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2016年12月5日月曜日

一粒の麦

じゃあ、野菜や果物はいいのか、という問題があります。
一昨日の「お魚の残酷」の続きです。


私は、食べて良しということにしています。
命に関わることですから、考えに考えて食べて良しってことにしています。
と言っても、食べてはいけないってなったら食べるものがなくなって困るので、そこも計算して自分の都合のいいように答えを誘導した感は否めません。

まず大別して、なぜお魚やお肉は残酷でお野菜や果物はアリかというと、、

葉物野菜の場合、三つ葉や大葉、ルッコラなど古い葉っぱを摘んでいかないと新しい葉っぱは育たない。
実った野菜の場合、きゅうりやピーマンも収穫しないと次のがよく成長しない。
それら事実をもとに、摘んで(食べて)あげる方が植物の新陳代謝になる、ということ。

果物はというと、柿が全部地面に落ちても全部は芽が出て木になるわけではない。逆に全部が芽が出ちゃって育とうとしたら1本1本が栄養不足になって共倒れになる。それに果物って種を守るためにあの美味しい部分がある。だから、なんだったら周りの要塞の部分はいただき残った種を地に植えればいいのではないか、ということ。

その時、ふと「一粒の麦死なずば」という言葉を思い出しました。
一粒の麦が死ねばたくさん実るという意味です。
つまり「麦は土に埋められることが死ぬこと」になっています。
となると生きることはそのまま空気中に放置することでしょうか?
実った後麦が「生き続ける」ってどういう状態を指すのでしょうか???
食べることも土に戻ることも死ということでしょうか?
なら、影響が出ない程度には食べてもいいってことですよね??

というわけで、食べて良しという結論を出しました。


以前、「人間一人の命なんて細胞の一つのようなもの」とどこかで読みました。
同じ人間という種の中で、こっちが死んでもこっちから新しい命が生まれれば同じというようなことです。
人間も大きな宇宙から見れば野菜や果物と同じようなものなのかもしれません。

「もし植物にも私たちにはわからない感情があったら、新陳代謝なんて思えないよなあ」と時々思いつつお食事をいただいています。











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