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2014年12月31日水曜日

ありがとうございました

今年が終わって新年が始まる。
続く時間のはずなのに気が引き締まります。
日本の大晦日とお正月ってほんといいです。
さすが日本です。

1年間ブログを読んで下さって有り難うございました。
来年もどうぞ宜しくお願いします。



2014年12月29日月曜日

宝物の中にあなたのこころはある 

 、、、と言ったのはショパン。

宝物と思うものには自分の思いが詰まっている。
大事だと思う物の中にこそ自分自身がある。
自分がなぜそれを好きなのか考えてみると少し自分がわかるかもしれません。
逆に嫌いな物があったとき、何故それが嫌いなのか考えると自分が見えることもあります。

今年ももうすぐ終わり。
今年も来年も繋がっているひとつの時間ですが、ちょっとしたきっかけには持ってこいです。

土を耕しながら、私はどんな花を咲かせたいのだろうと、どんな種を蒔いたらいいのだろうと改めて考えたいと思います。





2014年12月28日日曜日

種を蒔く前に

収穫するためには種を蒔かないといけません。
でもその前に、土をしっかり作っておかないと、そのあとどんなにいい種を蒔いても大きく育ちません。

土を作るには時間がかかります。
単純な作業ですが、時間がかかります。
うちは、生ゴミ処理機の生ゴミを土に混ぜてその上にまた土を盛って水をかけて日々水をかけて、時々混ぜる、を繰り返して熟成させます。単純なんですが、時間は必要です。

でもこれをやっておけば好きな時に好きな種が蒔ける。
忙しい時でもパラパラと種を蒔けば芽が勝手に出てくる。

冬休み。
どんな花が咲いて欲しいか思い描いて種蒔きの準備をしようと思います。

2014年12月26日金曜日

とびきりのロマン

私がピアノにロマンを持つようになるまで、相当の時間がかかりました(笑)。

ピアノやヴァイオリンを子供の頃からやっているのと、それらにロマンを持つのとは違うことです。出来ることが好きなこととは限らないし、好きなことがロマンになるとも限りません。

私は昔から不器用で人並みに何かを完成させるには人の何倍も時間がかかってました。
その中、努力をせずに出来たことも1つくらいありました。
もしかしたらそれをやったらよかったのかもしれません。

でも出来ることは努力しなかった。
やっぱり努力しないとダメなんです。
形 = 才能 × 時間

イヤイヤでも、やらざるを得なくても時間をかけたものが断然強いです。
時間をかけないと結局ダメです。
夢を叶えるには努力する才能といいますが、そういう事だと思います。

最初から大好きなものを一途に思い、やり続けることはもちろん最高にロマンチックですが、とりあえずでもなんでも、やり続けるというのもロマンという名にふさわしいとびきりのロマンだと思います。

どうぞやり続けて下さい。

2014年12月25日木曜日

作曲家をうらぎれない

クラッシックとは、一音一音にこだわり妥協せず何度も何度も納得がいく音を探し続けるもの。それを諦めてはいけない音楽。


理由は作曲家を裏切れないから。
大抵の人は、だいたいフォルテになってる、だいたいピアノになっている、とだいたいで「弾けた」ことにしてほんとのところ妥協している。でもスルーしてしまったその一音に作曲家がどれほどの思いを込めたか、、、。

音楽は言葉だからちゃんと使い分けて、その通りに弾かなきゃ、、、、。
私、全然出来てなくて反省です。


「怒っていないよ」と「怒ってはいない」は違うし、「嬉しい」と「うれしい!!」も違う。


来年は…と言う前に今日から頑張りまーす





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2014年12月24日水曜日

作曲家の仕事

作曲家の伝記を読んだり映画を観たりすると、作曲家が人生を賭して曲を書いていたのがわかります。作曲家はそんな大変な思いをしてもなぜ曲を作ろうとしたのでしょう?


クラッシックの作曲家はポップスの作曲家のように「メロディーが思いつく」だけでなく、伴奏やオーケストラのようなハーモニーが作れる、楽器の配分が出来る、それを楽譜に出来る、構成が出来る、時間が組み立てられる、など耳や感性はもちろん、相当の知的能力と、それを持続する体力が必要です。

それらの知識、技術、感性を最大限発揮して、無限な音の組み合わせの中からベストな一音を選びベストな位置に配置する。そんな気の遠くなるような作業の繰り返しでようやく曲が完成します。汗と涙の結晶です。


報道の自由と言う言葉がありますが、伝えたいことのために命をかける人がいる。
それと一緒です。一見、わがままな作曲家ですが、「美しさ」や「せつなさ」を伝えるために命をかけたんだと思います。戦争の悲惨さ、祖国への強い思いを伝えるのは報道ジャーナリズムだけではありません。

ベートーヴェンもショパンもリストもみんな作曲家は伝えたいことのために命をかけました。気楽で自由で思いつくまま作曲出来たと言われているモーツアルトの死の3年前のお手紙をご紹介します。
 「ヨーロッパ中の宮廷を周遊していた少年の頃から、特別な才能の持ち主だと、同じことを言われ続けました。目隠しをされて演奏させられたこともありますし、ありとあらゆる試験をやらされました。こうしたことは、長い時間かけて練習すれば、簡単にできるようになります。ぼくが幸運に恵まれていることは認めますが、作曲はまるっきり別の問題です。長年にわたって、僕ほど作曲に長い時間と膨大な思考を注いできた人は他には一人もいません。有名な巨匠の作品はすべて念入りに研究しました。作曲家であるということは精力的な思考と何時間にも及ぶ努力を意味するのです」



2014年12月22日月曜日

ピアノは愛情

料理は愛情という言葉があります。
食べる人のその日の体調を考えたり、次の日の予定を考えたり、お食事でお祝いしたり励ましたり、また温かさや冷たさを考えたり。

ずっと写真をお仕事にしている方が「写真は心。ピアノも一緒ですね?」とお話しされていました。同じものを撮るにしても心を込めるのと込めないのとでは違うものが出来るそうです。


