にはそれぞれ才能があると言いますが、その場合のそれぞれの才能とはそれぞれの個性であって、世の中で羨望のまなざしとなる才能は滅多な人にはありません。

才能のある人はほっといてもその道に行くようになってると私は思っています。
何故なら才能は目立つから。
人と違うから。
天は二物を与えずと言いますが、世の中で抜きんでて活躍している人は皆、最低二物以上持っています。女優さんだって綺麗なだけのようで、セリフを覚える頭や朝から晩まで撮影できる体力や周りとちゃんとやれるコミュニケーション力などなど、2つどころか4つ以上の能力を持ち合わせています。というよりたった一つの才能ではその才能は上手く活かせないんだと思います。だから最低2つくらいないと相互作用が起きない。
それが才能です。
ピアニストを見てても、そうです。

じゃあそんな羨望の眼差しになる才能がない人はどうするか、というと豊かに幸せに生きていく自分にあった趣味と「一つのことを続ける力」だと思います。才能がなくても続ければ何かになる。自分の成長としてもそれは十分な効果だし、才能がなくても続ければ結果として職業になることは私が実証済みです。

習い事は、色々試してみるのも楽しみとしてはいいですが、始めたらやめない、やったからには続ける、という教育も大事だと思います。
楽しそうに見えることでも本当はすごく努力が必要なことがわかる。
続けると力になる事がちゃんとわかる。


実際には第3者だから言えることなんですけどね。








2016年4月27日水曜日

めんどくさい道

クラッシックは歴史が長いので時代によって様式が違います。
それがクラッシックの味わいです。


5月1日(日)午前 都内

「みんなに弾ける原曲と音楽史講座」

を開催いたします。
原曲は大きな曲ばかりではありません。無理をして大きな曲を弾かずに小さな素敵な曲を知って是非丁寧に弾いてほしいです。


「原曲と音楽史の講座」も今回で3回目です。
が、毎回内容が変わっています(笑)。
皆様の反応を見て変えています。というと聞こえがいいのですが、なんか毎回同じだと自分がつまらないので変えたくなっちゃいます。
レクチャーも曲もさらにステキになりました。
ですので、前回出られた方もよろしかったらまたいらしてください。

自分で言うのもなんですが「ピアノを弾くのにこの講座を聞かずにどうする?」という内容です。
今回講座をするにあたって、体系的に整理してみて改めて感じたのですが、音大では普通に学ぶ音楽史と子どもだったら避けようがない原曲を大人の方は普通に何事もないようにスルーしているってことです。レッスンでちょこっと話すことはあっても、曲の指導で時間はいっぱいいっぱいなので、本当に何もお話できていないに等しいです。レッスンで話してくれ、って思うかもしれませんが1回の講座でも足りないくらい深〜いお話。レッスン内では無理です。

つまりはある意味、音楽史を知らなくても原曲でなくても、ピアノは楽しく弾けるてるってことです。ただそれはいわば泡立て器で混ぜたお抹茶を飲む茶道のようなもの。手順を追ってその所作を楽しむことに意味がある、そのめんどくささこそが道なのです。


クラッシックのめんどくさい道。
是非知りに来てください。







心優しい音楽家


心を育てる音楽。
ですので音楽家は心優しい人ばかりです。

しかし、心優しいんですけど、強いです。
強くなるのは仕方なくて、小さい時からダラダラしたい、こんなもんでいい、別の事がしたい、という心にムチ打って闘って来たので、いやでも強くなるのです。

そして一つのことを専門的にやるということは、脳も時間も多くの部分をそこに使わなくてはいけないので他の事に脳が使えなくて、つまり性格がとても偏っています。

強くて偏っているとどうなるかと言うと、闘ってない人に対してとかく厳しいです。努力しない人に対して徹底的に厳しいです。10回やって出来なければ11回、100回やって出来なければ101回やりなさいと小さい頃から言われてきました。それをやって来ました。なので、ほどほどやって「やっても出来ませ〜ん」というやったうちに入らないようなやった人にはとことん厳しいです。何しろ偏ってるのでこれだけは見過ごせません。徹底して追求します。

