人前で上がるのは自分を良く見せたいから、と言われます。
よく見せたいんじゃなく普段通りにやりたいだけ、と思います。
でも、それがそもそも良く見せたいってことなのかなと最近思うようになりました。
本当の自分を知って欲しい、って人がいう時、間違いなく自分をいい人だと思ってます。
「他人は自分を誤解している、本当の自分はこんなにピュアなのに」と。
確かに誤解というのはあります。よくあることです。
しかし自分は気づいてないけど人はわかっている自分というのもあります。
自分の顔や姿を鏡や写真で見ても本当のところどうなのかわかりません。
自分の声って本当はどんな声なのか自分では聞けません。
実は自分より周りの人の方が、自分の顔も姿も声もそしてその行動で本当のその人を知っていることも多いのです。
それと同じで、ピアノも弾いている自分より聞いている人の方がその人のピアノをわかっていることもあります。
本番では間違えるというのを含めてが本当のその人のピアノ、認めたくはないけれど『普段は出来ていても本番では間違える自分が本当の自分』という気がします。
私は「去る者は追わず、来る者は拒まず」のスタンスですので、てっきり自分は受け身な人間だと思っていました。
しかし、よくよく考えたら、というか最近人に言われ気づいたのですが、男女に関わらず去る者は追いませんが、人間関係はほぼ自分からアプローチして築いていました。
そして、自分が去りたい時は全く執着せず駆け引きゼロでさらりとドライに去っていました。
私は、本当の自分はか弱い三歩下がった女だと思っていましたが、そうでないことを認めざるを得ません。どんなに本当はピュアだ、受け身だと言ったところで、他人にはどっちでもいい話です。実際はそうでないんですから。
私にもなかなか積極的になれないところは多々あります。それは自分で必要以上に現実以上に自覚しているのでよくわかるのですが、逆の自分はその意識が全然なくやっていたので不思議なものでこの年になるまで全く気付かなかったんですね。
普段は出来ているという自分と本番では出来ない自分、これは両方その人なんだと思います。受け入れている自分と到底受け入れがたい自分。それが『普段通り』そのものなのかもしれません。
自分を知るのは自分がラクになるため。
本番で間違えなくなる自分に近づくには、やはりそんなどちらの自分も認めた上でのチャレンジあってこそだと思います。
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