ページ

2013年12月31日火曜日

収穫と感謝

今日でこのブログは116回目となりました。
めんどくさがりなので、どれだけ書けるかと思っていましたが、読んで下さる方のおかげで続きました。
ブログは今年の大きな収穫です。ブログから広がったご縁もたくさんあります。ブログ始めて良かったです。
有り難うございました。


口ばっかりで行動が伴わないのが私の恥部ですが、少しでもその差を埋めるよう頑張ろうと思います。たくさんは頑張れないので、ちょ〜っとなんですが。
お年賀状も遅くなります。ごめんなさい。

背伸びをせず欲を出さず身の丈にあったやり方で進んでいきます。

本当に読んで下さって有り難うございます。
来年もどうぞ宜しくお願いします。

2013年12月30日月曜日

2013年ゆく年

1月 
三枝成彰さんと健起さんにいらしていただき、オペラ「KAMIMAZE」の講座をしました。小さな部屋で膝を突き合わせての音楽談義&演劇演出の舞台裏のお話、滅多にない貴重な機会でした。

2月 
オペラ「KAMIKAZE」世界初演観劇しました。戦争をしてはいけない、と胸が痛くなりました。このオペラが世界で上演される事を願います。

3月 
千代田区にて「大人のピアノ入門講座」開催、ピアノサークル「ピアニッシモ」誕生。この時始めた方が10月のサロンの会でデビューしました。またこのブログも開始しました。

4月 
小金井市にて「楽典入門講座」をしました。講師は私と針貝先生。8分の6の拍子の理解が難しい事を実感。コードは「なるほど」と割とすんなり理解いただけた気がします。

5月 
サロンの会会場とお料理決定。このころ皆様の曲決めも始まりました。

6月 
室井摩耶子先生のプログラム決定。最後に東日本復興の合唱演奏のボランティアの方も決まりました。

7月 
「室井摩耶子ピアノ&トークコンサート」200名の定員のところ400名くらいの方からの申し込みがあり、残念ながら沢山の方をお断りしなくてはいけませんでした。

9月 
「第1回アルテ交流会」開催。藤田幹氏が同じメロディーでも左手の和音でこんなに曲が変わるよ、というのを実演してくれました。ジャズに興味を持った方もいました。

10月 
「第1回ピアノ弾き合い会」20名の方がそれぞれの曲を弾き感想や講評を話しました。気軽な場慣れ、今後も続けていきたいと思いました。松本音楽記念迎賓館でサロンの会を開催。初出場の方も多い中、演奏後の午餐会はいつにも増して大変なごやかで素敵な会になりました。駅から遠かったのがちょっと不評でした(笑)。

11月 
一般社団法人になって初めての決算の締めでした。ビジネスとはほど遠い結果を目の当たりにしてめげましたが、あと1年はこのままやってみます。

12月 
「第2回アルテ交流会」。中村誠氏の和音はそれぞれの色があるとする考えに納得。先生の気さくなお人柄で座談会も充実したものになりました。


来年は年明け早々、角先生のコンサートです。
来年はこの会の要、ピアノサークルの充実が目標です!

すぐ挫けそうになる私ですが、出来る事を出来るところまでやっていきたいと思っています。





2013年12月28日土曜日

らくちん

明日はヤマハホールで私の先生のところのピアノコンサートです。
私は出演しません。お手伝いだけです。
皆様の演奏を聴くのがとっても楽しみです!
弾かないというのは本当にラクですね〜。
天国と地獄です。
どれだけピアノが嫌いかって話になっちゃいますよね。
いや、ピアノは好きなんです。
でもこうして怠けるのはすごくすごくラクちんです。
でもこれに慣れると、逃げ上手の私は確実にピアノが弾けなくなりますね。
ちゃんと練習はしま〜す。


中高年のピアノ入門

そういえば!
「はじめてピアノサークル」のご紹介をした事がなかったでした!今日になって気づきました。


はじめてピアノの会は「中高年のピアノ入門」という講座から始まりました。
「ピアノなんて自分の人生にはないと思っていた」という50代〜80代の方々が、ピアノに憧れていた熱い思いをお話し下さって、その姿に心から感動しました。今でもそう言ってくださった皆様のお気持ちが私の支えになっています。

それまでに大人の個人レッスンで感じていた「やめてしまうシニアの方特有の共通点」を克服出来る講座を目指しました。
理解力があるのは大人の最大のメリットですが、大人は体で反応する前に理屈を考えてしまうので体が全然覚えないのです。頭でわかっても、出来る事とは全く別です。そして「いくらやっても(いくら頭でやっても)弾けない」となって、やめてしまいます。

私にいわせれば、弾けないに決まってます。頭で「弾ける」気持ちになっている事がすべての間違いです。耳、肌、体で覚えないと。リズムなどまさにそれです。

私なんて45年やってこのザマです。ただ私は子供の頃、幸いにも頭が働かずこのザマとは気づきませんでした。気づかないまま10年過ぎました。石の上にも3年と言いますが、3年じゃ柿もなりません。桃栗3年ピアノ趣味でも10年です。プロになるには1万時間の法則だそうですが、趣味なら1万時間じゃなくていいです。でも、せめて10年の歳月は必要です。

毎日何時間というより、10年の歳月をかけて耳や肌や心にしみ込ませるのです。頭ではないのです。頭で短時間で簡単に近道して弾こうとする大人の方は挫折または移ろいやすい、というのが私の持論です。

というわけで、はじめてピアノサークルは

「長く続けられる」
「頭ではなく五感で親しむ」
「簡単ではないと思い知る」(こわ!)

ピアノの楽しみ方を追求したいと思っています。まだまだ発展途上の会ですが、この志に共感して下さる方、どうぞ応援して下さいね。

現在都内6カ所、埼玉、千葉各1カ所の地域サークル、それぞれを改めて紹介していきたいと思います。
こちらもご覧下さい。
http://www.hajimetepiano.org/lesson/class.html

2013年12月26日木曜日

才能のなさと努力の出来なさ

「努力する才能」といういい方がありますが、そもそも才能がない人は努力も難しいんです。


努力すれば上達するなら努力も出来ますが、才能が全くないと、最初の0から1に行くまでがものすごく大変で、努力してもまったく上達が見えず、だから努力し続けられないんです。

もちろん、才能ある人でも、やれば出来る時期はあっという間に終わり、あとは努力だけとなるのでしょう。でも「出来る!」という体験が1回もなく、やってもやってもずっと暗闇という才能のなさ。。。これは「努力する才能」以前の問題です。

じゃあどうしろっていうかと言うと、別の分野を探す事かと思います。
サッカーが大好きなのに才能がなさ過ぎて0から1までが大変過ぎる人は、サッカー選手になる事はあきらめた方がいいと思います。けれど、サッカーが大好きという方は、プレイで一流になれなくてもサッカーの周辺で一流になれる才能が隠されていたりします。サッカーを例に挙げた割に、サッカーの事はよく知らないんで、具体的な職業はわかりませんがライターとかスポーツバーの経営とかグッズの企画とかあと経営陣にまわるとか?

いや、今ない職業だって生まれたりします。「好きだ好きだ」って思い続けていると周辺も見えて来て、周辺に0から1までは行けそうなジャンルが現れてきます。そしたらチャンス!1まで行ったらあとは99の努力!(笑)。

「才能がない」とわかるのは実はちゃんとやったからこそ。そしてその分野に才能がないとわかったって事は消去法でいくと才能がある分野がより明確になるってことでもあるのです。

好きなら思い続ける事、好きと言う気持ちと向き合う事、そうすると努力出来る才能の分野に出会えると私は思ってます。







2013年12月25日水曜日

才能と努力と

羽生選手が「練習では出来ている4回転サルコーを本番で出来るよう、もっともっと練習します」と言っているのを聞いて、村上選手が「緊張して足が震えていた」にも関わらずジャンプを成功させるのを見て、私たちが常に「練習では出来るのに」といい訳しているのが、ただのざれ言だと思い知ります。

練習で出来る=本番で出来る

この間の=にどれだけの努力が必要かってことでしょう。

どんなに天才でも同じ人間、疲れたり挫けたりすることもあるはずです。努力したのに日本代表からはずれたり、オリンピックでメダルが取れなかったりと、落胆する事もあるはずです。そんな気持ちに打ち勝って、それでもやり続ける強さに、本当に力をもらいます。やれる事をやり切って引退する選手は、私が何も頑張らずラクして逃げる画策をしていた年齢。。。

レベル90の人がレベル100を目指すプロフェッショナルの努力は無理だけれど、5の自分が6を目指して今の自分より少し頑張れることはやってみようと思った今日でした。

2013年12月24日火曜日

技術と表現と

「表現」と「技術」、プロとアマチュアでは意味が違って来ます。

素人の手作りニットはデザインがかわいいくて編み目が不揃いなのも味です。でもプロのニット師の作品は、何気なくても、編み目が揃って寸法が正確で着やすくてといった最高レベルの技術があった上でのデザインでしょう。敢えて不揃いのデザインとかはあるかもしれません。

プロに関しては技術のない表現はありえません。徹底した基礎と高い技術があってこその表現だと思います。

プロの方がそこにどれだけ力と時間を注いでいるか知れば、素人はそのプロのまねをして、シンプルな編み目で勝負なんか出来るわけがないのです。

なので素人はデザインや素人の味で勝負するわけです。素人らしさは時にプロフェッショナルとは違う魅力を出します。家庭料理選手権という番組で「これは家庭料理というよりプロの料理ですね」と褒められつつ優勝出来なかった方がいました。家庭料理に求められるものはプロの味とは違います。そしてプロのような人とプロでは違います。

素人は技術がないからこその表現が必要になります。私もプロの演奏家ではなく素人です。素人を見下げてるわけでなく、それだけプロは上の上にいるってことです。


2013年12月23日月曜日

表現の美しさ

全日本フィギュアの男子が終わりました。
高橋大輔選手をS席で見ておきたくて、チケット発売開始時間に申し込みましたがダメでした。なのでテレビで観戦しました。


高橋大輔選手の昨日の演技。張りつめた集中力の中、素晴らしい演技で涙しました。
もともと高橋選手の音楽性と言ったら、類を見ません。動きと音楽と心が一体です。

そして小塚選手。スケーティングとはピアノでいう音色や音の粒というような、ジャンプや表現以上の、究極のスケートの美しさという気がします。ずっと見ていたくなります。音楽性は高橋選手のようにはいきませんが、表現は逆にやりすぎてなくて素直で、好きです。

最近のフィギュアでは、「表現」という名の「表情作り」が多くてそれには辟易しています。プロフェッショナルの行う「表現」とは最高級の技術の上に成り立つデザインのようなものだと思います。狂いのない編み目の揃ったニットが下品なヒョウ柄だったら、いっそ無地にしてくれっていう感じです。3流役者のような顔をするくらいなら無表情で滑ってほしいです。変な顔をされると引きます。ちなみに上品なヒョウ柄もありますね。ようは表面じゃないってことです。
アマチュアは別です。

2013年12月22日日曜日

ヤマハシステム

ヤマハはお月謝が高いとか講師の報酬が低いとか弾けるようにならないとか言われますが、これは全部事実です。でもヤマハのシステムにはそれに勝る充分の価値があると私は思っています。


今の私があるのはヤマハのおかげです。ヤマハ音楽教室の生徒としてピアノ人生が始まって、ヤマハシステム講師として働き、その間大事な事をたくさん教えていただきました。


研修で教わり今でも気をつけている事があります。それはリズムとアインザッツ。
子供は耳がいいので、いいリズムで叩くことは勿論ですが、手で叩く時は手が打楽器なので、手の音色にも気を配る事。
はじまりの「さんはい!」みたいのをアインザッツと言いますが、たとえば3拍子なら3拍子の、2拍子では2拍子の、しかも曲想に合ったアインザッツの出し方をする。指揮者と考えれば当然ですが、ただのリズム打ちや個人レッスンでは、忘れがちな部分です。

こんな細かい一つ一つが子供の音楽性を育みます。大人は「何の曲が弾けるようになった」とそこだけしか見ませんが、どんな可能性を内側に作ってあげられるか、「何を弾ける」でなく「どう弾ける」子になっていくか、そこが本当の音楽教育だと思います。「あっちのお教室の子はあんな曲が弾けてる。あっちに変えよう」というのはありがちですが、成果は1年後ではなく30年後です。大人の方で、子供の頃バイエルを最後まで弾きましたという方より、ヤマハで遊んでました、という方の演奏の方が素敵なことはよくあります。もちろん指を動かすトレーニングも大事ですが、それだけでは楽しい音楽は生まれないと痛感しています。


ヤマハの講師の報酬は決して高くはありませんでしたが、その分お金では買えない音楽の精神も指導法も勉強させていただきました。

2013年12月20日金曜日

世間知らず

「世間知らず」という言葉があります。
わからない事が出て来た時、私も自らこの言葉をよく使っていました。
今はなんて恥ずかしい物言いをしていたのだろうと、赤面しています。


「世間知らず」とは考え無しで勉強不足なだけです。
それなのにこの言葉には、「自分は悪の世界を知らない純粋な人間」アピールが満載です。「世間知らずだったのでだまされた」という発言の中には、私は素直な良い人なので悪い人の餌食になった感たっぷりです。

