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2016年8月31日水曜日

ピアノは頭

はっきり言ってピアノは頭でしょう。
頭のいい人は、あの複雑な楽譜をさっさと読めますし理解できるし脳の使い分けができるから右手左手、指への伝達も早いし暗譜も正確だし、集中力もある。

頭がいいからピアノが上手とは限りませんが、ピアノが上手な人で頭が悪い人はいません。
プロのピアニストは学歴がほとんど音大卒になっちゃいますが、実際のところ一流の学歴にふさわしい学力と言えるでしょう。
頭のいい人は何をやっても出来るってことかもしれないですが、子供でも、「えっ!?もう理解しちゃってるの!?」という子がいてそういう子は皆学業優秀です。私なんて音読んだり指番号理解するだけでも大変です。努力して努力してやっとこのレベルです。

それでもやっていられるのは、ピアノが頭がいい人だけのものではないからです。
一番大事なのは続けること。
続けて初めて見えてくるものがある。
競争ではないこと。
表現する喜びこそ生きるということ。
作り上げた人たちへの感謝。
自分の小ささ。

クラッシックは歴史があって大きな世界があります。どんなにすぐに理解したところで、奥が深いので10年、20年くらいじゃものに出来ません。10年、20年経ってやっと「こんなにいいものなんだ」と気付きそこからスタート。その先を知るには頭だけでなく継続力です。その証拠に頭が最もクリアで体力のある10代より円熟期のピアニストの音楽に感動する。

ただやっぱり頭の悪い私としては、半分の半分の半分の努力で済む人が羨ましいです。
「こんな苦労しないでできちゃうんだもんな〜」とガックリします。
とは言っても、そういう方の目指すところは私の倍の倍の倍の倍のところなので、実は私なんか比べものにならない程の大変な努力をなさっているのですが。


分相応とわかっていても時々、他人の優秀さに嫉妬し自分の不甲斐なさに落ち込みます。





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2016年8月30日火曜日

熊本チャリティご寄付のその後につきまして

熊本チャリティ「みんなが元気になるコンサート」〜益城町立広安小学校へ電子ピアノを贈るプロジェクト〜にたくさんのご寄付ありがとうございました。

「その後、子供達に電子ピアノ、その他の楽器は届きましたか?」とのお問い合わせを頂いております。

7月25日にご寄付全額245、960円を熊本市立益城町立広安小学校へお振込みいたしましたが、本日に至るまで小学校からご連絡を頂いておりません。

震災後の混乱、ケアなどおありかと存じ、現地の状況も把握できないためこちらからの連絡は控えておりますが、熊本では先週より新学期も始まっているとのこと、9月になりましたら購入楽器の詳細や搬入、子供達の様子などを伺い、ご協力いただきました皆様へはホームページ、こちらのブログにて責任を持ってご報告させていただきます。

ご心配おかけしております。
もうしばらくお待ちください。




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2016年8月29日月曜日

承認欲求


ブームになっているアドラー心理学では「承認欲求」を捨てろと言っています。
他人に認められたいという本能ですね。これはなかなか難しいことです。人間である以上、悟りでもしないと完全に捨てられません。

さて、人前で弾くピアノ。
人前でピアノを弾くということは承認欲求でしょうか?
そして人前で弾きたくないのは承認欲求がないからでしょうか?

1、2年前「人に聞いて欲しくない人はいないと思う」という言葉を聞き、衝撃でした。そうだったのかと疑問が晴れた気がしました。

小さい子は上手下手に関係なく人前で弾くのが好きです。上手下手が自分の評価や存在価値を左右するとは思っていません。
自分を表現したい、自分を理解して欲しい、これは本能です。
人前での演奏はそんな素直な本能に従うということなのです。

それがある時期から弾きたくなくなる。
人前で演奏して失敗することを恐れるようになる。
この時、承認欲求が芽生えているのです。
つまり「人前で弾いたら下手な人とバレる。人に認められなくなる」ということです。認知本能が自分に弾くな、と命令しているのです。

本当に人前で弾くのが嫌ならレッスンで先生に聞かれるのも嫌だし(緊張するという意味ではありません)、録音するのも嫌だし、音を出すのも嫌なはず。
本当は皆「一生懸命練習してできるようになったものを誰かに聞いて欲しい」という気持ちがあるのです。人前では弾きたくないという人も自分よりヘタな人の前では弾きます(笑)。皮肉でもなんでもなく普通のことです。

では毎回発表会に進んで出て弾いてる人は、皆「ピアノを人前で弾いたらみんなが自分を認めてくれる」と思ってるのでしょうか?そう思えるほど自信がある人なのでしょうか?