心を育てる音楽。
ほんとは皆とっても感受性豊かで愛に溢れて優しいのですが、強いばっかりに、偏ってるばっかりに誤解されます。厳しいのと冷たいのは違うんです。やって来たからこそ、ほんとにやっても出来ない事が沢山あることもわかってる。そこはしつこく追求しない。人それぞれということがようくわかっていてみんな優しくてとっても楽しい。

世間の皆様にもこの事をゼヒご理解いただきたいと思います。






2016年4月26日火曜日

目の前のことを

こんにちは。
ようこそお越しくださいました。
いつもお読みくださってありがとうございます。

地震の大きな被害に、多くの人々が胸を痛めています。
また、世界では、戦争や飢餓や、事故や事件も含めて、自分の力ではどうしようもないことに困ってらっしゃる方もたくさんいらっしゃいます。

でも。
不謹慎かもしれませんが、大きな災害や事故の大多数の方へ思いをよせることはもちろん大事ですが、こんな時だからこそ今自分が置かれている状況で目の前の問題にちゃんと向き合いこなしていくことも大事だと思います。不思議なもので人間は遠い人には優しく近い人には厳しい(笑)。

大きな災害があると、皆親切で人の役に立ちたいと思い行動します。
人の役に立っている実感は人間にとって一番の喜びです。
でも一番じゃない行動もしないと。

大きなネガティヴな波にのまれて、不謹慎狩りとかなんとか皆がネガティヴになりがちな今、まずは目の前の決まった事をこなそうと自戒しています。


と、スマホで書いてるソバから電車乗り過ごしてしまいました。。
レッスンぎりぎりです。

2016年4月25日月曜日

音楽は変化する

絵や文章は発表しちゃうとそれが完成品になってしまいまいます。
同じものを違うように描いたらそれはもう別の作品だし、小説を同じストーリーで文体だけ変えているというものは存在すらしませんね。
その意味で絵も文も完成品です。

それに比べて音楽はなんて自由でしょう!
20歳でCDを出しコンサートもしてたくさんのお客さんに聴いてもらっても50歳になって「20歳で弾いていたショパンはショパンじゃなかった」とか平然と言って違う弾き方で同じショパンを弾く。
聴く方も「以前は技術に頼っていたが今は円熟味が増した」とか言って同じショパンを暖かく聴いてくれる。
変化が前提です。

こんな芸術って他にないですよね。
一生未完成とか言ってますが、未完成のもので公然とお金をもらえるってある意味すごいです(笑)。

これを考えたら音楽家がしつこい理由がわかりました。
「もう終わったことじゃん!」ってことを「いや、、あの件はまだ終わっていない、、」と蒸し返す。
「え?決まったんじゃなかった?」ってことを「いや、、あの時はそう思ったけどやっぱりこっちのほうがいいでしょ」と手のひらを返す。
絶対のものは絶対だけど、絶対の部分と絶対じゃない部分がちゃんとあって「これは絶対じゃないよね」って部分を大っぴらにくつがえす。

音楽をやっているからそうなったのか、そんな性格だから音楽をやっているのかはわかりませんが、変化はするもの、変化はさせるもの、そんな感覚が音楽をやる人には根っから染み付いている気がします。

周りは振り回されている感があるかもしれませんが、音楽家に状況を見て、周りを読んで、周りの出方に合わせて指示しなくてもパッと行動できる人が多いのは音楽のこの性質の気がします。

と自分を正当化してみました。



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2016年4月24日日曜日

マイナスの積み重ね

トラウマやコンプレックスは持っていない方がいいと思ってました。
でも人それぞれのトラウマたちがあってこそその人の人間関係が築けるんだろうなあと最近思うようになりました。


もし、そのトラウマたちがなければ出会わなかった人、もしそのトラウマたちがなければ感じなかった思い、そんなものがあってこその縁。トラウマもコンプレックスも辛い感情ですが、だからこそお互いに助け合って補って解決していけるのかもしれません。

何もないのが一番!ですが、何もない人はいません。マイナスの積み重ねが人生。
でも傷ついた部分を癒したり癒されたりしながら自分を知って自由を獲得していくのだと思うとなんか悪くないですよね。