「世間知らず」を「純粋」と混同して使うのは大きな間違いです。

私は気づきました。
純粋な人は、そもそも人の頭だけ使ってラクするのは失礼だとわかっているので、ちゃんと自分で調べる習慣があって、悪人の餌食になりづらい。
素直な人は、好かれて良い事が多いので、勘で悪い事はわかりやすやすい。上手い話はたくさん来ても上手すぎる話には乗らない。また、自分の責任で判断するので、そうなったときでも「自己責任」ととらえている。
そんな友人たちは自分の事を「世間知らず」と言いません。

私もそれを見習って、恥ずかしい自己アピールはやめ、何かのときには「考えが足りなくて」と使う事にしました。ついでに「世界が狭くて」も、「高尚な音楽の世界だけ知ってて大衆の世界を知りません」アピールが見え隠れするので、こちらは「経験不足」に変えたいと思っています。これで上手い話がたくさん来るようになればと思います。

2013年12月19日木曜日

角先生のブログより〜プロのまねでなく勇気を持って、、、〜

角聖子先生のブログは、短文でわかりやすく親しみやすく、そしてやさしくびしっと核心をついています。大事な事が心にすんなり入って来ます。


最近では

「何を目指すか その2」  http://seikosumi.at.webry.info/201311/article_7.html
「勇気」          http://seikosumi.at.webry.info/201312/article_1.html
「無事終了」        http://seikosumi.at.webry.info/201312/article_4.html

という記事にとても感銘を受けました。


私が同じ事を書いたら100000字くらい使って説教臭くくどくどねちねち追い込んでしまうところ、角先生はさらりと「ああ、そうなんだ〜」と気持ちに寄り添うように教えてくれます。さすがです。尊敬します。
言葉の選び方がピアノの音のように適切すぎです。

演奏力もレクチャー力も人格も備わっていない私に出来る事と言えば、素晴らしい音楽家の方の素晴らしさを皆様にお伝えする事。
今回角先生のコンサートを企画したのは、一番に私が角先生のピアノとレクチャーを、じっくりコンサート会場で聴きたいというのが理由でしたが(私は主催者なので実はじっくり聞けないのでした)、それにもまして、角先生でない先生に指導してもらっていたりまたは独学の方は、是非1回でも、第1級の指導者のお話を直に聞いて欲しいと思ったからです。今教えていただいている先生が悪いというわけでなく、角先生の一言でわかる事ってあるのです。たった1時間半でも、何か意識が変わると思っています。私が角先生のセミナーを受けたあとは、いつもそんな気持ちでした。


営業下手に加え、宣伝の経費もなくて、たくさんの方に告知出来ず、ホームページとこちらのブログのみの広報ですが、ピアノを学習している方には心から聞いて欲しいコンサートです。

「私は下手だからそんな偉い先生は、、、」という方も「超絶技巧について興味があります」とギラギラしている方も、きっと何かが変わります。本当のピアノの楽しみ方、聴き方、弾き方を聞きにきて下さい。きっと「ピアノをやっていてよかった、もう少し続けてみよう」と思う事でしょう。迷う事なくいらして下さいね!

当日サイン会も行う予定です。



2013年12月18日水曜日

ロケ

今日は寒いですね。、、と言っているうちに桜が咲き散って、もう暑くてたまりませんね、と挨拶するようになるのでしょう。いい事も悪い事も時間は全て飲み込んでしまいます。




「独身貴族」というドラマを見ていたら、令嬢のレイ子さんのお住まいが先日サロンの会をした松本記念音楽迎賓館でした。シャンデリアのデザインがとてもモダンでマッチしているこの素晴らしいお玄関のカットがドラマでも使われていました。こちらの壁の薄く伸べた石、光を透かすようになっていますが、今は購入不可能らしいですが、買うとしたら1枚20万円程とのこと、50枚以上はあったのでお玄関の壁だけで1000万円超です。ご令嬢のお住まいらしく品があります。金額の事で興奮している私は品がないです。



昨年のラリアンスも、そのまえのロビンズクラブも、そして丸の内センチュリーもロケや対談などでよくテレビで見かけます。使った事があるので見ていて気づくだけかもしれませんが。

今後も素敵なところを発掘してサロンの会をやりたいと思っています。ピアノも大事ですが「箱」も大事です。




2013年12月17日火曜日

ピアノの文法

ピアノの文法とはピアノの決まり事です。楽譜を見て、どう弾くか、組み立ての決まりです。決まり事なので「感性」とか「個人差」とかでない原則です。


実際、『楽譜の見方が間違えていないか』レッスンに通っている方が一番多いですし、お子さんの場合はピアノの基礎を身につける=文法を身につけるために、レッスンに通ってくれています。

が、習い始めると楽しくて、知っている曲を弾きたくなります。知っている曲が少し弾けるともう少し難しい知っている曲が弾きたくなります。でも知っている曲のまねだけではピアノの文法は学べないのです。フランス語初心者がフランス人の先生のまねで話せても、自分で単語を組み立てて話せるようにはならないのと同じです。

文法は段階を追って学ぶことです。
簡単な短い文一つ一つを分解して覚えることです。
途中でわからなくなったら戻らないとその先ずっとわからなくなります。

ピアノを習う時使う『教本』に書かれているような事がピアノの文法です。
英語でも複数形にはSを付けるとか、ザがズイにかわるとか、そんなことです。頭でわかっていても、使えないとダメです。指摘されてから「あ、そうだった」と訂正するのでは体で修得出来ていないことになります。文法は頭でわかる事より身につける事の方が難しいですね。

他にも言葉で書いていなくても楽譜から読み取って「こう弾く」という決まり事がたくさんあります。
難しい曲になると原則でない箇所がたくさん出てきますが、原則でない事が起こった時に、原則でないと気づくのも原則がわかっているからこそです。

知っている曲だけでなく教本で文法を簡単なものからしっかり身につけましょう。どんなにしゃべれても母国語でも文法は学びますよね。

独学の愉しみはこの文法があってこそです。

2013年12月15日日曜日

手を痛めないように

ピアノ奏法で大事な前提は手を痛めない事です。そして手を痛めない弾き方だと指も動き、音も美しいです。


手を痛めない弾き方とは力を抜く事です。力を抜いて行う事がどれだけ大事かは他のスポーツを見ていてもわかります。力を抜いて演奏なりスポーツをしてらっしゃる方は高齢になってもそれが可能です。室井摩耶子先生のように。

昔日本でほとんどの子供が習っていたのはハイフィンガーと言われる奏法で、これは手を痛めやすい奏法でした。子供のうちは筋も柔らかいし筋肉もあって曲も難しくないし手の事なんて考えませんが、曲が難しくなると、力が入っていては指が動かないので、無理矢理力任せになんとか動かして、あげく手を痛めてしまう感じでした。

昔のヨーロッパでもピアノ奏法の歴史をみると、指が動くようになる機械や指を広げる機械、指が強くなる機械が開発され、みんな手を壊していたみたいです(涙)。怖いですね。

手は個人個人違うし関節の柔らかさなども関係してきますので、全員にこれ、というのはないのでしょうけど、「ピアノを弾いて痛くなる」というのは明らかに間違っています。年を取ると余計筋を痛めたりしてピアノが弾けなくなります。はじめからやるのがいいですが、変だなと思ったその時点からでも、先生について力を抜いて弾ける弾き方を学びましょう。

力を抜く事は時間もかかりますし、面白くないです。やらないですむものならやらずにやり過ごしたいです。生徒さんを見ているとその気持ち満々です。私もピアノ以外の事では先頭立ってラクして実を取るタイプです。ピアノでも、熟した実が運良く頭の上に落ちて来ないかと、寝ながら待っていましたが、待っている間に年を取り、余計下手になって、おかげさまで思い知らされました。ここはあきらめて地道に練習するしかないでしょう。人間何かをやるときには力が入るようになっているので、速く弾きたいと思えば思う程自然に力とは入るものなのです。意識を変えましょう。動く時力はわざわざ抜かないと入ったままなのです。

手の事をやると、曲が進まなくなる事は覚悟しないといけません。
めんどくさい上曲が仕上がるわけでもなし、すっきりしない日々が続きますが、急がば回れです。









2013年12月13日金曜日

ピアノレッスンの意義 3

初歩のレッスン、アーティキュレーションのレッスンの次のレッスンの意義は何かというと、ズバリ、「初心にかえる」です。


最初のレッスンの意義1の時はなんだかんだ言って「わかんないけど、でも先生がやれって言うから」的に受け身で学んでいますので、お月謝の半分くらいはぼんやり聞いています。(ただ子供はぼんやり聞いている事も身に付いてます、いい意味でも悪い意味でも)。
レッスンの意義2で書いたアーティキュレーションの部分はいかにも音楽をやっている!って感じで楽しいです。がそこに待っているのは、先生にいわれた通りに出来ない、言われている意味がよくわからない、練習では出来るのにレッスンでは出来ない、という挫折です。つまり先生の言っている事をわかりたいけどわからない、やりたいけど出来ないという感じです。実はこれ、最初の段階でぼんやりやり過ごしてしまった事が明るみになってきているだけなんです。ここで音楽を考えてやることの必要性が出て来ます。挫折は次に進むための恵みなんです。

この段階の挫折により、何が変わるかと言うと耳と指が変わります。なんとか出来るようになりたいと言う気持ちが、耳を変え、思った通りに弾く指作りに考えが及ぶようになります。先生の話が理解出来ないのに変りありませんが、どうしてだろうどうしたらいいだろうと自分で考えるようになって、大変能動的になります。なぜ先生が拍子が大事だっていっていたのか、なぜ手の形を言われていたのか、理由がわかって自分から意識を集中してやるようになります。

受け身で聞いていた事を能動的にもう一度やり直すと、吸収の仕方が全然違います。お月謝の倍くらい身に付きます。だいたいレッスンの意義2くらいのところでやめてしまう方が多いですが、コストパフォーマンスは一番優れていますので、是非ここまでレッスンを続けて元を取って欲しいと思います。浅田真央ちゃんもトリプルアクセルを封印して基礎に戻ったからこそ、いまのスケーティングがあると言っていますね。一緒に語ってしまい大変恐縮ですが。


本来のレッスンの意義は「自分で思っているよりも音楽は深かった」と知ってもらう事と思っています。「こんなもんでいい」なんておっしゃらずに一緒に深みにはまりましょう。



次は独学の愉しみも書きますね。

まだ寒すぎない冬の一日、街はクリスマスムードでした。
皆様、お風邪などひきませんよう。



2013年12月10日火曜日

ピアノレッスンの意義 2

おはようございます。
「秋はこんなに過ごしやすかったんだ〜」と思っていたら、すっかり冬です。「冬はこんなに寒いんだ〜、いや、確かもっと寒かった気もする。。。」と冬本番の寒さに今からドキドキしています。

前回は習い始めのピアノレッスンの意義について書きました。今回はもう少し進んだ方の私の思うレッスンの意義です。

算数が出来て指もしっかりして来たら、表現のレッスンです。アーティキュレーションと言うと難しく感じるかもしれませんが、ただその曲らしさを楽譜から読み取ることです。音符の量には関係ありません。2段の曲で充分です。それをすると、生徒さんのピアノが、いきいきしてきて、流れて来ます。自分で譜読みしたり練習したりしてるわけでないのに自分が弾いてる感じを味わえて、わたしはこの感覚がとても好きです。余談ですが、生徒さんがコンクールなどで活躍してくれる事も、ピアノの先生にとってはこの感覚じゃないでしょうか?人のふんどしで相撲を取るってことですね。

アーティキュレーションは、勿論簡単には出来ないので「どういえばわかるかな〜」と悩みます。そして、生徒さんがそれを「出来ません〜、わかりません〜」と言おうものなら「出来るまでやります!わからせます!」とムキになってしまいます。ムキになって、ものすごくねちっこくやります。

ムキになられるのはうっとおしいかもしれませんが、一人だと思い込みや一人よがりが生じてしまうのも事実です。レッスンを受けると、一人で向き合っていると見えないところを第三者として指摘してもらえます。作曲家との仲を取り持ってもらうような、、、。そして、一人だと「まあ、ここまでできたからいっか」と妥協をしてしまうところをレッスンでは追求されるので、うっとおしいと思いながらも、そうなるよう練習し、努力します。これは大きなレッスンの意義ですね。苦しい作業だけれど、仮にそれが出来なくても「音楽ってそんな深いところまで追求するんだ。ピアニストってそこまでやってるんだ、すごいなあ」と音楽の聴き方が変わって来ます。

出来なくても、練習が足りないときでもそれを味わいにレッスンに行くだけでも、ここにレッスンの意義はあると思っています。





















2013年12月9日月曜日

ピアノレッスンの意義


「音楽を好きになる」ためにピアノを習う時代は終わりました。楽しい事は万人が知っている時代です。

わざわざレッスンに通う意義はなんでしょう?
自分で知っていると思っている以上の楽しみが音楽にはあり、それを深められるようにするのがレッスンの意義であり、先生のつとめかと私は思います。

先日も書きましたが、ピアノの先生は本当にたくさんいます。なので逆に先生選びは難しいと思います。習う目的にあった先生を選べばいいだけですが、ピアノは習う前と習ってからでは目的は変わる事がわかりました。

最初は「簡単なものでも弾けるようになれば」位なもんです。あと「楽譜がちょっとわかるようになれば」とか。でもやっていくうちに要求が上がり「上手になりたく」なります。そうなるとただその1曲が弾けるように教えてもらっていただけでは、足りなかった事が多すぎたと、なります。