ほんの小さな音ひとつで聴く人の心が満たされる事がある。
美味しいものを食べたときのように。
だからお料理するように、ほんの小さな音の一つ一つに気を配る。
あさりの美味しいお味噌汁でも砂が一粒入っていただけで台無しになってしまうから。
聞いて下さる方が「楽しかった!」「きれいだった!」と思えるように、、。


私はいろいろ説教っぽいことを言ってるわりに、行動が伴っていません。
このブログなんて恥の上塗りみたいなもんです。
今日、生徒さんたちの演奏を聴いてハッとしました。
終わりに向けて音色が優しくなっていたり、いきいきしたテンポで颯爽と終わってたり、すごく素敵で衝撃でした。
「私が忘れていることだ」と。


音符が多くなると一音一音への気配りがなくなってしまう。そんな気がします。
まだまだ初心に戻ってやるべきことが沢山ある。
改めてそう思いました。








2014年12月21日日曜日

室井摩耶子先生

今日は室井先生のコンサートに行きました。
先生の存在はピアノ界のレジェンドですね。
普通、生のピアノというとフォルティッシモの迫力に圧倒されるものですが、今日はピアニッシモの美しさに圧倒されました。
ちょっと間違えたりなんかしても(笑)、そういうの関係ないし!と思わせてくれる演奏です。
いやー、ピアノはセンスだなぁとつくづく思います。
そしてテクニックを持っていてこその表現だ、と思い知らされました。

テクニックのためのテクニックでなく、表現のためのテクニックに立ち戻る必要性をさらに感じました。

2014年12月20日土曜日

音楽を愉しんでいる人々

私はなにを隠そう、普段オフの時ほとんど音楽を聴きません。

世の中の音楽好きの方々は普段から音楽を愉しむ気まんまんで圧倒されます。
先日、高性能なヘッドホンで音楽を聴かせてもらったら素晴らしい音でビックリしました。
なるほど、と思いました。「音楽好きは違う」と納得しました。
私はイヤホンすら持っていません。

私が普段聴かないことについて、「仕事でいつも聞いているからじゃない?」とカッコいいことを言われますが
実は音楽を選んだり集めたり用意したりそして聞くためにスイッチを入れたりすることが面倒くさいのです。
相当のめんどくさがりです。

日常でラフに音楽を聴ける方がうらやましいです。
私もほんとは聴きたいんだけどな〜。




2014年12月18日木曜日

朝のお茶の時間こそ

私の人生で一番大切なことは、朝起きて日本茶を飲んでホッとすることです。
たいした悩みもなく普通の朝が迎えられる。
これが生きてる価値だと思います。


私は生きているあいだにこれだけは絶対にやりたい!と熱望するものが特にありません。
死ぬ前にこれだけはやっておきたい!ことも特にない気がします。ただ今せっかく生きてるので、出来ることをしようと思ってます。絶対にやりたいことがないので、そのときやりたいことを、そのときできることを、無理なく(笑)、でも出来る努力はしてやろうと思います。

楽しいことも贅沢も大大大好きですが、朝の豊かな時間はなにより生きている幸せを噛みしめる時間です。(あ、でもこういう人間に限って死ぬ前に「心残りだ!」とかってあれこれ悪あがきするんですよね)


10年使っています









2014年12月17日水曜日

満ちるまで

やる気がなくてもとりあえずやる。
そして一生懸命やり出すとやる気が出てきます。
掃除もそうだし勉強もそうだし。

ピアノもそうですね。
弾かないとどんどん弾かなくなって弾けなくなる。
でもそこで弾く。弾きたくなくてもとりあえず弾く。
そうすると少しずつ弾けるようになってやる気が出てきます。

愛されたいと思っている人もそうだと思います。
愛は愛されることだけでなく愛することでも生まれます。
とりあえず目の前の人に「愛」を感じる。好きじゃなくても(笑)。
そうしているうちに自然になんでも愛する習慣がつく。
そうすると愛されたいとか思わなくなるほどそこに愛が満ちる。

足りないものは自分で作る。
それくらい自分の生き方に責任を持って生きられたらいいなあと思います。


今日も読んで下さってありがとうございました。




2014年12月16日火曜日

サボらない、けどやれないときはやらない

こんばんは。
お寄りくださって有り難うございます。

つくづく習慣は大事だと思いました。
ブログにしてもお手紙にしても書くことは嫌いじゃないのに、書いてないと書かないことが習慣になってしまいます。上手になりたいことやこうなりたいと願うことは習慣にしとくに限ります。

でも、これが強迫観念になってしまうといけません。たとえば体調が悪いとか身内の事情とか休まざるを得ない場合もあります。
そんなとき、やりたいのに、やらなきゃいけないのに出来ないと思ってしまうととってもツライ。

なので習慣を付けつつ、そこに
サボらない、けどやれないときはやらない
という前提を付けておくといいですね。
 
なにしろピアノ弾く人はみんな真面目ですから!


今日も読んで下さってどうもありがとうございました。












2014年12月15日月曜日

12月

もう12月も半ば。
ずっとブログを書かないでいたら何書いていいかわからなくなりました!
10年ぶりに風邪を2回も立て続けに引きようやく治ってきましたが、自分が何者かよくわからなくなってます。

ええっと、、、。

とりあえず今日は最後の一枚!





