「昨日はすごい楽しかったね!また行こうね!」「あそこ美味しかったからまた行きたいね!」「あれすごくかわいいから欲しい!」「気に入ったものに囲まれてると幸せになるよね!」「幸せになりたいね〜」「でも今月はカードの支払いっぱいだから来月かなぁ」「バイトやだな〜、やめたい」
それはもうキラキラ話していましたが、カードの支払からバイトの話にかけてはディミヌエンドぎみでした。
楽しく暮らす、が現代のキーワードでしょう。
「しあわせ」という言葉もそのようですね。
家事も便利になってますます楽しく暮らしたい、幸せになりたいと思う方は増えていくでしょう。
現代は楽しく暮らすを通り越して快楽主義です。
「いやいや、我慢して朝から晩まで働いてるし。我慢して上司や同僚と付き合ってるし」と言う方も多いでしょう。
自覚なき快楽主義ですね。
忙しい。面倒くさい人間関係。やりたくないこと。ストレスがあり過ぎて、快楽でバランスを取っちゃってる気がします。
「自分はこれだけ我慢してるんだからこれはご褒美」と。
私は思います。
快楽のために我慢して働く、我慢して働いた分消費する、飽食するというのは、自分や物や食物を犠牲にしていると。本末転倒だと。
大昔、消費が出来ない頃の幸せってきっと本能を満たすことくらいだったでしょうね。
満腹でなくても空腹じゃなくなったというだけで幸せ。
そうだとしたら、今の日本の人のほとんどが幸せです。
我慢して働いたりそのお金で楽しい体験を買わなくても、本当は幸せなのかもしれません。
と言っても、ピアノだって表向きは自己の向上ですが、それのために他を犠牲にしていたらそれは快楽追求でしょう。
私はこの消費と快楽追求に憤っていますが、流されやすく世間体を気にする性格に加え、自分にとても優しいゆえ、何をどうするわけでもありません。というより完全に享受しております。何も抵抗出来ない本能のままの自分が悲しいです。
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