念づれば花ひらく、という言葉は坂村真民さんという詩人の言葉だそうです。
詩の中でお母様がいつも言っていた、とあるので坂村さんのオリジナルの言葉ではないのでしょうか?どなたか知ってらっしゃる方、教えてください。
ところで、私も念ずれば花ひらくと思っています。
しかし、プラスの念もそうですが、マイナスの念も花ひらくと思います。
だからマイナス思考はやめましょう、、
という話ではありません。
自分に対するものなら自分で責任取ればいいのですが、人に対しての念というのも花ひらく。つまり誰かから不幸になれ、と思われたら不幸の花が開いて不幸にされちゃうんです。これはコワい事です。
怨念は、迫力ある大規模な恨みでなくても、「あの人幸せそうでいいな」という感情にひがみが入っていれば充分怨念です。
そうすると、どうなるかというとその感情を持たれた方がその怨念に引きずられます。
せっかくの気分に水を差されるってそれです。なんか台無しな気分になるってその怨念が正体です。
これは日常よくあること、日常茶飯事です。
私もしょっちゅうこういう場面を見ます。
ひがみ、やっかみ、怒りは怨念を送っているんです。
そういう私もしょっちゅう「いいな、ピアノが上手で、、」とひがんでるので、そんな怨念をちょこちょこ送っているわけです。つまりピアノが上手な人は実は私の怨念波を浴びていたわけです。
自分の努力で上手になってる人が、努力しないで楽をしている私から一方的に怨念波を送られるなんてどう考えても理不尽ですね。認めます。ですのでそういう時私は「あ、自分はひがんでる」と自覚して怨念を薄めるよう努力します。怨念が自分に返ってくるからそうするわけではありません。他人に念を使って自分の使う念が減ると困るからです。ケチな私としてはそこも節約したいところです。せっかく花ひらかせられる念なら自分のために使いたいものです。
逆に人から怨念を抱かれたらどうするかというと、(抱かれる要素がどんなに少なくても怨念は日常茶飯事ですので、どんな些細なことも怨念の対象になるのです)、その怨念波によろけないよう、まずはその場を離れる。気分に水を差されるでは済まされない、自分は幸せになってはいけない人間だぐらい思い込まされる強い怨念波もありますから。
そしてもう一度自分をしっかり立て直し怨念を送ってくる相手の前に堂々と立つことです。
人には怨念を送らず、送られてきた怨念ははね退ける。
念ずれば花ひらく。
大切に使いたいものです。
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