2014年12月8日月曜日

伝統

伝統は自分一人で作る事が出来ないものです。
伝統とは一人の人間が点として豆粒として、長い時間をかけて育て守って来たものが形になったものです。

伝統は世界中に沢山あります。
でもいつの間にかなくなっている伝統もあります。

そしていつの間にか伝統となっていくものもあります。
一人の人間に出来ることはほんの少し。
歴史の歯車にもなれないくらい。
それが積み重なっていつの間にか伝統になる。

伝統を愛しつつ、とらわれずしなやかにさっそうとブレていたいものです。






2014年12月1日月曜日

目立ちたいとかたくないとか

今日、劇団の演出をやっていた方とその話になりました。


「目立ちたくても目立ちたくなくても人前でやるんだから目立つのは間違いない。でも、女優さんでもどんなに目立つのが好きでも何千人の前でやる事に恐怖を感じない人なんて一人もいない。人前に立つってことは、その恐怖を引き受けること」


探していた答えが見つかった気がしました。
目立ちたいとかたくないとかほんの入り口の些細な感情で、そもそも「目立ちたくない」っていうのは、実は目立つ事に伴う「他人からの視線」が怖いからそれから逃げたいってってことなんだと思いました。

読んでくださった方からのメールに
「ドレスが着たいからと思われてる、、?」と書かれていました。
「あの程度でドレス?」「あの程度で高い出演料払う?」 「素人のピアノでしょ」
そう、こんな外野の声。
間違えても忘れてもへたくそでもドレス着て目立てればそれでいい、、、
なんて誰が思うんですか(笑)
目立つことがどんなに心細く恐怖を伴うことか。。。

弾いた人は「いい年して 派手なドレス着てピアノはあの程度?」と苦笑されて、弾かない人は下手か上手か他人にはバレずに済む。どっちがお得でしょう?

バレずに済んだ人は昨日と今日と明日は同じ日、プラスマイナスゼロ。
弾いた人は本番前日は緊張して眠れないし当日はガチガチだし翌日はがっかりしたりものすごいマイナスでその上あの程度のピアノとか思われてさらにマイナス。けど、終わった後の例えようのない充実感や開放感を味わえたり次回こそ頑張ろう!って前向きになれる。何より挑戦した自分が誇らしくなる。そしてチャレンジする人に「ドレス着たいからでしょ」なんて思う発想もなくなる。

「目立ちたいからでしょ」と思う人は、目立つことに伴う恐怖に立ち向かったことがないんだと思います。挑戦する意味は成功という予定調和とは違います。

ドレスを着るのはTPO。それがクラッシックというエンターテイメント。日本舞踊はジャージで踊らないでね、ってことです。まあドレスでなくてもいいですが。


目立つことを引き受ける。
目立つことを受け入れる。
好きでも嫌いでも目立つことに責任を持つ。
そうしないと出来ないことが沢山あるから。

なんかそう思ったら気が楽になりました。
損か得か、決めるのは自分です。
ピアノは生き方です。
アマチュアピアニストという自分の在り方を他人に委ねてはいけません。




2014年11月30日日曜日

発表会は目立ちたいから?

こんばんは。ようこそお越し下さいました。
そしていつも読んでくださって有り難うございます。

先日、発表会は何のために?という話で生徒さんと盛り上がりました。
『ピアノをやってない人は「目立ちたいから発表会に出る」と思うらしいですよ』と言うと、全員が口を揃えて「まさか!」「冗談でしょ!」と言っていました。

プロフェッショナルはまた違いますが、アマチュアの発表会は、自分の力を試す、が一番の参加理由だと思います。
「聴いてほしい」という気持ちはもちろんあってこそですが、それは目立ちたいからということとは全然、ぜ〜んぜん違う事です。

同じ曲でも人前で弾く弾かないで取り組みはたぶん10倍変わるでしょう。
家で一人で楽しむために弾くピアノと人前で弾くピアノの完成度の差は10倍です。
つまり家でレベル50を弾ける人でも人前で弾けるのはレベル5です。ピアニストっていっぱいいっぱいで弾いているわけでなく、あれらの曲の10倍くらいの実力があるんです。

それくらい人前で弾くってことは難しいのです。ピアノを人前で弾くのは表現する事なのでそれを目立ちたいと誤解されるのかもしれません。でも自分の伝えたい事を言うのが「目立ちたがり」なら人間全員目立ちたがりですね。

人生が与えられたものだけで充実するならそれで充分。
でも本当に充実するってなんでしょう?
私は「自分への挑戦」「自分の成長」「人に喜んでもらう事」だと思います。

人の目を気にしていたら何も出来ません。目立つとか目立たないとかそんな事考えていたら、自分の成長はもちろん人に喜んでもらう事も出来ません。
LEDを発明するとノーベル賞なんかとっちゃって世界中で目立っちゃって嫌だから研究しない、って考えてたらLEDはなかったんです。

子供じゃあるまいし、恥をかく覚悟こそあれ目立ちたいからだけで出来ない、言いたい人には言わせておきましょう、と話はまとまりました。

はじめてピアノの会の「ホールの会」は今のところ2年に一度の頻度で行っています。
ですので来年の春はありません。再来年の春の予定です。
その前にアドバイスレッスンや弾き合い会、サロンの会等ありますので、是非ご参加ください。






2014年11月29日土曜日

作曲家

私生活がなっちゃない作曲家って沢山います。小説家とかでも私生活がなっちゃない作家多いですよね。もちろん全員がそうではありませんが、もし生きていて知り合いだったら「あんな人の書いた物、絶対聴きたくない!読みたくない!」なんて思ったかもしれません。


ただ人間って悪いとこばっかりの人っていないんですよね。
そしていいとこばっかりの人もいない。

歌詞のないクラッシックは暗号のようなもの。
どんなになっちゃない人の曲でも人としての美しさや善の部分が隠れてる。
出来過ぎた素晴らしい人の曲にも人間らしいドロドロした部分が隠れてる。
そんな気がするんです。

作曲家が内面を掘り下げて掘り下げて魂の叫びを楽譜というものに書き写したのがクラッシック。テキトーだったと言われるモーツァルトもサイテーだったと言われるワーグナーも、曲を聴いて、テキトーだったともサイテーだったとも私には思えません。モーツァルトの哀しみやワーグナーの光を感じます。

