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2016年12月31日土曜日

今日の次は、、

おはようございます。
いいお天気です。
いつも読んでくださってありがとうございます。


今日の翌日は明日なのに、明日は来月で来年なんですよね。。
年々1年は早くなるのに頭の回転は年々遅くなっててその複雑さについていけません。
ついていけなくて、明日は来年だというのに全くいつもの明日としか思えません。
あそこもここもしっかりお掃除して年神様をお迎えしたいのに、あそこもここもいつも通り「明日やろう」状態です。

なんだか今後のイベントのことやらなんやらが気になって「今を生きる」ことができない、、。気になっているだけで具体的には何も考えていないんですが。
とりあえず今すべきことは、このパソコンをシャットダウンすることですね。


今年も1年大変お世話になりました。
拙いひとりよがりなブログを読んでくださって有難うございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。


平成28年12月31日(土)




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2016年12月30日金曜日

子供の、、騒音?


子供の頃、大掃除のお手伝いをするのが嫌で「あ、ピアノ弾かなきゃ」といつもは週1の練習が年末だけ週3でした。

そういえば昔は隣近所からピアノの音がするという光景がありましたが、最近はピアノの音はどこからも聞こえません。
アコースティックのピアノで音を出して練習することは近所迷惑ということになっているのでしょう。

今後、ピアノってどうなるんだろうと思います。
電子ピアノは別物だし、アコースティックのピアノもサイレント機能でヘッドフォンを使えばもう別物なんですよね。
アコースティックピアノを弾いてる人が電子を弾く分には「本当のピアノならあんな感じ」というのがわかるのである程度想像しながら弾けますが、それしか知らないとピアノで音が作れなくなってしまいます。だから小さい頃こそ本物のピアノを弾いてほしいのですが、世間が厳しそうですね。
でも子供が本物のピアノを弾かないとピアノという芸術は育たないし廃れてしまいます。

最近では住宅街にある公園でも子供が大きい声を出してはいけないないという決まりもあるようです。私がこの職業だからなのか、自分が子供の頃が自由すぎたのか、元気に声や音を出したり思い切り泣いたりするのって子供の特権の気がするのですが。。


と、年末とは全然関係ない話をわざわざ持ち出して大掃除から逃げようとしているところなど、子供の頃と全然変わっていません。




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2016年12月28日水曜日

パステル

今年は昨日が仕事納めでした。で今日はというと「ピアノは弾かない」と決めて、大掃除と忘年会。


大掃除の時に今まで手をつけなかったところまで広げてみました。
「いつか工作しよう」と買っていた木材が出てきました。
固まりかけている絵の具がたくさんありました。
一つ一つ蓋を開けてみると、その色々にその匂いに、懐かしさと気恥ずかしさと切なさが押し寄せてきました。

ずっと絵を描くのが好きでした。何か作るのが好きでした。
友達と絵の話をしたり、展覧会に行ったり、誘ってもらってデッサンの会に通ったり。
不安いっぱいながらもその時その時を楽しんでいたなあと若き日々を思い出しました。

それが今は鉛筆も持たず筆も持たないのはもちろん、絵の話をされても全然わからない。
「すごい絵が東京で見られる」と聞いてもなんのこっちゃって感じで、どんな魅力があるのかも説明してもらわないとわからない。
絵を描く楽しみも絵を見る楽しみも忘れてしまいました。

いつの間にか、大好きだった絵を忘れるほど楽譜に向かっていたんだなと苦笑いしました。私そこまで音楽が好きなわけではなかったので。
ただ、そこまでやらないと仕事としてやって来られなかった。
こんなに仕事に恵まれて、絵なんか描いてる場合ではありません。必死で音楽やらないとバチが当たります。
そんなふうに思ってやってきたピアノですが、そんなふうにやって来られたピアノが今となっては絵を描くことより大事になっていました。


「いつか両立できるほどピアノに余裕ができたら、また絵も描いてみたいな」と思いながら、ひとまず高校時代の使いかけのパステルは元の場所に戻しました。



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2016年12月27日火曜日

楽しいだけでは

楽しみながら弾けるようになれば何よりですが「楽しくなんかない、大変なだけだ!」と叫びたくなる時がない訳ないんです。

昨日久しぶりに友人とおしゃべりしました。
2年ぶりくらいだったのですが、以前彼女が悩んでいたことが見事に解決され、それどころかオメデトウ!という変化。
頑張った人にはご褒美があるんだな、と思いました。

頑張らなかった人には頑張れない理由があるわけで、頑張れないのが悪い訳ではない。だから、もしそこで誰かが協力することで頑張れれば、、、。

今日が私の仕事納め。
練馬の生徒さんと弾き納め会をして色々なお話をしました。楽しかったです!
大人の方は、一緒にピアノを学ぶ仲間を持つと頑張りやすいと思います。仲間がいるとすごく励まされます。楽しいだけじゃなくて頑張らないといけないのはみんな同じだから。
それをやり過ごし乗り越え気づいたら、続けている。。


来年も「楽しいことだけでは」ない自分にできることを出来る範囲で、色々な方に協力していただいて頑張りたいと思います。




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2016年12月26日月曜日

音楽国の母国語

ピアノを習いに来る子供に一番にするべきことは何だろう、と考えます。

音楽を生涯楽しめる子になって欲しい?
では生涯楽しめるってどういうことでしょうか?

