「人はどんな罪滅ぼしをするべきか」とずっと真剣に考えてました。
真剣に考えた結果「罪滅ぼしは出来ない」とわかりました。
時計の針は戻せない、とどこかのはったり議員が言ってましたが、人を傷つけたらその傷はもうその人が一生かけたところで癒せないのです。
よく映画とかでも「せめてもの罪滅ぼしなんだ」みたいなセリフがあります。せめてものというくらいですので、気休めでしかないということです。
相手の気持ちを考えて行動しよう、と小学校の道徳で習いましたが、そんなの無理です。それくらいで人間関係上手くいくなんてありっこないです。自分でやられて平気なことでも嫌がる人は沢山いますし、反対もあります。他人のことは永遠にわからないものです。
だから人は人を傷つけてしまうのですね。自分は傷つけているつもりはなくても必ず人は人を傷つけてしまう。罪の大きさに大小はあれ罪滅ぼしが必要なことを皆がしているのです。人は人に迷惑をかけるものなんです。
真面目に考えてやったことなのか、何も考えずやったこなのかは大事だと思います。ただだからと言って、相手が傷ついたことに変わりないのです。その傷を癒せるとしたら傷ついた本人のみです。人にはどんな傷なのかわからないのだから、申し訳ないけれど他人には、傷つけた本人にすらその傷は治せない。理不尽ですが自分の傷は自分で治すしかない。
罪滅ぼしが必要になるようなことはしないように努めつつ、でもしてしまったらごめんねと謝って、そのかわりされてもま、仕方ないか、と思って自分で自分をせっせと癒す。
罪滅ぼし論争に決着がつきました。真剣に考えた甲斐がありました。
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