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2014年3月31日月曜日

1年

昨年の3月31日にこのブログを始めました。

読んでくれる人なんているのかなあと思いました。
日記を人に見せるなんて私にはあり得ない!と思っていました。

でもおかげさまでとっても楽しんでやっている自分を発見出来ました。
写真なんてとんでもない、と思っていたのに
趣味の野菜の写真なんかも載せちゃったりして
ブログが趣味みたいになってきました。
何を書こうと考える事なく思った事を書き始めると
なんとなく言葉が出て来て
書き終わったときに「やだ、こんな風に考えていたんだ〜」と
その時初めて自分がわかったり。

4月からじゃなく3月の終わりの日が始まりって、
偶然なんですが、なんかいい感じです。

見栄え

基礎は大変です。努力が必要です。その努力なくしても知っている曲ならなんとなくそれなりに仕上がります。でももっとよく弾きたいと思ったとき壁にぶつかります。一番の壁はがむしゃらに弾いて指、手、肩を壊すこと。


好きな曲には関係ないバラバラに見える基礎ですが、大樹であるピアノを楽しむにはまずは幹を太くしないとすぐに折れてしまいます。無駄に思えることのひとつひとつをやっていって、幹がしっかりして枝が葉が茂ると思います。

大人のピアノは子供のものとは違うという意見もあります。これから専門家になるわけじゃない、だから大人には基礎より楽しむ事が大事、と。でもそれはピアノをある程度知っている人の話。まとめてそう言うとそれは間違いなく誤解されます。片手で練習が必要とか部分練習が必要とか、音を歌うとかあたりまえの基本のキもスルーされてしまいます。

お料理初心者が「人生が豊かになるお料理」を習ったとしたら、化学調味料でさささっと作った見栄えがいい味はいまいちのお料理と素朴でもいい素材の時間のかかってる割にかなり簡単だけど心のこもったお料理、食べたいのは後者のお料理。化学調味料のさささのお料理なら習う必要もありませんね。

基礎のないピアノは、ささっと化学調味料で味付けした料理みたいなものです。木のない山を緑に塗って森です、と言うようなものです。


「練習はしているのに上手にならない」という時、どっちの料理をしているのかもう一度考えてみて下さい。そしてその練習が幹を太くしているのか、それとも幹がない木に葉を茂らせようとしているのか、考えてみて下さい。
練習しているようで、ただ見栄えを良くするために化学調味料を手当たり次第振りかけて疲れているだけの可能性も、大です。







2014年3月30日日曜日

人生は美しい

フィギュアはスポーツなのに世界で一人しか出来ないジャンプの基礎点や加点がなぜか低いそうです。


採点競技というスポーツは意味不明です。ビデオ判定があるくらいスポーツのくせに都合よく芸術として評価される。スポーツなら難しいことが一番点数高いはずだし、逆に芸術ならこのジャンプは何点なんてルール必要ないわけだし。

こんな不明な世界で、B級試合に1年間に1回しか出なくてもメダルが取れるプログラムを組む選手がいる一方、基礎に立ち返り1日も休まず練習し続けても転ぶかもしれない世界で一人しか出来ない基礎点の低いジャンプや、全種類のジャンプを入れ体力の限界を超えた後半にウルトラステップを入れたプログラムを組むとは何事でしょう?

誰のためにこんな大変な事をするのか、
何のためにそんなことをするのか。

わたしは、真央さんのフィギュアを見てわかりました。
真央さんはスポーツからも芸術からも文句の付けようのないものをめざしたんだと。
見事な融合を目の当たりにしました。
フィギュアは芸術ではなく、スポーツでもなく、スポーツと芸術の融合なんだと、はっきりわかりました。


コストナーさんもとても美しかったけれど、リプニツカヤさんのスピンもスゴかったけれど、両方兼ね備えた人の頂点はやはり真央さんしょう。


「出来る事はすべてやりました」。
誇り高き言葉。
限界を超えてやって来たんだと思います。

なぜやるかその答えは持たずとも、そのチャレンジをした者には点数や順位では計り知れない美しさが与えられる、そんな風に思いました。

どんなに不明な世界でも、人生は自分次第でちゃんと美しくなると教えられた気がします。








2014年3月29日土曜日

ピアノプレイ

皆様、こんばんは。
お越し下さってありがとうございます。


昨日友人と「自分で好きなように陶酔して弾くのが一番楽しいよね」と話しました。
指が動いてなかろうが速くピアニスト気分。
こぶしをまわして思い切りセンチメンタルに。
ピアノの弦が切れそうなフォルテ。