音楽って習いに来なくてもみんな好きです。
わざわざ習いに来なくたって世の中には音楽が溢れていて、ほっといてもひとりでに、もっともっと音楽は好きになるものです。

じゃあ習いに来る意味は、と言うと私は、その好きなものを自分でやれるようになること、つまり習いに来たからには、まずは最低、楽譜が読めるようになること、だと思っています。

楽譜を読むというのは、ドレミを読むのではありません。一つづつの音やリズムがわかるのではなく、見た音符をそのままその通りに理解して弾けるということ。

これはやり続ければ出来るようになります。
これは量です。
私がいいモデルです。
子供の頃、楽譜がよく読めなかった記憶があります。でも量をこなすうちに読めるようになりました。
量しかありません。

そのためには、習慣です。
音楽は言語と同じですので、毎日毎日音楽国の母国語の楽譜を見て読んで発音する(弾く)のです。あたかもその国に住んでいるように。
英語だって週1回の英会話教室じゃ喋れるようになりません。
量です。
読めるだけでも喋れるようにならないし、喋ってるだけでも読めるようにならないし。
それと一緒です。

習いに来た子が、音楽国に行って困らないように音楽国の言葉を少しでも読んで聞いて喋れるようにしておくこと。その習慣をつけてあげること。

これが一番生徒さんにすべきことかと思っています。




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2016年12月25日日曜日

子供のピアノ習慣

楽器店の子供のクリスマスコンサートが終わりました。
みんなそれぞれ楽しそうでした。
そして、「上手くできてよかった!」と喜んでいた小学生の女の子が昨日の今年最後のレッスンで「ピアノって不思議だね」と言いました。

なんでそう思うの?と聞いたら「だって最近上手に弾けるから」と。
その子は以前こちらのブログにも書いた女の子です。
練習しなくてお母様が困っていた女の子。
褒めても叱っても効果なし、どうしたらいいんでしょうと相談されていました。
その時「やってもやらなくても、淡々と練習は毎日するものよ、と言ってください」と伝えていました。そして私もレッスンノートにしつこく毎日の練習を書いていました。

週に1回やっとの練習が、3日に1回になり、毎日何かはするようになって、毎日とりあえず一通りするようになって、最近は注意されたことに気をつけて練習するようになって来ていたところです。

それで私はその子にもう一度聞きました。「なんで最近上手になったと思う?」
「うーん、、。毎日練習してる、、、から?」半信半疑ながらその答えを口にした時、自分で確信を得た感じでした。練習の成果を自ら実感したようでした。

今年最後のレッスン「次の曲も頑張って練習する!」と張り切って帰りました!
が、これがいつまで続くかはまた別。私の経験からすると3ヶ月持てばいいかな?笑。


ピアノはこれの繰り返し。
練習したりしなかったり。。
ピアノに限らず、なんでもそうですね。イチロー選手のような方は別ですが、凡人はそんなもんです。
だから、そのためにも続けること。習慣を作っておくこと。
やる気がなくなったり練習できない時にやめてしまったら、もう次のウエーブは来ない!
練習する習慣があれば、練習しない時にちょっとした罪悪感が生まれる。だからまた練習に戻れる。


そういう私は続けてるのはピアノだけです。




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2016年12月24日土曜日

来年の手帳

1年間のイベントを全部振り返ろうかと思いましたが、それより来年の予定をきちんと立てることに時間を使おうと思いました。

来年の手帳をやっと購入しました。
私を知っている人には周知の事実ですが、私は驚くほど字がきたないです。だいたい字をキレイに書こうとする姿勢がありません。めんどくさいです。
字がキレイな人は、性格もキレイな感じです。きめ細やかな人の感じがします。
そうなりたいですが、めんどくさいのできめ細かくないままで、もういいです。

書くのはめんどくさくて嫌いです。でも新しい手帳にスケジュールを書き込みのは、楽しいです。未来が輝いて見えます。
でも、書き込むだけじゃダメなんですよね。そこに向かって準備しないと。

いつも目の前のことに追われて先の事が見えないので、もう少しゆったりした気持ちで未来を考えようと思います。未来を見つめてみようと思います。


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2016年12月23日金曜日

西洋音楽とピアノ

音楽の魅力の一つは楽器です。
日本の楽器もアジアの楽器もなぞだらけです。
西洋音楽でも菅楽器、弦楽器は不思議です。
しかし西洋音楽が世界を席巻したのは、ピアノという楽器の発明でしょう。