それは違うんですね。
私が、下手でも人前で弾こうと思ったのでこれは分かるんです。
人にどう思われても弾こうと思う、ということです。
これにはリスクがあります。
失敗したら人に認められなくなる。
ではそのリスクを冒してでも挑む意味とは。

他人に認められたい承認欲求とは違う自分が自分を認めるということです。
目標を決めて頑張ろう、自分の成果を確認しよう、自分の言いたいことを責任を持って言おう、そして私の場合は自分のやっていることに責任を持とう、そういうことです。

とはいえ、プロのピアニストだったら承認されなかったら終わりですからものすごいプレッシャーです。「認められなくてもいいや」とは絶対なりません。認められるものを発表しなければ詐欺にすらなります。ここは辛いところですが、それを含めての仕事です。
実際、技術や音楽性より音楽にかける情熱で圧倒するピアニストもヴァイオリニストもいます。それが自己表現です。

趣味で自分で楽しむためにピアノを弾いている方は、人前で失敗したら恥をかくというリスクはありますが死にはしません。そして1年後、その人の演奏の失敗箇所を覚えている人は誰もいません。先生が指摘したり覚えているのはその人を認めないからでなく仕事だからです。仮に「下手なのによく人前で弾けるわね」と言う人がいたら、その人はとても承認欲求の強い人なんです。きっと失敗を恐れて、他人の評価を気にしてチャレンジが出来ない人でしょう。


趣味の方こそ自分のために人前で弾いてください。
失敗しないようにベストの練習をしてそれでも失敗したら、反省と課題を得て、そして是非誇りを感じてください。






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2016年8月28日日曜日

影響されまくり



こういう私もですが。
今は一人一人の思いや考えを簡単に発信できるから、皆が批評家ですね。何か事件が起きると、専門知識もないのにいいか悪いか判断する。誰も聞いてないのにもっともらしく意見する。誤解を受けるような文章力で無責任に文字にする。それを同じ意見の人同士で共有する。同じ考えの人がいてもそれが正しいわけでもなんでもないのに、アンケートのように多数決で正しさが決まり、誰かが作ったり垂れ流した情報に深く考えもせず反応した人たちの意見が「世間」になって「常識」となって垂れ流される。

どんなに心が強い人でもネガティブな「世間」には心が折れますし、「世間」に持ち上げられたら有頂天にもなります。もう影響されまくります。

そうならないようにするには人生という経験が必要なのでしょうね。「苦労は買ってでもするといい」と昔の人は言ったものですが、まさに今の時代こそ苦労が実になる時かもしれません。
とは言っても、経験以上の情報があふれている現代。どんだけ苦労しても追いつきません。もう何を信じればいいやら、です。

時代を読みつつ、他人に影響されず、個人が個人の考えで人生を生き切るのは難しいですね。




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2016年8月27日土曜日

夢は叶ってます



自分の本当の夢はなんだったのかと考えると、案外かなっていたりするものです。
夢と職業は必ずしも一致しません。


職業には、自分が選ぶものと天が授けるものがあると聞きました。好き嫌いを超えた「使命」とでも言うのでしょうか?
また好きな事も職業となったら変化するでしょうし、たとえば「〇〇で人に喜んでもらいたい」という夢の〇〇という部分は神様が決めて「人に喜んでもらいたい」の部分は叶うように出来ているのかなと思ったりします。


漫画家になって喜んでもらいたいと思ってた女の子は、お母さんになって子供にかわいい絵を描いてあげているかもしれない。

車が大好きだった男の子は、違う職業で大好きな車に毎日乗っているかもしれない。

私は無宗教ですが、さまざまな巡り合わせは神様の采配なんだろうなと感謝とともに思うのです。







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2016年8月26日金曜日

50歳から

最近つくづく思います。
人間、50歳を過ぎて60、70、80と歳をとって、おじいさんおばあさんになったときどうかってことです。
死ぬときどうかってことです。

音楽もそうですが、10年20年でわかることなんてほぼないと思っています。
20歳を成人としているのは、分別がついているからではないと思います。昔寿命が50年だった時代、20歳くらいで大人にしとかないとすぐ死んじゃったからだと思います。
自分の20歳の時といったらあまりの空っぽさに目を見張ります。

最近になってようやく物の理屈がわかってきました。
なにをやるかでなくどうやるか。
それがやっとわかるようになって来ました。





2016年8月25日木曜日

「家では弾けるのに、、」

家では弾けるのにレッスンでは弾けないことや、練習では弾けてるのに本番では間違えるのは、本当は家でも、練習でも、弾けていないことを「自分で聴けていない」んです。

家でこんなに出来ています!という証拠を録音したとします。

その録音は1発目でしょうか?
何度か練習してからではないでしょうか?
100回続けて録音しても同じ出来栄えでしょうか?

何回か練習した後で録音しているとしたら、弾けているとは言いません。

何回か録音し直しているとしたら、やっぱり家でも弾けていないってことです。
何回かに1回できたとしてもその1回が本番に出ることはまずありません。
何回かに1回は間違えるという不安定さではまだ弾けていないってことです。
何回かに1回は間違えるというコンスタントな「偶然」は、ちゃんと本番に出る「必然」です。
そもそも「録音しようとすると緊張して間違える!!」という方は論外です。レッスンや本番で弾けたら奇跡です。その前に本番で弾けていないことを聞けていない可能性もありますが。

