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2014年10月31日金曜日

サロンの会 終了

2014年サロンの会が終わりました。
多くの方のご出演、ご鑑賞に心より御礼申し上げます。


今回の会場は目黒雅叙園。

昭和3年の創業だそうです。同じ年という方もちらほら。お年上という方も。お元気で何よりです。






普段通りに弾けなかった、という方が多く本番の難しさを実感しました。
特に今回はじめて発表会に参加された方は「デビューの洗礼」に肩を落とされていました。私も残念でなりません。でも、こういうもんなんです、本番って。がっかりするのはわかります。でも折れないでくださいね!


ある出演者の方がおっしゃっていたのは、素人の踊りや歌はごまかしがきくしそれなりっって言うのがある、またスポーツは挽回出来るけど、ピアノは素人でも正確に弾かないといけないし素人ほどごまかせない、と。

フィギュアスケートとピアノがなんか似ているというのは、そんなところかもしれません。始まったら最後。音楽という時間に支配される。そこに自分を集中させるのがいかに難しいか。大事なのは表現といいながら技術ありき。技術がないと始まらない。

きびしい。


今回私は2週間前に曲を換えたので
「一生思うようには弾けないんだろうなあ、、、哀しいなあ、、、なんでピアノなんて始めちゃったんだろう、、、」と後悔混じりにため息をつきつつ「でも少しでも人前で弾けるようになりたい、やめられない」というピアノの魔力を改めて感じたサロンの会でした。


今回ははじめての日本料理の会席
テーブルを回っていたらたまってました。
ご挨拶をくださった方が「1年間、そして今日頑張った自分へのご褒美です」とおっしゃってました。
来年も美味しくいただけますように。








2014年10月27日月曜日

人前演奏

サロンの会を控え、出演なさる方からメールをいただきました。
まだ完成していないけれど、今やることに絞って今回失敗してもそれを糧にこれからもこの曲を弾いていこうと思う、という内容でした。


なんて聡明な。
そうですよね。発表の場とは「完成形を披露する場」とは限らないのです。
それぞれの目的を持って「チャレンジの場」「確認の場」「場数」「集大成」いろいろあっていいのです。

昨日行われたフィギュアスケートのノービス大会で10歳の本田選手が言っていました。
「この1年間頑張って自分は成長したと思っていたけれど、そうじゃなかったのがわかった。自分を改めていきたい」
10歳の子のセリフとは思えない、、、。

人前で弾くのだから、かっこよく弾きたいのはヤマヤマ。だからミスしちゃったら、がっかりするしやる気も失せるけれど、何が出来て何が出来なかったか、その確認だけで充分価値があると思います。偶然出来なかったのではなく、そこには必ず原因と結果の法則があるのです。

あがった中で緊張した中で出来る事をひとつひとつ積み上げていく。。人前演奏を上手く利用して自分なりの成長をしたいものです。




2014年10月26日日曜日

クラッシック番組

見ていると勉強になります。

でも、短い番組で1曲や1人の作曲家をおもしろおかしくわかりやすく紹介するので、はしょられたり大げさに伝えられたり脚色している事も多いように感じます。

これをきっかけにその曲なり作曲家に興味を持って、さらに聞いたり調べたりしてくれたらいいなと思います。テレビでさらっと知っただけでそういう物と思ってしまうと、たぶん間違えます。ポピュラーでもテレビだとワンフレーズしか歌わないから、サビだけ流行ってその曲の真意が伝わらないですね。

私もつい知ったかぶりをしてしまいますが、テレビ情報を振りまいた後で「あ〜言わなきゃ良かった」という事がたくさんありました。テレビはあくまで広くて浅〜い媒体です。深い知識はやっぱり自分で勉強しないとダメですね。


2014年10月25日土曜日

ホールニューワールド

世の中は公平ではないけれど平等。
この意見に賛成です。


美貌は公平ではない。
頭の良さも運動神経も公平でない。
才能も公平にある訳ではない。
生まれ育つ家庭やお金も公平ではありません。

でも自分の持ち駒でどう過ごすかが人生。
考え方で行動力で勇気で取り組み方で気持ちで、変わるものがあると思います。
何が?
世界が。

人は鏡と言うし類は友を呼ぶと言うし朱の交りとも言います。
自分はまわりの人たちと同じ世界に住んでいる。だから自分が変わるとまわりは違う世界の人たちになる。

赤は努力しても白にはなれないかもしれない。
でも頑張ったらちょっとだけピンクになる、と思うのです。
白を目指してピンクで終わる。
成功とは言えなくてもそこは明らかに赤でない世界。
もしかしたら白よりステキな世界かもしれない。