ピアノは実にテクニカルですが謎はありません。あの複雑さは驚きですが、そこに答えの全てがあります。
だれでも同じ音程が出ること、一度にいくつものことが出来る、そして平均律ですね。これはいいか悪いかというと難しいところですが、そのおかげでみんなが色々なことが出来るようになりました。

ピアノはある意味個性がありません。
三味線でロックとかありますが、あくまで三味線の味を活かしたロック。
ピアノは演歌もポップスも、あたかもまるで元々そうであったかのように、貴族の音楽だったなんて微塵も感じさせず演奏者のなすがまま音を出す。

優秀な人は人を引き立てる、のお手本ですね。
年々ピアノへの愛が深まります。

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2016年12月22日木曜日

今年のイベントを振り返る <1月>

今年もあとわずか。

今年を振り返ってみようと思います。


<1月> 編



小金井市主催「音楽で元気に!」講座1  


小金井市の成人学級で、50歳以上の方を対象に音楽講座をやらせていただきました。
定員オーバーの人気講座です。

音楽で元気にというと、どうしても認知症予防とかデイサービスとか言ったイメージになりますが、もっと進歩的なプログラム。
ピアノを弾く人なら絶対必要な、右左を別々に動かすとか、指を別々に動かすとか、それを歌いながら楽譜を見ながらやってみるとか、さらに動きながら、お隣の人と協力しながら、とレベルアップしていきます。もう自分の手や足じゃないみたいに出来ないのがおかしくて毎回笑いながら過ごしました。





ニューイヤーコンサート「木管楽器ってなあに?」

小金井市宮地楽器ホール小ホールで開催しました。

フルート、オーボエ、クラリネット、ピアノ、ソプラノと揃ったコンサート。
「はじめてピアノの会のコンサートって贅沢〜♪」と自画自賛しました。
それぞれの楽器の仕組みや歴史、音色比べ、ソロ、アンサンブルとレクチャーと演奏たっぷりの内容でした。ご鑑賞くださったお客様にも大好評でした。まだまだ時間が足りなくてもっともっとお話ししたいことも聴いていただきたい曲もあって、、。この回をきっかけにはじめてピアノの会のコンサートの常連さんになってくださった方も大勢います。
ほんとは来年も年明けにやりたかったんですが、年末にイベント入りすぎてて企画が組めませんでした。再来年はニューイヤーは難しくてもスプリングコンサートができるといいな。演奏者の皆様のご協力に改めて感謝と御礼申しあげます。



2016ニューイヤーコンサート



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2016年12月21日水曜日

節約

私は意識して節約してないのですが、無意識に節約してます。
実は私、節約するつもりは全然ないのです。


節約をする気は全然ないのですが、私が好んでしていることが世の中でいう節約にあたるようです。
言い換えれば節約は私の趣味です。
要するに私は、女子がおしゃれなカフェでパンケーキをワクワク食べるように、ワクワク節約しています。

「お金は使うためにある」「お金は回さないと」と主張する方がいます。確かにこの資本主義社会ではそれをしないと成り立たないので、その部分も必要ではあります。
でもそれと物を消費することは別です。限度があります。現代は限度を超えていると思います。ものは大事にしないといけないと思います。
個人が消費するのを善とするのは国と企業の陰謀です。
「お金を回すとお金が巡ってくる」商法です。
もしくは「好きなものと幸せに暮らす」商法です。

好きなものが身近にあるのは大事ですが節操が必要だと思います。
ほんとは、みんなそこまで消費しなくても幸せだったりするんです。
ただ周りと比較しちゃう。周りの目を気にしちゃう。
それは私もあります。
ケチだと思われると多少気がひけるしおしゃれな人と思われたら嬉しいし笑。

でも本当のケチは他人のお財布を使おうとする人です。
自分のためにはお金を使うけど人のためには使わない人です。
お金も時間も大事に使う。自分のためにも人のためにも。


これからもいつも通りにいわゆる世でいう節約を続けます。




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2016年12月20日火曜日

考える葦


FBはじめました。
今さらと笑われました。
最近もうみんなFBから離れてるけど?ともいわれました。

とりあえずやってみたら、少しどんなものかわかりました。
それだけでも収穫ありました。

どんどん変わる世の中、知らないことをやってみないことには先に進めません。
怖いこともあります。
危ないこともあります。
かといって、そこを調べてから始めるといつになるかわかりません。
情報が膨大すぎて、調べようもないし。
それでとりあえず始める。
しかし、その手法で搾取しているビジネスっていっぱいあるんですよね。
「よくわからないけど始めてみよう」商法。
そして上手い具合に人の快感を刺激する。

こう書くと、よっぽど悪い奴らがやってるようですが、「よくわからないけど始めてみよう」商法はそもそも国がそれやってますし、それやってない企業ないですし。
国も資本主義経済もそんなシステムです。
いや、資本主義経済システムじゃなくっても、人は人を搾取しちゃうものなんですよね。