、、、でも、これ聞かされる方はものすごい迷惑なんですよね。
大人になると露コツな自慢はしないものです。ところがこれはプレイザピアノではなく間違いなく自慢&自己陶酔ピアノプレイ。

ただ難しいことに、音楽を表現して弾くのとこのプレイは似ている。私の場合、録音したのを聴いてそれがわかります。昔は録音していなかったので、全裸で皆さんの前で演奏していたようなものです。恥ずかしい。

しかし自己満足プレイは練習課程では必要でもあります。弾き込んで自分のしたい事がわかって来る。そしてそれを思い切りやってみる。すると「ヤダ、しすぎしすぎ」というのがわかります。

そして人に聴かせる段階になったら、プレイではなく律されたものを弾く。美しさにはいつでも大胆さと慎みがあるものです。クラッシックで言う慎みとはひとつあげるなら拍だと思います。

プレイは楽しいですが、人前では拍と、聴いて下さる方への感謝だけは見失わないよう、、。








2014年3月28日金曜日

今日はまさに春でした。
冬のあとは春が来るんですね。
ベランダのムスカリは花を咲かせ、大好きな梅香うつぎも薄緑の新芽がたくさん出ています。

そして
またまた食べきれない量のルッコラが大量に茂り花を咲かせわたしも忙しくなって来ました。葉はサラダや炒め物ですが、茎と花はほぼ1日おきに天ぷらです。しかも大量に。
美味しいからOKです。
三つ葉もスゴい勢いになって来たし、よくわからない芽も沢山出てます。

春さん、ありがとう!

2014年3月27日木曜日

クラッシックという生き方

気づきました。
クラッシックとは音楽ジャンルではなくて向かい方なのだ、と。
ショパンを弾くかどうかでなく、その前に何をやるか。やろうとするか。やっているか。


わかりやすいのは歌です。
カラオケでマイクで歌うのとクラッシックのベルカント唱法の一番の違い。
実は歌い方云々の前にベルカントはまずオーケストラに負けない声量を作るところから始まるということです。歌う以前に時間がものすごくかかるという事です。

カラオケで100曲のレパートリーが完成するくらいの時間を「声を出す」ことに費やす。つまり、そもそもマイクもスピーカーも音響設備もあってキー変更も可能な世の中で、そんな原始的な事にずっと「向かい合う」「時間を捧げる」やり方自体が、クラッシックをクラッシック足らしめているのだと。

考えてみたらピアノでもこんな万能な世の中で音質にこだわるとか音量にこだわるとかの練習、そこによっぽどの価値を見いださない限りそれは必要ない事だし、やりたくない人の方が普通ですね。さっさと弾きたい。

クラッシックはジャンルでなく生き方と感じます。
私はクラッシックな生き方が好きです。

2014年3月26日水曜日

気づき

気づくと世界が変わります。
気づくと世界が広がります。
気づきこそ人生の質を高めます。

ただ気づくことは難しい。
その意味では「経験」が一番気づきやすいです。
でも出来る経験は限られているし、
わざわざ辛い体験をしたい人はいない。
悲しい体験はすぐにでも忘れたい。

その中で自分に出来る事をきちんと、素直にしていると
きっと気づきが起きるのでしょう。

友人は自分の子供は健康だから、そうでないお子様を育ててらっしゃる親御さんのご負担を少しでも少なく出来るようせめてもボランティアをしていると言っていました。

気づきが少ないと、
自分の世界だけに生きていると、
自分の快不快で幸不幸を決めてしまいがちです。

私には気づかないといけない事がたくさんあります。


2014年3月25日火曜日

人前で弾く事

昨日ホールの会が終わりました。どんなに大変でも終わるとまたやろうという気持ちになります。主催者として次はここを注意しようと反省します。

 
人前で弾くためには沢山の練習が必要だとわかる機会になります。「あがる」「失敗する」のは怖いけれど、それを恐れていると中途半端な練習で出来ている気になってしまいます。その意味で、失敗はしても挑戦した方はすでに前に進んでいます。

ピアノサークルで習い始めて5年くらいの男性、はじめてのステージでしたが堂々と「夢路より」を演奏なさいました。今まで出し惜しみしていたのね〜と成功に嬉しくなりました。これからどんどん出演して下さいね!