というわけで、どんな目的に転んでも習い始めに習っておいた方がいいと思う事を3つ書きます。


•歌の大切さ 
音楽はピアノでもフルートでも楽器で歌うことです。歌う大切さを知っておく事は3つの中で最重要課題です。

•音楽の文法とソルフェージュ
とりあえず『正しく演奏出来る力』を付ける事でしょう。そのために音の長さ高さリズムなどを特に体でおぼえる。

•良い演奏を聴く
生の演奏を隣で聴く機会があるのはやはりレッスンです。

この3つです。
弾きたい曲を少しやりつつでいいので、この3つはやっておいた方がいい事です。
弾きたい曲の時間はその分短くなりますが、その分楽しみを将来に貯金しているようなもんです。そしてこの3つが出来れば、好きな曲は自分一人の力で弾けるようになるものです。特に子供は幸いにもショパンが弾きたいなどありませんので、この3つだけ工夫して楽しくレッスンしておいてもらえば、レッスンをやめても30年後、1曲だけマスターした人の何倍も好きな曲を弾けるようになる可能性が広がっているはずです。

あ、ピアノだったら出来なくても「正しい奏法」は学んでおいたほうがいいですね。そうそう、ピアノの独学で一番怖いのは手を壊す事でした。とても大事な事なのでまた書きます。




2013年12月6日金曜日

ピアノ調律

今調律が終わったところです。
バラバラに疲れ果てていた音たちが、すっきりしゃきっと並んだって感じです。


私はずっとピアノの事を知らずにピアノを弾いて来て、あるときその仕組みを知りびっくりしました!ピアノを弾く人はピアノの事を知った方が上手になりますね。仕組みを知るとイメージが作りやすくなると思います。

今日も調律師さんにおもしろいお話をいろいろ伺いました。ピアノは昔と今では違います。調律も今とは違っていたそうです。「古典調律」といわれるもので、『調性の違い』がはっきり出ていたそうです。

先日のアルテの会で「音には色がある」という研究をしてらっしゃる中村先生が和音ごとの色の違いのお話をして下さいましたが、そのころのピアノはまさしく色の違いがハッキリ出ていたそうで、今のような「ハ長調でやさしく弾けるショパン」なんてあったら、まるで違う曲になっちゃったようですよ。今のピアノはあえての部分も含め、そこが感じづらいようです。

ピアノは演奏者ばかりにスポットが当たりますが、ピアノという楽器は、ピアノ製作者と調律師と演奏者の力が揃ってはじめて「いいおと」を作れるんだなあと改めて実感しました。さすが芸術。


調律師さんのお話、調律以外のときにももっと聞きたいです。
ピアノに対する愛は調律師さんの方が強いかもしれません。



2013年12月5日木曜日

暗譜!!

おはようございます。
今日もようこそお越し下さいました。ブログの仕組みがいまだによくわかっておらず、読んで下さる方がどちらの経路からお越し下さっているのかいつも不思議に思っています。詳しい方にしくみを教えていただきたいものです。それににしても有り難うございます。


ところで、先日ピアノの先生たちと今までの『失態』について話をしました。
私ほどの『大失態』をしでかした先生はいらっしゃいませんでしたが、やはり、一度や二度、思い出したくもない『失態』がある事を伺い、申し訳ないのですが、ほっとしました。

一番の大恐怖は『暗譜』です。
身近に、現代曲でもなんでも譜読みと同時に1週間で暗譜出来ちゃって忘れるのがわからない、という友人がいますので、人それぞれですが、凡人には出来ないのが普通です。これは間違いなく『才能』の問題です。

暗譜を克服出来る!?と期待してこのブログを読んで下さった方には申し訳ないのですが、『克服したい』と思っている時点で私の友人のような「自然に出来ちゃう能力」はないってことになるので、残念ですが、もう『克服』はあきらめるしかないと思います。1回1回慎重に綱渡りするしかないでしょう。

生徒さんは、ピアニストやピアノの先生は緊張もせず暗譜も難なくこなし、落ち着いて弾いていると、大勘違いしているようですが、とんでもありません。一線で活躍しているピアニストにも常に暗譜の恐怖はつきまとっているし、ましてコンサートピアニストでないピアノの先生の大半は、講師という看板の重さを背負いながら、生徒さんの羨望のまなざしにぐさぐさ刺され、毎回その恐怖と闘っています。しかも生徒さんの発表会での講師演奏となると、自分の曲には集中出来ないまま自分の番になります。(愚痴を言ってすみません、だったらやめろって話ですね、いいえ、やめません)


いずれにしても、生徒さんそれぞれが「私は極度のあがり症なんですが、どうしたらいいでしょう?」とおっしゃっていますが、”私”だけではありません、才能のある人以外全員それです、ということです。才能のある人の方が世の中少ないのです。子供がみな暗譜ですいすい弾くのは楽譜がまず違いますし、集中力が違います。

その中で、わたしが暗譜の事故を防ぐためにやってきた事は、片手ずつの暗譜や部分的な暗譜、鍵盤を弾かない楽譜だけでの暗譜、目をつぶって弾く、など皆がやっている事でしたが、それをマスターしてもダメな時はダメでした。今修行している方法は

•緊張しても力が抜ける脱力の徹底

•落ち着いて弾こうと考えず、細部まで注意深く弾こう、と考える

•集中力の練習

です。そもそも緊張すると力が入るのは当たり前の事なので、意識的に力がちゃんと抜けること、また意識しなくても脱力状態で弾けるような手にしておくことです。それが出来たら、いつもの力の抜けたいい音を出す事に意識を集中させるのです。いちいち次の音をイメージして注意深く弾くと、音楽に入り込めて忘れる隙がなくなる気がします。そしてどんなに心臓がドキドキして頭に血が上って帰りたくなる気持ちになっても弾けるように、家でそのシュミレーションのなか弾くようにします。誰もいない穏やかな昼下がりの家で、わざわざドキドキして頭に血が上って家に帰りたくなるシュミレーションを作るのも結構大変です。才能がないのは苦労します。

お互い頑張りましょう。











2013年12月2日月曜日

ホールの会 開催のお知らせ

2014年3月24日(月)ゆめりあホール(練馬区大泉学園)13時開演〜16時ごろ
『はじめてピアノ ホールの会』
参加費入退場入れて4分まで6800円(会員6000円)、超過1分ごとに+1000円

お申し込みはこちらまで  info@hajimetepiano.org


詳細はまたホームページにアップします。が、私の事、いつになるかわかりませんので、とりあえず申し込んで練習始めておいて下さい。ふるってご参加下さい。勝手ですみません。性格改善に努力します。宜しくお願いします。

今になってこの日はまだ小学校がある事がわかり、ちびっこは終業式を終えてから来てもらうことになりますが、弾く順番が選べるようになっています。後ろの方なら充分間に合いますので、ちゃんとお昼を食べてからご参加下さいね。習っている先生の発表会やコンクールのリハーサルとしても最適です。
勿論大人の方も大歓迎です。昨年は大人:子供=3:1くらいの割合でした。

はじめてピアノの会では、「サロンの会」という小さな会場で、至近距離でピアノを聴いたり弾いたりする会もしていますが、これはクラッシック音楽が宮廷や貴族のお屋敷での演奏会だったことからで、「サロンの会」と「ホールの会」、2通りの歴史を味わっていただいています。(現代の事情に合った「弾き合い会」もしてます)

では「ホールの会」とは。

近現代のピアノの発達、市民への音楽普及、音響学の発達に伴って登場したのが音楽ホールです。ホールは現代のハイテク技術が施されマイク無しで音が響くよう設計されています。ピアノが材質からこだわるように、ホールも会場内の材質、壁も天井も椅子も、すべて音の響きを考え作られています。響きは空席でどれくらい、満席でどれくらいと設計されています。ホール自体が一つの楽器なんです。

ですので、ホールで弾くのは大きな大きな特大ピアノを弾くようなものです。そんな大楽器を家で、サロンで、弾ける事はありませんから、これが一番のホールの会の意義です。
もちろんピアノや会場によって弾きやすい弾きにくいはありますが、ほとんどが弾きやすいと感じるはずです。ホールで下手なら自分が下手なのです。(その前に緊張して弾けないという大問題がありますが)。

逆に言えば「サロン」は生活の場だったり、調度品を飾る場だったりしたわけですから、銀の食器やら金の細工のされた椅子やら音響的には良くないものがたくさん並んでいた事でしょう。ですが、ピアノ自体がそれらをガタガタ言わせるような大音量楽器ではなかったし、奏者もそこで人を圧倒させようということもなかったので、至近距離でのサロンの演奏会は、本来の楽器の音や演奏者の息づかいを聴きながら楽しめたでしょうね。ショパンなど、ほんとうに小さな美しい音で演奏していたそうですよ。そう言えば、ショパンの愛したピアノで有名なプレイエル社が無くなってしまうのですよね、寂しい、ヤマハさんが買ってプレイエルのピアノ、残して欲しいです。

サロンもホールもアコースティックな音を肌で感じて楽しむことは同じです。
しかし最近ではクラッシックでも、スポーツをやるような大きな会場で、マイクを使って後ろの方にも聞こえるようなコンサートが行われています。一度にたくさんお客さんに聴いてもらうためと言いつつ、それより1回でたくさん入ってもらった方が儲かるということでしょうね。時代はそうなるのでしょうか?
そうだとしたら残念としか言いようがありません。

臨場感や息づかい、木の響きが私は好きです。











2013年12月1日日曜日

第2回アルテ交流会

交流会のご案内をしようと思っているうちに前日を迎え、
今日その交流会が終わってしまいました。
このブログを読んで会に参加してみよう!と思って下さった方が
いらしたかもしれないのに残念です。

ということで、そのご報告をさせていただきます。
プログラムは以下の通り、ご参加は26名でした。





第一部 
 アルテプレゼンテーション 部門 : 音楽 
 ピアノ&講座 中村誠 氏 

      「音には色がある 〜 やさしく学べるピアノ音色奏法 〜」 

          プロフィール  
           武蔵野音楽大学ピアノ科卒。  
           元静岡サレジオ小、中、高等学校音楽科教諭。 
           現在はピアノ音色奏法代表として研究執筆のかたわら、清水うどコーラス会
     員、はじめてピアノの会アルテ会員として音楽を楽しみつつ、音楽普及に力を
     注いでいる。 


第二部 
 アルテ座談会「本日のプレゼンについて」「芸術ってなんだろう」 



中村先生のプレゼンは、とても興味深く、
指導者としても学習者としても参考になりました。
今回はプレゼンという事で、時間も短かったので、
次回はもう少しじっくり聞いてみたいです。

座談会は「こんな漠然とした壮大なテーマで何を話せば??」と
誰もが引いたのですが、論議は白熱して大きな収穫になりました。

1、耳という抽象的な捉え方しか出来ないものより、
  目からだとイメージがしやすい

2、色も見た事がない人は、他の五感を使ってイメージを深めていると思う

3、国語の成績が悪い人間でもいい小説を読んで感動するように、
  良い芸術とは、プロアマを超えたところで人を感動させられる。
  人はそこから生きる力をもらう


などなど書ききれない程良いお話がたくさん出ましたが、
書ききれないので3つだけにしました。


座談会では、普段スルーしてしまっている事を立ち止まって考えられます。
『そんな事考えた事もない」はずのことが、ほんとは身近にあって、
たとえば今回なら、芸術という捉え方はしていなくても
「そんなことなら考えた事ある!」という話になって。
だから誰かの言葉にきっかけがあると、どんどん出て来ます。
そして再認識するんですね。認識すると、
次はそこから意識的な行動をとるようになるので、結果が断然変わって来ます。
だんぜん、です。

もう一つ、同好の仲間と共通する話を掘り下げるのもこの上なく楽しい事です。
喜びは分かち合うと2倍になります。

今回ご参加出来なかった方も是非次回のぞきにきて下さい。
行ってよかった〜といっていただけるよう、
まずはちゃんと告知します!