マイナスをちょっとずつ挽回していくのが人生の醍醐味だ!、と言っておこうと思います。

2016年4月22日金曜日

音楽のかたち

最近は色々な形のコンサートを見かけるようになりました。

コンサートが今のような形になったのは、コンサートがビジネスとなったからでしょう。知名度の高い音楽家が大きなホールでコンサートをやるのは、1回でたくさんの人に聞かせられちゃうから。一回分の出演料ですみますからね。だからと言ってクラッシックのピアノのコンサートでマイクを使われては台無しです。

コンサートに限らず芸術も時代に握られています。時代に勝てるものはないですからね。
音楽の普及も楽器の発達も政治や経済と密接に関わっています。
いいように使われている部分もあるし、いいように使ってる部分もあります。
共存共栄ですかね。

今の時代にクラッシックってどうでしょう?
時間はかかるしお金はかかるし死にものぐるいの努力もいる。

飛行機でスイスイどこにでも行ける時代、ケータイでスイスイ情報を集められる時代、こんなに時間のかかるもの誰が好んでやるでしょう?
だいたいそんな複雑なものより、みんなノリがよくて歌詞が実感出来るものが聴きたい。
やるのも大変、やっても需要はない、、。

でも、いいものは時代を超えて人の心の奥底に響く。
400年かけて、もっといいものもっといいものと時間とお金と莫大なエネルギーをかけて、楽器も演奏者も極めてきたクラッシックです。
いいものはちゃんと認められる。

認められる、はずだけど(笑)、でも時代に沿った在り方は必要ですね。
提供する側が、時代と人にあった在り方で伝えていくことが大事です。とくに子供には。

人間は楽をしたい生き物ですが、どんなに苦労してもいいものを目指したいという向上心も持ち合わせています。
共栄共存のクラッシックを目指していきたいと思います。









2016年4月20日水曜日

感動はカタルシス

感動はカタルシスです。


昔、感受性が豊かなことは傷つきやすいことではないか、と思ったことがあります。人は鈍感に育ったほうが生きやすいのではないか、と思ったことがあります。

でも。
傷つくことだけでなく楽しいこと嬉しいことを感知するのも感受性だと今は思っています。傷ついてもそこから回復する力はまさに感受性だと思います。そして嬉しいとか楽しいとか以上の感動という感情。これこそが感受性だと思います。
感動すると、心の中に溜まった澱のようなものが浄化されますよね。

字を覚えたり計算できるようになると生きていくのに便利です。
でもだからって、感受性より大事ってことはありません。
まだ教育の進んでいない発展途上国では字を覚えたり計算できるようになることが教育の目的でそこには夢が溢れています。ですが実際はそれで人が幸せになる訳ではない。逆にストレスで競争で自分を失っては本末転倒です。人間は複雑なようでシンプルですよね。

子供を見ているとみんな素直で感受性が豊か。だから大人になってもその心をそのままを保てればいいのですけど、経験を重ねると、楽しい事だけでなく辛いこと悲しいことに遭遇する。そうすると傷つきたくなくて傷つかない心に変えてしまう。悲しくても辛くても傷つきやすい心のままでいることが、楽しみや感動も感じられる心でいることなのに、そうはできないのが人間の弱さ。こどものように感受性豊かで素直でいるというのは、とても難しい。

だけど、マイナスに振れるときがあってもその分プラスにも振れる感受性。
感動できる心は、剣よりもペンよりも強い武器だと思います。


2016年4月19日火曜日

美しい風景

美しい音楽とともに美しい景色は、心を洗います。






桜が散った日、誰もいない公園は少し寂しかったけれど
とっても華やかでした。



雨の中
現実じゃないような
枝にも地にも桜が咲いているような
そんな日でした。


















2016年4月18日月曜日

魂の薬

音楽は魂の薬だそうです。

音楽に限らず、映画でもスポーツでも感動して涙を流すと心が洗われるのは気のせいでなく、魂に効いているのでしょう。

世の中には大切なことがいっぱいあるけれど、感動することが人を救うことがある。助けることがある。音楽がきっかけで広がる世界もあります。

音楽を職業とするものとして、いつも考えなければいけないことです。
多くの方が音楽で心癒されますように。
音楽で元気になりますように。

2016年4月17日日曜日

3月の終わりに九州に行きました。
熊本も訪れました。

季節はちょうど菜の花と桜が同時に咲く時。
里があり山がありその中に瓦屋根の家々がまだ多くありました。九州弁がそこに彩りを添えてくれてまさに日本の風景でした。

私は、ゆかりがなくて関東以外に住んだことがありません。
海があって山があるようなところに住んでみたいと思いますが、年とともに保守的になり新しいところに住むのは勇気がいります。
それは地域だけでなく家も。
家はまさに自分を守ってくれる殻です。