何しろ本番は、いつもと違う風景といつもと違うピアノ、それでなくても動揺している中です。

そんな中で、何回かに1回は出来るというのは全く役に立ちません。幻みたいなもんです。気のせいです。


じゃあ「家でも本番でも弾ける」にはどうしたらいいかというと、解決策があります。それは


1、正しい練習する。



です。

しかし正しい練習を甘く見てはいけません。これができたら苦労しません。

正しい練習は何かというと耳を使う練習です。片手、部分、ちょっとしたズレや鍵盤をかすってないかなどようく聴きながら。そしてもう一つゆ〜っくり弾く練習です。もちろん1回も間違えずに。ゆっくりと言っても3分の曲を15分の遅さで何弾いているのかわからないくらいのゆっくりさ。退屈な練習だからって気を抜いた途端、音がわからなくなって暗譜ができていないことが白日のもとに晒されます。ゆっくりをちゃんと耳で聞く。アーティキュレーションもちゃんとつける。音を粗末に扱ったらダメです。集中してようく聴きながら。ようく聴けば聴くほど、自分が本番では間違える理由がわかります。弾けるわけがなかった、と思うようになります。

「いや、そんな練習しなくても、本番ではそこそこ弾けてる」と思っている方がいたら、またまたやっぱり残念ながら自分の音を聞けてないでしょう。

そして、上記のことをしながら同じ曲を何回もいろいろな場で緊張して弾くことも大事です。その時するべきことは、できていない箇所を確認することと、間違えたらいかにごまかすかのとっさの術を身につけることです。
完璧な演奏はピアニストだって出来ません。
ごまかすのも技術の一つ。
それもまた正しい練習あってこそです。
他にも書ききれないほどのあらゆる練習をして家では100回弾けて初めて「家では弾けるのに」と言う権利が生じます。

そんなことする時間も根気もない、方は以下の解決策2か3を選択してください。


2、「練習ではできているのに」と思わないこと。「練習でもできていないんだから本番もできなくて当然」と現実を直視する。割り切る。開き直る。


3、練習で1発目から100回連続して間違えない自分のレベルに合った曲を選ぶ



本当に大事なのはどうレッスンに、本番に臨んでいるかということです。
自分はレッスンで何を得たいのか、本番でどんな風に演奏したいかだけです。
家で弾けていようがいまいが関係ないことです。




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2016年8月24日水曜日

バランスを取るか、、


人間バランスがいいのが一番ですが、バランスを考えていると思い切ったことができません。まずこの部分、まずこの部分と気づいたことだけやっていくと、バランスが悪くなっていびつになって見た目すごく印象悪くなってしまいます。

私は世間体と体裁をとても気にします。
なのでいびつにみられないように、バランスがいいふりをします。偽物のキレイな円を見せようと繕います。
でも本当はいびつでバランスが悪いので、いびつであることを「隠す」「ごまかす」に神経を注ぎ、中身に注ぐエネルギーがなくなって「空っぽ」の自分が露呈する。
悪循環です。

音楽も人間も、どうしてもうまくまとまっていた方が見た感じ聞いた感じがいいので、いびつであるよりそれらしい円にしたくなります。
ピアノでいうと、綺麗な音を出そう、感情を表現をしようとして失敗するより無難な演奏をめざす、みたいなことですね。

でも一見きれいな円はあくまで一見。
心に響かない。
そしてそれを続けると、他人だけでなく自分をも騙してその気になって成長ができなくなってしまいます。


本当は成長の過程ではいびつである方が自然なんですよね。
なかなか思い切れないですが、私の人生ここもチャレンジしていかなくてはいけないところの一つです。




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2016年8月23日火曜日

基礎の前の基礎

オリンピックを見ていて
「今までの人生で、柔道をしようと思ったことなかった」と言ったら「環境でしょ」と言われました。確かに環境こそ基礎の基礎でしょう。

レスリングの選手も卓球の選手も親が元その道の選手という方が多いです。
DNAはもちろんあるのでしょうが、やはり成り行き的な環境の方が知らず知らず色々なことが学べますね。全然音楽に縁がない環境だったというピアニストの方もいらっしゃいますが、それは特別。もしやる環境があったならきっとその親もやっていたのでは。
錦織選手のお母さんはピアノの先生だそうですが。

子供がピアノを習いに来るとき、大人がピアノを習おうというとき、皆様基礎からしっかり学びたいですとおっしゃいます。
そこには、ハノンとかチェルニーとか指の練習という考えがあります。
でもその前に、音楽の基礎は音楽を聴くこと。

ポピュラーだけ弾きたいならポピュラーだけでいいですが、クラッシックも弾いてみたいという場合はクラッシックも聴いたほうがいいですね。

そんな環境作りが基礎の前の基礎だと思います。

2016年8月22日月曜日

音楽は娯楽でない

あるピアニストが「偉大な作曲家は娯楽で音楽を作ったわけではないので、ちゃんと伝えなければと思います」と言っていました。ハッとしました。

作曲家が命をかけて作ったのはわかっていたつもりです。
でも、改めて「遊びではない」という言葉を聞いて自己顕示のために弾いてるフシがある自分を反省しました。

音楽を聴いて楽しむとか弾いて楽しむとことはとてもいいことです。ちっとも作曲家への冒涜にはなりません。望むところでしょう。
けれど私の場合、人前で弾く時どうも「上手に思われたい」「センスがいいと思われたい」「知的で深い人間に見せたい」というような浅ましい下心を持っている気がします。多分、私が作曲家だったら一番嫌うことです。これは冒涜ですね。