私たちは魔法の絨毯を持っていないけれど、魔法の絨毯に乗らなくたって
いくらでも夢や希望を見ることは出来ます。
踏み出すのは誰だって怖い。
けれどそこで踏み出すか踏み出さないか、
結果は平等についてくると思っています。









2014年10月22日水曜日

恵まれていること

この時代に、日本に、生まれたこと。
恵まれています。


恵まれているのは役割のためなんだと思います。
何かするために恵まれている。

女優が美しいのは美しさと夢を人に分け与えるためです。
ノーヘル賞の人が頭いいのは知恵を人類で分かち合うためです。
作曲家がいい曲を作るのは私たちの癒しと喜びのためです。

才能に恵まれた人って、本人は大変です。
女優はぶらぶら歩けないし、作曲家は苦悩の日々だし。
それを考えると、ハリウッド俳優が莫大なギャラもらうのも許されます。

ところで、この時代に日本に生まれたことについて、私はなんの役割も果たしていません。胃腸が弱く生ものや脂っこいものがダメな方も沢山いらっしゃる中、私は好き嫌いがなくなんでも食べられて風邪をひかない事も恵まれている事です。
今日は初物の里芋をいただきました。シアワセです。

まずはなんでも美味しくいただける私の役割を考えてみます。

2014年10月20日月曜日

ピアノとヴァイオリン

管楽器や歌は少し大きくなってからでも充分ですが、クラッシックのピアノとヴァイオリンは高校くらいになって楽器が弾けたらなぁと思って始めるには大変苦労する楽器です。

大人になって始めるクラッシックバレエが流行ってますが、大人になって始める人は小さい頃からやってる人とは体が違うから、別の楽しみ方をしますよね。でもピアノは「頭で楽譜が読める」からいつか同じように弾けると思ってしまう。

子供の頃って時間が長く感じる。
大人になると年月が早い。
その中でやる一時間は価値が違うと思います。

大人からピアノやヴァイオリンを始めて頑張ってる方は、こんなこと言うと気分を害されるかもしれません。でも子供の時間を取り戻すには、ピアノとヴァイオリンは本当に難しい楽器です。

大人は大人の楽しみ方。
出来ることは頑張って、出来ないこともきちんと受け入れていく。


それを区別しないとピアノやヴァイオリンはそのものを楽しめなくなってしまいます。

2014年10月19日日曜日

ナマケモノ

10月のカレンダーはナマケモノです。

本物もキャラクターも、いままで魅力を感じたことは有りませんでした。

しかし。
今月、このナマケモノの木のぶら下がり方にどうも癒されています。




ナマケモノがキャラクターになる理由が少しわかりました。

2014年10月16日木曜日

人生に音楽があること

舘野泉さんが、脳梗塞で倒れてピアノが弾けなくなったときまるで呼吸が出来なくなったみたいだった、とおっしゃっていました。


私は弾きたくなくて弾かなかったことはしょっちゅうでしたし、少しの時間しかピアノに触れる事が出来なかった時期も長くありましたが、まったく問題ありませんでした。弾きたくても弾けなかったことはありません。

舘野泉さんのご両親は音楽家で、人生に音楽がある幸せを教えてあげたいということで舘野さんにピアノを習わせ、また舘野さんも同じ気持ちでお子様たちに楽器を習わせたそうです。

人生に○○があること…。

私の人生にあって良かったものはたくさんあるし、もしかしたら私の知らない「これはあるといいよ〜」というものも有るかもしれません。

でも今の私が言えるのは、よくぞ私の人生にピアノがあってくれた、ということです。

2014年10月15日水曜日

大人ならでは

本番で間違えない、について書きましたが、ちょっと付け加えますと「本番で間違えてもいい」のです。

間違えない演奏より心に響く演奏という意味でもありますし、もう一つ、趣味の大人ならではの楽しみとして「弾きたいから弾く」というものです。


間違えないようにしたい気持ちはやまやまでも、それは本当に大変な作業です。ですので「趣味なんだから間違えても楽しめればいい」という考え方もあっていいのです。
実はそうでないと趣味としてのピアノは成り立たなくなってしまう面も多いにあります。

ヒマラヤ登山には厳しい訓練が必要です。それはわかります。でも高尾山だって甘く見てはいけません。でもピアノはサントリーホールで 間違えても市民会館で間違えても命には別状ないのです。