今日レッスンで「そんなに一音一音掘り下げるものなんですか?」と質問されました。
はい、掘り下げるものです。
何せ楽譜には作曲家の命をかけた魂の叫びが詰まっています。

2014年11月27日木曜日

オペラ講座終了

全3回、と〜っても勉強になったオペラ講座でした。


「ピアノなのになんでそんなにオペラ押し?」と言われますが、音楽の基礎が歌の事、楽器の頂点が声な事はいつも言っているので、ピアノ学習者にとってのオペラの意義について書いてみます。

楽器の王様はピアノです。
その理由は音楽の要素、リズム、メロディ、ハーモニーを「一人で」奏でられるからです。他の楽器だとそれをするのに「何人も」必要なのです。
オペラだったら歌とオーケストラ。オーケストラは何十人もいます。
ようするに、ピアノは本当は「何人も」でやる事がを「一人で」やるのです。「何人もでやる事を」がみそです。

演劇だと思ってみてください。
一人8役おじいさんと娘さんと犬とプロレスラーとセレブマダムとホームレスと日本人とアメリカ人を一人の人がやる。それぞれのキャラクターをきちんとイメージ出来ていないと演じられません。

それと一緒です。
ピアノの演奏は、本当は、ここは歌、ここはストリングス、管、ベース、というように違うキャラクターの楽器を演じているのです。おじいさんと犬とセレブマダムが同じになっちゃダメなんです。

その意識が必要な楽器なのに、ただただ鍵盤を叩いてしまう。
オペラのアリアコンサートの伴奏はピアノでやりますが、「やはりオーケストラをイメージする、それが難しい」と今回の講座でもピアニストへの質問が出て、そうお答えになっていました。

ピアノを弾く人が、楽器としての役割や演技としての役割をそれを感じやすいオペラで勉強すると絶対ピアノの音色が変わってくると思います。

と言いつつ、いつもながら私は口だけでまだまだです。
でも、聴いている方が登場人物や楽器を想像出来るような演奏を目指して頑張ります!


ソプラノ歌手 中道友香さん
ピアニスト 木村翠先生
今回は4曲ご披露くださいました。透き通ったリリカルな歌声とダイナミックなピアノに皆様うっとり。
「楽しかった!」と大きな拍手を送ってくださいました。とっても嬉しかったです。やって良かった〜。
  

  

2014年11月24日月曜日

ピアノは打楽器、弦楽器

電子ピアノでの練習が続きグランドピアノに戻ったときの衝撃。


ピアノは打楽器であり弦楽器だったことを指が忘れてしまってました。メロディを覚えるには電子でも全く問題がありません。
でも電子は、ピアノで肝心の瞬間の指のコントロールがいらないで済んでしまう。
ということはピアノを弾いた時それが出来ないという事です。

たとえばゆ〜っくり鍵盤を押してみる。
ピアノは音が鳴らない。
太鼓を指の腹全体でゆ〜っくり叩いたら(触ったら)音は鳴らないし、ギターの弦は触ったままでは音が鳴らない。
でも電子はそれに近いことをしてもちゃんと打鍵した時と同じ音が鳴っちゃう。

電子ピアノを弾きこなせばこなすほどピアノは難しくなる。音は覚えられるけど指のコントロールが遠くなる。指の微妙なニュアンスはわからないし、いい音が出ていないことに気づかない、悪い音が出ていることにも気づかない。

たとえば爪が伸びたままでは弾きづらいしネイルした事ない人がするとそれだけで弾けなくなる。指先って本当に繊細です。その指先のコントロールがいい加減になるということは、コントロール=表現なので、弾きにくいだけでなく表現 のない音楽にもなってしまう可能性があります。

様々な事情で電子でしか練習出来ない方は多いでしょう。
でも本番はグランドピアノで弾くという方は、レンタルしてグランドピアノを弾いておいた方がいいですね。楽譜を見る方は譜面台の高さも違います。
趣味でもその差は想像以上に大きいです。











2014年11月23日日曜日

政治家

ニュースはあまり見ません。

がうっかり見てしまうと政治家になって世直しをしたくなります。
なりませんけど(笑)。能力ないですから。

政治家も能力の前に政治が趣味って言うほど好きでないとそもそも出来ないらしいです。好きが大事なのはなんでも同じなんですね。

ケチな私としては「無駄にお金を使う」ことが一番気に食わない事です。
しかし無駄金は時として生き金になる事があります。
税金の話ではありません。税金を無駄に使うなんて死に金もいいとこです。

私が講師一年目の時、全然練習して来ない男の子がいました。
あんまりにも練習して来ないのでお月謝をいただくのが申し訳ないくらいでした。
そうしたらその子のお母様が「お金が無駄になる事は覚悟していますから先生は気にしないでください」とおっしゃったのです。「子育てってそんなものかと思ってます」とあっさり。

色々な考え方があるでしょう。教育費は子供への投資という捉え方もあるようです。でも私はそのお母様のお考えに衝撃を受け感動しました。決してお金が余っている訳ではない。けれど一生懸命稼いだお金を覚悟を持って無駄にする。無駄になってもいいと思う。しいて言えば生きた無駄金。自分の中にそんな価値観がはじめて生まれました。

税金は違いますね。人が稼いだお金を無駄に使うんですから。


ちなみにその生徒さんはその後音大に進み、今は政治家として活躍しています。


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2014年11月14日金曜日

選手を守るのは

羽生選手には滑らないでほしかった。だって危険だから。


でもあのような場面で危険だからやめます、って選手本人が言うはずがありません。「アスリートは自分の体を知っていますから自分で判断したんでしょう」的なコメントがありましたが、勝つために、自分の力を出すために、お客さんのために、スポンサーのために、いろんな「ために」練習してまさにアドレナリン出まくりで「この場」に臨んでいる19歳の男の子がそれほど冷静であるはずないと思うのです。自分の「この場」の先を考えるはずがないです。ほとんどの選手が「この後は?」と聞かれると「これから考えます」と言います。そういう事です。