この見栄っ張りな性格改善のためにも、楽譜をもっと読みこんで作曲者の思いに沿わなきゃな、と思いました。





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2016年8月21日日曜日

ニュアンスは聴くことで


ピアノの場合、いちお、正確な音が出るので聞き分けられなくてもたいして問題ない…と思っている方が結構います笑。耳が大事と言っても聞き流されてる感じがします。

インプットよりアウトプットの方が楽しいので、気持ちはわかります。耳はじわじわとしか育たないので待ってられないというのもあります。
でも肝心の耳が置き去りにされたまま指だけ動かしてもそれは運動であって音楽ではありません。
細部を聞けて、細部を弾けてはじめて音楽は音楽になります。

音楽とは、微妙なニュアンスです。強いとか弱いとか速いとか遅いとか口では言い表せない水の揺れのような風のそよぎのようなそんな感覚。
それを耳で感じる。

ピアノを習っている方はピアニストの指ばかり見てしまいますが、それは曲芸を見るには楽しいですが見て参考になるものではありません。初心者こそ目をつぶって聴いた方がはるかに勉強になります。その聴いたものを真似る。

「音楽的に弾くにはどうしたらいいんですか?」「書いてあること以外の強弱ってどうやってつけるんですか?」と聞かれますが、聴いて聴いて聴きまくって細部を徹底的に真似るところからだと思います。だから耳です。

聞けてるかどうかまずは真似して歌う。きれいな声でなくていいのです。音楽を声に出すこと。歌えないものは指でも表現できません。ただの音が出る運動か音楽的かの分かれ目は耳にかかっています。耳は一朝一夕には育ちません。けれど耳を使わずして音楽的に弾くことは不可能です。

ピアノはいろいろな声部を一度に弾いて複雑です。だからこそハーモニーの勉強になるのですが、音楽性を聞き取るのは一番難しい楽器です。
音楽性は歌や旋律楽器を聞くとわかりやすいです。

音楽のふとした呼吸をニュアンスを、耳で感じて下さい。



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2016年8月20日土曜日

ストレス

楽しいことも嬉しいことも喜びも、一種のストレスと聞き驚きました。


目からウロコでした。
こんなに豊かな時代なのに、最近の人がみんながストレスストレスって大騒ぎしているのは、何も辛いことばかりだからでなく、「楽しいこと」「美味しいこと」がやたら多いからという話に、何だか合点がいきました。

要するに「感情の起伏」がストレスという言葉で表されるということですね。
楽しいことはすごく嬉しいけれど、けっこう疲れます(笑)。心地よい疲労感とか言ったって、疲れることに変わりありません。
フランス料理、イタリア料理、日本料理、カレー、パン、ラーメン、、それぞれの美味しさを堪能しても、なぜかおにぎりにほっとする。
昔、おばあちゃんが「平凡なのが一番」と言っていた意味はおにぎりの幸せでした。
おにぎりが気持ちをニュートラルに戻してくれます。


たまにフランス料理に美味しかった!と喜びを爆発させるとして、毎日は何の変哲もない炊きたてのご飯やぬか漬けをいただくのがストレスがたまらない生き方かもしれませんね。



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2016年8月19日金曜日

信じる


人生、どうしたらいいかな、と迷うことがあります。


私には考える前に行動するという悪い習性がありますので、これを反省して、人生の節目の選択は立ち止まるようにしました。
そして「人の意見に従う」または「常識といわれている方」を選択をしてきました。

経験も少なく、勉強不足で知識もなく、人間関係が得意でないので、考えても考えても何が正しいかわからず、そうなると周りが言うことが正しい道という気がして、だいたい流れに従いました。
「私のしていることはどうせ間違っている」という自信のなさから自分の意志を貫く強さがありませんでした。

でも、もしかしたら間違っても自分を信じる方がいいのかなと思うようになりました。

常識や世間体を気にしてやったことで、とても後悔していることが人生に一つあります。
なぜ後悔しているかというと、自分に嘘をついてやったことだからです。自分はそう思わないのに人に遠慮したり世間体を気にしてやったからでした。

その時、次は周りにどう思われても自分がしたいようにしようと思いました。
自分がやることが正しいという意味でなく、自分の気持ちに正直にという意味です。

とは言っても、気持ちは揺れ動くし、何が自分に正直なのかわからないことも多いです。
人間は自分を知ることが一番難しいと言いますから。

で、結局、考えに考えた挙句、直感で選択することにしました(笑)。
これは考えなしに行動することより大進歩です。
考えた挙句、なので。
決意して1週間、自分がどんな気持ちになるか自分の気持ちを観察してみる。結構サバサバしてたらそれでいくし、ウジウジしていたら別の方という判断基準をとりあえず設けました。サバサバもウジウジも主観です。これは考えているとは言わないのでしょうか?