要は自分の目的が何か、です。

本番で練習通り完璧に弾くことを目指すなら自分のレベル以上の物は弾いてはダメです。その上で、絶えず正しい練習をして本番直前はもう一度ゆっくり、片手、部分と抜かりなくやらなくてはいけません。これがめんどくさい人は人前で弾いてはいけないのか、ピアノやめろってことか、というとそうではありません。

レベル以上の弾きたい曲をめんどくさいことはせず楽しく弾きたいってことなら、 本番で間違えてもいいや、と自分で納得した上で弾きたい曲を弾けばいいのです。自分でお金を払う催しなら、「自分の目的」で弾いていいのです。

この曲を発表会で弾いてみたい。

失敗してでもチャレンジしてみたい。

大人のピアノのいいところはこれですよね。満足感は様々です。本当は聴いている人のことを考えるのも大事なことなのですが、なにしろお金を払ってるのは自分。たまには目をつぶってください、という気持ちで、失敗しても弾けて良かった、勉強になった、というのもいいと思います。また、ものすごい苦労してやっとここまで弾けるようになったという演奏をきくと、多少間違えても感動するものです。

これはピアノ云々より性格や生き方の問題ですね。
答えは自分で出してください。




幸せを味わう

朝は必ず日本茶を入れてゆっくりします。

ちょうど今、うちではルッコラが 豊作なので毎朝摘んでサラダにして食べてます。
オリーブオイルとバルサミコ酢にケッパーの実、塩こしょうで味付けしたドレッシングをその都度作り、そこに粉チーズをかけます。

私は料理に関して、美味しいかどうかの周りの判断は二の次という勝手な人間です。自分が美味しければ満足です。
儀式のようにこれをやることで、忙しい朝も幸せを堪能することが出来ます。
幸せは感じたもん勝ちですね。

ルッコラと唐辛子が終わったら土作りです。
次は何を育てようかとわくわくします。

2014年10月14日火曜日

ピアノ学習法

本番で弾けない、については何回か書きましたが、私も相変わらずなので自分に言い聞かせるつもりで書きます。


家では弾けるのに本番では弾けない理由は3つです。

1 あがる

2 練習不足

3 曲が自分のレベルに合っていない

家で弾けている場合、自分は1と思ってしまう方が90%でしょう。
しかし、ほとんどの方が2か3です。
その中でもだいたいが3でしょう。

そう思う根拠はまず自分でもあるし生徒さんをみていても
例外なくそう思います。

1の10%の方は、声に出して歌いながら弾く練習が効果的です。
右だけも左だけも両手のときも。口が回らなければドレミで歌わなくてもタラララ〜で、ただし必ず声に出して。これで音楽に集中出来るようになり弾けるはずです。
歌いながらだと弾けない、という方は1でなく、2か3です。


ピアノは楽譜が読めてそれなりに音符が拾えたら「弾ける」と認識してしまうのが間違いの始まりです。
その後が100万倍大変ですから。

だまされやすいのが、遠心力です。
遠心力とは回り始めるとそのまま慣性で回っちゃうことです。辞書で調べると「見かけの力」と書いてあります。
これです。実は家ではこれで弾いているのです。
リラックスした状態で弾き始めるとわりと勢いで弾けるものです。

しかし本番は。
緊張しなければ弾けるのに、ってことはそもそも存在しません。
「これから何かをやる」人間はちゃんと緊張するように出来ているのですから。
緊張とあがるは少し違いますが、そのどちらもがない人は天才か病気で、ごくごく少数派ですので宝クジより低い確立めざして生まれ変わらないと無理です。
あ、認定講師の堤陽子先生はこれらしいので大変貴重な人類です。

普通の人は普通に緊張します。緊張して普通です。
緊張した状態で遠心力は働きません。見せかけの力ですから。
フィギュアの選手も硬くなって回れなかった、と言いますよね。
逆にフィギュアは変に回り過ぎても減点になります。
要するに、遠心力だけではコントロールが利いてないってことです。

なので本番も弾けるようにするには、ほんとうの力で弾く練習をしないといけません。
あえて遠心力を働かせないようにするのです。
それにはものすごいゆっくり弾く。わざわざ止まる。
ゆっくりだと暗譜出来てないところは一目瞭然だし、止まったあとすぐそのテンポで弾き出せないはまさに勢いだけで弾いていたってことです。その時間違えなかったら本物の力です。歌いながら弾く、途中で止まる、これが出来るようになるには2の練習不足であるわけがありません。


だからだいたい3なんです。
つまり、1、2の対策の前に本当はもっともっともっとその前にやることが。。


やっぱり基礎がないんですね。
音楽性は大事ですが、ピアノは指が出来てないと弾けないのです。だからあえて音楽に乗らずに指を鍛える。 運動機能を鍛える。基礎しかありません。