「もう終わりかと思った」と言っていた羽生選手は、だからこそ滑ろうと思ったのかもしれません。

はっきり言えるのは覚悟を持って責任を持って決断する大人がまわりに一人もいなかったってことです。驚きです。一人も、です。
頭を打ったのに起こして歩かせるなんてどうかしてます。
担架がなければ担架が来るまで、あの場に毛布を敷いて頭を極力動かさないとかするでしょ、普通。フィギュア界ってどれだけ原始的なのかとぞっとしました。
更に、松岡修造さん気取りの元フィギュアの男性解説者がこんな時も相変わらずいつもの自分の存在感アピール解説で、見ていて不快になりました。


水泳の富田選手も羽生選手も、彼らは自分のためだけでなく応援してくれる人のため、みんなのため、コーチのため頑張っているのがわかりませんかね?なのに大人のする事といったら自分の保身ばかりです。親御さんの気持ちを考えると胸が詰まります。
私に被害が及ばない事については言いたい事言います。


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2014年11月13日木曜日

勉強

自慢じゃありませんが勉強は好きです。特に本を読むのは大好きです。

なのに講義のような座学は全然ダメです。
これはなんででしょう?
学生時代からきちんと聞いていられませんでした。
高校のとき、寝てるか笑ってるかのどっちかだ!と怒られた事がありましたが、まったくその通りでさすが先生です。わかってます。その時は寝ていました。起きてる時でも両肘をついたり腕組みしたり悪い生徒でした。先生、嫌いだったでしょうね。

たぶん意思が弱い上、腹筋と背筋も弱いんだと思います。

今も会議とか座って話を聞く仕事とか苦手です。
さすがに寝ませんが、どうしてもきちんとしていられません。少しは大人としてそのような場に慣れなくては、と思っていたのですが、首を動かしたり手を動かしたりで、この態度では申し訳ないです。申し訳ないのですがじっとしていられません。なので今後はあまり出ないようにしようと思います。

きちんと聞くのがダメなので勉強が嫌いと思われる事がありますが、勉強は好きだし人の話を聞くのも大好きです。勉強が好きなので本当は聞きたいです。
テレビでアメリカの授業をやっていました。みんな好き勝手な格好をして聞いていてうらやましく思いました。







2014年11月12日水曜日

いまさら

いまさら上手にはならない。

一つハッキリ言っておかないといけないのは、努力すれば思ったように弾ける訳ではないということです。どんなに努力しても、です。


望みが高過ぎると本当の自分とのギャップに苦しみます。
「先生は何でも弾けていいですね」ととんでもない事をいわれます。
もし私が何でも弾けるなんて 今思っていたら苦しくて生きてられません。
ズバリ間違いはどこにもないこの現実を、まさかの「こんなはずではない」「何かの間違いだ」なんて思ってしまったら、心の病になってしまいます。

今更自分が努力すれば弾きたいあの曲が弾けるとは思っていません。
ただ、あの曲以外にも世の中にはいい曲が沢山ある。
だからあの曲は弾けないけれどこの曲を弾く。
この曲を美しく。
伝わるように。

矛盾しているようですが「いまさら上手にはならない」くらいの覚悟を持ちながら、それでも密かに地道に上達を目指す。
大人のピアノはそのくらい達観しないと続かないかも。

そしていまさらながら、自分の手に届く曲を弾ける事に感謝して、聴く人に気持ち良くなってもらえるような演奏を目指しましょう。


今日はオペラ講座でした。
沢山の方にご来場いただき大変嬉しく思っております。
有り難うございました。

2014年11月11日火曜日

なんのために

忙しくなると、調子に乗ると、疲れていると、ずるがしこくなると
何のためにそうしたのかわからなくなり、
とんでもない横柄な事をしたり言ったりしていることがあります。

そんな時、だれかのほんの一言で「そうだった」と気づく事が有ります。
でもまたすぐ忘れて、調子に乗ったり卑屈になったり生意気になったりします。

周りをみて「なんか ヤダな」と思ったらだいたいそういうときです。
人は鏡って言いますよね。
人を見て嫌だと思ったらたいてい自分が嫌な人間になっている。

すぐ忘れてしまいますが
何のためにやるのか、究極なんのために生きているのか忘れないようにしたいです。
忘れてもまた思い起こすようにしたいと思います。

2014年11月10日月曜日

なくなる職業

30年後ロボットやコンピュータが人間に代わって人間の職業がなくなっていく。でも芸術はなくならない、予想だそうです。


これは何を意味しているかというと、芸術とは予想外の事が起きることに価値があるということです。計算 など予想外の事が起こってはいけないものはロボットにやってもらい、予想外の事が起こっても可のものは人間がやる。

昔、人々は完璧な演奏に憧れていたと思います。
でも皮肉な事に、自動演奏が出来てそれがどんなに味気ないものかわかり、いつも通りでないほんの少しの間や緊張感が音楽の醍醐味なんだと私たちはわかった気がします。「完璧」を求めたけれど「完璧」がいいわけではなかった。人の息づかいがわかるものこそ心に響くものですね。

絵も最近はまねして書くと上手に書けるソフトがあります。
構図や基本を学ぶにはいいかもしれませんが、絵も上手な絵が心に残る訳ではありません。絵はとくに「へたうま」って言葉があるくらい味が伝わりやすいですよね。
私もへたな絵を描くのは好きです。

歌手とかでも半端に上手な人より音痴でも心に響く人っていますよね。
クラッシックは、残念ながらこれはないですね。
いずれにしても本番は出来ない、ってそんなに悪い事ではない気がしてきました。





