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2013年11月4日月曜日

(注)きびしい話

発表会のあとは思う事がたくさんあります。でもって、とっても辛辣になります。
厳しい事言われるとやめたくなる方は今回は読まないで下さいね。


発表会のあと生徒さんたちは、「上手」な方の話題でもちきりになります。そして「次回は私も少しは難しい曲にチャレンジして、、」などの感想が上がります。

ほんとうの事を言うと、、、心からがっかりします。

なぜなら、その「上手」は音符の数、速さ、長さ「だけ」で評価している事が、変わらず多いからです。音符が多くて強くて長い曲を弾いた方が「上手」になっています。もちろん、速いパッセージは当然速く弾けなきゃダメだし、速く強く弾けるようになるのは、難しいので、すごいのは確かです。でも。

あんなに思いを込めて弾いたあの方の演奏はスルー?、あの演奏が心に止まらなかった?と、短かったけれど、ゆっくりの曲だったけれど、感動をもらった演奏を思います。そして私は、普段レッスンで言ってる事が、どんなに思いを尽くして語っても、わかってもらえてない事を思い知ります。

器用に弾く事や、それらしく弾く事ではなく、その曲の思いを再現するように弾く事の大事さ。会員のNさんが、「作曲家がそこにいたら『うん、うん、そういう曲なんだ、そうやって弾いて欲しかった』と言われるのがほんとうにいい演奏だと思う」とおっしゃっていました。自己顕示や自己満足、自己陶酔でなく、代弁者になること、これはクラッシックの原則です。偉大なピアニストの方全員が言っている事でもあります。

所詮プロのコンサートピアニストではないので、ほんとうは「上手」とか「下手」とか大差ないのです。そう言う意味では、ほんとうは全員下手なんです。自分で「あの人より」上とか「あの人より」下とか思ったところで、アルゲリッチからみれば全員下なんです。アルゲリッチになれない私たちが、難しい楽譜をバリバリ弾いても、とうてい及びません。

だからと言って、自己満足で弾くことのみ、あとは「すごい」のだけ探す、これではカラオケです。カラオケのように自己満足でいいというのには反対です。カラオケはカラオケの楽しみで、音楽会とは違います。聴いて下さる方を考えて曲を選び弾く、緊張して弾いている方の思いに気持ちを馳せて聴く、それが音楽をやる者のマナーです。聴いて下さる方への感謝と弾いている方への敬意が音楽会を作るのです。緊張して人のが聴けない、というのも別問題です。

発表会は自分でお金を出して自分が楽しんだりチャレンジする場なので、本当は何でもアリなんですが、でも音楽として目指すところだけは見失わないで下さい。
目指すのは、ピアニストもどきでも見栄でもなく、その曲らしさと自分らしさです。「ボロは着てても心は錦」。あれ?たとえが全然わかりにくい気もしますが、錦が着れなくても安易にイミテーションの錦を着ようとせず、心は錦に、曲の真意を探り続けましょう。(という意味です)

厳しいようですが、取り繕わず、自分と曲にひたむきに向き合う人の音楽だけが、心を捉えます。恥ずかしいとか下手とか上手とか乗り越えた、それだけが魅力的な音楽です。
どうせみんなほんとうは下手なんですから。


(さずがにここまで言うと、ブログ読んでもらえなくなっちゃうかな、、
 その前に生徒さんと会員さん減っちゃうか、、、)

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

大丈夫です。
分かるひとには、通じています♪

Unknown さんのコメント...

うわ〜ん、有り難うございます。きつい事言う割に根が小心者なので、たくさんの方を傷つけてしまわないか心配でした。凄いの弾ける方が凄いのに変わりないのですが、弾く側がそれだけに心奪われるのは、音楽では、本末転倒の気がするのです。凄いのを目指して挫折した身として、皆様にはそんなところ目指さずにずっと音楽を楽しんでいただきたいです。