2013年11月27日水曜日

ピアノの先生

実感する事があります。それはピアノの先生は『きれいな仕事』だという事。


生ゴミを捨てたり、トイレ掃除をしたり、上司に締め付けられたり、理不尽なクレームに平謝りしたり、真夏の炎天下走り回ったり、真冬の氷点下重い荷物を運んだり、一日中立ちっぱなしだったり、3日徹夜とかそういう事とは無縁の仕事。きれいなドレスを着て、貴族が楽しんだ音楽を奏で、汚いものには触らず、先生と呼ばれ、偉そうな態度で文句を言われないどころか生徒は自分で練習して上手になってるのに先生のおかげですと感謝され、そしてすごく楽しい。こんないい仕事ないです。

しかも。ピアノの先生になるには、国家資格とか難しい資格はいらないのです。極端に言えば名乗ればなれます。きれいな仕事で、ちやほやされて、名乗るだけでなれる。。みんなピアノの先生になりたいですね。

だからピアノの先生はいっぱいいます(笑)。

こんないい事、本当は神に選ばれた人だけしか出来ないはずなのに、いっぱいいて、そのうちの一人が私(笑)。

でもだからこそいつも自分が試されてます。更新しなきゃいけない免許もない分、怠けたらそこまで。だれも引っ張ってくれない。妥協はいくらでも出来るけれどそれをしたら丸裸の王様。しかも、選ばれた人しか出来ないはずの仕事を選ばれてない私が妥協してやってたら、絶対バチが当たる。(あ!このあいだのアレはもしや、、、)

私の代わりにカラスが引っかき回した生ゴミを回収してくれている人。
私の代わりに仕事に謀殺されてストレスを抱えている人。
私の代わりに介護の重労働でへとへとになっている人。
私の代わりに暮らしを良くしようといっぱい頭を使ってくれている人。
私の代わりに世界の平和を守ってくれている人。
これからそんな世界に入っていく子供たち。

そんな人たちが癒され、元気になって、もう一度前を向いて人生にチャレンジする気持ちがむくむくと湧いてくるような音楽を届けられたら、バチは当たらないでしょうか?こんなきれいな仕事をさせていただくのだから、せめてもの恩返しにしっかり自分の音楽力に磨きをかけないといけませんね。自分への戒めと、バチの怖さと半々で。

ついつい練習をさぼりがちな霜月に、初心忘るべからずでした。








2013年11月22日金曜日

晩秋のご挨拶状

新年を控えたこの時期、お身内にお別れのあった方からお知らせが届きます。

若い頃は何でも取り返しがつくと思っていました。
けれど人生にはそうでない事もあると、わかるようになりました。特にこの世ではもう会えない方とのお別れとなると、なす術がありません。

生徒さんとの永遠のお別れも幾度か経験しました。
まだお若い方で「やっておきたいことの一つがピアノだった」というお話をした翌週に事故に遭われ、会えなくなってしまった方もいます。ピアノをはじめて3年くらいでした。

人生の中のピアノがどれほどの比重かは人によって大きな違いがあるけれど、
ピアノをやってよかった、はじめてピアノの会に出会えてよかったと思っていただけるような仕事をしたいと思います。

まじめで突っ走るタイプなので、全員に真面目にピアノに取り組んで欲しく思わず詰め寄ってしまいますが、「頑張るだけがいいわけではない」事も、わかる大人にならないと、いけませんね。






2013年11月19日火曜日

とうがらしリース

青い唐辛子はまだまだベランダにたくさん実っていますが、赤くなった物はまとめて収穫します。
そして来年の新物が出来るまでお料理に使います。
保存は毎年リースにして。使うときだけ取って刻んで。
友人が褒めてくれたのでのせちゃいます。




お隣に映っているかわいい織物は
フィンランドの伝統工芸の織物で
フィンランド人の友人の手作りです。フィンランドの物は素朴だったり、モダンだったり、かわいかったり、素敵でお店始めたいくらいです。







2013年11月18日月曜日

角聖子ピアノ&トークコンサート

角聖子ピアノ&トークコンサートのチラシホームページにアップしました。http://www.hajimetepiano.org/



ピアノ教育者として有名な角先生ですが、今回はコンサートピアニスト角聖子の魅力もたっぷりお楽しみいただける内容です。
おなじみの名曲から日本の曲、ジャズそして正統派モーツアルトのソナタまで、とにかく楽しめるプログラムです。また、合間に『楽しくレッスン』のコーナーもあり、角先生の無敵のレッスンも垣間みられます。

今では当たり前になっている大人のピアノ、昔はピアノは子供のときからやってないと弾けないと言われていました。私が大人の初心者を初めて指導したのはヤマハ音楽教室で22年前。20代後半の方で今も続けて下さっていますが、それ以前は皆無でした。

そんな中、大人から始めてもピアノは楽しめますよ、と広めて下さった第一人者が角先生です。いうなれば大人のピアノの大本山です。それから大人からのピアノの生徒さんはどんどん増えていきました。NHKの趣味悠々「お父さんのためのピアノ塾」で角先生のファンになった男性も多い事でしょう。

でも大人は、子供とは違う学び方が必要で、教える側も新たな気づきや勉強が必要でした。そんな時頼りになったのが角先生のセミナーや本、楽譜。角先生のお名前を知らない指導者はきっといないでしょう。

角先生の言葉は感銘を受ける事ばかりですが、中でも「指導者は指導法を磨くより自分磨きが大事」という言葉は、私たち指導者が特に肝に銘じるべき事と受け止めています。

ここまで指導法を確立された角先生だからこその説得力があります。
「結局音楽を教えるって、マニュアルやハウツーではなく、先生の音楽そのものが勝負ですよ」と言われている気がします。私も言葉でなくピアノで語れる先生になりたいです!


演奏家であり教育家である音楽家、角聖子ピアノ&トークコンサート、
滅多にないチャンスです!ぜひ聴きにいらして下さいね。


2013年11月13日水曜日

わくわく

ピアノが大嫌いだった私が、自らピアノのレッスンに通って、ピアノの先生仲間と楽譜や音楽の話をするのがすごく楽しいって考えられない事です。

ピアノのレッスンでは、曲は一切弾きません。クリニックという感じで脱力や音色を治していただいたり、先生の豊富な楽譜やピアノの知識を教えていただいています。内容については、先生のご了解を得てまたゆっくりさせて下さい。とっても楽しくて、私のところに通って下さっている方もこんな風に感じてくれているといいな、といつも帰り道思います。

いつも連弾をする友人とは今、次にやる楽譜選びをしています。連弾が原曲の曲はそんなにたくさんないので、アレンジものをいろいろ調べてかっこいいのを選びます。と言っても、輸入物でネットでしかなくてすごい高いのに届いてみたら良くなかったという、またここでも無駄がたくさん、、、(涙)。だけど、いい楽譜が見つかったときはラッキー!だし、はじめて音合わせするときはドキドキ!するし、合わせると当然一人で弾くより素敵だし♪ぴったり上手くいったときはヒャッハー!だし、無駄がある分喜びも大きいってことで、、、。

音楽が趣味で仕事で楽しいです。
















2013年11月12日火曜日

無駄が力になるとき

無駄をしたくない気持ちは人間誰もが持っています。
逆に言えばこの『無駄はしたくない』という防衛本能?が、考える力を付けるのではないでしょうか?


ピアノの場合、もう一度やり直すのはと〜っても大変だから、次からやり直さなくてすむように、とよく聞くようになり、集中力が高まり、耳の感性がよくなり、記憶力もよくなり、瞬発力もよくなり、こうだっけ?ああかな?こう弾くんじゃないかと自分で考えるようになり、調べてわかる事は自分で調べるようになり、引き出しも増える。また、短時間でやり直したいので、ささっと出来る『即時反応』が出来るようになる。
これは習慣になって、他の事をするときにも役立ちます。ピアノを習っている子が授業の理解が早いというのは、こんな理由だと思います。

さて、この「即時反応」。
馴染みが薄い言葉かもしれませんが、いわゆる臨機応変に対応する力です。音楽には変化がつきものなので、歌う人に合わせる、場所に合わせる、その時の気持ちに合わせるなど、一度完璧に出来上がっていたとしても場面によって変える事がたくさんあります。「即興演奏」というのもあります。また表現は、指揮者によって変わるし、ピアノソロだって「これはしっくりこない、、、」とやっては変えやっては変える『試し』です。しかもノートに取れるような事ではないので、自分の感覚を研ぎすまして集中するしかありません。これは音楽の宿命であり魅力です。そのためには変われる力(やり直せる力)が必要なんです。

通しで弾くだけでは部分的に変える力や試す力がつきません。
練習でもレッスンでも部分的に自分で考えながら弾く事を大事にしてください。
そして間違えるのを覚悟で一人で頑張ってみて下さい。

あともうひとつ、無駄といえば、他の人のレッスン。
曲こそ違っていても、先生が注意している事はだいたい全員に共通する事。自分で言われるより、他人が言われるのを聞いた方が、客観的になれます。自分よりめちゃめちゃ下手すぎる人でも、圧倒されるくらい上手すぎる人でも、他の人のレッスンを聞く機会があるなら『関係ない』なんて思わず、ぜひ大事に聞いて自分の練習にいかしてください。

無駄こそ力、です。



2013年11月10日日曜日

ピアノレッスン

弾けるようになって来ると、どうしても曲全体を通して弾きたいのが人情。
でもレッスンは「先生に聴かせる」場ではなく「直す」場です。


以前生徒さんに「こんなへたくそなのばかり聴いていて疲れるでしょう」と聞かれました。いえいえ、音楽として聞いていませんから、と答えました(笑)。失礼ながら譜読みの段階は、算数の答え合わせみたいなもんです。習っている方は、レッスンで上手に弾けないとがっかりするし、先生に申し訳ない、と思ってしまうものですが、こういってはなんですが、先生はレッスンに音楽を聴きにいってません。


講師は、完成していない曲を聞いているときは、「♯忘れた」「左の指番号2じゃなくて3」「遅くなっている」「力が入り過ぎすぎ」「リズムが狂っている」というように、その箇所その箇所の間違いを弾き終わるまで全部覚えておいて、弾き終わったらそこを順番に指摘して、どういう風に直したらいいか、を考えてます。

まずはその算数の勉強。最初から表現を考える事が大事、としているのはあくまで一人で完成させられるテクニックをもってらっしゃる方のみの話で、間違いがある段階や何回も止まってしまう段階では通して弾いても表現の勉強は出来ません。

リズムが間違っている状態で、フォルテ、クレッシェンドなどはつけられないですし、指使いがめちゃくちゃな状態で、テンポは上げられません。また次の音はなんだっけ?と考えたり、まだ曲通りに指が動いていなければ当然、軽快に、なんて表現は出来ません。

リズムと指使いが10カ所間違えていたら、とりあえずどちらかだけです。注意するところがありすぎると、指摘したり直している時間が足りなくて中途半端になって、注意を全部は覚えていられず、結局何も修正出来ないことになります。今日はここ、次回はこことなります。

「最初に言ってくれないと間違えて覚えてしまう」と言われますが、間違えて覚えては直す、があたりまえです。最初に何時間もレッスン時間を取れる人は誰一人としていませんので、ピアノでは必死にいっぱい時間をかけて覚えた事をまた時間をかけて修正するのが普通と思って下さい。私も、時間や労力が全て無駄になって「直すのに倍の時間かかってる!」「いっそ、やんなきゃ良かった!」と、どれだけやる気ゼロになったことか、、、。でも実はこの「無駄な練習」が、自分で考える力につながり、音楽の大事な要素「即時反応」にも繋がります。親にずっと付きっきりで教えてもらった人はこれが圧倒的に足りなくなります。

人に勝つより自分に勝つとは、このやる気ゼロに打ちのめされないって事だと思っています。

音楽では『自分で考える力』が本当にものを言います。



2013年11月7日木曜日

音に命

音に命を与えるのは、記憶の中の喜びや悲しみの気がします。

音大卒業後、しばらくリトミックを教えていました。リトミックというと、リズムの勉強というイメージがあるかもしれません。でもそれだけでなく、もっと大きな意味で体で音楽を感じる、表現するという音楽の根本を習得する分野です。

レッスンではこんな事をしていました。
たとえば二分音符に合わせて歩く。
水の入ったバケツを運ぶのと、湯のみにタプタプに注がれたお茶を運ぶのは運び方が違いますね。どっこいしょってなるか、すり足になるか。これをピアノのドの音で弾いてみると全く違った音になります。

また十六分音符に合わせて走る。
遅れてくる人を待ってイライラしているときに見る時計の針の音と、子供の喜ぶ顔を浮かべてお母さんが切るとんかつのキャベツの千切りの音とでは、全然違う音ですね。

イメージするもので音は変わります。

では「イメージ」ってなんでしょう?私は感情の記憶の気がします。湯のみを知っていて、水がタプタプだったら、そうっと運ばないとこぼれる。でもその知識だけじゃ表現は出来ないのです。その状況でなく、その時の緊張した『気持ち』が、イメージを作ります。表現とはまず、気持ちがあってそれを伝えることなのだと思います。

ピアノを習っている子供さんには、ピアノの練習も大事ですが、ぜひこの元になる感情をいっぱい味わわせてあげて下さい。ピアノの音が「ファー」ってわかるより「あくびみたい」って感じる方が役に立ちます。

大人の方は「2拍のフェルマータだから4拍」とか理屈で理解したくなっても、とりあえず理屈はお預けです。一呼吸して「今すぐわからなくていい」とまず自分に言って、そのあと記憶の中にある「ファー」の感覚をゆっくり何か手応えがあるまで探って下さい。(ここで「あくびみたいに弾いて下さい」と言うと、え?じゃあ弱くって事ですか?となりそうで怖いです)

すぐに出来なくていいのです、出来る事より追い求める事に意味があります。自分の体と心で感じた気持ちこそが音に命を与えます。もちろん先生の言うイメージと違っていてもいいのです。




2013年11月6日水曜日

(注)きびしい話 2

[きびしい話]をしたら止まらなくなっちゃったので、またもや苦い本音のお話をさせて下さい。きびしいのが嫌いな方は今日も読まないで下さい。


発表会で上手く出来なかったとき、ほぼ全員の方が「あがって弾けなかった、家では弾けてるのに」とおっしゃいます。けれど、そもそも弾けていない方が99%です。始めからわかっています。ほんとうにあがるだけが理由で弾けない方は1%です。最も「あがっても弾ける曲が弾ける曲」なのであがって弾けなかった、もそもそも弾けない結果です。本番は正直です。理由は曲が難し過ぎる事、そして基礎ができていない事です。


そうとわかっているなら前もって言ってくれれば、、、と思うかもしれませんが、言ってわかることならこんな事は起こりません(笑)。大人の方にこの事を理解していただくのは、ほんとうにほんとうに難しいのです。なぜなら、