「ピノキオへの歌」を歌った方。80歳とは思えない情感のこもったけれど素直極まりない美しい歌声。伴奏者も常に歌を盛り立て心温まる音楽でした。お二人の相手を敬う間柄、そして歌う方の生き方に感動しました。

プロとして活躍中の舞砂さんとさゆりさんによる「クロイツェルソナタ」。
ものすごく息が合っていて目を耳を離せない圧倒的な演奏でした。ヴァイオリンとピアノのアンサンブル、本当のハーモニー。その細部に行き渡った表現には、基礎と技術ありきを見せつけられました。お二人のご活躍応援します!


人前で弾こうとするのは、自分がどう弾けるかのチャレンジなのはあくまでプロセス、最終的には「聴いてもらいたい」という気持ちです。
それが自己顕示欲の場合もありますが、ただまとまらない話を「聞いて聞いて!」では通用しないのは皆さんわかっています。聞きやすいよう充分練習してその場に臨むのです。その努力に大拍手です。

と同時に、いつも言う事ですが、聞いて下さる方がいなければ音楽会は成り立ちません。ご鑑賞下さった皆様、わざわざ聴きに来てくださったこと、心よりお礼申し上げます。有り難うございました。



ホールの会が終わって一息ついたらサロンの会。
楽しみは常に努力とともに(笑)。。











2014年3月23日日曜日

2014 ホールの会 明日です!

いわゆるホールでの発表会です。明日ですのでお時間がある方は見にきて下さい。


今回はピアノ、歌、ヴァイオリン、音楽朗読があります。4歳〜83歳まで。ピアノ入門者からプロまでいます。

以下詳細です。


3月24日(月)

開場12:50
開演13:15

大泉学園ゆめりあホール(大泉学園駅徒歩1分)
入場無料


たくさんの方のお越しをお待ちしております。



嫌われる

いい人でいなくていい、とか嫌われる勇気が必要、とかいう本を立ち読みしました。


私は、何か言いにくい事を言う時、言い回しに気を遣ってオブラートに包んで奥歯にものがはさまった言い方だと、余計誤解を生むような気がして、そのまま言おうと思うのです。しかし、そうすると単刀直入以上に、輪をかけて、大げさに、本当以上のことを詳しく言ってしまうところがあります。心にあること以上のことを言うっていうか。でもそうすると嫌われることがあります。これは心外です。なので大げさに言うのを気をつけるよう訓練中です。嫌われるのはとても嫌です。

もうひとつ、言い分が違う時、まず相手の言いたいことを聞いてそれから自分の話をしようとしますが、そうするとこちらが納得しているかのように誤解されて、自分でも何が言いたかったかわからなくなってそのまま丸め込まれる事があります。これも心外です。

嫌われてもいいという場合もあります。いい人と思われなくていいという事も含みます。
意見考え方の相違が大きくこちらの思いを聞いてももらえないまたは伝わらない場合は、自分の考えや感情を優先させます。
「はい、どうぞ。嫌ってもらって構いません」です。小心者の私ですが、ここは大きく出ます。

もうひとつ、仕事上言えないことが多いです。本当のところ「嫌われたくない」と思っているからでしょうか?
「言うわけにいかないし」と、黙っていたり我慢することが多くあります。

でも「言うわけにいかないし、、」と思ってそれを言わないでいると、そのしわ寄せが必ず生じることがわかって来ました。損もします。ビジネスでは自分の損だけではなくまわりに迷惑がかかります。けれど適切な伝え方がまだわかりません。
立場を超えて言わなければいけない事を正確に気分を害さない様伝えるというのは、もっともっと訓練が必要です。

しかし、訓練以上に大事なのが人格そのものでしょう。言いにくいことも誠意を持って伝える姿勢に人間性や本性が現れると思います。嫌われてもいいではなく、嫌われるようなものの解決を目指さない人を目指したいです。






