アコースティックの生演奏が生だとしたら、CDは加工品、電子ピアノでの演奏はお惣菜を買ってきて並べるお料理、、と言っては言い過ぎでしょうか?
CDなど聞き慣れていると演奏はミスはしないものだと思ってしまします。
でも、録音された音楽はミスしても編集でうまく修正されてます。演奏家自身「こんなに完璧に弾いてみたいものだ」と苦笑するようなものだったりします。生を聞いた時失礼ながら「こんなに違うのか!」と驚く演奏家もいます。
そして最近はコンサートグランドピアノの音源の電子ピアノが普及し、壊れるまで音程の狂いもない高い技術のものが安価で購入できます。調律の必要もない、騒音の問題もない、場所の問題もない。以前はピアノを買う前に試しに買ってみる商品だったのが、今はプロになるわけじゃないからとそもそもアコースティックの選択肢がない。10年使って壊れたらまた最新機種に取り替える。
それでも音楽は楽しめるけれど、それはあくまで加工品の気がします。
プロにならなくたって「生の楽器」は芸術を残すという意味以外にも価値があります。生の楽器を習わせることは教育上もとてもいいことだと思います。
音楽の本質は真理の追求。
というとすごく仰々しいですが、簡単に言えば「人としての成長」です。
アコースティックピアノなら弾いたようにしか音が出ない、叩いたようにしか音が出ないのに電子ピアノだと適当に弾いても、最高の音色が出てきちゃうわけです。
また生演奏だと必ずミスがあります。「ミスの少ない方が勝ち」のような番組が成り立つのもみんなミスはするものだからです。その日の体調や楽器のコンディション、会場やお客様、時間帯なとなど様々な要因で不本意ながらミスしてしまう。それを含めて準備しないといけないのに、録音なら10回とっていい部分をつぎはぎできる。最悪録音日程を変えたり今日はここまで、続きは今度にできる。それをするには高い技術職の人がいてくれるからなんですが、そこは別の問題として。
「やったようにしか結果は出ない」というのが自然界の掟のはず。
なのにその原因と結果の法則が覆される。
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