2014年11月9日日曜日

洋物

ハロウィンが終わったらもうクリスマスと商戦盛んです。

仮装してくる子供の生徒さんはすごく楽しそうだし、ママも嬉しそうだし、街はキレイになるし、カップルはおしゃれしてロマンチックでうきうきだし、華やかで、それは別に私のおサイフから出ている訳じゃないからわるい事ではありません。

でも「ここは日本!大晦日とお正月がトップイベントでしょ!」という気持ちと、 余計なお世話「企業のカモになってどうする!」と一言言いたくなります。

と言ってみましたが、隠すまでもなく私は西洋音楽にどっぷり洗脳されています。
初詣はここ10年行っていません。
肉もケーキも大好きです。
夜はベッドで寝ています。
iPhoneは手放せません。

自分を省みると、イヤイヤこれは言えた話ではないと気づきます。
生活が便利になるのも、文明が発達するのも今の世の中、企業があってこそ。
音楽も食べ物も物もエンターテイメントも日本も西洋もいいものはいい。
年を取るとまわりも自分も見えなくなって、受け入れられないものをすぐ批判したくなります。気をつけなくてはいけません。


日本人には盆踊りも大事にしてほしいものですが、ハロウィンもクリスマスも全力で楽しむ方の邪魔をせず、私もいいとこ取りでクリスマスソングを歌いチキンを食べてケーキを食べてプレゼントももらいたいと思います。






2014年11月8日土曜日

どうしたらいいのだろう

生きていると「どうしたらいいんだろう」という問題がたくさんありますよね。個人的な人生の問題。

私は、人生の問題は極力人には相談しません。難しい問題であればあるほど一人で決めます。

人にアドヴァイスを受けるとすぐにブレる私は「なるほど!」とすぐそうします。そうすると聞いた数だけ違う事をする。日替わりってことも。受け売りなのでよく理解していないままやってるし、そうなるともう自分がどうしたいのかはわからなくなるし、周りは振り回されて当然うんざりされるし、いい方に向いた試しがありません。その挙句私の性格なので、人のせいにします。

大失敗をして大後悔をしてようやくわかりました。
「わからない事は自分に聞こう」と。
直感に従うのは賭けのようで怖いです。でも一番納得出来る。そして私の経験だと一番上手くいく。というか自分で決めた手前、本気で捨て身でやるってことでしょうね。
本気でやると「出来ることはすべてやった。だから大丈夫」とか「出来ることはすべてやった。だから仕方ない」とか気持ちがラクになる気がします。

結局、どうしたらいいか、はどうしてもいい、本気ならば、という事じゃないかと思っています。




2014年11月7日金曜日

驚き二連発

「自分はやっていないとその時は言えなかった」と言った選手に「何故その時すぐ言わなかったんだ」と言う人が一人でないことに驚きました。

真実は置いておいて、自分のところの所属選手がわざわざ会見を開いてまで言ったことを、2時間かそこらで直接本人と話もせず、当事者も出て来ないであっさり否定するような団体に驚きました。


皆さん、非常時において強く言えるんですかね?
どんな状況でも自分の意見を述べられるんですかね?
驚きますね。
まず普通の人間なら、怖くて言えないでしょう。普通。
チョー怖い国で拘束されなくても、私なんて平和な日本でちょっと圧力かけられただけで言いたいこと言えなくなります。言えません。言ってません。
まして師弟関係が強いスポーツ選手、 恩義のある方が関わっていたら時間を割いていただくのは申し訳ないとかそのくらいの理由で遠慮して重大な事も言えないのは察しがつきます。
普通は言えるって言っているコメンテーターも、局の上層部やスポンサーや自分の人気を気にして言葉を濁したり言えてないこと沢山ありそうに今までも見えていましたが。
あ、彼らは保身のためだから逆ですね。

私の場合、後になって「言えば良かった」って後悔することばっかりです。
自分の中で恐怖が薄らぐ頃ようやく、半年とかたって悔しい損したってじわじわ来ます。
だから1カ月やそこらで行動に起こして人前でそれを言うなんて充分早い。
充分勇気ある。
さすがスポーツ選手。


学校で盗難事件があって、カメラで自分の子供が映っていて子供も一度認めたけれど、その後子供はやってないと言う。いや、誰かにそうさせられたという。その時「いえ、カメラで確認しました。うちの子が間違いなく犯人です。」って言う親ってどうですか?
親だったら仮に自分もその映像を見ていたとしても「 「 待ってください!もう一度話を聞きます、映像も見直させてください」と仕切り直すでしょう。まずは直接子供と話すでしょう。えん罪かもしれない事に、一度でも盗んだかもしれないと信じた自分が申し訳なくなるでしょう。

親と団体ではたとえが適切でないかもしれませんが、少なくとも私は、迷惑そうに会見した団体の人間を信用しません。

最強のオリンピック選手の親である団体は、何を恐れているのか知りませんが、選手という子供を信じない弱い心を持った人間に見えました。不愉快です。
今回私がこれを言ったところで私は怖い目に遭いませんので、言いたい事言っときます。





2014年11月6日木曜日

ピアノを習うと頭がよくなる、、、

この理由で習う方はいないでしょう。
、、、と思っていたらそれを信じて習わせる事があるようで驚きました。


絶対音感もそうですが、習えば良くなるなら苦労しません。
ピアノで頭や耳がよくなるのはあくまで続けた結果です。

ピアノは難しくて並ならぬ根気がいります。それを子供が自然にやるか。
やりませんから。
国語の勉強をするように楽譜を読み、算数の勉強をするように拍子やリズムを理解し、授業をしっかり聞くようにレッスンを受け、運動選手のようにトレーニングする。
これがピアノです。

