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2013年9月6日金曜日

コンプレックスの克服


何か問題が発生したとき、問題の解決より、それに伴う自分のコンプレックスが露呈することをまずは避けようとしていることに気づきました。でも、そうすると、もう一段階問題が深くなることにも気づきました。

なんだか問題って、コンプレックスの克服法を探るために起こる気さえします。


話は変わりますが、先日、ある辛辣なコメンテーターが「私は子供の頃、協調性がないと言われていたが、大人になってわかったのは、協調性とはレベルの低い人に合わせろってことだった(笑)」と言ってました。ジョークですが、ちょっと確信をついていてドキッとしました。自分が出来ないとき、みんなも出来ないで欲しいと思ったり、しない方向にいってほしいと望んだり、そして希望通りみんなも出来ないとほっとしたり。たまに、それをしない方向に持っていってくれる人がいると、神に思えました。

しかし、だれが何を操作しようとも、コンプレックスが露呈されるまで、コンプレックスを証明させられる事態は起こるような、、、。

私は、あるシビアな問題が起きたときに「問題の根底は、自分を隠すことに必死になっていることかも」とハッとしました。頑張るものが違っていたんですね。その時「今やるのはそんなことじゃない」って気づいただけで、なんか新しいステップを踏んだような、肩の力が抜ける経験をしました。

ピアノのグループレッスンをしていると、個人差がとてもあるので、コンプレックスを感じてしまう方がいます。でも、こちらからするとピアノには競争する部分がそもそもないので、それは無駄なコンプレックス。「私、こんな事すら出来ません」と言ってしまった方が、絶対楽だし、気楽に学べます。逆に自分はあの人より上手と思っている人がいたら、ピアノに求めるものが間違っていると言えるでしょう。そちらの方が深刻なコンプレックスを抱えているのかもしれません。

コンプレックスは永遠になくなりません。だからコンプレックスの克服は目指さない。
私も気づいただけで、全然コンプレックスを克服してはいません。ただなるべく隠さない、そして、その自分のコンプレックスがある分野をかわいがる。褒めて育てるはコンプレックスも同じ?というのが今私のたどり着いているコンプレックス対処法です。

その人が頑張っているってわかるとみんな優しい気持ちで迎え入れてくれます(笑)。人って思ってるよりずっとやさしい。逆に、そんな人だけいてくれればいい、自分のコンプレックスを嫌がる人はいなくていい、と思うと、隠す事に必死にならないで済み、そのエネルギーを他に使えます。




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