•講師から見た「弾けている」と生徒さんが自分で思っている「弾けている」が大きく違うこと。自分の出している音を聴く訓練が十分されていないので、自分がどんな音楽を出力しているかわかっていなくて、とりあえず出力出来ていれば音楽になっている気になってしまいます。


•子供の場合、発表会の曲はほとんどが講師が決めるので、レベルがかけ離れていることはあまりありませんが、大人の方は『こんなのが弾きたい』と思ってピアノをはじめているので、思いが先に立ち、相当レベルが上の曲を選んでしまいます。


•ピアノは地道で根気のいる基礎の積み重ね練習が必要ですが、大人は「人生先が長くない」と思っているので、そんな事をするより、好きな曲だけをやるのが近道と思ってしまっています。子供は将来楽しむために大人は今楽しむために習っています。


•長年培って来た自分のやり方があるので、「弾けないからこっちにしましょう」と、10レベル下の曲をすすめられることに慣れていない上、自分では弾けてると思っているので、やる気がなくなってしまいます。また、子供と違って、下手に曲を知っているので『それらしく』出来たら終わりで根気がありません。


•これは子供も同じですが、音符が多い曲や長い曲が「偉い!」と思ってしまい、そう言うのを弾かないとコンプレックスを感じてしまいます。早口言葉よりやなせたかしさんのわかりやすい詩の方がどれほど心を打つことでしょ
う。


•大人は集中力がありませんので、子供のように練習しないけど本番は良かった、という事は100%あり得ません。一流のスポーツ選手でさえ「普段通りに出来る」ことを目標にするくらい普段通りに出来る事は至難の業なのです。大人は、普段通りには出来ないのを前提に、曲を選ぶ段階、練習の段階から考える必要があります。


•基礎ができていない、の中には上記のもののほか、ちゃんと意識的に力を抜いて弾く事が出来ていないということがあります。家では力が抜けているけど本番は力が入る、という方は本当の意味で脱力が出来ていません。緊張して体が硬くなる、のは動物全員です。大事な場面では普通力は入るものなのです。要するに、弾けてる人は硬くならなくて自分は硬くなるのではなく、弾けてる人は緊張した中でも力を抜ける力をもっていて、自分にはその力が足りないのです。力が抜ける基礎練習をするしかありません。(言っときますが、私は涙ぐましい努力をしています)


「実力にあった曲を弾いた方が、本人も満足するし、聴いている方も楽しめる」というのは講師だけの思いのようです。「先生選んで下さい」という方でも、実際こちらが選んだ曲を前にすると、あまりの簡単さにがっかりされて別の曲を持って来られます。こちらから説得するのはほぼ不可能です。

ただ、大人の方は子供と違って、まだ弾けないような曲に挑戦し、弾けるようになるのも事実です。頭で弾く大人には子供とは別の可能性があることを、知りました。結果的に発表会でどうなるか、そんなこと気にせず賭ける価値が大いにあるのも、大人の趣味のピアノです。


それに、いつも申し上げている通り、聴く人がいる事を押さえてさえいれば何でもありです。人生を楽しむ手段として、表現の手段として、まして自分でお金を出して発表会に出ているのですから、失敗も一人よがりも自由です。結局、自分がどう弾いて、聴いている人がそれをどう思って、だからどうする、という事については、一ピアノ教師が口出しする域を超えています。たかがピアノですが、やり方はその方の生き方そのもので、強制される物ではありません。私がそうだったように、自分で気づいたとき、そうしたかったらする、したくなかったらしない、の大人の選択をするしかないでしょう。



だからこそ、自分は失敗も覚悟で挑戦をしようとしているのか、レベル相当の曲をきちんと弾きたいのか、しっかり自覚して曲を選択した上で、出演されるのが望ましいと思います。そうしたら『こんなはずじゃなかった』というショックは少し軽減されます。

そして何度も言うようですが、「聴いてくださる方」「弾いている方」の気持ちに心を寄せましょう。貴重な時間に自分の下手なピアノを聴いて下さる方への感謝の気持ちと、緊張する中、勇気を持って人前で演奏する方への暖かい応援が、和やかでありながら質の高い発表会を作り出します。
上手でも下手でも、弾きっぱなし、批判づくし、すごいの探し、は美しい音楽と異質のものです。











2013年11月4日月曜日

(注)きびしい話

発表会のあとは思う事がたくさんあります。でもって、とっても辛辣になります。
厳しい事言われるとやめたくなる方は今回は読まないで下さいね。


発表会のあと生徒さんたちは、「上手」な方の話題でもちきりになります。そして「次回は私も少しは難しい曲にチャレンジして、、」などの感想が上がります。

ほんとうの事を言うと、、、心からがっかりします。

なぜなら、その「上手」は音符の数、速さ、長さ「だけ」で評価している事が、変わらず多いからです。音符が多くて強くて長い曲を弾いた方が「上手」になっています。もちろん、速いパッセージは当然速く弾けなきゃダメだし、速く強く弾けるようになるのは、難しいので、すごいのは確かです。でも。

あんなに思いを込めて弾いたあの方の演奏はスルー?、あの演奏が心に止まらなかった?と、短かったけれど、ゆっくりの曲だったけれど、感動をもらった演奏を思います。そして私は、普段レッスンで言ってる事が、どんなに思いを尽くして語っても、わかってもらえてない事を思い知ります。

器用に弾く事や、それらしく弾く事ではなく、その曲の思いを再現するように弾く事の大事さ。会員のNさんが、「作曲家がそこにいたら『うん、うん、そういう曲なんだ、そうやって弾いて欲しかった』と言われるのがほんとうにいい演奏だと思う」とおっしゃっていました。自己顕示や自己満足、自己陶酔でなく、代弁者になること、これはクラッシックの原則です。偉大なピアニストの方全員が言っている事でもあります。

所詮プロのコンサートピアニストではないので、ほんとうは「上手」とか「下手」とか大差ないのです。そう言う意味では、ほんとうは全員下手なんです。自分で「あの人より」上とか「あの人より」下とか思ったところで、アルゲリッチからみれば全員下なんです。アルゲリッチになれない私たちが、難しい楽譜をバリバリ弾いても、とうてい及びません。

だからと言って、自己満足で弾くことのみ、あとは「すごい」のだけ探す、これではカラオケです。カラオケのように自己満足でいいというのには反対です。カラオケはカラオケの楽しみで、音楽会とは違います。聴いて下さる方を考えて曲を選び弾く、緊張して弾いている方の思いに気持ちを馳せて聴く、それが音楽をやる者のマナーです。聴いて下さる方への感謝と弾いている方への敬意が音楽会を作るのです。緊張して人のが聴けない、というのも別問題です。

発表会は自分でお金を出して自分が楽しんだりチャレンジする場なので、本当は何でもアリなんですが、でも音楽として目指すところだけは見失わないで下さい。
目指すのは、ピアニストもどきでも見栄でもなく、その曲らしさと自分らしさです。「ボロは着てても心は錦」。あれ?たとえが全然わかりにくい気もしますが、錦が着れなくても安易にイミテーションの錦を着ようとせず、心は錦に、曲の真意を探り続けましょう。(という意味です)

厳しいようですが、取り繕わず、自分と曲にひたむきに向き合う人の音楽だけが、心を捉えます。恥ずかしいとか下手とか上手とか乗り越えた、それだけが魅力的な音楽です。
どうせみんなほんとうは下手なんですから。


(さずがにここまで言うと、ブログ読んでもらえなくなっちゃうかな、、
 その前に生徒さんと会員さん減っちゃうか、、、)

2013年11月1日金曜日

音楽の耳

以前も『耳』について書きましたが、音楽に必要な耳は、「色」や「触感」みたいなものを感じる耳っていうのに近いんじゃないかと思います。


ミとレの違いでも強い弱いの違いでもなく、
ピンクと水色や、
油絵とパステル画や、
リンゴの手触りと桃の手触りを聴き分けるみたいな、、、。
ますますわかりづらいでしょうか?

ピアノでアドバイスする時、生徒さんは抽象的な指摘が大嫌いなようですが(笑)、音楽が元々抽象的なので、具体的に「小さく」「おそく」と言ってしまうと、違うものになってしまいます。たとえばある和音から短調になっていくところ、「グレーのグラデーションみたいに」のようないい方をすると、「は?もっと小さくって事ですか?遅くってことですか?(そんな抽象的に言われても)」と絶対なりますが、「小さく、遅く」といってレモン色のグラデーションになっちゃうのは違うのです。

また、弱い音=やさしい音、強い音=元気な音のように直接的な言葉にはある種固定観念があるので、それで判断してしまうとつまらない演奏になりがちです。弱い音は単なる頼りない音になっちゃったり、とっても暖かいはずの強い音が乱暴になったり多々あります。

なので、私はどんなに「は?だんだん強くって事ですか?」と質問されようとも、「というより、期待に胸が膨らむ感じです」と言い続けようと思っています。

私の比喩は、体験した事や、絵を見たり、本を読んだり、映画を見たりした時の感情を思い出して使っています。
桜が上からぱらぱら散って来るの見た時の心と海の水しぶきがかかったときの心は違います。そうすると、この十六分音符の連続は、ぱらぱらの桜か、海の水しぶきか、速い遅いではなく、質が違う音になります。また、画家はこんな風に描いている、作家はこんな風に書いている、映画はこんな風に作られている、と素晴らしい芸術作品も見ておくと、捉え方の参考になります。実際のその曲が桜かどうかでも、桜が散るときにどんな音がしたかでもありません。はかなく散る桜に音があったらきっとこんな音、、、潔く散る桜はまた違う音、、、海がもしかしてここで7色になって音があったらきっとこんな音、、、急に映画のシーンが変わってドキっとした自分の気持ちに音があったらこんな音、、、。

「もしも期待に胸が膨らむときに音があったら、、」そんな空想をしてみて下さい。






2013年10月30日水曜日

ピアノ練習の仕方 


スポーツ選手がものすごくゆっくり動いたり、またはじっと止まって筋力やバランスを鍛える練習をテレビで見た事があります。体の声を聞きながら鍛えるそうです。


ピアノも、ハノンをがむしゃらに何回も弾いたりするのは、やみくものうさぎ跳び100回と同じで、指や腕を壊しかねません。

ゆっくりしためんどくさいうんざりする練習が大事です。自分の音を、聴いては直し聴いては直していく、耳や指先に意識を集中させる。ゆっくり1音ずつちゃんと垂直に重心が乗って脱力しているか、リズムがきちんと揃っているか聴きながら弾く。

たとえばレッスンでも「ティタタタの部分」を注意をすると、その場で何回もティタタタティタタタティタタタとムキになって(笑)弾いちゃいますが、どんなティタタタか先生の音や注意をようく自分で聴かなければ。。。「これで合っていますか?」と弾くより、その時は弾かずに何を注意されているのか言われた事を覚えることに集中する。ゆっくり、じっくり、指でなくまずは耳を使う。耳を澄ませる。レッスンでは弾く事より、注意を心に刻むほうが重要です。

そして家ではゆっくりの片手、部分練習、力を抜く練習、連打の練習、ピアニッシモの練習、を集中してやる。ほんとぐったりです。私はあまり練習時間が取れないので、まずこの練習だけです。フォルテの練習は本番前だけだし曲をそのまま弾くことはほとんどありません。時間があるときに2ページくらいのエチュードを両手で弾くのがせめてもの音楽らしい音楽です。

テレビを見ながら指の練習をしたり、回数弾くことを目的とした耳を使わない練習は、耳と指の感性を悪くするのでやめましょう。通して気持ちよく弾く練習も、陶酔によって耳が悪くなる弊害もあります。通して弾く時は、「今は通しの練習だから何があっても最後までいくこと」と決めて隅々まで緊張感を持って一段とクールに耳を澄まして注意深く弾きましょう。このときにミスしても修正出来る力がつきます。


練習と音楽の楽しみは別物です。
私にとっても音楽は癒しであり楽しみですが、それだけでは維持も上達も難しいです。
上手になりたくないなら別ですが、もし上達する事も音楽の楽しみの一部として望むなら

耳を使ってゆっくり正確なリズムで部分練習する事は欠かせません。





2013年10月27日日曜日

第4回サロンの会

今年最後のサロンの会が無事終了しました。
日頃の行いが良いおかげで、思った通り台風は逸れてくれました。

たった3分のためにずっと練習して来た皆様は、演奏を終え、とても誇らしいお顔をなさっていました。中には完璧な演奏が出来なかった方もいらっしゃいます。けれど、この3分のために頑張ったことは、勇気であり努力であり、貴重なプロセスでした。その事はピアノを学ぶ者なら全員がわかります。だから、間違えを非難する人なんか一人もいません。全員のお方が、今日を共に過ごした事をぜひ誇りに思って欲しいと思います。




皆様に最後に述べていただいた感想は、さすが人生経験の豊かな大人、謙虚で前向きでそして温かさに満ちていました。
皆様とご一緒出来てほんとうに楽しかったです。このお仕事をさせていただいて幸せです。

今年ご出演下さった沢山の方、スタッフにお礼と感謝を申し上げます。




あ、でも生徒の皆様は次回、「本音炸裂反省会」ですので、心してレッスンお出で下さい(笑)。




2013年10月24日木曜日

第3回サロンの会

今日第3回サロンの会が終了しました。
雨が心配でしたが、全く降られず、松本記念迎賓館のお庭も堪能出来ました。

発表会の回数を重ねた方とまだあまり場数を踏んでいない方の違いは、選曲でもミスの数でも難易度でもなく、ミスをした時の対処だと実感しました。口を酸っぱくして、止まってはいけない、と言い続けた甲斐があります。皆様ほんとにごまかすのがお上手になって、、、(涙)。

