それをなぜ趣味にするのか?
「ピアノが弾けたらいいな」「ピアノが弾けるってステキ♪」っていう気持ちで始めるのは当然ですが、いざ始めてみると聞くのと弾くのじゃ大違い。
音は簡単に出るのに楽しい、ステキまでが遠すぎる。。
ちょっとかじるのは簡単だけど、続けるのは難しい。
それがピアノ。
だからみんなやめちゃう。
にもかかわらず、ピアノをやめずに趣味にする人がいる。
ピアノを趣味にする人ってどんな人なんでしょう?
私の思うところですが、きっと「むだに向上心がある人」
ピアノは一人で舞台で弾いたりするので、「自己顕示欲の強い人」がやるものと思われがちですが、これは誤解です。
いえ、誤解ではありません。
どっちだって話です。
人前で演奏するというのは、自己顕示欲がないとできません。
しかし、自己顕示欲がない人間なんていないんです。人間である以上自己顕示欲は全員あるんです。本能です。人間に生まれている以上、人に認められたくない人はいません。子供を見ればわかることです。自分が出なくても自分が作ったものを発表するのも同じです。
人前で弾きたくない人ももちろんいます。がこれは、自己顕示欲がないからではなくむしろ自意識が高くなり、ピアノを弾く事で自己顕示が出来ないと学習したからです。私自身が自意識が強くて「下手だと思われたくない」ことが理由で人前で弾けない時期が長くありました。今でも人前で弾くのは大の大の大の苦手ですが、それは人前で演奏する事が逆に自分を顕示できなくなることがわかっているからです。
話をまとめます。
人としての自己顕示欲は全員あるから、人前でピアノを弾くことを取り立てて自己顕示欲があるとするのは間違い。
話を戻します。
では自己顕示以外に人前で弾く目的は何かというと、自分のやってきたことを客観的に確認する。ピアノは家では100出来てても人前で弾くとなると60くらいになっちゃう。それじゃ出来てるとは言わない。
つまりちゃんと出来たいのです。客観的にちゃんと出来たい。またはちゃんと出来ることに挑戦したい。60で満足しとけばラクなのに、家で出来たことが人前でもできるかちゃんと確認したい。
人から見れば趣味なんだし、家で出来てんなら60でいいじゃんって思うところ、いやいやそれは出来ているとは言わない、と自分に鞭打つのです。この向上心を持つのがピアノを趣味にする人の特徴じゃないかと思うのです。
「だいたい弾けた」から「ちゃんと弾ける」までが一番大変。
だいたいまでを10とするとちゃんとは100万くらい。
だから諦めたくなる。これでいいやって思いたい。
そこをピアノを趣味にする人ってやるんですね。
10の次は11を、その次は12を目指す。
でもピアノは難しいから12まで行っても100万は行かない。だからやらない人から見たらそれって「むだな向上心」に見えちゃうんですね。
でも人は、実はこの部分を感じて心動かされます。
そこまでやったピアノはそのとき自己顕示じゃなくなる気もしています。
次を目指す人。
無理の壁を越えようとする人。
100万にならなくても、あきらめずに挑戦する人。
そして、人からの賞賛でなく音楽の美しさ、楽しさを何よりのご褒美と受け取れる人。
私は幸運にも仕事にさせていただいているので、責任上成り行き上(笑)勉強し続けています。
しかし趣味でやる方は、やらなくていいものなのに、こんなもんでいいやって思わずに取り組まれている。
そのことにいつも感動していつも元気をもらっているので書いてみました。
大きな苦しみ(笑)と喜びを与えてくれるピアノ。
是非長く長くお付き合いくださいませ。
今日も読んでくださってありがとうございました。
0 件のコメント:
コメントを投稿