人生どっちにしても後悔はするものだと思っています。
だからこそ自分を信じようと思います。






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2016年8月18日木曜日

音楽の比喩

比喩といえば音楽こそ比喩そのものですね。


作曲家といえど人間。ドロドロの感情だってある。
でも「こんなに自分は大変!」なんて言わずに美しい音楽に昇華させる。

素晴らしい曲を作った人が人格者とは限りません。
変な正義感があった頃は、それが釈然としませんでした。人格者でないとわかった途端、音楽も色眼鏡で見ました。
が、最近になってそういうことではないと思うようになりました。

ドロドロも軽薄さも全てが人間。
どんなに綺麗事を言っても、人間誰でも自分が可愛くて理性では抑えきれない浅ましい本性を抱えている。
それを芸術にまで高めるというのは、正義だなんだと口先で言うよりはるかに難しいことです。

人格も作品も素晴らしい芸術家はいます。憧れるし尊敬します。
でも、会ってみると、けっこう人間ぽかったり(笑)。
完全に善の人間なんて、神様じゃないんだしいないんだと思います。

その逆も然りです。
音楽は人間そのもの。
優しくて強いのも人間ならば、自分勝手で欲深いのも残念だけど人間。
一人の中にその色々な要素が詰まっている。


そんな人間の悲しさも汚さも弱さも音楽という比喩の中で美となります。






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2016年8月17日水曜日

比喩

日記を読み返して恥ずかしくなった私ですが、忘れていたことを思い出したり「なるほど、その通りだ」と若い自分に感心する部分もありました。

そう考えればこの日記にも存在意義はあったと思います。しかしこれを保存しておく意義はありません。
私小説というのがありますが、小説にまで芸術性を高められる人は別として、ありのままというのは一人よがりで自己陶酔、被害妄想に近いものがあります。読み返すのも1回が限度です。

ちゃんと芸術として残せる方はいいですね。
日記を読んで懐かしく思った日々に、一つ稲葉京子さんの歌をお借りします。


かなしみてわが内部より滅び去るメルヘンの森を語ることなし 稲葉京子






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2016年8月16日火曜日

過去

私は日記をつけていました。
で、それをチラリと読み返してみました。

いやはや。
これが青春時代ならまだしもいい大人になってからよくもここまで、と思うほどの有様で、あまりの一人よがりな悩みっぷりに自分が恥ずかしくなりました。
日記ってあとで読むものじゃないですね。

でも。
こんな風にあっけらかんと読めるのはきっと今その悩みがなくなっているから。

過去と今の間には時間が存在しました。
違う私にしてくれたのは時間でした。

時間に感謝です。




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2016年8月15日月曜日

ブログを書く理由

おはようございます。
お越し下さってありがとうございます。

ブログはピアノのことを中心に、趣味の園芸や考えていること、興味のあることを拙い文章で綴っています。
毎日書こうと決めています。
理由は自分の言葉で自分の考えていることを短時間でまとめるトレーニングになるからです。
なにせトレーニング中なので、言葉足らずで言い方がきつくなったり言い回しがまどろっこしくて伝わらなかったり、文章を書くのは難しいなと実感しています。

文章には人格が表れると言います。
たぶん冷淡で見栄っ張りで自己顕示欲の強い性格が露わになってる事でしょう。
そこを上手く隠しつつ説得力のある文章が書けるようになりたいものです。

とりあえずは習慣は力なり。
頑張ります。


最後までお読み下さってありがとうございました。

2016年8月14日日曜日

秋ナス

ナスの実がならなくなったので切りもどしました。
これで秋ナスが楽しめます!

スカスカになった足元に「ビタミン菜」という夏でもOKの種を蒔きました。


今年も夏が来ました。
夏の次には秋が来そうです。




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2016年8月13日土曜日

パンとクラッシック

クラッシックの楽しみはまだまだ日常となっていないと感じます。



クラッシックはもはや日本の音楽の一つになっています。
CM、映画、携帯の着信音、そしてネットでいくらでもクラッシック音楽を聞くことはできます。そして有名なピアニストが来日する、有名な歌劇場が来日するとなるとチケットが完売するくらい人気です。


でも日常で、お米の代わりにパンを食べるように生のクラッシックを聴く人ってとっても少ない。クラッシックは好きだけど生の演奏は聞かないというのは、レトルトカレーを毎日食べてそれがカレーのすべてと思っていることと似ています。

なぜなら、クラッシックはアコースティック楽器だから。

クラッシックの真髄は生にこそあるから。

日本の食生活の中にパンはすっかり根付いています。
街のパン屋さんでクロワッサンを買う。
ファストフード店でハンバーガーを食べる。
スーパーでパンを買ってきてサンドイッチを作る。
自分でパンを焼く。

パリの有名クロワッサン店じゃなくお仕事帰りに街のパン屋さんで買えるクロワッサンだってもう充分幸せだし、子供と周りを気にせず食べられるファストフードのハンバーガーは家族の楽しい時間だし、中身がちょっとはみ出しちゃったお手製も、ちょっと焦げちゃった自家製も自分で作る喜びも加わってますますおいしい。パンだけでなくその時間も味わえる。

