確かにピアノの生徒さんは皆様認知症になっていません。でもそれは続けている方であっておやめになった方がどうかはわかりません。私は、ピアノを弾いているから認知症にならないのではなく、難しいと思うピアノにチャレンジし続けるから認知症にならないのだと思っています。難しい事をやるという選択をしている方々だからだと思っています。
そこに上手下手は関係ありません。
その証拠に認知症のグループホームの方々のほとんどが大きなお声で歌詞を見ず上手に抒情歌を歌えますし、子供の時弾いた難しい曲をパラパラ弾く方もいます。
でも新しい曲や新しい歌を、簡単な曲でも、練習して出来るようになろうとはしません。
ピアノを弾くには色々な事を同時にしなくてはいけません。
音の高さと音の長さを同時に。
拍子とフレーズを同時に。
右手の何番の指、左手の何番の指と別の手、別の指を同時に。
左と右のペダルを同時に。
これら「すべて」を同時に。
上記は歩きながら計算する程度のことではありません。日常では全くしない事をわざわざ、すべて、同時に、行わなくてはいけません。
更に。ここからが肝心です。
そこに心を入れるのがピアノ。そこまででも精いっぱいなのに、ここは悲しげに、ここは軽やかにというように魂を吹き込む。
頭と身体ともう一つ心も同時に使うのです。
書くとほんと難しそうですが、やるともっと難しいです。
そして発表会では、この非常に難しいことを、とてつもない緊張の中で集中してやる。
間違えたらその場で即時修正する。
こんな難しいことみんな出来るのか、というと出来ません。
出来なくてもいいのです。この難しいことをやろうとするかどうか。
これは並々ならぬことです。そこまでやるのはほんとうに大変なことです。
冷蔵庫に何取りにいったか忘れたり今会った人の名前が思い出せなかったりする(笑)、そんなお年頃なのに、です。
でもピアノにはそれをやろうとする力があるんですね。
なぜこんな大変な事をするか、やれるかというと理由は音楽が美しいから。
美しいものに心動かし、そこに向かう過程を楽しいと思える。
ピアノが認知症予防になるというよりピアノを弾く人が
・楽しみと美しさのために努力したいと思えるから
・人と比べず自分を認めているから
・そのために努力するから
だから認知症にならないのだと思っています。
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