2014年3月20日木曜日

バレエ

今日はKバレエカンパニーの「ラ・バヤデール」を見て来ました。

熊川哲也さんです。
追加公演チケットをかじりついて取りました。

スゴくよかった。

お話も振り付けも舞台美術も衣装も照明も。

バレエダンサーの方の日頃の努力の結晶を見ました。
美しい。

ここまで鍛え抜いて自分を提供して下さるって
こんな美しいものを見せてくれて本当に感謝です。

バレエダンサーはこたつでポテトチップス片手にごろごろ、
なんて生活しないんでしょうね。

いい夜でした。

バレエ見たことがない方は是非見て下さい。



こうして生かされていることに感謝です。


2014年3月18日火曜日

心打つもの

私の趣味のひとつは立ち読みです。昨日も立ち読みしていて彫刻家ミケランジェロの言葉に出会いました。



小さな修正に時間をかけず、

 見かけだけいいものを作っても、

 決して、人の心を打たないのだ」



自分では見かけだけよくしようとは思ってないものです。けれど、自分は「小さな修正をしようと努力しているか否か」で見かけだけよくしようとしているかどうかがわかります。

この言葉は、しなくてもわからない部分の修正をしている師匠になぜそんなことをするのか弟子が質問したときに言った言葉だそうです。

出来上がったものが素晴らしいに越したことはありません。しかし、そうでなくてもこの言葉は通じると心から思います。プロだから細部にこだわるのでなく、人の心を打つものは細部にこだわる、細部にこだわったものが人の心を打つ、そう思うのです。


「自分の作るものなんて元々そんなレベルじゃない。それをやったところで誰も気づかない。そんなところに時間をかけるほどヒマじゃない。今更そんなことして何の意味があるのだろう?」そんな問いへの答えだと思います。
人に喜んでもらうことが人間にとって最大の喜びです。

、、、と、四角い部屋を四角く掃除できない私がまた言ってしまいました。











2014年3月17日月曜日

宿題

小さい頃から忘れ物の多い子供でした。宿題もよく忘れていってました。

正確に言うと、忘れる場合もありましたが、覚えていても、別に忘れてもいいやと考える不届きな子供でした。家庭の教育が悪いと思われた親が気の毒です。

人生にも宿題がある気がします。宿題はやらずに済ませたかった私なので、未だに人生でも沢山の宿題を残しています。私は宿題をごまかしてやらずに得した気分になっていましたが、宿題はやった方が得なのだと、今になってわかるようになりました。


行き詰まっていて一歩前進したりした時「これが宿題だったんだ」と思います。

「こんな風に楽しむ。。。これは20代でやるべき宿題だったんだ」なんて感じました。


死ぬまでにいくつの宿題に巡り会うでしょう?神様は意外と楽しい宿題を沢山出してくれている気がします。

2014年3月16日日曜日

長調短調

「長調は明るい、短調は暗い」


70代以降の方の半数はそう感じません。
でも、幼稚園くらいの生徒さんはほぼ全員、迷うことなくこれを感じます。感じない方は4、50代でポツポツ、60代で増えてきます。

私の少ない統計ではありますが、人間元々長調短調の感覚はあるのがなくなっていく、っていうことでしょうか。

なぜなくなるのか。日本の雅楽や民謡や演歌は、調で分ける事はしないので分ける必要もないし、調がある音楽を聴いていても分けることに慣れていなければ、その数が圧倒的に少なければそうは思わなくなっていくのでしょうか。ポピュラー音楽でも同じかもしれません。「分ける」習慣がないと「分けなくなって」「わからなくなる」ようです。

いい加減な見解です。でも元々あるものがなくなるって面白いなあと思います。



2014年3月14日金曜日

楽しむということ

「楽しい」って何でしょう。感動って何でしょう。


浅田真央ちゃんのスケートには全員が感動して「感動とはこういうものだ」と日本中が感じました。まさに絵に描いた感動でした。

真央ちゃんはどうでしょう?
あの日楽しく滑ったでしょうか?
滑る前に「楽しく滑ろう」と思っていたでしょうか?
あそこにたどり着くまで毎日楽しかったでしょうか?

