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2014年4月1日火曜日

仕返しと誇り

以前、ゆるされない事をした人は他の人全てをゆるす事が罪滅ぼしになるのでは、と書きました。でもこれは不公平ですね。やはりゆるされない事をした人はとりあえず仕返しをされておくのがいいのかもしれません。された人がそれで気が済むならそれが平等でしょう。

でも。
それでされた人の気が済むかということです。振り返った時苦々しい思いは残らないでしょうか?同じ穴のムジナとはそういう意味かと。人を呪えば穴2つとも。

またフィギュアの話で恐縮ですが、
バンクーバーで金メダルが取れなかった時真央ちゃんが誰かに何かに「仕返し」をしていたとしたら。。

仕返しとは嫌がらせをすることだけではありません。
自分の思い通りにいかない理由が外にあった時、けがや不条理も含めて、まずその弁明をして正当化するのも仕返しでしょう。やめる、という選択肢も腹いせという仕返しでしょう。内容より勝敗にこだわってトリプルアクセルもエイトトリプルもない点数の取れるプログラムを作って勝つ事も仕返しでしょう。

けれどこの時、そのどれもせず「私は出来る事を全てやったといえるだろうか」と自分に問うた。


ゆるすことも大事でしょうが、リベンジも大事だと教えられました。でもそれは外にでなく自分に。やり切った、出来る事は全部やったと言えなかった自分にリベンジする。そして自分なりにやったと思えた時、たとえ金メダルは取れなくても仕返しなんかゆうに超えてしまう充実感がそこにはある、そんなことを教えられたきがします。

そんな事を思いながら私はのらりくらりと日々を過ごしています。






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