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2013年11月1日金曜日

音楽の耳

以前も『耳』について書きましたが、音楽に必要な耳は、「色」や「触感」みたいなものを感じる耳っていうのに近いんじゃないかと思います。


ミとレの違いでも強い弱いの違いでもなく、
ピンクと水色や、
油絵とパステル画や、
リンゴの手触りと桃の手触りを聴き分けるみたいな、、、。
ますますわかりづらいでしょうか?

ピアノでアドバイスする時、生徒さんは抽象的な指摘が大嫌いなようですが(笑)、音楽が元々抽象的なので、具体的に「小さく」「おそく」と言ってしまうと、違うものになってしまいます。たとえばある和音から短調になっていくところ、「グレーのグラデーションみたいに」のようないい方をすると、「は?もっと小さくって事ですか?遅くってことですか?(そんな抽象的に言われても)」と絶対なりますが、「小さく、遅く」といってレモン色のグラデーションになっちゃうのは違うのです。

また、弱い音=やさしい音、強い音=元気な音のように直接的な言葉にはある種固定観念があるので、それで判断してしまうとつまらない演奏になりがちです。弱い音は単なる頼りない音になっちゃったり、とっても暖かいはずの強い音が乱暴になったり多々あります。

なので、私はどんなに「は?だんだん強くって事ですか?」と質問されようとも、「というより、期待に胸が膨らむ感じです」と言い続けようと思っています。

私の比喩は、体験した事や、絵を見たり、本を読んだり、映画を見たりした時の感情を思い出して使っています。
桜が上からぱらぱら散って来るの見た時の心と海の水しぶきがかかったときの心は違います。そうすると、この十六分音符の連続は、ぱらぱらの桜か、海の水しぶきか、速い遅いではなく、質が違う音になります。また、画家はこんな風に描いている、作家はこんな風に書いている、映画はこんな風に作られている、と素晴らしい芸術作品も見ておくと、捉え方の参考になります。実際のその曲が桜かどうかでも、桜が散るときにどんな音がしたかでもありません。はかなく散る桜に音があったらきっとこんな音、、、潔く散る桜はまた違う音、、、海がもしかしてここで7色になって音があったらきっとこんな音、、、急に映画のシーンが変わってドキっとした自分の気持ちに音があったらこんな音、、、。

「もしも期待に胸が膨らむときに音があったら、、」そんな空想をしてみて下さい。






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