それにしても、今の世の中、便利になるために皆がせっせといろいろなものを開発して、その便利なものを使うためにみんなせっせと働く。

昔見た映画に、人間が猿に支配されるというのがありました。
「SFだからね〜」と思っていましたが、支配というのは、何も縄で手足を縛られ拘束されるだけじゃないんですね。
私たちは間違いなくスマホに支配されSNS に支配され、想像もつかなかったはずの「人間がロボットに支配される」という未来が近づいています。

考える葦だったはずの人間。
そのうち小さい頃から頭も使わなくなって、人間は快楽だけを追う動物になってしまうのかも、なんてこの取り返しのつかない世の中と自分を眺めています。







2016年12月19日月曜日

空に散らばる 地に散らばる


せんだんの白い実が
空に散らばってます








地もに散らばってます





この白い可愛い実を見るのが好きです。


この実を見ると
嬉しい気持ちと寂しい気持ちを両方感じます。

この大好きな白い実を楽しく見た日と
大好きなのに寂しく見た日がありました。

いつも通る公園の木々たちは
私が楽しく見た日にも
寂しい思いで見た日にも
そこにあって
新芽を吹き
花を咲かせ
この可愛い実をつけていました。


これからも
春も
夏も
秋も冬も
ここにある木々と一緒に
歳を重ねていきます





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2016年12月18日日曜日

ピアノの神様がついている

音楽は遺伝か環境か。
私は遺伝的要素がまずありき、と思います。
遺伝でないにしても持って生まれたものは大きいと思います。
そこに環境がプラスされて、鉄壁となる。

音楽のプロって、あれもこれも揃っていますよね。
音楽のプロってほんと選ばれた人がなるんだなと思います。
その上それを長年続けるというのは、まさに神様の選んだ人なんだと思います。

先日の室井先生のピアノがまだ耳に残っています。
先生は95歳。
確かに筋力も落ちて20代の若者のような迫力では弾けないでしょう。
大曲も難しいでしょう。

でもあの音色、センス、間、バランス。

今回聴いたハイドンは本当に良かったです。確かに音の取りこぼしもヒヤッとすることもなくはありませんでした。でもなんかそれを超えているんですね。ピアノの神様がついているって思いました。

私は演奏を聴いてもらう職業ではありません。
だからこそ室井先生のようにピアノを弾ける人が羨ましいし、もっとこの素晴らしいピアノを多くの人に聴いてもらいたいなと思いました。




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2016年12月17日土曜日

実感

耳を鍛えるのは難しいなぁと思います。
耳は簡単に育たないんだなぁと思います。
それは私です。
ずっとやっているピアノだけれど、人の音はわかっても自分の音はやっぱり聴けてない。
弾きながら自分で聴く難しさを実感しています。

ピアノの微妙なニュアンスって結局普段の練習で自分の音が聴けないと出せないんですよね。録音しても録音は全然違うし、いちいち録音しないと聴けないってその時点で聴けてないし。

音楽を感じる耳の感性が欲しいです。
あ、あと指を自在に操れる脳も欲しいです。
あ、あと自由に動く指も欲しいです。
あ、あと抜群のリズム感も欲しいです。




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2016年12月16日金曜日

音楽を細分化して考える

歳をとると一度に同時にいくつものことができなくなるって言います。
ピアノは、リズム、音、指、読譜、そして表現という別々のものを一度に同時に行ってます。だから歳をとるとそれが難しくなるということですね。

しかし。
じゃあ子供は簡単にいくつものことが同時にできてピアノを弾いているかというとそうではありません。子供はまだ脳が発達していないので、大人より断然難しいです。ただ、子供は「出来ない」と分かっているので、ちゃんと順を追ってピアノの訓練できます。子供がいつのまにかそれを同時にできるようになるのは、訓練や習慣の賜物です。

大人の方は、まずは「弾きたい」という気持ちが先行しすぎて、なかなか順を追って訓練してくれません笑。

歳をとると一度にいくつものことができなくなるのを私も実感しています。だからこそ、子供を見習って、急がば回れで細分化して一つづつやるというやり方をするといいと思います。そもそも細分化してやるのは、子供のやり方ではなくピアノの正しいやり方です。一つ一つに分解して一つ一つをきちんと正確にやってそれから全部を合わせるのがもともとのやり方です。

具体的には片手練習、部分練習ももちろんですが、その前にその曲が何拍子か理解して、曲の全部リズムだけ、曲の全部音だけ、というように細分化して考えることが大事だと思います。