クラッシックも一緒です。
一流の演奏家の年に一度の演奏会や編集バッチリのCDじゃなく、生でしか味わえないその時間の作り出す幸せ。まして下手くそでも自分で演奏することは、レトルトカレーとはぜんぜん違う豊かさがある。

オリンピック選手のような演奏もたまには聞きたいけれど、街のパン屋さんや自分で作るちょっとはみ出しちゃうサンドイッチも、間違いなく生活を楽しく豊かにしてくれます。

クラッシックもパンのように楽しんでもらいたいです。

2016年8月12日金曜日

オリンピック

言うことが甘いですが、こんなに頑張るのは大変だろうなと思いながらオリンピックを見ています。
こういってはなんですが頑張ればできるわけではありません。
頑張ってもメダルを取れる保証はありません。
それでも絶対取ると自分を信じて頑張る。
信じるってすごいパワーですね。

クラスで一番、学校で一番、地域で一番、日本で一番、それだけでもすごいのに世界と闘うってどんな気持ちなんでしょう?
勝っても負けてもみんなかっこいいです。

税金使って東京オリンピックしなくていいのに、と思ってましたが、せっかくなので2020年はオリンピック見に行こうと思います。

2016年8月11日木曜日

マネをしてはいけない

学ぶより真似ろと言います。
しかしオリンピックを見ていて真似をしてはいけないと思うこと多々ありです。
それはまずは基本なんだということ。


オリンピックではすごい技が続出です。
しかし初心者がそれをマネしてもできませんよね。スポーツは数字が出るし体力も関係しているので、出来ないことは一目瞭然でわかります。

しかしピアノのような数字で表せない、目で見えないものだとつい形だけマネしてその違いに気付かなくなってしまうことがあります。どう違うか気づくことさえ難しい。

オリンピック選手も基礎だと言っています。
やっぱり基礎の積み重ねがここまで人間を強くするのだと改めて思う毎日です。




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2016年8月10日水曜日

人の幸せのため

イチロー選手が3000本達成しました。
その時に「記録より、僕が何かをすることで他人が喜んでくれることが何より大事だと再認識した」と言ってました。



こんなにストイックに頑張れるイチロー選手を、「よっぽど野球が好きなんですね」と言っている解説者がいましたが、イチロー選手は「プロになってからは子供の頃のような喜びはない」と言っていました。

イチロー選手が背負っているものを感じて、なんだか胸が締めつけられました。
あまり感情を出さないイチロー選手。
差別の国アメリカで孤独に黙々と努力し続けるイチロー選手。
それが自分のためじゃないんだって思うと切なくなります。

一昨日、天皇陛下が生前退位をご希望との映像が流れました。やっぱり自分という個人としてでなく「天皇」として生きてこられた方です。
イチロー選手にしても天皇陛下にしても、人の幸せが自分の幸せということ。
人のために何かをするというと、ボランティアとか福祉を思いがちですが、それぞれの立場や生まれ持った才能を生かすことでこんなにも人々の幸せに貢献している。
地位があって才能があって好きなことをしている人というのは、何もない我々から見ると羨ましい限りですが、でも同じ人間ですから立場や才能を生かすことがどれだけ大変か。
イチロー選手にしてもオリンピックにしても好きなだけではできない。
見ていればわかります。

それを任された人は大変ですね。
自分を超えて人を喜ばせる。。なんだかやっぱり神様の采配なんだろうなと思います。






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2016年8月9日火曜日

自分の一部

9月のレクチャーの打ち合わせをチェリストの中原さんとした時のこと、楽器は自分の一部、内臓みたいなもの、というお話をされ感動しました。

ピアノは人前で演奏するときは自分のピアノは使えない。そこにある楽器で演奏する。子供も大人も素人もプロフェッショナルも、調律師は替えられてもピアノは替えられない。だからなのか私が根っからおおざっぱな人間だからなのか、チェロのように内臓みたいと感じた事一度もありません。

ピアノもチェロも同じ楽器とはいえ違う事がたくさんありそうです。
もう興味深いったらないです。

2016年8月8日月曜日

チェロってなあに?

深く豊かな響きを持つチェロの生演奏付きの講座を9月7日に開催します。
目の前で演奏が見て聴ける30名の贅沢な講座です。

チェロの音色は男性の声に近いと言われていますよね。
あんなにいい声の人がいたらうっとりです。

楽器の仕組みや奏法、音色の魅力、練習方法から日常のお手入れほか、バッハの無伴奏チェロ組曲を使って、あの複雑なメロディと伴奏をどうやって一緒に弾いているのか音の絡み合いの秘密やオーケストラでの役割など普段聞けないようなお話をチェリストの方がお答えしてくれます。チェリストあるあるや裏話もお楽しみに。


たくさんの皆様のご来場お待ちしております。









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欲を捨てて歌う!