「楽しい」が市民権を得たのはほんの20年くらい前の気がします。それまで楽しいは日本人には馴染みが薄かったと思います。それまでの日本人の美徳は我慢でした。今の美徳は楽しむことの気がします。

楽しむのはいいことです。でも当初それは今ほど軽薄ではなかったはず。。。

真央ちゃんは「ショートの後、スケートはもういい」と思ったと言っていました。が、あのフリーのあと「こんな気持ちをもう一度味わいたいと思う」と言っていました。

人を感動させられる人は日常が楽しいことなんて少ない気がします。
でも逆に私たちの知らないとてつもない深い楽しみを知っていることでしょう。

私ごときが言うのはなんですが、ピアノも楽しいだけでは楽しくなれないと、私は思っています。弾けないと楽しくないです。でも弾けて楽しくなる為には「楽しくないこと」をどれだけ積み重ねるかだと思っています。

今日、ピアノをはじめて8年の88歳の生徒さんに言われた言葉です。
「人生いろいろ自分の為にして来た。今はもう自分の為でなく人の為に何かをしたい。ピアノもそう。簡単な曲だけれど、一所懸命頑張って私のピアノで人が癒されるように弾いてみたい。そんな弾き方を教えて下さい」

プロだからそこまで深く追求するというのは違うと思います。「どこまで真摯に向き合うか」で感動は伝わります。0の素人が死にものぐるいの努力で1になるのはプロと同じように感動するものです。薄っぺらな取り組みは自分にとっても人にとっても所詮薄っぺらでしかないと思っています。

その方には、「では覚悟して下さい。人に感動してもらうのは簡単なことじゃありません。バリバリ努力してもらいますよ!」と言いました。
本当はもうこの時点で私は涙が出るほど感動していました。
半年後の発表会が楽しみです。





2014年3月13日木曜日

ピアノ弾き合い会

3月21日(金)大泉学園 13:30〜 
ヤマハフルコンサートグランドピアノ
参加費 会員2000円 非会員3000円 鑑賞のみも同額

ご都合のつく方、是非いらして下さい。
ご希望の方には、講師の講評や鑑賞者のご感想いただけます。

詳しい会場とお申し込みは、一般社団法人はじめてピアノの会042-316-4250までお問い合わせ下さい。


2014年3月11日火曜日

耳鼻咽喉

味はとても保守的です。育ちによって美味しいものが違って来ます。
家庭の味や地域の味は大人になってもなかなか変えられません。
もっと広く、タイ人が美味しいと思うものとアメリカ人が美味しいと思うもの、日本人が美味しいと思うものも基本的に違います。

そして味よりも保守的なのが匂いの気がします。
同じカレーでもタイに行って食べるときと日本で食べるときでは、国や街の匂いから味が変わって来ます。アメリカのお菓子もまず強い匂いに日本人は慣れていないので食べる前に拒否反応が起きたりします。

音楽も小さい頃聞いていたものが抵抗なく耳に入って来ます。耳の物理的な機能の問題もあるのでしょうが、嗜好としても「いい音楽」が違うように思います。特にクラッシックのように複雑だと大人になって聞いてもなかなか「美味しい」という感覚が持てない気がします。


、、、と考えていたら、全部耳鼻咽喉科でした。
もうこれは耳鼻咽喉科は保守的と結論づけてよいということでしょうか?
いや、もう少し検証が必要ですね。

2014年3月10日月曜日

椿の季節に


椿の花をみると幼い頃を思い出します。大きく開いたまま落ちていた花をよく拾っていました。拾うのが好きな子供でした(笑)。きれいなまま落ちてしまう椿はあまりよい意味を持たないようですが、とても魅力的です。薔薇とは違うまさに和の魅力と強さを感じます。






 

2014年3月4日火曜日

コードの講座

コードの講座が終わりました。

コードは頭でわかっても、たくさん演習を積んで使えるようになる事が大事です。何でもそうですが、頭を使わずにさっと出てくるまでが大変です。

友人と「ピアノはそれらしく弾けるようになったときが一番喜び大きいよね、その後、いつでも弾けるようにするってのいうのがとてつもなく大変なんだよね」と話しました。

「そのためにどうしてる?」「ありとあらゆる事をする」。

そういうことです。
これをやればいいってことでなく、とてつもなく大変な事を繰り返すってことです。

コードは理論なので理解すれば難しい事ではありません。けれど使いこなすにはやっぱりこれまた練習あるのみです。




2014年3月3日月曜日

ミモザの日

日本では3月3日が桃の節句。
イタリアでは3月8日が「女性の日」で桃ではなく黄色がきれいなミモザだそうです。


          

で、こんなきれいなお花をいただきました♪
冬というのを忘れてしまうくらい華やかです。
きれいだな〜。