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2014年11月29日土曜日

作曲家

私生活がなっちゃない作曲家って沢山います。小説家とかでも私生活がなっちゃない作家多いですよね。もちろん全員がそうではありませんが、もし生きていて知り合いだったら「あんな人の書いた物、絶対聴きたくない!読みたくない!」なんて思ったかもしれません。


ただ人間って悪いとこばっかりの人っていないんですよね。
そしていいとこばっかりの人もいない。

歌詞のないクラッシックは暗号のようなもの。
どんなになっちゃない人の曲でも人としての美しさや善の部分が隠れてる。
出来過ぎた素晴らしい人の曲にも人間らしいドロドロした部分が隠れてる。
そんな気がするんです。

作曲家が内面を掘り下げて掘り下げて魂の叫びを楽譜というものに書き写したのがクラッシック。テキトーだったと言われるモーツァルトもサイテーだったと言われるワーグナーも、曲を聴いて、テキトーだったともサイテーだったとも私には思えません。モーツァルトの哀しみやワーグナーの光を感じます。

今日レッスンで「そんなに一音一音掘り下げるものなんですか?」と質問されました。
はい、掘り下げるものです。
何せ楽譜には作曲家の命をかけた魂の叫びが詰まっています。

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