華があって、存在感があって、品があって、知性があって、と全部揃っていたピアニストの中村紘子さんが亡くなりました。
演奏については好き嫌いを言う方もいるようですが、そういう問題ではありません。あれほどのオーラのあるピアニストって日本にはいません。

その中村紘子さんの追悼番組をやっていました。その中で「あがってしまった時は、欲を全て捨ててこの曲を精一杯、自分の持っている乏しい音楽性でも、心を込めてこの曲を歌うんだと思うといいわよ」と言っていました。

中村紘子さんが自分の乏しい音楽性なんていうなんて、あがるなんてと驚きましたが、「欲を捨ててその曲を歌いきる」はいいことを教わりました。


今度試してみようと思います!



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2016年8月7日日曜日

ありがたいことです

昨日「ずっとこのために練習してきて本番はものの何分で終わってしまってそれが瞬間で消えて行ってしまうって音楽って贅沢ですよね」と言う話を生徒さんとしましたが、オリンピックを見ていると、それどころじゃないですね。

0点何秒を争う世界。
そのために4年間死に物狂いで練習している。
いえいえ、4年どころじゃないですね。
小さい頃からずっとです。
私生活もなく親とも離れて食べ物にも気をつけて、、、。

税金で強化しているので「日本のために」ということになりますが、こんなに楽しませてくれて払う税金なんて安いもんです。そのくらいの税金でこんなに楽しませてくれて申し訳ないくらいです。変な役員たちには1円も給料払いたくないですけど。

選手は、ダラダラ好きなことしたりしなかったり文句言ったり言わなかったり好きなもの食べて好きな物を着て時間無駄にして彼らの何百分の一の努力もしないでいる私たちを、体を張って一生をかけてハラハラドキドキ楽しませてくれる。

ありがたいことです。
体に気をつけてガンバってください。



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2016年8月6日土曜日

景観って

うちのマンションは景観を損ねるという理由で手すりに物を干しちゃいけないことになっています。私は納得できません。

納得出来ないのは、その理由です。
うちは郊外の住宅街です。
中庭がある低層マンションです。
高級住宅地でなければ高層マンションでもなく、景観を気にする地域ではありません。
そして私が何より主張したいのは、手すりに物を干すのが一つの景観となりえる地域、ということです。洗濯物が干してある=景観が悪い、とは限りません。ベランダの手すり以下の高さに干せばいいと言うのは、景観を損ねる前提なので違う話なのです。

外国の友人は浅草や京都の風景よりこの住宅地に風情があると言ってます。お布団の干してあるその辺の一戸建てを生垣越しに、サツキやキンモクセイの植わったマンションのエントランスを真ん前から、バシバシ写真に撮って喜んでいます。私も海外に行った時は観光地より普通の住宅街を巡るのが好きです。

小さい頃、手すりにお布団を干す風景は普通でした。お母さんたちが3時ごろになるとパンパンお布団を叩く音が記憶に残っています。郷愁です。

そもそも「外に洗濯物を干すのは見た目が悪い」と言い出したのは欧米で、日本の100万倍くらいの格差のあるアメリカでは、外に干すのは洗濯機と乾燥機がない貧乏な人、ということらしいです。
バカバカしいですね。貧乏くさいのではなく、本物の金持ちと貧乏人の差別です。
そんな変な理論をこの格差のあんまりない平凡な郊外に持ち込まなくても。。

夏のいいところと言えば、なんでもかんでも一気に乾いちゃうところ。
お日様の下、ザーッとベランダいっぱいに物干しがしたいです。












2016年8月5日金曜日

生きていること

明日からオリンピックです。

オリンピック選手のこれまでの練習の様子をテレビで見ましたが、凄まじいです。
よくあんな練習ができますね。。。

苦しい時、ラグビー女子選手が言い聞かせる言葉が「死ぬこと以外はかすり傷」だそうです。
そうですね、死なないでいられたらそれだけですごいことなんだなって思いました。
生きていられること、生きていてくれること、これに勝る幸せはありません。



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2016年8月4日木曜日

悪いことと悪くないこと



ナチスのことは今聞きかじるだけでも、ものすごく残酷で悪いことですが、その当時の人にはそれがわからなかったんだと思います。
「わからないわけないだろう!」って思うかもしれませんが、今問題になっている都議会と一緒です。事の大小すらわからなくなる、人間の感覚ってそんなものかなと思います。

わからなくなる理由は一番は「流れ」。
流れは凄まじいです。そういえばこないだゲリラ豪雨に遭った日の夜、うちの下階まで水が来て慌てている夢を見ました。うちは4階です。
そしたら、その水が迫ってきているマンションの前で浮き輪で水泳を楽しんでいる家族がいて、その流れの向こう側にはなんとパラソルやリゾートホテルが広がっているという、、、。
で、私は「なんだ、うちもリゾートにしちゃえばいいんだ」と思っている夢です。
まさにすぐ流されて自分のことだけ考える私を象徴した夢でした。

話がそれました。
つまりナチスも仕事としてこなしていただけ。仕事が終わったらうちに帰って家族と団欒。そこまで悪いって認識なかったんだと思います。

ものすごく悪いことですが、人間ちょっと悪いのとものすごく悪いのの区別って少しづつだとどんどん曖昧になってくると思います。
今、覚せい剤や大麻はダメって法律で決まっていますが、合法だった時代や国もあるみたいだし、不倫は法律で悪いってなってますが、一夫多妻の国ではありなわけです。
いい悪いじゃなく、人の感情がどうとかじゃなく、悪いことと悪くないことを、心で決められるほど人間強くないということです。