その安心する家を地震や諸事情で失ってしまった方はどれだけ不安な状況でしょう。
人間の力の及ばないことも多々ありますが、不安が少しでも和らぎますことをお祈りします。


2016年4月16日土曜日

流れ

天災や事故、病など苦難に遭われている方にお見舞い申し上げます。


大きな地震がありました。
そのニュースの合間に事故や事件の報道があります。
ピアノの会ではご病気になられる方がこのところ相次いでいます。

同じ時間は続かないのだ、と実感します。
以前、東北の地震の時に自分にできることは何だろうと考えていたらなにもしないまま歳月が流れ何も出来ないままになってしまいました。

一人一人感情があって一人一人の生活がある人間。
でも大きな流れの中にあっては、点のように小さな小さな存在なのだと思い知らされます。


2016年4月15日金曜日

山あり谷あり

自宅の模様替えをしています。
なので物が山積みになっています。
なのであちこち行くにも物を超えなくてはいけません。


そうしたらいつもパソコンの邪魔をしてくる猫が、山や谷を超えて楽しんでいて邪魔をしてきません。
これはいいな、と思いました。

しかし人間がいちいち山や谷を超えるのはあまり楽しくないし、物を取り出すのも大変だし、転びそうにもなります。

今週中に山はせめて丘くらいにしたいものです。

2016年4月14日木曜日

テレビ

テレビで、年金が少なくギリギリの生活をしている方を取材していました。


その方はスーパーで、半額になっているお肉とセールのお野菜を購入しました。
そしてお夕食はそのお肉をちょっととお野菜もちょっと使っておかずを作り、それにごはんとお味噌汁です。残りのお肉やお野菜は翌日以降のお食事のためにとっておきました。
インタビューの記者のナレーションはいかにも悲壮な感じで、お食事が終わると「簡単な食事を終えた」と言い切りました。

さすが毎日節操がないグルメ番組を作っているテレビ局、単純で乱暴です。
食事とは命を頂くもの、簡単って言い草はないですね。
お肉とお野菜と、充分なお食事です。簡単でないです。ありがたいお食事です。

そもそも経済的に贅沢な食事をいただくことがいい老後でしょうか?
「そういうことを言いたいんじゃない」とか言われそうですが、だいたい本人の思惑とは違うところに本性を見ちゃうものです。

そろそろテレビ離れしようかなあと思いました。




2016年4月13日水曜日

自立とは

「33歳で結婚して子供ができて自分は自立したという自覚が湧いた」とある方がおっしゃっていました。


しかし50歳くらいの時「あの頃は何にもわかっていなかった。自立なんて全然できていなかった」ということがわかったそうです。経済的に自立すると、一人暮らしすると自立したと思ってしまうものですよね。

20歳を過ぎると精神的に経済的に少しづつ大人になっていきますが、それはあくまで大人へのスタートラインについたってことです。20歳くらいで語っていることは幼稚園児が赤ちゃんから子供になってその気になって喋ってることと一緒なんですね。

その話を聞いて、なんか気持ちが楽になりました。
30歳、40歳と年齢だけだと「もういい大人が」と思いますが、自立を人としての人格の確立と捉えるとそんな歳くらいで自立した大人たるものになれるわけないんですね。

人生は短いから私などきっと自立がわからず、できず死んでいくのかも。本当のところ自立の意味も全然わかってませんし。

でも自立ってピアノと同じでできることじゃなくて目指すものかも。
「自立した大人」は到達しがたいそびえ立つ山かもしれません。




2016年4月12日火曜日

実力があるから特別扱い?