特にリズムや指は「できてるつもり」「だいたい」になってしまうので、ピアノの前から離れて、リズムだけ叩く、指使いだけ音を出さずに机の上で指を動かすなども必要です。

音楽は様々な要素が数学的秩序で正確に組み合わされています。その一つ一つが正確にできてこそ表現がプラスされます。その曲を100回弾くだけでは、結局「鍵盤を押さえる」という1つのことだけしか出来ず、難しいところはテンポが遅くなったり、リズムが崩れたりして数学的枠組みから外れてしまうのです。リズムができてないのに、音ができてないのに、表現はできないのです。

子供の耳は大人より圧倒的にいいです。しかし、子供がピアノが弾けるようになっているのは、それだけではありません。ピアノを習いに来ている子は「一度にいくつものことをできるための訓練」を実は大人よりもっともっと地道にしています。それが習慣になるまでしているのです。子供は我慢強いんです。


歳をとって一度にいくつものことができなくなる。そうなったら弾くことを諦めるのではなく、その時こそ正しいやり方でピアノにチャレンジしてみてください。
漠然と全体を弾いていた時よりも、小さな曲でも正確に楽しく生き生きとした音楽になると思います。







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2016年12月15日木曜日

音楽と空間

音楽は時間の芸術であり空間の芸術です。

例えばインテリア。
何もない四角いへやに置く家具や敷物、飾る絵でその部屋がカントリー調やロココ調に変化します。照明も一種の空間芸術ですね。光によって雰囲気が断然変わります。

音楽もそんな感じです。
演歌を流すのとロックを流すのでは全く変わります。和風のお店にジャズとかフランスのカフェ風のお店にボサノバみたいのはよくありますが、北欧調に演歌とか、ラテン系にクラッシックを流すとどうなるんでしょう?

また、演奏者と鑑賞者の間の瞬間の空間もあります。そこには目に見えない波長のようなものが空気を通って伝わっています。
場が盛り上がるというのは、この空間共有ができた時でしょうね。


ピアノは一人で何役も同時にやる楽器なので、ピアノをやる人はこの空間把握能力が優れていると言われます。
ピアノを弾いて安らぎ空間を作りましょう。

2016年12月14日水曜日

オペラ&クリスマスコンサート

今日は千代田区でオペラ&クリスマスレクチャーコンサートです。
とっても豪華なプログラムなのでたくさんの方に聞いていただきたいのですが、関係者しかご来場いただけないのが残念です。私は音楽史や曲の解説をします。
音楽史はすっかりハマります。
学生時代、あんなに大っ嫌いだったのが嘘のようです。


「音楽史を変えた5つの発明」という本では、5つの発明は楽譜、オペラ、ピアノ、平均律、録音機器と言っています。

オペラはあまり皆様に馴染みがないですが、まさにオペラの歴史はクラッシックの歴史です。オペラが生まれていなかったらあらゆる今のクラッシックは違っていたと思います。
楽器もここまで発展していないでしょうし、そもそもメロディーと伴奏という概念もオペラからです。

そして発明の中の一つ、「録音機器」が、オペラの衰退につながりました。
オペラの人間離れしたあそこまでの歌唱法を身につけなくても、オーケストラを引き連れてこなくても、マイクで録音伴奏でミュージカルができるようになった。

その録音機器の元、エジソンの電気の発明のおかげで、ピアノも電子ピアノに座を奪われ衰退してきてます。
電気は間違いなく必要で生活の質を高めてくれましたが、それによって無くなるものがある。同じカテゴリーの中の一つの大きな発明が、別の2つもの発明品を衰退させていくというあまりの皮肉に、これが別のものだったらなかなか興味深い話ですが、オペラとピアノとなれば寂しい限りです。

オペラとピアノ。
今の時代にはそぐわないけれど、お手軽ではないけれど、ずっとずっと残っていって欲しいです。



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2016年12月13日火曜日

フィギュアのカンパニー

先日高橋大輔さんが「フィギュアのカンパニーを作りたい」というお話をしていました。
バレエ団のようなものですね。

「それです!」と思いました。
アイスショーはあるけれど、それとは違って初めから競技としてでなく芸術として演じるフィギュアがあってもいいのに、とずっと思っていました。

スケートリンクの問題などなかなか難しいんでしょうけど、高橋大輔さんのフィギュア、また見たいです!




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2016年12月12日月曜日

そして今日は

小金井でクリスマス会です。


西洋音楽とクリスマスは深い関係があります。
キリスト教のために西洋音楽は発展したと言っても過言ではありません。
むしろ西洋音楽の発展は国家とキリスト教会の陰謀のおかげでしょう。
音楽って心を奪われやすいのでいつの時代も宗教みたいなものと結び付いちゃうんですよね。キリスト教がここまで広まったのは音楽の力も大きいし、WINWINってことですね。

私は今、特定の宗教や信仰は持っていません。
信仰が限定されると他の考えを排除してしまうという怖さが一番です。また信仰が全ての判断基準になると、そこにある物事やそこにいる人に向き合えなくなるからです。
逆に言えば、向き合わないで済む、とも言えます。