発表会の価値はこんな風に聴く人を意識して弾く事に大きな意味がありますが、聴くことも学びです。「こんなに頑張ってる人がいるんだ」「ミスはあったけど流れるような音楽だった」「長けりゃいいってもんじゃにないな」などなど、、、。

発表会に出演下さる方が『出るのが大好き、自信たっぷり』と思ったら大間違いです。私はそこに一番胸打たれるのですが、出られる方皆様が出ないとどんなにラクかわかっているんです。でもやるんです。『自分の成長』を自分に課して1段階段を上るために。すてきだなあ。。60、70、80歳になって、新しい事をはじめてそれを人前で披露するなんて、かっこいいです。

あさっては今年の最終日。台風は逸れてくれると信じてます。

2013年10月23日水曜日

第2回目サロンの会

昨日は第2回サロンの会でした。
出演は26名、午餐会はご家族やご友人もご一緒に37名で楽しみました。
なかなかレッスンに伺えず、1年に1回この時だけ聴かせていただく方々も多く、上達ぶりにびっくりします。先生に伺うと「とても努力しています」とのこと、子供も大人も仕上がりは練習量に比例しますね。


                  
                      この日の最高齢88歳のNさん
                  クリアで素直な音色で、流れるような金婚式をご披露下さいました。
       
      季節のお花のステンドグラスがここそこに

2013年10月21日月曜日

ピアノと協調性

ピアノは、右手と左手、メロディと伴奏、2声3声、と一人で何役もやるので、他の人とのアンサンブルはとっても勉強になります。まずは手軽に連弾を試してみて下さい。

連弾って楽譜はソロより簡単だけど難しいところが違います。自分のタイミングで始めてしまったり、相手が失敗しちゃったり、自分が弾き直して相手がさっさと行っちゃったり。もう少し上級になると、気を使いすぎて遠慮がちの表現のないピアノになっちゃったり、音楽的な違いからよそよそしい演奏になったり、。。

そのとき必要になるのが真の協調性です。
自分に合わせてもらう、相手に合わせてあげるとかじゃなく、一つの音楽を2人で見る。それぞれの人格を別物として「いい音楽」を作ろうとただ音楽の方を向く。

そうすると、相手のためを思って止まってあげることが、いいことでないのがわかります。連弾相手に気を遣って、聴く人や音楽そのものを軽視する結果になっては、本末転倒です。アンサンブルはアンサンブルで生まれる音楽のために力を合わせることです。アンサンブルする人のためのアンサンブルは聴いていてあまり気持ちいいものではありません。


協調性とは、レベルを合わせてあげることでも、けんかをせずに仲良くやることでもなく、健闘しあい高め合うことだと思います。難しいことですが、その分そうできたら一人では得られない幸福を感じられるはず。楽しいことは難しい。難しいことはすごく楽しくなる。人生の基本的法則ですね。




2013年10月20日日曜日

第1回目サロンの会


一昨日2013年の第1回目のサロンの会が大盛況のうちに終わりました。演奏者は21名でした。ご参加の皆様、先生有り難うございました。
思い通りに出来た方も出来なかった方も、それぞれが大きな大きな実りを得たことと思っています。はじめて参加された方が、練習通り弾けずがっかりしていたところ、5回目の先輩が「これが発表会の洗礼なのよ、来年!来年!」と肩を叩かれていたのが印象的でした。そう、ここからまた始まるんです。

先日ピアニストのための本を読んだときに、本番前は『緊張しないように』ではなく『注意深く弾けるように』考えるといいと書いてありました。
私たちがそれで結果が伴うかはわかりませんが、本番をむかえる演奏家が、あの手この手で上手くいくことを祈っているのはレベルに関係ないようです。








2013年10月17日木曜日

あした

明日は2013年の第1回目サロンの会です。
演奏会も午餐会も準場は整いました!どうぞ上手くいきますように、、、。

さて、ここで気分転換。

以前青唐辛子が100本実っているって書いたら「まさかベランダでそんなに(あるわけない)。」と疑われたので、証拠を、、。



ふふ、ほらね、ほんとうでしょう?ここに写っているだけで30本はあります(笑)。
あ、ということはもしかしたら120本ぐらいあります。これ4分の一くらいですから。うちはベランダにお砂場のような「庭」を作っているので色々楽しめるのです。ピアノはチャレンジ、土いじりは人生の休息です。

いろいろな経験が出来るこの人生と健康に感謝です。





2013年10月8日火曜日

ベーゼンドルファー

ピアノのメーカーによって、ピアノには特徴があるのをご存知ですか?

来週からはじまるはじめてピアノの会の『サロンの会』、
ホールは床も壁も天井もスギの木、ピアノはベーゼンドルファー。
昨日試弾に行きましたら、ピアノはこの上ない音色、、、なんですが、難し過ぎる!!

ベーゼンドルファーの特徴は、箱を鳴らす、ことだそうです。
打鍵は丁寧にしかし粒立ててそれを箱に鳴らしてもらう、って感じでしょうか?

乱暴な力任せのフォルテは絶対厳禁です。どうだ!っていう叩き付けるような大きな音は騒音以外の何物でもなく、聴いているだけでビタビタ叩かれる音の暴力です。弱く弾くピアノは響きがないともやもや〜として味のないみそ汁みたいな。(ウィーンの楽器にみそ汁のたとえはふさわしくないか)。徹底的に脱力の基礎をやったひとしか鳴らせない感じです。木のホールで何物も吸い取ってくれないというところもかなり難易度高いです。

ヤマハ100年の歴史でのピアノ生産台数は600万台。それに比べ、ベーゼンは185年の歴史で生産台数はたった5万台。

難しい。難しいけれど、ほんとうに美しい音でした。

2013年10月6日日曜日

へこたれつつも、、、

ピアノは弦楽器でもあり打楽器でもあります。

最近、ピアノの打楽器的な面がとっても大好きです。
どうしたらあんないい音が出るようになるんだろうと、いい音が出せる人が羨ましくてたまりません。私はいつも「しまった!こんな音が出てしまった!打ち消したい!でも打ち消せない。。」と、最初の小節で玉砕です。この瞬間、『ピアノは打楽器』を思い知ります。生徒さんには「出来ます!やるんです!」と言ってる私ですが、ほんとはへこたれてます。

何回やっても出来ないとついムキにもなるし、「練習してももうダメなんだ」というあきらめの気持ちにもなります。前よりは良くなっていても、良くなってこのレベルじゃあね、もうレベル低すぎ、、、、って自分が不甲斐なくなり、「ピアノは限界」と思います。生徒さんがそう言うと、練習が足りないだの練習の仕方が悪いだの人と比べるなだの言っているのに、自分も同じです(笑)。

ささっと出来ちゃう人というのは一握り。それ以外の人は程度の差こそあれ努力して出来るようになっている。そして出来る人だって上を目指してずっと努力を続けている。

凡人の私はやっても出来ないことが多過ぎるけれど、やめたらおしまい。
やり続けなければおしまいだから、へこたれつつやってます。










2013年10月4日金曜日

練習お休みの日

ピアノは毎日30分の練習です。ほんとうはもっとしたいのですが出来ません。まったく練習出来ない日もあります。仕事や行事で時間が取れない時のほか、うっかり青唐辛子を素手でたくさん積むと指先がヒリヒリして、その日はピアノが弾けなくなります。。。

今ベランダで青唐辛子が100個くらい実っています。
はっきり言ってあり過ぎです。

赤い鷹の爪となる前の青唐辛子はさわやかな辛さが美味しいのですが、100個もあるので、もう頭の中が「いかに使うか」、義務感と責任感でいっぱいです。このあいだまでは青じそとモロヘイヤとバジルがこれでした。こっちは葉ものなので、積めば積む程生育していたちごっこっていうか、あ、いい意味で、あ、いい意味ではいたちごっこは使わないか、いずれにしても、消費に大忙しでした。

青唐辛子は、そのまま佃煮もしょうゆ漬けも味噌漬けも作り、お豆腐にもお味噌汁にもお刺身にもパスタにもチャーハンにもカレーにもシチューにもチーズトーストにも唐揚げにもトンカツにも焼豚にもサラダにも煮物にも全部入れていますが、主菜になりづらく、あまり消費しません。しかも献立すべてが辛いです。なかなかの難問です。

こんなことに心を奪われて練習しないのが生徒さんにバレたら、「練習が足りないから出来ないんですよ!」と言えなくなっちゃいます。

















2013年10月2日水曜日

ピアノを弾く手


「手が小さくて」「私は4番が弱くて」「左が動かなくて」などなど聞きますが、
ピアノに向いていない手の条件は皆様が思っているより沢山あります(笑)。

関節が細い、指が反ってる、手が硬い、爪(指先)が尖っている、不器用、、
全部上げたら、たぶんほとんどの人の手が『ピアノに向いていない手』となってしまいます。

手が小さくて4番が弱くて左手が動かなくて関節が硬くて細い。そうしたらピアノは弾けないでしょうか?逆に条件が揃っている手を持っている人だけがピアノをやっているのでしょうか?いいえ、『ピアノを弾いたらいいのに!』って手の人に限ってピアノ、弾かないんですよね〜。

いい道具があるにこしたことはないけれど、それは大多数の人が持っていない道具です。
どんなに羨ましがってもその手は手に入らない(上手い)。不満を言ったところで、弾きたきゃその手で弾くしかないんです。ピアニストだって、最高の手の人ばかりじゃないんです。


あるものを上手く愛おしんで壊さないよう大事に使いましょう。幸いにも正しく鍛えると関節はちょっとはしっかりして来るし、柔らかくなって広がるようになるし。大きい手の人って黒鍵に指が挟まっちゃって不便だし長い指の人は狭い鍵盤持て余しちゃうし。小さくてよかった!
それには選曲も大事ですね。






悲しみは増えても

こんばんは。
終わらないような気がしていた夏も、もう過去になりました。

「年を取るって悲しみが増えること」というCMがありました。
だからと言って、みんな悲しそうにはしていない。悲しみって、心の奥にそっとしまってしまう涙のことかなって思いました。

悲しそうにしていないあの方もあの方も、年を重ねただけ、しまってしまった涙があるのだろうと思います。悲しみをなくすことは出来ないけれど、ピアノを弾くことで一瞬でも気が紛れてくれたらなあって思います。過去になってしまっても、そんな一瞬一瞬が積み重なって、涙を思い出すことのない楽しい現在となってくれればなあと思います。





2013年9月30日月曜日

ほんとうのこと

私が言う「ほんとうのこと」、
これ実は、ほんとうかどうかあやしいです(笑)

単に私が45年くらいピアノをやって来て、今、ほんとうと思っていること、をほんとうのこととしています。

たとえば『奏法』というもの。
私のピアノ人生、世の中では『上手になる奏法』はじゃんじゃん変わりました。
最初は「先生は間違ったことを私に教えてたんだ」と憤慨しましたが(笑)、そうではないのです。健康ブームや速い走り方なんかと同じで、ピアノもどうすれば上手く弾けるか、いろいろな人が研究して分析している結果です。一つを鵜呑みにせず、あらゆるものを知る、人の頭をお借りしつつ自分の頭も使う。そして自分で気づき自分で正す。やっとこれに気づきました。

私は上手になりたいので、いろいろ取り入れて実験しています。なので、もしかして明日になったら、「あれ?違ってた」って言ってのけちゃうかもしれません。とりあえず、今一番いいと思うやり方をしています。

クリエイターとは自分で考える人のことだそうです。
人を信じるのは大事なことですが、「人の話に耳をひらく」と同時に「自分で見つけよう」とする気持ちが、いろいろな人のアドバイスを活かすと思います。自分で本を読んだり講座に行ったり考えたり実験してみて下さい。

人によって体格も手の大きさも感性も頭脳も運動神経も筋力も柔軟性も違いますよね。
クリエイターになりましょう!

2013年9月29日日曜日

ピアノを人に聴かせるとは?