ただここに音楽の楽しさが加わるので、目的が変わってくるところが音楽のいいところです。この目的が「頭が良くなる」ではピアノを続ける事自体難しいです。

「ピアノってステキ」「ピアノって楽しい」「弾けるようになりたい」
だからピアノを習いたい、習わせたい、習う。
その結果、ピアノの特徴から頭が良くなるってこともあるかもしれません。

ちなみに私は一夜漬けの勉強で試験はそこそこ点数とれましたが、物理も数学も全く残ってないし、頭は全然良くなっていません。





2014年11月5日水曜日

11月 



11月になったと思ったらもう1週間経っちゃいます。
少し寒くなってきました。
冬の寒い曇りの昼間にのんびりお茶を飲むのもいいものです。
まだ暖かい日も多いので、それまでしっかり働いて冬に備えたいと思います。


2014年11月3日月曜日

頭で覚えるタイプ 体で覚えるタイプ

私は行動力が全くないのですがあると誤解されます。
決断力なんて皆無ですが、よく決められるね、なんて言われます。
考えられないから考えないでやってるだけです。
考えてすぐ決断してすぐ行動しているのとはぜんぜん違います。

こう聞くと体で考えるタイプと思われがちですが、勘が悪くて少しも体で覚えられないので、頭で考えるタイプと最近までずっと思ってきました。

でも最近ようやく、この年になって頭で考えるタイプでないと気づきました。気づかないあたりが頭を使ってなかった証です。

体でも、頭でもわからない。
こういうタイプは、習慣になるまでやらないとダメですね。
頭と体を使わないで出来るまで量をこなすしかありません。
どっちもダメなのに、まるで考えてすぐ行動する頭も体もデキる人のように誤解されるのには笑えますが。

考えずやってみるので、やってみて大惨事ってことがたくさんあります。ここで頭や体で覚えられる人はそれぞれの方法で学習するのですが、頭でも体でも覚えてないのでまた同じ大惨事を繰り返します。とても落ち込みますが、でもそこは覚えられない頭が幸いしてちょっとすると忘れます。で、また失敗して落ち込みます。少しも幸いじゃなかったです。

以前武井壮さんがスポーツには「反復練習をする前に、自分の体を思ったように動かす技術が大事」と言っていました。要するに頭と体を繋げるってことですね。

そうでしょうね〜。ピアノもその通りです。
武井さんは、そうすればだれでも伸びるって言っていたけれど、それが出来るってことがもうすごいことです。
どっちも悪い私は繋げるのが大変!とりあえず時間をかけるしかありません。その割に量が少ないので出来ないのです。

ピアノの場合、目からの情報を脳へ送り脳からすぐ右手左手何番の指と区別して指先へ送る「つなぎ」が大事だと思います。この神経が繋がっている人は上達が早い気がします。どれか一つがまたはそれぞれが良くても繋がらないと上手くいかない気がします。

これを言うと元も子もないですが、やっぱり生まれつきのものなんでしょうね。
どうにもならないので私は失敗を繰り返し恥をさらし、それでも充分楽しめる人生を自分なりに満喫します。








2014年11月2日日曜日

聴けてよかった

サロンの会が終わって、みどり先生がふっと口にした
「せっかく聴いていただけるのだから、、、」


はっとしました。
「聴いてもらっている」。

ピアノを弾く人がどれくらいこの意識を持っているでしょうか?
どうしても自分が練習通りに弾きたいとか弾かなきゃとかに気持ちがいってしまいますが、でも、そうではなくて、
「わざわざそこに集ってくださった方が『聴けてよかった』と思えるようなピアノを弾こう」と思うのが一番大切だったんだ、と、、、。

音楽の表現とは「その曲らしさを自分のやり方で伝える」ことですが、
もう一つその先に「聴いてくださっている方がその情景を見る事が出来る演奏」がある、と思いました。プロでもアマでもやっぱりこれが大事だと改めて思いました。
「こんな風に弾きたい」だけではなく「こんな風に感じてもらえるように弾く」。
聴いてくださる方への贈り物です。


今年のサロンの会が終わって2日。
いつも表現云々と言い過ぎているので、今回はその前に技術ありき、基礎ありきをわかってほしくて、「ミスをなくす」を課題にしていました。
もちろん厳しい芸術の道、表現が一番大事なことにかわりはありません。

だからこそ現在の技量にあった曲を選びその中で「伝える」ことを目指したピアノを教えよう、と思いました。自分の演奏とももう一度向き合い直します。

発表会に参加する事はそれ自体にも意味がありますが、まわりの感想などの一つ一つが大きな反省の機会になりますね。






2014年11月1日土曜日

才能あるのとないのとどちらがいい?

という話を講師の中でしました。

もし才能があったらいいな、と思うけれどあったらあったでもっと上を目指すから、限りなく大変かもしれない、でも音楽の才能がある人は羨ましい

が意見のまとめです。

私から見たら先生たちは才能豊かでそもそもうらやましい限り。
でもそんな風に思うってことは、やっぱり才能ってキリがないのかもしれない。

私はというと、
才能があって後世に名の残る人は、研究家に過去の失態や変な癖まで明るみにされちゃって大変だろうな、と思います。
そして私、才能がないからこそ謙虚に生きてます。
もし才能があったとしたら調子に乗っていい気になってたこと間違いありません。
才能がある人って才能があっても謙虚ですね。才能があるからこそ謙虚なんでしょうか?
いずれも才能を持っている人は才能にふさわしい人格も兼ね備える必要があります。

才能があっても埋もれている人もいますが、見ているとお子様が才能開花させてたりしてやっぱり才能はあるところにあるものだ、と納得します。

ピアノが上手だったらいいのに、、、って 日々うらやましくは思いますが、
才能がないのにこうして毎日楽しく暮らせる事に、身に余るほど満足しています。



2014年10月31日金曜日

サロンの会 終了

2014年サロンの会が終わりました。
多くの方のご出演、ご鑑賞に心より御礼申し上げます。


今回の会場は目黒雅叙園。

昭和3年の創業だそうです。同じ年という方もちらほら。お年上という方も。お元気で何よりです。






普段通りに弾けなかった、という方が多く本番の難しさを実感しました。
特に今回はじめて発表会に参加された方は「デビューの洗礼」に肩を落とされていました。私も残念でなりません。でも、こういうもんなんです、本番って。がっかりするのはわかります。でも折れないでくださいね!