例えばご夫婦で問題が起きた時、神がいると解決します。なぜなら神の意見は一つだからです。お互いのことを見ずに、その問題も自分の気持ちも突き詰めずに、その考えに従えばいいのです。2人で神の方を向けば平和です。

しかし、平和なんですが何かが違う気がします。
でも、これこそが宗教の力なのでしょう。何かが違うなんて言ってたら波風起きるだけで平和じゃないよ、と。

そんな風に、ずっと思って波風立てて生きてきた私ですが、最近、なんでもかんでも騒ぎ立てることが正しいわけではないと、若干理解できるようになりました。

キリストは「自分は罪がないんだから十字架から降ろせ!」と騒ぎ立てなかったんですよね。
真実を主張すればいいってもんじゃない、という人生の最も深い教訓を、このクリスマスにもう一度キリストから学ばせていただこうと思います。




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2016年12月11日日曜日

昨日と今日

昨日は室井先生のコンサートでした。
最初の1小節目から圧倒されました。
思い出しました。
「これがピアノだ、、、」と。

先生が体調を壊されたりして、ピアノを聴くのは2年ぶり。
その間他のピアニストのピアノもたくさん聴きました。
けれど違う。この音、この解釈、この表現でピアノを弾く唯一無二のピアニストです。
「ピアノってこんなに綺麗なのに、なんでみんなあんなにガチャガチャ弾くんだろう」と思いました。
先生のおっしゃる「ハイドンって面白いの」の意味がわかりました。
対位法が光り輝いていた。

うちに帰って自分でピアノ弾いたら全然違っててがっかりしました。
是非また、はじめてピアノの会でコンサート主催したい!と思いました。


そして今日は、子供達の「クリスマスおんがくパーティ」!
今日はカフェでティータイムを挟みながらにこにこ楽しむ音楽会。はじめてピアノの会では大人はフルコースをいただきながらの「サロンの会」があるので、それの子供バージョン。厳粛な音楽会もいいけれど今回はケーキとお茶でにこにこ♪

西洋音楽はもともとキリスト教絡みで発展した音楽。
クリスマスに演奏したり聞いたりするのは正しい位置付けです。とは言ってもクリスマスを祝うって感覚日本人にはないので、クリスマスを音楽で実感しましょうというところですね。
世界中の人が知っているクリスマスと世界の共通言語音楽が合体すると、怖いものなし。最強コミュニケーションツールになります。


みんなが大人になった時、子供時代の「クリスマスおんがくパーティ」を思い出しながら、世界中の人と、おんがくクリスマスを楽しんで欲しいなと思います。

毎年この時期に「クリスマスおんがくパーティ」やります!



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2016年12月10日土曜日

室井摩耶子先生



今日は室井先生のトーク&コンサートです。





きっとお年のことばかり言われていると思いますが言わずにはいられない。
95歳でピアノを弾けるって人間じゃありません。
神様が選んだ人なんでしょうね。。

私も周りの同年代の講師たちも最近は
「楽譜が見えない(老眼)」「指が固まる」「ペダルが小刻みに踏めない」
「手首の腱が痛い」「肘が痛い」「肩が痛い」「腰が痛い」
「根気がない」「集中力がない」、、、
と若い頃の「できない」「痛い」とは全く別の、今後どんどん増えていく「できない」「痛い」にがっかりしています。弾きすぎで腱鞘炎なんてありえない笑。


それが95歳!!


ほんとは痛いとか何もないわけないと思いますが、それを超える音楽への情熱なんでしょうね。
室井先生は音楽に対して純粋です。
常に向上心をお持ちになって楽譜に向き合う。
徹底的な研究と解釈は、自分本位でなく自己満足でなく、作曲家の真意を追求するため。
ほんの一つの休符が「そうなんだ!シューベルトって」と気づかされるようなお話をしてくれる。
「お客さん来てくれるなら自分のレパートリーの範囲で気分で弾いちゃおう」なんて一切ないのです。
ちょっと皮肉っぽく言ってしまいました笑。でもそういうピアニストの方います。


室井先生とお話するとわかりますが、おごりも謙遜もなく自然。
事実がそこにあるだけ。
そしてとっても明るい。
明るさってワイワイ騒ぐとかノリがいいとかおしゃべりとかじゃないんですよね。
そこにいるだけで光が灯る。
こちらの気持ちが晴れやかになって、やる気が出る。


そのパワーをもらいに行かないと。
そして室井先生のハイドンの話をしっかり頭に入れてこよう!
仕事が山積みですが、なんとか抜け出してコンサート行って来ます!