あたふたしてて前回のブログ記事を削除してしまっていました。
皆様懲りずにお越し下さって有り難うございます。

人に聴かせるピアノは1でもいいんです。
10のピアノや100のピアノでなくても、ささやかな1を「これがわたしです」と堂々と見せて下さい。

以前、練習しなければピアノは趣味にもならないと書きました。1を練習し続ければ立派な趣味です。ピアノを始める方すべての人が『アヒルのがっしょう』以上のものを弾きたい野望を持っているので、まるで「アヒルのがっしょう」じゃ悪いみたいになっちゃいますが、コードを工夫すると、とびきりの「アヒルのがっしょう」が出来るはずです。「アヒルのがっしょう2013」とか日記代わりに作ると毎年進歩しそうです。(ちなみにドレミファソソソ×3+ソファミレドドドがアヒルのがっしょう全曲です)

なぜ1でも聴かせた方がいいかというと、1という自分を人に応援してもらうためです。「1がいっぱいいっぱいです」と自分を晒して弾いている人と、それを横目に「本当は家で100弾けるんです」と弾かない人のどちらを応援しますか?音痴だった私は始めての声楽のレッスンで「音程であなたの人格を判断しないから安心して」と言われ安心しました。長所のたくさんある皆様のこと、なにもピアノごとき絶賛されなくたってへのかっぱです。
私自身、最近読んだ「若いピアニストへの手紙」(ジャン ファシナ)という本に、「気取りをぬぐい去って本当の自分自身をどれだけ人前に出しているか、、、」という一文に反省の極みです。

1でも人に聴かせて応援してもらえる、アマチュアの方はこれが最大の特権です。
それで失業するリスクだってないんですから(笑)






2013年9月27日金曜日

ピアノをはじめたい方、やめようと思っている方

「簡単に弾けちゃう!」の誘い文句に乗ってピアノを始めてはいけません。それを信じて始めてしまった方にはお気の毒ですが、ピアノは簡単に上手にはならないんです。

もし「簡単に弾けるなら」始めようと思っている方がいるなら、「簡単に弾けるのは『アヒルのがっしょう』と『たのしいおどり』までですが、いいですか?」と教えてあげたいです。

すでに始めてしまって「簡単に弾けると思ってたのに〜」とがっかりしている方は、「難しい」と考えを改めるところから始め、そうと知った上で、思い直してやるか、難しいからやめるか、です。もし「自分は才能がないから難しい??」と思っていたらそれは誤解で、人間全員難しいので、安心して続けて下さい。

私は日常生活で失敗ばかりしているので、人には「頑張れない種類」がある事を痛い程良くわかってます。私は、ピアノは努力と運のみでここまで続いたけど、日常生活は頑張れない、そう考えると人によって頑張れることは違うのだと思います。

なのでピアノを始める方、始めた方全員にピアノを頑張れと言うつもりはさらさらないんです。ただ簡単に上手にはならないことは事実として知っておいて欲しいと思います。ピアノが簡単だなんて言ったら私の人生詐欺にあったようなもんです。

じゃあ「難しいということはわかった、でも頑張れない、でもやめたくない」

人はどうすればいいでしょう?

もう答えは出ていますね。難しくて、しかも頑張れないのにやめたくない。。。
それはピアノが大好きだからですね。この一言に涙するくらい。

私の経験からすると、ピアノの神様は何気なく上手に弾いてくれる人より、一生懸命思いを寄せてくれる人の方が好きな気がします。簡単に落とせる女だからと言い寄られたら気分悪いですもんね。フフ。付け加えるなら、私はピアノが好きなのに『上手にならなくていい』と思っている人がいるとは思えない。好きな事なら、今1なら2になりたいのが自然です。だから、上手にならないとやめたくなっちゃうのでは?私は「上手になりたいです!」と声を大にして言っています。その方が、ピアノさんも応えやすいと思って。あー、もしかしたらこれがいけないのでしょうか?「好きだけど遠くで見てます…」がやまとなでしこですよね。上手にならなくても楽しいというのが一番純粋なピアノへの愛かもしれませんね。そう、私は欲のかたまりです。

私のように欲深くて、上手になりたいのに上手になれない方が出来る唯一の事は離れないこと。始める方もここだけは肝に銘じて下さい、欲深い方は必ずやこれを思う日が訪れますので(笑)。そうしたらすでに出来ている1を大切にすること、1出来ることに感謝して味わうこと、恥ずかしがらず1を人と共有すること、次に理想を持つこと、理想に一歩でなく半歩だけ近づこうとすること。

こんな風に書きながら、やっぱり日常生活頑張れる人が一番うらやましいよな、と今日も思います。











2013年9月26日木曜日

曲選び

大人の方から「部分練習や片手練習をしてるのに通すと弾けません、どうしたらいいですか?」と聞かれます。

ズバリ、曲が難しすぎます。大人は理解力があるので、頭で読める楽譜を弾けるものと勘違いしてしまいます。書類を作ろうとしてパソコンで入力するとき、一つ一つキーボードを確認しながら

今度、ピアノ  の (えーと) 弾き   合い  会    を   (んーと)やる  ので   着て(あ!違う)
 来て    下さい 。

と打ってもちゃんと書類は出来上がりますが、ピアノは上記のようにいちいち切っていたら、曲にはなりません。大人の方は、この入力状態を「自分に可能な曲」と認識してしまいがちです。でもピアノはいちいち切らずに

今度、ピアノの弾き合い会をやるので来て下さい。

としないと。。これが出来ない曲だったら、その曲はとりあえず今はあきらめましょう(バッサリ)。弾きこなせちゃえば楽譜にカタカナを書いてもOK。危険なのは

今度ピアノの 弾きあ   いかいをやるのできてく   ださい。とか

こんピアノのの弾き弾き合い をのさい。とか

それらしく?弾けていると思い込んじゃう事です。

弾けた、と思ったら、自分のピアノを録音して聴いてみてください。録音となると緊張して弾けない場合は、既に弾けてないって事です。次に、一人で弾けたら人前で弾いてみる。人前で弾けなかったら、やっぱりまだまだ(笑)。もう一度猛練習して挑むかレベルを下げる。練習では出来るのに、、、あがってしまった、、、人前で弾くのは向いていない、、、恥をかいた、、、練習して損した、、、楽譜買って損した、、、って残念なことが続くのは、その曲を弾く実力がないからです。自分が実力以上の事をしているのを思い知ることが先決です(ここまで言う、、)。

でも不思議な事に、弾いてはあきらめ、レベルを下げるという無駄骨を折り続けていると、曲選びが出来るようになって来ます。
まずは、簡単すぎるくらいの曲を数をこなして、きちんと弾く。たとえば、長くない「弾き合い会に来て」とアレンジされた曲でいいのです。無理に長くするより伝わります。
これが出来たら、レベルアップしたものを失敗を覚悟で弾いてみる。人前で失敗する事は反省のチャンスと思う。同じ曲を何度も、何年にもまたがってやり直す。でもその間に自分の実力通りの人前でこれなら弾けるというのは必ずキープしておく。

こんなめんどくさい事、やるだけの価値があるのがピアノです。















2013年9月24日火曜日

五感を鍛える


ピアノをより楽しむために音楽全般、音楽だけじゃなく芸術全般を学んだほうがいい、と言うには理由があります。


創作というものの根っこは一緒なので、たとえば陶芸という花やお料理という花を鑑賞すると、同じ根っこから出ているピアノの花が理解しやすくなるということです。

「サロンの会」という、素晴らしい会場で素晴らしいお料理をいただく贅沢なピアノ発表会をしていますが、「別にグルメじゃないし、私はピアノを弾きたいだけだから、お金かけて遠くまで行かなくても、近くのフツーのスタジオで充分、スタジオなら同じ金額で2回分」って思う方もたくさんいらっしゃるでしょう。なぜその必要があるのか。

一言で言うなら、「感動」を五感で感じる練習です。
先日も「美味しいものがわかるには美味しいものを食べる」と書きましたが、いいものがわかるにはいいものに触れないとだめです。そして、ピアノは一流、他の感性はナシ、ってことはあり得ないんです。繋がっているので。

素晴らしい演奏を作り上げるのに時間と努力が必要なように、会場、料理は目で見て舌で感じられる時間と努力の結晶です。そこにはその道のプロフェッショナルが関わっています。素晴らしい会場とはただの箱ではなく宝箱です。庭は造花じゃないし、インテリアは100均じゃないし、自分では到底買えないものが揃っていて、素晴らしいお料理はスリーズドライでもレトルトでもない。

何もフレンチのフルコースが一流で、家で食べるお米とお漬け物のご飯が三流なのではありません。ただ技を磨き上げるとはどういうことか、プロの仕事を見てみるということです。

最近安価なフランス料理店が流行っているようですが、安いのにも高いのにも全部理由があります。高いレストランが高いのは、テーブルクロスも椅子も食器もカトラリーも飾ってある絵画もお店の方のサービスも、一つ一つが芸術で、お店全部が総合芸術だからです。敷居が高くても敷居を超えないかぎりそれは自分のものにはなりません。

ピアノを弾く技術は「こう弾きたい」という理想に付いて来ます。「こう」と感じるのはただピアノをがむしゃらに弾く訓練ではなく、五感を磨くことで生まれて来ます。

料理のように具体的な「見た目がキレイ、こんな調理法があるんだ」という感動は、ピアノのような抽象的な「きれいな音、凝ったフレーズ」より、だんぜんわかりやすいのです。ドビュッシーの「アラベスク」は「くねくねしている模様」のアールヌーボー絵画やガラス器を見ると「これのこと?」とわかりやすくなります。


「なんてきれいな」「なんておいしい」そんな単純な経験を沢山積み上げて下さい。
必要な技術とはそこに近づこうと磨かれて行くものです。高尾山の頂上に憧れるのと富士山の頂上に憧れるのでは、普段のトレーニングも変わって来ませんか?



2013年9月23日月曜日

アルテ交流会 ご参加有り難うございました

第1回アルテ交流会が終わりました。

「アルテ」とはイタリア語で芸術の意味です。
今回は朗読、クラリネットの方が各1名、楽器はやらないけど音楽大好きな方3名、あとは25名ピアノの方でした。ピアノを深めていきつつ、他の楽器や異分野芸術の勉強や交流も目指していきたいと思っています。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。


今回の内容はまず室井先生の演奏会のミニ上映会。
生の音にはもちろんかないませんが、映像だから手元がばっちり、先生のお話もお顔アップで聞けるという大きなメリットがありました。当日は聞き逃していたこと、こういう風に弾いていたんだ、という箇所が何カ所もありました。初めての方も演奏会を聴いた方もどちらも大変いい勉強になりました。

〜会の説明が入って休憩〜

藤田幹氏のピアノとトーク。
ジャズを弾いてみたいという方は沢山いると思いますが、今回は同じメロディーに左手の和音だけを変えて行く手法で、せつなくなったり、たかぶったりという感じを実演を交えて語っていただきました。とっても好評で「もっと聴きたい」というお声を多くいただきました。プレゼンではとりあえず皆様の新しい扉をコンコンとノックします。ご興味のあったプレゼンは、ぜひ改めてじっくりセミナーで学んだり、聴きにきてください。

最後に座談会。
4グループに分かれて今やっている活動を自己紹介したり、目指しているもの、今後やっていきたいものを話しました。具体的にこれをやりましょう、まではいきませんでしたが、同好の仲間と悩みを共有したり、理想を共有したり。和気あいあいと大変盛り上がりました。

そのあとは飲茶ランチへ。
話足りなかった話の続きに花が咲きました。

遠くからいらして下さった方、成田から直行して下さった方、お忙しい中ご出席下さった方、そしてお世話役をして下さった方、皆様本当に有り難うございました。

                               直井紀子






2013年9月22日日曜日

ピアノの聴き比べ


先日、上手な人の演奏になるとちゃんと弾けているので、いい演奏とそうでもない演奏のどこが違うかわからない、と聞かれました。

「いい演奏はクラッシックがわからない人にも響く」なんて言われると、益々プレッシャーですよね。響かない自分はおかしいのかって。


いつも引き合いに出す外国語ですが、音楽は外国語です。外国語でどんなに感動する話をされても内容はわかりません。けれど映画で泣いている俳優、笑っている俳優を見ると言葉がわからなくても感情が伝わります。これを俳優でなく一般の人がやったら、そんなに伝わらないっていうか、わざとらしくて涙が乾くっていうか、、。

俳優さんの中にはセリフは棒読みなのに、なんかいい、って人いますよね。伝わるってありますよね。なんでだろうって考えました。
セリフだから言葉は決まっていて、勝手に言葉は変えられない、けれどそのセリフの感情を心から理解していて、そのセリフを言わずにはいられない心境になっている。その心境で放たれた言葉は、セリフかもしれないけどセリフでない。

結局「演者が自分の言葉で言っているかどうか」が鍵の気がします。

手順としては、クラッシックは曲が複雑に出来ているので、まず何回も聞いてその曲を覚え(外国語の映画を見るのと一緒です)、そして演奏家ごとに比べる。いっぱいいっぱい聴き比べると、演奏者がどれだけ真摯にその曲の心境を理解しようとしているか、見えて来ます。通り一遍セリフだけ言ってる俳優あり、上辺だけ涙を流して悲しみを訴える俳優あり、悲しみをこらえる俳優あり、というように。音楽は見ることでなく聴くことなので、耳を澄ませて下さい。大きい身振りをつけるピアニストより、淡々と弾くピアニストの方がいいことってよくあります。

弾くのも練習ですが聴くのも練習です。

今日、「美味しいものを食べたことがない人は何が美味しいかわからない」という話を聞きました。美味しい音楽をいっぱい食べてください。



2013年9月19日木曜日

読んで下さっている方へ


いつも読んで下さっている方、
初めて読んで下さった方、
たまに読んで下さっている方、どうもありがとうございます。

いつもどんな方が読んで下さっているのかなあ、と思います。
実は、恥ずかしいので生徒さんや友人には、このブログの存在を自分からあまり話していません。
私は、真面目じゃないのに真面目なので、言葉で上手く言えなくて、こうして書いたりピアノを弾いたりしている気がします。


言葉を濁して何が言いたいのかわからないのでは、意味がないのでストレートに書いていますが、ピアノを学習中の方は「そんなの絵に描いた餅だ」「素人には無理」とか、
同業のピアノの先生たちは「そこは違うんじゃない?賛成しかねる」とか、
読んでいただいている数少ない生徒さんの中には「先生はどこに行きたいの?」とか
きっと色々ご意見もあると思います。