だって覚せい剤や不倫が法律でありって言われたらありでなしって言われたらなしで納得している国民って、どう考えても単純すぎですよね。ユダヤ人迫害も法律でありって言われたら「ありなんだ、、、」って思考停止しちゃう人いっぱいいると思うんですよね、、。そもそもそこには情報操作という悪巧みまでついてきているわけですから、私のような自己中心者でなくてもそう思ってしまいます。

歴史に学べ、繰り返してはいけないといいますが、歴史と現実を見れば見るほど「所詮、人間は弱い」と思わざるをえません。




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2016年8月3日水曜日

チェロスイート

THE ICEをテレビで見ました。
久しぶりの高橋大輔さんの滑りはやはりさすがですが、なんといっても浅田真央さんの「チェロ スイート」です。


あまりにも素晴らしく感動しました。
浅田選手はクラッシックの曲をよく使いますが、今回の曲はバロック。
とても珍しいです。
フィギュアの選手はクラッシックをよく使っていますが、中には「BGM」みたいな方も
「顔芸」の方も失礼ながらいます。
音楽用語でいうとレガートのようなフィギュアスケートとバロックはさすがに結びつかず、真央ちゃんといえどそこまで期待せず観ました。


バロックでした。
振り付けも表現も素晴らしい。
フィギュアでバロックを見たのは初めての気がします。
こんなフィギュアは初めてです。
バロックが視覚的になって、バロックとはこんなに表現が豊かなのだ、と思い知らされました。

実況で「伸びやかで柔らかな」とか「甘さと軽やかさ」とか解説していましたが、言葉が上滑りしていました。
浅田選手の技術力と表現力と愛情のつまったなんとも深い深いプログラムで、チェロの音色が一体となっていました。

ショパンもリストもラフマニノフもハチャトリアンも、そしてラベルのボレロも見事でしたが、バロックをここまで表現出来るスケーターは他にいないと思います。
ピアノでもロマン派や近現代より一番全バレるのがバロックです。
特にバッハの平均律はピアノの教科書ですし、チェロ組曲はチェロの教科書です。

ショート、フリーはファリャだそうですね。
ショートにこのチェロ持ってきてほしかった気もしますが、こちらも楽しみです!!

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2016年8月1日月曜日

子供の「音楽感」を育てよう!




音楽に必要な「感」は音程感だけではなくリズム感や表現力もあります。


音程感というと絶対音感と思われがちです。絶対音感というのは、音という音が音階で聞こえることです。音楽を音階で聞き分けられることとは違います。物を落とした音、くしゃみの音、など音楽だけでなく自然の中の音も音階で聞き分けられる能力です。最近「精度によって違う」とか聞きますが、精度の悪い絶対音感を「絶対」音感と呼ぶのには違和感があります(笑)。で、その絶対音感はなくても相対音感でも事足ります。
音感のトレーニングは和音が向いています。
音が3つもあると難しそうですが、和音の方が特徴があるので覚えやすいです。
これは集中力です。聞こうとしないと始まりません。
そして訓練なので継続してやらないと身につきません。

それとリズムです。
リズムは難しいことをするよりまずは等速です。
同じ速さをずっとキープする。これが結構難しいです。
子供は特に、音が鳴ると血が騒ぐのでバタバタ叩いたり見境なく動きまわります(笑)。聞こえてくる音楽に合わせる(同期)というのが難しいんですね。でもここでしっかり拍を押さえる。
これも自分の「動きたい」気持ちより「音楽を聴く」ことを育てるってことです。

そして、音楽感の中で大事なのが「表現」。音楽感の肝です。
これにはいろいろなアプローチがありますが、「生の良質の音楽を聴く」ことがとても大事です。なぜ生かというと、生が一番伝わるからです。
音楽は言葉です。
動画で語りかけられるより、電話で直接話をするより、会って話をする方が何倍も何倍もいろいろな感情が伝わる。
音楽は暗号なので、良質の音楽はパントマイムのように表情豊かです。
この音楽の中のコミュニケーションを生の演奏はたくさん含んでいます。
これを感じるには想像性が必要ですが、やっぱり耳から始まります。

以上の3つの能力がなくても音楽は充分楽しめます。
何歳からでも充分楽しめます。
音痴だって3拍子が4拍子になったって楽しめればいいのです。逆にそれが人を楽しませてくれたりもします。
でも、自分できちんと演奏したいと思った時にこの3つはとっても役に立つのです。
これは大人になって始めた方が痛切に感じるところだと思います。
「この曲知っている、大好き」というのと、演奏できるは違います。
一音一音、正しいリズムとドかレかでなくどんなドでどんなレかまで要求されるのです。

アウトプットよりインプット。
10年後、20年後、50年後きっと役に立ちます。
子供の耳の感性を鍛えてください。





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