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2016年12月9日金曜日

プレイヤー

「批評家でなくプレイヤーとして」


と小池都知事が言っていましたが、批評家は簡単になれるけれどプレイヤーになるのはとても難しいことです。特に政治家なんて権力でつるんで動いているから個人の行動だけではなんともならないことばかりで相当難しいと思います。


ピアノも弾くのと聞くのは大違いです。
好きだから、興味があるから批評もします。
でももう一つ進んでプレイヤーになってみる。
そうするとその難しさがわかり、奥深さが実感できます。
実践の難しさを実感するということです。
プレイヤーの心理も学ぶということです。
プレイヤーになるということは、プレイヤーでいる状況そのものを感じるということです。
そうすると、必ず言うことが変わってきます。

それによって自分の批評に責任が生まれます。
口だけ言ってる人は、どんなに偉そうなこと言っても薄っぺらいです。ちゃんとやってる人はたいてい偉そうには語りませんので。
私もよく偉そうなこと言ってその時は「うまいこと言ったな」と悦に入ってるんですが、後になって自分の浅はかさに、後悔して穴があったら入りたくなります。


全くもって言うは易く行うは難し。
プレイヤーを続ける人を尊敬します。





2016年12月8日木曜日

サンタさん

こうゆうのをもらったので、、、


























さっそく着せてみました。






















うちのこはおとなしいので、いちお着ましたが
全く身動きできず顔も引きつっていたので


すぐ脱がせました。
着用時間はわずか15秒くらいでした。




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2016年12月7日水曜日

残り少ない今年に


今年も残り少なくなりました。


12月中に絶対にやりたいこと
(仕事はのぞく)


1  夏から 会おう会おうと言ってて会えていない友人に会う

2   食器棚の整理

3   猫ちゃんともっと遊ぶ



以上です。






2016年12月6日火曜日

人間の真価

いざというときその人の本性が出ると言います。
そうだと思います。
しかしそれも仕方ないと思います。

本性が出るって、だいたいいざというよりその人が苦しいときですよね。
ちょっとのことで、いざってなる人はかなり苦しい人なのだと思います。
ちょっとのことで非常時になって、それどころじゃないってことなんだと思います。

ただ、普段どんなにいい人でもいざを見せられちゃうと距離が出来ます。
仲良しになりたいと思いませんね。

いざ、になる時が少しでも少ないよう、普段から苦しくならないよう気をつけて暮らしたいと思います。
何をどう気をつければいいかは、これから考えます。

2016年12月5日月曜日

一粒の麦

じゃあ、野菜や果物はいいのか、という問題があります。
一昨日の「お魚の残酷」の続きです。


私は、食べて良しということにしています。
命に関わることですから、考えに考えて食べて良しってことにしています。
と言っても、食べてはいけないってなったら食べるものがなくなって困るので、そこも計算して自分の都合のいいように答えを誘導した感は否めません。

まず大別して、なぜお魚やお肉は残酷でお野菜や果物はアリかというと、、

葉物野菜の場合、三つ葉や大葉、ルッコラなど古い葉っぱを摘んでいかないと新しい葉っぱは育たない。
実った野菜の場合、きゅうりやピーマンも収穫しないと次のがよく成長しない。
それら事実をもとに、摘んで(食べて)あげる方が植物の新陳代謝になる、ということ。

果物はというと、柿が全部地面に落ちても全部は芽が出て木になるわけではない。逆に全部が芽が出ちゃって育とうとしたら1本1本が栄養不足になって共倒れになる。それに果物って種を守るためにあの美味しい部分がある。だから、なんだったら周りの要塞の部分はいただき残った種を地に植えればいいのではないか、ということ。

その時、ふと「一粒の麦死なずば」という言葉を思い出しました。
一粒の麦が死ねばたくさん実るという意味です。
つまり「麦は土に埋められることが死ぬこと」になっています。
となると生きることはそのまま空気中に放置することでしょうか?
実った後麦が「生き続ける」ってどういう状態を指すのでしょうか???
食べることも土に戻ることも死ということでしょうか?
なら、影響が出ない程度には食べてもいいってことですよね??

というわけで、食べて良しという結論を出しました。


以前、「人間一人の命なんて細胞の一つのようなもの」とどこかで読みました。
同じ人間という種の中で、こっちが死んでもこっちから新しい命が生まれれば同じというようなことです。
人間も大きな宇宙から見れば野菜や果物と同じようなものなのかもしれません。

「もし植物にも私たちにはわからない感情があったら、新陳代謝なんて思えないよなあ」と時々思いつつお食事をいただいています。











2016年12月4日日曜日

調布市民オペラ

今日、調布市民オペラを観に行きました。
調布市民オペラは伝統ある市民オペラです。セットはちょっとシンプルですがとってもお安く鑑賞できます。

今回は「カヴァレリア ルスティカーナ」と「道化師」でした。
カヴァレリアルスティカーナの間奏曲はやっぱり世界一美しい間奏曲でした。
道化師の「衣裳をつけろ」は迫真の演技歌声でした。

どちらもドロドロの低俗恋愛ドラマですが、それをこの上なく難しい歌唱法で歌い上げるところがオペラの魅力です。ドロドロを観ながら「これはドロドロじゃなくて人間の本性なのかもしれない」と思いました。