バドミントンの選手が闇カジノに通ったということで、その選手をオリンピック指定選手から外したそうです。


これは上層部も実際、口惜しかったことでしょう。悩みに悩んだでしょうね。
せっかく世界二位なのに出さないなんて考えられない、でも悪いことをしたら罰するべきだという声、その声を無視してオリンピックに出したりしたら甘いだなんだと責められる、これは悩むでしょう。ほんとは出したかったと思います。暴力とか詐欺とかの犯罪じゃないし闇カジノくらいなら…という思いもなくはなかったと思います。でも、なんだかんだ世間体を意識しての決断だったと思います。

私だったらどうするかというと、世間の声が怖いのでもちろんそうします。

選手は21歳、まだ子供ですね。
でも今回のことでだいぶ大人になったことでしょう。
オリンピックに出られなくなったのは自業自得とちゃんと理解してきっと東京オリンピック目指して頑張ると思います。

でももし、もし今回それでもオリンピックに出られることになったら、、、。

きっと出ない以上に反省して、死に物狂いで金メダルを取ると思います。
世界一位二位になるくらいの人なら、必ずそうすると思います。


そうです。
天才なんですから、そういう天才は特別扱いでいいんです。
私みたいな凡人がこの状況で「世界一位になるお前だから特別扱いだ、オリンピックに出て来い」なんて言われたら、それはもはや拷問です。絶対金メダル取らなきゃいけないわけで、もうプレッシャーで夜も眠れず何も食べられなくなります。だれも不幸にならないアクシデントが起きて、会場の電線をねずみがかじって会場が使えなくなるとかで中止になりますように、って練習する間もないほど間違いなく本腰いれてお祈りしまくるでしょう。

もちろん天才も人間。どれだけのプレッシャーかは計り知れません。
でも世界一位二位になる人だから。
その重いプレッシャーを力に変えることがきっと出来る。

信じてあげることが、一番の反省。
若者には、ピンチをチャンスに変えるお手本になって欲しいです。







2016年4月11日月曜日

三つ葉

暖かくなって三つ葉が生い茂っています。カゴいっぱいに収穫しました。
少量なら汁物に使いますが大量なのでおひたしです。
葉っぱも大きく茎も柔らかいです。





恵みに感謝して美味しくいただきます。











2016年4月10日日曜日

宗教はたいてい良いことを言っているので、自分がいい人になろうとするほどハマってしまいます。

ただ、宗教は素晴らしいことを言ってますが、自分はそうは思はない、という教えが大抵一つは含まれています。私が知ってる宗教で私の考えと似ているものはあっても全く一緒というものはありません。でもハマるとそうは思えないなんて言えなくなります。違うんじゃないかなぁと思いながらまあいいかと見て見ぬふりをするかすっかり信じ込んでしまう。それが嫌です。というより宗教にお金がかかるのが一番嫌なんですけど。中には自分とぴったりという方も多少のお金も使おうという方もいると思うので、他の方が信仰するのは自由です。

というわけで私には信仰する宗教はありません。
けれど、神というものはあると思っています。
私は確かに生意気ですが神には純粋に畏敬の念を持っています。
神を別の言い方にすると「自然の摂理」です。

因果応報というとバチが当たる感があって怖いのでそんな大それたことでなく、私にとっての神は重力のような川の流れが上から下へ行くようなそんな存在です。






2016年4月9日土曜日

カフン

今日はカフンがすごかったです。苦しかったです。

こんなことって100年前は想像もしなかったでしょうね。
まさかカフンに人類が苦しむなんて。

もっと便利に、もっと楽しく、もっと幸せにー

それを追求したら、こんなことに。。


今はまだ出現してない何かがこの先やって来るかもしれません。
逆襲は意外なところからやってきます。








2016年4月7日木曜日

人は変われる

人の器は変えられない、と昨日書いたばかりですが、大きさを変えることで中身を変えることは出来ます。


どこから見てもきちんとしてて、レッスンでも私が話すことをいつもメモして下さるとても几帳面で意欲的な大人の生徒さんかいらっしゃいます。
その方はとってもポジティブです。
でも「私、若い頃はすごく気にするタチだったんです。変わろうと思って変わったんです」というお話を聞きました。
驚き、そして感動しました。
てっきり元々ポジティブで自然にそのようになさっているのかと思っていました。
聞いてみなければわからないものですね。

私も変わりたいところいっぱいあります!
そのためには器を大きくしないと!
じゃあどうしたら器は大きくなるかというと、思考と経験を積むことだと私は思っています。変わらないかもしれないけれど、変わろうとするだけで思考は絶対変わるから。


4月は新しいことが始まる季節。
新しい気持ちで頑張りましょう!