緊張して弾けないのではなく、緊張した中で弾く力がないだけです。
そのこと自体その曲を弾く力はまだ備わっていないということです。緊張はするもの。緊張して弾けるようにするのがピアノです。緊張すると弾けない人は外人と話せない英会話ぺらぺらの人です。ピアノは末端の神経を使いますから、話すよりもっと細かい神経やら筋肉やらを鍛えないと弾けないのです。

超超簡単な曲を様々なテンポでいつでも何百回でも1度も間違えずにどんな場所でも弾けるようにしていく。錦織選手も出来ることを繰り返しやった成果だと言っていました。

出来るまでやるのではなく、出来ることをいつでも出来るようにする。いつでも。
同じ曲を何度も繰り返す。それが出来るようになったら、曲のレベルをあげていく。
ただし常に正しい練習をしながら。ここが大事です。
ちょっと弾けるようになるともう基礎は付いてる、なんて錯覚起こしますので。

これが本番で弾ける、言い換えれば見せかけではない本当の力がつく一番の学習法だと思います。近道はありません。なにしろ自分に言い聞かせてます。


というわけで、私は再来週急遽別の曲に差し替えることにしました。あがる、練習不足と言い訳するには10年早かったです。出直します。












2014年10月12日日曜日

いつか返上出来ると信じて、、

今日はピアノ弾き合い会でした。


中村誠先生のアドヴァイスはいつもながら的確で、1回弾いただけでこれだけ多くのことを聴き取り、今出来ることとこれからの課題をご提示されることに驚きです。
また1曲1曲への解釈が深く、きっとご参加の皆様は、自分の曲へのアドヴァイスだけでなく他の方へのアドヴァイスもとてもとても勉強になったと思います。
はじめてピアノの会の中でも価値あるイベントです。
どうしたら魅力あるピアノが弾けるんだろうか、とお悩みの方、是非一度のぞきに来てください。

さて、私も2週間後に本番を控えて、まだ全然出来ていない曲を弾かせていただきました。よくも人前で弾いたものだというくらいひどかったです。20カ所は間違えて2カ所は立ち止まって考えてしまいました。練習不足で完成度がとんでもなく低いのは自分が一番わかっているのに、家では出来ているのに、と言いたくなって(笑)「違うでしょ」と自分に突っ込みを入れながら帰ってきました。

人前で弾けないことを「弾けていない」と言います。
仮に家で出来ていても「本当の実力はない」と言います。

家で出来ている    人前で弾ける
この  がピアノの練習で一番大変なことであり一番大事なことでもあります。

家で弾ける = 人前で弾ける 
だったらどんなに楽でしょう。

一人で英会話を練習しているときはすっと英語が出てきても、目の前の外人と話せなかったら、その人は「私は英語で話が出来る」と言わないですよね。
外人が目の前にいたら緊張する。でもそこで話せなかったら緊張しようがしまいがその人は英語が話せない、ということなのです。


中村先生に「差し出がましいようですが、楽譜を見て弾いたらいかがでしょう?」とアドヴァイスいただきました。
「次の音、次の音」と探っているのがバレバレでした。大変貴重なアドヴァイスでした。

20カ所も間違えて立ち止まることは本当は涙が出るくらい恥ずかしいのです。
こう見えてとてもプレッシャーに弱い人間です。本当は逃げたい。。
でも友人のピアノの講師が言っていました。
「この仕事は恥知らずか卑怯者のどちらかの選択」と。
卑怯者は逃げること、恥知らずは大失敗すること。
その友人は続けて言いました。
「もし恥知らずなことになっても頑張っていけばいつか恥知らずは返上出来るかもしれない。だけど卑怯者は常に後ろめたさとの戦い。だから私は恥知らずを取る」と、、。


私は今回もまた恥知らずをやらかしました。が、大失敗してでも弾かせていただいてよかったです。以前みどり先生が言ってた「本当はピアノって人に聴いてほしいものだと思う」という言葉と、いつか恥知らずは返上出来る、という思いで頑張ります。




2014年10月11日土曜日

おうちごはん

外でお食事をする時は、自分で作れないお料理が好きですが、でもそれだけじゃなく、近くにあったとか、安さで勝負とか、長居出来るとか、逆にすぐ出てくるとか、大人数で入れるとか、お部屋が個室とか、お庭がすごいとか、お手軽とか、店員さんがイケメンとか、いろいろアリです。美味しいかどうかわからないからとりあえず入ってみるも多いです。これらは特別美味しくなくても何の問題もありません。目的が違うので。
また創作料理系は自分で作る参考に、お店に行ったりお惣菜を買うことも多いです。