とっても楽しい1日でした!
おやすみなさい。

2016年12月3日土曜日

残酷なこと

お魚を凍らせたスケートリンクに残酷だと批判が集まり閉鎖になりました。

残酷だと思います。
でもこれを作った人だけでなく今の日本中の人、世界中の人が残酷です。
私も残酷です。
自分のたった一日の行動だけ見ても明らかです。

お魚もお肉も卵も牛乳も全く口にしないことはもはや私には出来ません。
少し挑戦した時期があります。
でも完全に断つとやる気がなくなり老いが進んだ気がしました。
それでちょっと食べてみたら、やっぱり美味しかったしなんか体調もいい感じでした。
今では罪の意識を感じつつ、時々食べてます。

うちのかわいい猫ちゃんは元々野生の子で病気でした。
その猫ちゃんは今マンションの窓から眺める世界しか知りません。
でもどんなに猫ちゃんが望んでも、再び東京の幹線道路の交差する野生に戻すことは出来ません。仮にうちが山のど真ん中でも、帰ると必ず玄関に迎えに来てくれるあの一日の中の最高の瞬間を手放すことは出来ません。

これらは覚せい剤に勝るとも劣らない依存症でしょう。。
良くない、残酷だとわかっていても引き返せない。。

この罪の意識を持ったまま生きるしかないんだなぁ、と華やかなクリスマスのイルミネーションを眺めつつキリスト教の原罪を思うこの頃です。



2016年12月2日金曜日

防衛本能


覚せい剤をやった歌手が逮捕されていました。
テレビで、弱い人だと言われていました。

私は彼の人前に出て成功させるプレッシャー、
ヒット曲を作るプレッシャー、
いつまでも若々しく歌い続けるプレッシャー、、、
などなどに思い巡らせました。
きっと才能溢れる人なんでしょうけど、でもそんなものが365日ずっとあったらキツいな〜と同情しました。
「そりゃ逃げたくもなるかなー」と思ってしまいました。

しかし、もう一度考えました。
私のような凡人だったら、覚せい剤をやる前にもうそのことはやり続けられない気がしました。覚せい剤をやる前にそのプレッシャーの元凶となる「歌手」を降りてしまう気がしました。

その歌手には「やめる」という選択肢はなかったのでしょうか?
頂点まで行くと怖くて降りられなくなるのでしょうか?
下界を見られなくなるのでしょうか?
「やめて楽をしたい」と思わなかったのでしょうか?

「やめたい」いう気持ちはもしかしたら防衛本能かもしれません。
自分に向いていないことをやめるという。
その本能を消し去るために使うのが覚せい剤なのでしょうか?

「やり続けるのがいいこと」と思い込んでいた私に、新たな概念が生まれました。




2016年12月1日木曜日

リズム感を鍛えるには

昨日は千代田の大人のリトミック講座の4回目でした。
今回はポップスのリズムということでエイトビートやジャズワルツなどを取り上げました。


よくリズム感を良くするにはどうしたらいいですか?と聞かれます。
リズム感がイイとは言えない私が答えるのは気がひけるのですが、その私が少しリズムがまともになってる方法としてお答えすると、出来るだけゆっくりのテンポで等速を感じることと、裏拍を感じることです。

カッコいい速いフレーズのリズムを一回叩けても、それは運動神経がいいだけでリズム感がいいわけではありません。ゆっくりの方が簡単そうですが、ゆっくりだと次の音までが長いのでどれくらい開けていいかわからなくなり大抵の人が速くなってしまいます。

これは要するに空間把握です。
音符と音符の間が広くなったり狭くなったりするからリズムが崩れる。
だからその間にある裏拍を引っかかりとして感じると空間の把握がしやすくなるというわけです。長くやるというのはそれを身体感覚として身につけるということです。
音楽は頭でわかっても瞬間的に出来ないと形にならないので考えなくてもそうなるように同じ感覚でやり続けて身につけるしかありません。
だからこの練習です。

リズムは一見感覚のようですが、非常に算数的な拍子の理解に基づいています。
それに加えて耳からの絶対量も必要です。
それが統合されて自然な体の感覚になります。

練習方法としては、やりやすいメトロノーム88くらいに合わせて表拍のリズム打ちと裏拍のリズム打ちをするところからですね。
子供が音楽に合わせて手を叩くというのはとっても正しいのです。
それをどんどん速くではなくどんどんゆっくり、どんどん長くしていく。

生徒さんは「手を叩いているより楽器に触った方が上手くなる」と思ってリズムを飛び越してむやみに楽器を弾いてしまいますが、それだとちょっと難しいシンコペーションなんかが出てくると、途端に弾けなくなっちゃいます。

まずはリズム練習を単独で。
音をつけるのも弾いてみるのもそれからです。