今日も読んでくださってありがとうございました。














2016年4月6日水曜日

生まれつきの器

アメリカ大統領候補のトランプ氏へのインタビュー。
「どうやったらビジネスで成功しますか?」と尋ねたら「野球や音楽と同じ。ビジネスで成功するのも一握りの特別な才能」と言ってました。

TEDというプレゼンテーションの番組でモデルのキャメロンラッセルさんが自分がモデルになれたのは「顔立ちのよい白人に生まれているから」と話していました。



日本人の私たちにとったら高慢な発言にも聞こえますが、でもこんなに本当のことってないと思います。

生まれ持った違いです。
そこに文句をつけたところで、どうにもならないし、自分だって才能のある人や外見の良い人が好きだし、それは人間の本能ですから仕方ありません。
ここははっきり言った方が親切です。

差別はいけない、というのは人間にはそもそも差別の本能があるからあえてそう言わないといけないのです。しかし理性でそれを否定しても、本能で自然にきれいなモデルさんに憧れたり才能ある人を素敵と思ったりする。


例えばピアニストとして活躍するには、ピアノの才能だけじゃなく、ルックス、頭脳
、体力、華やかさ、美意識、非凡さ、などが絶対必要です。なぜかというと人間みんなルックスのいい人が好きだから。頭脳明晰じゃないと職業としてやっていけないから。体力があって継続できるからプロ。華がないと憧れないから。常に美を意識しないと人間だらけちゃうから。人とは違う個性。。ピアノがすごい上手だったとしてもこれらがなければ音楽家としての成功度はぐ〜んと下がる。
そんなもんなのです。それを否定していては先に進めません。

すごい人は皆努力しています。努力の大切さを教えてくれます。でも死に物狂いの努力でトップになる人は、死に物狂いで努力すればトップになる才能も持っている人。これ2倍の才能ですから。

器は広げられるけど別物にはならない。
自分は自分以外のものにはなれない。
残念ですけど事実です。





2016年4月5日火曜日

1日たつと、、。

発表会が終わってまずはホッとしますが、1日たつとああすればよかった、こうすればよかった、なぜああ出来なかったのかこう出来なかったのかと巡ってきます。

まあ、そういうもんですよね、だから続けられる。

一度に全部できればいいけれど欲張りすぎるとその一度を失敗してしまうから、一つ一つやるしかないですね。

その意味でも何回も同じ曲を弾き続けるのは大事だなって思います。
先日のホールの会でも「この曲本番で弾くの3回目です」という方がいらして、「やっぱり100回の練習より1回の本番ですね」と言ってました。
 フィギュア選手は1シーズン1プログラム。
ピアノも同じ曲を何回も人前で弾くと自分の成長も課題がわかりやすいですね。生徒さんの演奏を聴く私も「前回できなかったアレができてる!」とか「コレは難しい」とか分かりやすいです。

難しい曲を次々弾くことも楽しいですが、同じことを繰り返して進歩していくことも楽しいことです。私も頑張らないと!

2016年4月4日月曜日

結果と成果

フィギュアの宇野選手が「練習してきたことを自分自身で否定してしまった」と涙ながらに語っていました。
2位になったワグナー選手は「今までの苦労が報われた」と言っていました。


彼らの努力や苦労は相当なものでしょう。
以前羽生選手も「死に物狂いで頑張った」と言っていましたよね。

でもそれでも結果が出ないことってあるんですよね、残念ながら、、。
努力が大事なことはもちろんですが、でもその先に「努力しても出来ない事」があるのは事実です。

今回、浅田選手は7位でした。
練習では8回中8回成功していたトリプルアクセルが完璧に成功しなかったのは練習の成果が出なかったと言えますし、メダルが取れなかったことも結果が出なかったということだし最年少で優勝してずっとトップを走り続けてきた浅田選手にとって7位は過去最低の順位。
でもご本人は満面の笑みでした。
そして見ている私たちはとても感動しました。
浅田選手の姿は清々しさそのものでした。

