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2016年2月3日水曜日

天才の悲しさ

今日オペラの会でカストラートについてお話ししました。
前回のマリアカラスにしても、天賦の才能は、本人の意思とは関係なく人生を思いもよらない方向へと運びます。
カストラートのファリネッリもマリアカラスも成功して地位も名声も得ましたが、多くの事を犠牲にした人生でした。

清原選手が逮捕されたことにとても驚きました。
とても強面で個人的には絶対おつきあい出来ないタイプですが、インタビューなどを聞くと心優しい男性の感じがして、きっといい人なんだろうなと思っていました。

彼も野球の天才と言われています。
小さい時から野球のセンスがよく周りも野球のスター選手になる事を期待し、本人も野球しかやって来なかったと言っていました。

ピアノもそうですが、一つの事を極めるという事は天才でも子供時代も青春時代もすべての時間を注ぎ込まないと出来ない事です。他の事なんて学ぶ機会もなければ学ばせてももらえなかったんじゃないかと思います。
凡人は才能を見つけるとその花を見たくなり、無責任に多大な期待をします。でも、咲かせるのは天才ご本人の努力と多くの犠牲。
天才といえど人間ですから、きっと心が弱くなる時も疲れちゃう時もあったでしょう。でも天才だから続ける。続けられる。才能は誰のためにあるかというと、才能に憧れるわたしたち凡人のためだと思わざるを得ません。そんなふうに期待を背負ってきた人生、天才でいつづける苦しみに胸が痛みます。

清原選手を見ていると、不器用で繊細でなにか寂しさを感じるのは私だけではないと思います。
「なぜ転落したのか?」とテレビで言っていました。転落なんかじゃなくて、天才として野球だけの英才教育の人生を送り始めた時から一歩ずつバランスのいい人生から遠ざかっていったのかもしれません。才能がある人にこそ、全人的な教育が必要なのだなあと思いました。

天才にはたくさん楽しませてもらう分、人としても幸せな人生を送ってほしいです。そうでないと申し訳なさ過ぎます。特に野球が好きなわけでもファンでもありませんが、清原選手には絶対立ち直ってほしいです。







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