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2016年10月3日月曜日

50年後



ずいぶん前に、育児の通信簿は50年後という記事を読みました。

成人した子供の問題は親の責任ではないと言われますが、私は100パーセント親の責任だと思っています。
しかし、だからと言ってそれを赤の他人が責めることではないと思います。

人を責められるほど立派な子育てをした人がどれほどいるんだって話です。
今の世の中を見て、立派な子育てをされて大人になった人が作っている世の中には思えないからです。

犯罪は悪いですが、犯罪だけが悪いわけじゃないです。
犯罪か犯罪じゃないかって要するに法律です。法律違反ってことです。
でもその法律って、もしかしたら豊洲問題みたいにいつの間にか誰かが自分の都合のいいように決めちゃった可能性もあります。そしてそれを裁く人だって自身の地位を守ること第一に裁いてたりする可能性もあると思います。人間のすることなんてその程度です。

犯罪とならなくても、小学生の陰湿ないじめや夫婦間のDV、会社のパワハラ、そんな大それた名前なんかつかないくらい些細かつ底意地の悪い意地悪だって世の中にたくさんあります。都民の何百億という税金が誰の責任もなく使われるってオレオレ詐欺の100万倍悪質です。
これが人間です。

子育ての責任はまちがいなく親でしょうし、子供に問題行動が現れるのも親に原因があると思います。
でもその親も親に育てられてるし親の親もそうだし。
ま、結局立派な子育てをできるほど成熟した大人なんていないんだからしょうがないってことです。

子育ては50年後というのに賛成です。
50年で出れば早い方。
なんだってそんなすぐに結果は出ない。
ピアノだってそうです。生徒さんが3ヶ月もやってるのに曲を弾けるようにならないというので、50年やってから言ってくださいと言ってます。

自分のしたことがわかるのはずっとあと。
だから理屈なんかこねずに情熱を持って責任を持って続けることだと思います。





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