そこに私たちは、勝敗だけでないものを見たのだと思います。
浅田選手の時代は終わった、引退した方がよかったのでは?と言われる中で、「復帰しなかったら後悔していた」と言ったあの笑顔。
そこには宇野選手の「結果が出ること」を乗り越えてきた歳月がありました。


人には個人差があり、人にはピークがあり、人には年齢があります。
人それぞれの限界が必ずあります。
その中で自分にできることをする。
それこそが「成果」なんじゃないかと思います。
結果と成果は違う。
成果=勝でない。
人に認めてもらう結果でなく自分が認める成果。
浅田選手の「できるからまだ続ける」という言葉には、優勝できるから続けるとはまったく違う意味の「できる」がありました。

昨日のはじめてピアノホールの会。
多くのピアノ学習者が「人前で弾くレベルじゃない」「緊張していつも通り弾けない」と尻込みする中、ピアノを始めて2年弱の御年85歳の男性が荒城の月で出演されました。「私の時代は男がピアノなんて出来なかった。今はそれができる時代。だからできる限り頑張って出てみたいと思います」と決心して。


「出来る」の重みをそこかしこで教えていただいています。














2016年4月3日日曜日

ホールの会終了!

昨日ホールの会が終了しました。


皆様、無事?練習の成果を発揮されホッとしました。
でもきっと「なんで練習ではできるのに本番はできないんだろう」と思った方も多かったのでは。

これは何回かやると分かります。

1、「練習通りにできるのは相当の練習が出来ていないとダメだ」
2、「練習と本番は違うから、本番を積み重ねないとダメだ」
3、「分相応の曲を弾こう」と。

でもまずはそれが分かったってことが意味がありますよね。それが大切ですね。自分を知ることからなんでも始まります。やってみないとわからない、それが人生ですよね。


私は今回伴奏だけでしたが、進行は今回は二部制だったのと写真撮影があったのとで、いつもバタバタしてますが余計バタバタしました。終わるとああすればよかった、こうすればよかったとたくさん出てきます。
一番いい形がどんなものかまだまだ手探りです。


ご出演の皆様、お疲れ様でした!

2016年4月2日土曜日

さくら

桜が満開になりました。
曇り空に薄ピンク色がにじんいます。
今日はすみだトリフォニーホールで発表会ですが、きっと隅田川沿いはお花見で賑わうことでしょう。


羽毛も鱗ももたざるゆゑに春の夜の宴に絹を纏きて群れゆく    稲葉京子

2016年4月1日金曜日

明日はホールの会

今回はAndanteとBrillanteの二部制です。

Brillanteの部は一般の方もご入場出来ますので宜しかったら是非ご鑑賞下さい。
(すみだトリフォニーホール 小ホール 13:45開演)

出演は4歳〜85歳まで。まさに老若男女。プログラムの最後には講師やアルテアカデミー会員の演奏も盛りだくさん。弾き終わった後はコンサート気分で楽しめます。

発表会に講師演奏やプロフェッショナルの演奏を入れることには少々こだわりがあります。コンサートに行こういうところまでまだいっていない方や自分の意志でコンサートに行けない子どもたちに生演奏の良さを感じてもらいたいと思っています。
また自分が踏んだ同じ舞台で演奏してくれるというのは、大人にとっても子どもにとっても嬉しい事だと思っています。
というのも私が子どもの頃、友人の発表会に行くと友人と同じ舞台で先生が最後に演奏してくれるのがとっても羨ましかった思い出があります。私の先生も私が弾いたあとに演奏して欲しいなあといつも思っていました。
今回は私は弾かなくて恐縮ですが。。


弾かれる方は今日はもうドキドキ💓ですよね。

結果がどうであれ、頑張った時間を誇りに思って下さい。
みんなが「参加して良かった〜」と思ってくれるような会になるよう頑張ります!