私の尊敬する方が、以前「仕事は仲良しクラブじゃない。同僚ではなくお金を払ってくれてるお客さんに誠意を持たなければいけない」と話していました。(ちなみに、この方は同僚から抜群の信頼を得ています)。ともすると、上司、同僚仲間など身近な人に気を遣うあまり一番大事な事を忘れてしまいます。クレームの多い人に妙に媚びたり。私はよくありました。

じゃあ、ピアノの先生として一番誠実な事って何?って考えたら
「生徒のピアノを上達させる事」に尽きると思います。

はじめてピアノの会は「音楽を通じて芸術を知り、それによって人生が豊かになる」ことを目指していますので、一見「ピアノの上達」にはこだわっていないのです。

しかし、この矛盾しているようなこと、「上達」の意味が違うだけなんです。
昔は、生徒さんのお母様に「うちの子、全然上達しませんね」と言われるとギクってしていましたが、今では「なるほど、実感が伴ってないんですね、でもこんなところが上達していますよ」と言えるようになりました。上達は指が動くだけでも楽譜が読めるだけでもない。

ピアノを弾くということは「音楽を理解して表現する」ことですが、理解するというインプットの段階は目に見えないのです。そして理解することとは、楽典や作曲家の生きた時代を勉強することでもあるのです。「レミゼラブル」という映画がありますが、主人公を演じるのに、フランス革命後の貧しさ、という時代を知らずには絶対できませんよね。また映画を見る側もそこをスルーされたら、感動半減ですよね。

理解出来れば出来る程「上達」=「楽しみ」は上がると思っています。お一人お一人のピアノの楽しみ方は違うかもしれませんが、私が知っているピアノの楽しみはそれこそここをスルーする訳にはいかないので、とってもしつこく語ってしまう訳です。

もちろん指の動きが基本であることに違いなく、この部分のしつこさも外せません。
親御さんがお月謝を払うのはこの部分に期待していることも大事なことです。

というわけで、私なりな誠実さを持って、心を開いてそのままの気持ちをブログに書いています。

お目にかかれる機会がありましたら、お声掛けてください。
とっても真面目なので、反対意見も真摯におおいに参考にさせていただきたいです。



2013年9月17日火曜日

自己満足

今日生徒さんと話して、そうか、、、と思ったことがありました。

「人によってピアノって、発表の場がなくても、上達しなくても、自己満足でもいいんだと思う」


そうなのか、、、と思いました。

そういえばこの間ある社長さんが「以前は頑張らない人はさぼっていると思っていたし、頑張る人を評価していたけど、最近は皆が皆頑張れるわけでもないし、皆が皆頑張らなくてもいいんだと思うようになった」と話していました。

私は昔から変に突き詰めてしまう癖があって、ピアノは勿論なんでも「問題に向き合わなくてどうする!」って、やっちゃうんですね。自分がやる分には構わないけれど、人にそれを求めてはいけませんね。

「ピアノを頑張りたい」と思う方のお手伝いはしつつ、そうでない方にもその人なりの楽しみ方、生き方があることを忘れずに、頑張ることを押し付けないようにしようと思いました。








2013年9月16日月曜日

くだらないこと


高校の英語の授業中、隣の席の友人の話に笑いが止まらないでいたら、先生に「お前は寝ているか笑っているかのどっちかだ!」と怒られました。中学のときにも、「何がそんなに面白いのかみんなの前で発表して下さい!」と家庭科の先生に怒られました。


一つの笑いが長持ちするというか、笑いが治まる頃もう一度反芻して可笑しくなって、別の日に思い出してまた可笑しくなって。。

最近可笑しかったのは、「あまちゃん」で古田新田さんがやった「生まれたての子鹿の脚」(笑)。あれはもう(笑)

あと、母が体操教室でやっているらしい東北弁の「ラズヲ体操」(笑)。「イッヅヌーサンスイー、手さ上げて〜」とか言うそうで(笑)、、、。母はコーチに「号令お願いしま〜す」と言われ「イッヅヌー」と言わなきゃいけないのかと慌てたそうで(笑)。

くだらなくてすみません。
私の頭の中、ピアノが1とするとくだらないことはその100倍です。




2013年9月15日日曜日

ピアノという芸術


ピアノという楽器の芸術っぷりについてもう少し。

ピアノの最大の芸術性&魅力は「不安定さ」だと私は思っています。

電子ピアノは、まだタッチの確立していない子供が弾いても、フルコンサートグランドピアノをホールで弾いた響きが出ちゃいます。けれどピアノは練習しないといい音は出ないし、そのときによって音が変わる、怒っていたら怒った音、湿気の多い夏はべたべたした音となってしまいます。これは、あたかもマイナス要素的ですが、いつもいい音という平均がない代わりにとてつもない美しさを持つのです。

そして電子ピアノのドの音はドの音でしかないのですが、ピアノには木や弦の音が加わり
揺らいでます。私はこのアコースティックならではのなんか不安定さが好きです。ピアノは弦楽器や管楽器のような揺らぎはないですが、他の楽器にはない「ポトン」とか「コロコロ」とか「りーん」みたいな音があって、上手な方の演奏は、ほんとに音が「ド」とかの音程とは違う別の意思を持つ気がします。

音楽の良さはメロディーの良さという意見は当然で、作曲家は偉大に決まってます。が、
この不安定な美しさは弾く人によって格段に違い、これは演奏家の努力の結晶です。素晴らしい演奏家とは「あんなに指が動くなんて」とは違ったすごさを持っています。「いい曲ね」だけではないピアノの芸術を味わいに、ちょっとお金を出してコンサートにも行ってみて下さい。


ピアノと電子ピアノ

電子ピアノとピアノは目的が違います。


メロディ、ハーモニーを楽しむためだけなら電子ピアノ
それ以上の、言葉で言えないものを求めるならピアノ(笑)

言葉で言えないなら書くなって言われそうです。
ピアノの魅力は「音色」とよく言われますが、一言でそうとも言えないのです。
そこでそれがズバリ実感出来るのが、それぞれの楽器作製の行程の違いです。
ピアノを作る行程を知ると電子ピアノとピアノは別物で、それは違う目的のためなんだと実感します。

私は陶芸は出来ませんが、ちょっとかじったときに「深すぎる。これは趣味では出来ない」と慌てました。どんなお湯飲みでもお茶は飲めるし、充分美味しい、充分なのにいいお茶碗を作るのが陶芸です。つまりいいお茶碗にはお茶を飲むときに「美味しい」以上の付加価値が加わりまくるという事です。

もちろん電子ピアノはとても便利で、これを発明、開発して下さった方には、感謝と敬意を払うことに違いなく頭が下がります。本物の陶器のような「割れないお茶碗」が大量生産出来るようになったようなもんです。しかし、ピアノの制作は木を植えるところから始まるという、なんとも壮大なドラマを持つのです。しかも熱帯でただ大きくすればいいって木ではダメなんです。

そんな風に作られるには意味があります。なぜそれだけの事をするか、それだけの違いがあるからです。言葉では言えないすごい事が(笑)。そう、電子ピアノとピアノ、目指す場所もたどり着く場所も違うのです。どんなお茶碗でお茶を飲むか、陶芸や茶道の道たるゆえんがあるように。

「百聞は一見にしかず」、歴史的ピアノを見たりピアノの構造を学んだりすると、ピアノはとてつもない芸術だったんだと、腰を抜かします。










2013年9月10日火曜日

角先生「ピアノがうまくなるにはワケがある」

ずっとあたためて来た角聖子先生のピアノ&トークコンサート開催が決定しました。

来年1月16日(木曜日)14:00杉並公会堂です。

角先生と言えばNHKの「お父さんのためのピアノレッスン」で有名なピアニスト。
大人のピアノレッスンの先駆者であり、今では当たり前になっているピアノのブラインドタッチやナチュラルポジションを初めてメソッドとして提唱されたピアノ教育の第一人者です。角先生の近著「ピアノがうまくなるにはワケがある」は、ピアノ学習者もピアノ指導者も必ず一度は読んでおきたい1冊です。

角先生はピアノ指導者向けのセミナーは沢山なさってますが、セミナーを受講するたび、生徒さんやピアノ愛好家の方向けのトーク&コンサートがあったらどんなにいいだろう、と考えてました。

なので!
今回は、ピアノはどうしたら上手になるの?と悩んでらっしゃる生徒さん、どうしたら生徒を上達させられるの?と勉強している先生、そしてピアノを弾かないピアノ愛好家の方にいらしていただけるトーク&コンサートとなりました!ワンランク上のピアノの楽しみ方を聴きにいらして下さい。

昨日打ち合せに伺いましたが、絶対楽しく勉強になるコンサートになること請け合いです。詳細はまたお知らせします。お楽しみに。






2013年9月8日日曜日

音楽ボランティア

せっかく弾けるピアノ、何かに役立てたいなと思ったら音楽ボランティアがおすすめです。

施設などで右手だけの童謡を弾くだけで喜んでいただけます。音楽朗読などで、ちょっと効果音みたいに弾くのもいいですね。演奏力は置いておいて(笑)音楽の力で人様のお役に立てます。上手になるならないと悩むくらいなら、今出来る事をしてみて下さい。私もヘタですが「こんな私の音楽を喜んでくれる人がいる」と思うと続けたくなります。そして喜んで下さる方のために「もっと上手になってまたよろこんでもらおう!」と頑張れます。アンパンマンの作者やなせたかしさんの詩が大好きです。やなせさんは「人に喜んでもらう事が人にとって一番の喜び」と言っています。

もう忙しくて忙しくて時間がないという方は難しいかもしれませんが、時間はあるけど心が荒んでこっちがボランティアして欲しいくらいだよっ、というかたは一度やってみて下さい。聴いていただく対象者によっては感情を表してはもらえないかもしれませんが、私の経験からすると、本当にこちらがボランティアしてもらったように、暖かい感謝の気持ちでいっぱいになります。









2013年9月7日土曜日

ピアノ弾き合い会 開催!

ピアノ弾き合い会を開催します。
ふるってご参加下さい。


日時   10月13日 日曜日 午後1時から 
場所   都内 
ピアノ  KG2C
参加費  アルテ、ピアノサークル会員1100円/非会員1400円
その他  ピアノ講師のワンポイントアドバイス、Q&Aレッスン付き


ピアノを始めたばかりの方からピアノ歴の長い方まで、レベルに関係なくご参加出来ます。いろいろなレベルの方が集うのがこの会のいいところです♪。当日のピアノはちょっと古いピアノですが、共鳴弦のない重みと深みのあるカワイのグランドです。普段人前での練習が少ない方、発表会前のリハーサルに、人の演奏が聴いてみたい方、独学の方、単発で、、などなど秋の午後に普段とは違う練習をお楽しみ下さい。弾かない方も同額です。
演奏の良かったところ、こうすればもっとよくなるなどのワンポイントアドバイスと、質問疑問にお答えするミニコーナー付きです。お悩み相談も良し、今更聞けないご質問もどうぞ(笑)

場所と担当講師はお申し込みの方に後日直接お知らせします。

お申し込みはこちらから
info@hajimetepiano.org


2013年9月6日金曜日

コンプレックスの克服


何か問題が発生したとき、問題の解決より、それに伴う自分のコンプレックスが露呈することをまずは避けようとしていることに気づきました。でも、そうすると、もう一段階問題が深くなることにも気づきました。

なんだか問題って、コンプレックスの克服法を探るために起こる気さえします。


話は変わりますが、先日、ある辛辣なコメンテーターが「私は子供の頃、協調性がないと言われていたが、大人になってわかったのは、協調性とはレベルの低い人に合わせろってことだった(笑)」と言ってました。ジョークですが、ちょっと確信をついていてドキッとしました。自分が出来ないとき、みんなも出来ないで欲しいと思ったり、しない方向にいってほしいと望んだり、そして希望通りみんなも出来ないとほっとしたり。たまに、それをしない方向に持っていってくれる人がいると、神に思えました。

しかし、だれが何を操作しようとも、コンプレックスが露呈されるまで、コンプレックスを証明させられる事態は起こるような、、、。

私は、あるシビアな問題が起きたときに「問題の根底は、自分を隠すことに必死になっていることかも」とハッとしました。頑張るものが違っていたんですね。その時「今やるのはそんなことじゃない」って気づいただけで、なんか新しいステップを踏んだような、肩の力が抜ける経験をしました。

ピアノのグループレッスンをしていると、個人差がとてもあるので、コンプレックスを感じてしまう方がいます。でも、こちらからするとピアノには競争する部分がそもそもないので、それは無駄なコンプレックス。「私、こんな事すら出来ません」と言ってしまった方が、絶対楽だし、気楽に学べます。逆に自分はあの人より上手と思っている人がいたら、ピアノに求めるものが間違っていると言えるでしょう。そちらの方が深刻なコンプレックスを抱えているのかもしれません。

コンプレックスは永遠になくなりません。だからコンプレックスの克服は目指さない。
私も気づいただけで、全然コンプレックスを克服してはいません。ただなるべく隠さない、そして、その自分のコンプレックスがある分野をかわいがる。褒めて育てるはコンプレックスも同じ?というのが今私のたどり着いているコンプレックス対処法です。

その人が頑張っているってわかるとみんな優しい気持ちで迎え入れてくれます(笑)。人って思ってるよりずっとやさしい。逆に、そんな人だけいてくれればいい、自分のコンプレックスを嫌がる人はいなくていい、と思うと、隠す事に必死にならないで済み、そのエネルギーを他に使えます。