でも「おうちごはんのカフェ」は研究のためにも入りません。
「おうちごはんのカフェ」で目的が達成された試しがないからです。
安さで勝負!長居出来る!プロの味!珍しい!美味しい!インテリアが好き!
どの目的にもマッチしません。

そう、そうでした。
オサレなおうちごはんというのに大いなる違和感ありき、でした。
カフェのおうちごはんは色んな種類をちょっとずつです。
全然なってないです。
この間ムール貝13個食べました。おでんのがんもどき8個食べました。
少量のちまちましたごはんはうちのごはんではないのです。


2014年10月9日木曜日

大人と子供のレッスンの違い

大人の方で子供の頃ピアノをやっていたけどやめてしまった方の理由を聞くと「小さい頃の先生はすごく怖かった」「基礎ばっかりでつまらなかった」のどちらかです。

そして「こんなやさしく楽しくレッスンしてもらえたら続けられたのに」「先生に出会っていたらやめなかったと思う」と言っていただくこともあり、大変有り難い限りですが、でも違うんです。


今大人の方がレッスンが楽しいのは大人の頭脳を持っているから。大人の精神を持っているから。

大人は理屈から入ってなぜこの練習が必要か考えながら練習できる。
わからないところはここが分からないと質問が出来る。
楽譜が読める。楽譜の意味が理屈でわかる。
あの曲が弾きたいという「あの曲」がある。
自分の意志でやるやらないを決めている。
練習しなくても先生に上手く言い訳出来る(笑)。
練習しない理由を自分にうまく言い訳出来る(笑)。

というように頭で考えられるので、そんなに無理が無いのです。
でも子供は大人のような知能がないから体に覚えさせるしかない。

楽譜は国語の教科書をたどたどしく読むのと同じくやっとこさ大人の何倍も時間をかけて読む。
例えば和音など理屈で理解すれば簡単なことも、回数をやってただ丸暗記するしかない。
大人がさっと書けることでもノート出して鉛筆出して消しゴム落っことして椅子から降りて消しゴム拾って椅子に座り直してやっとこさ一字一字を書く。
やっとこさ字を書くくらいの手だの指だのだから大人のように使えない、、、、。


ここに書いただけでも大人が何の苦労もせずに出来ることが子供には難しく、それをやるのだから苦労もするものです。

けれど子供は説明は聞いていなくても音楽は聴いている。
頭を使わない分耳を使っている。
日本語が通じない分、音楽が通じる。

実は大人は楽しいレッスンの代償に、音楽より日本語が通じるようになってしまっているのです。ま、楽しければいいので代償ってことでもないですね。
どちらがいいって問題ではないので。

子供のレッスン、大人のレッスン、やることは同じでも 受け止めかたも身に付くことも全然違います。


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2014年10月7日火曜日

媚びない

若い頃はいかにレッスンを楽しんでもらえるかを考えていました。少なからず媚びていたところもあったと思います。私は自信がないので人に媚びます。とくに強いものと太い物と長いものには媚びます。いや、子供でも同じです。好かれて人気のかわいい先生になりたいと思っていました。

でも年をとって、かわいいもへったくれもなくなり、ようやく大事なことが少しずつ見えるようになりました。私は真面目なので、大学で教わった通り音楽の楽しさを主眼に置いてレッスンしてました。これはもちろん一番大事な事ですし、ピアノレッスンは音楽の総合力になるので、そういう意味ではピアノテクニックがつかなくても充分効果はあります。

でも長年やっていくうちに、どんなに楽しい!と思っていても、ピアノが弾きたければテクニックがないと、楽譜が読めないとピアノを弾くことは楽しめなくなるとわかりました。やはり「ピアノ独自のテクニック」を学ぶ必要があります。

子供なら骨が形成される小さいうちだからこそちょっと気をつけていけば良い手が出来やすくなる。大人でも諦めず指のことを言い続けるとちゃんと良くなってくる。
テクニックをつけることで、ピアノの楽しさはグンと広がる。そしてそれこそがピアノを更に好きになりピアノを続ける原動力になるのです。
「上手でなくても味わい深く、、、」は、テクニックを捨ててるから言うわけではありません。テクニックという大きな山を登って見えるものは全く違うのです。


褒めることと媚びることは違いますが、褒め過ぎても事実が伝わりにくくなります。
必要以上に褒めない。
本当の事を伝える。
子供でも大人でもこんなことが大事かなと思うこのごろです。