例えば「エリーゼのために」。
最初だけテンポが速くて難しいところで遅くなる。
難しいところに合わせて全体が遅い。
テンポどおりに弾きたいがために指が動いてなくてぐちゃぐちゃ。
和音のところがちゃんとつかめていなくて汚い。
でもこれがピアノを学ぶということです。
学ぶ過程では必ずあることで普通です。
学ぶ過程では必ずあることで普通です。
普段「名曲」としてみんなが聞くのは一流のピアニストの録音演奏。
内村選手のウルトラFや錦織選手のエースを見ているようなものです。世界一の演奏を録音でいつも聴いているとそれが普通だと思ってしまいます。
でもそれは普通じゃないんです。
一流のピアノが簡単に録音で聴けてしまう現代、そこが目の前にあるように思ってしまいますが、それはオリンピック選手です。
たとえ普通の人がエリーゼのためにを弾けるようになってもオリンピック選手のエリーゼのためにの一音ともう違います。
作曲家は一音一音を大切に命のように作っています。
だから音をぞんざいに扱うことはとても失礼です。
でも、自分が弾けて嬉しいという期間はぞんざいに扱っているという意識すらありません。そこをレッスンで先生に散々言われて、聴く耳が育って、気持ちが変化していく。
と言っても気持ちだけではオリンピック選手にはなれない(笑)。
私はずっとピアノをやっていますがそれでも未だに「こんなんじゃショパンが泣く」と落ち込みながら練習しています。
でも、音楽は一流のピアニストだけのものではないと、思っています。
でも、音楽は一流のピアニストだけのものではないと、思っています。
ショパンの望むような演奏はできないにしろ、曲を聴いて弾いて楽譜を見たり勉強して人生を楽しんでいることを、きっとショパンは許してくれていると思います。
アマチュアのピアノは、へたくそなのが悪いのでなく、向き合い方だと思います。
人生をかけて作ってくれた作曲家やその曲に、弾ける機会に感謝して弾けば、オリンピック選手にはなれない私たちを大作曲家たちは「本当はそんな曲じゃないけどね」と苦笑しながら歓迎してくれていると思っています。
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