ある出演者の方がおっしゃっていたのは、素人の踊りや歌はごまかしがきくしそれなりっって言うのがある、またスポーツは挽回出来るけど、ピアノは素人でも正確に弾かないといけないし素人ほどごまかせない、と。

フィギュアスケートとピアノがなんか似ているというのは、そんなところかもしれません。始まったら最後。音楽という時間に支配される。そこに自分を集中させるのがいかに難しいか。大事なのは表現といいながら技術ありき。技術がないと始まらない。

きびしい。


今回私は2週間前に曲を換えたので
「一生思うようには弾けないんだろうなあ、、、哀しいなあ、、、なんでピアノなんて始めちゃったんだろう、、、」と後悔混じりにため息をつきつつ「でも少しでも人前で弾けるようになりたい、やめられない」というピアノの魔力を改めて感じたサロンの会でした。


今回ははじめての日本料理の会席
テーブルを回っていたらたまってました。
ご挨拶をくださった方が「1年間、そして今日頑張った自分へのご褒美です」とおっしゃってました。
来年も美味しくいただけますように。








2014年10月27日月曜日

人前演奏

サロンの会を控え、出演なさる方からメールをいただきました。
まだ完成していないけれど、今やることに絞って今回失敗してもそれを糧にこれからもこの曲を弾いていこうと思う、という内容でした。


なんて聡明な。
そうですよね。発表の場とは「完成形を披露する場」とは限らないのです。
それぞれの目的を持って「チャレンジの場」「確認の場」「場数」「集大成」いろいろあっていいのです。

昨日行われたフィギュアスケートのノービス大会で10歳の本田選手が言っていました。
「この1年間頑張って自分は成長したと思っていたけれど、そうじゃなかったのがわかった。自分を改めていきたい」
10歳の子のセリフとは思えない、、、。

人前で弾くのだから、かっこよく弾きたいのはヤマヤマ。だからミスしちゃったら、がっかりするしやる気も失せるけれど、何が出来て何が出来なかったか、その確認だけで充分価値があると思います。偶然出来なかったのではなく、そこには必ず原因と結果の法則があるのです。

あがった中で緊張した中で出来る事をひとつひとつ積み上げていく。。人前演奏を上手く利用して自分なりの成長をしたいものです。




2014年10月26日日曜日

クラッシック番組

見ていると勉強になります。

でも、短い番組で1曲や1人の作曲家をおもしろおかしくわかりやすく紹介するので、はしょられたり大げさに伝えられたり脚色している事も多いように感じます。

これをきっかけにその曲なり作曲家に興味を持って、さらに聞いたり調べたりしてくれたらいいなと思います。テレビでさらっと知っただけでそういう物と思ってしまうと、たぶん間違えます。ポピュラーでもテレビだとワンフレーズしか歌わないから、サビだけ流行ってその曲の真意が伝わらないですね。

私もつい知ったかぶりをしてしまいますが、テレビ情報を振りまいた後で「あ〜言わなきゃ良かった」という事がたくさんありました。テレビはあくまで広くて浅〜い媒体です。深い知識はやっぱり自分で勉強しないとダメですね。


2014年10月25日土曜日

ホールニューワールド

世の中は公平ではないけれど平等。
この意見に賛成です。


美貌は公平ではない。
頭の良さも運動神経も公平でない。
才能も公平にある訳ではない。
生まれ育つ家庭やお金も公平ではありません。

でも自分の持ち駒でどう過ごすかが人生。
考え方で行動力で勇気で取り組み方で気持ちで、変わるものがあると思います。
何が?
世界が。

人は鏡と言うし類は友を呼ぶと言うし朱の交りとも言います。
自分はまわりの人たちと同じ世界に住んでいる。だから自分が変わるとまわりは違う世界の人たちになる。

赤は努力しても白にはなれないかもしれない。
でも頑張ったらちょっとだけピンクになる、と思うのです。
白を目指してピンクで終わる。
成功とは言えなくてもそこは明らかに赤でない世界。
もしかしたら白よりステキな世界かもしれない。

私たちは魔法の絨毯を持っていないけれど、魔法の絨毯に乗らなくたって
いくらでも夢や希望を見ることは出来ます。
踏み出すのは誰だって怖い。
けれどそこで踏み出すか踏み出さないか、
結果は平等についてくると思っています。









2014年10月22日水曜日

恵まれていること

この時代に、日本に、生まれたこと。
恵まれています。


恵まれているのは役割のためなんだと思います。
何かするために恵まれている。

女優が美しいのは美しさと夢を人に分け与えるためです。
ノーヘル賞の人が頭いいのは知恵を人類で分かち合うためです。
作曲家がいい曲を作るのは私たちの癒しと喜びのためです。

才能に恵まれた人って、本人は大変です。
女優はぶらぶら歩けないし、作曲家は苦悩の日々だし。
それを考えると、ハリウッド俳優が莫大なギャラもらうのも許されます。

ところで、この時代に日本に生まれたことについて、私はなんの役割も果たしていません。胃腸が弱く生ものや脂っこいものがダメな方も沢山いらっしゃる中、私は好き嫌いがなくなんでも食べられて風邪をひかない事も恵まれている事です。
今日は初物の里芋をいただきました。シアワセです。

まずはなんでも美味しくいただける私の役割を考えてみます。

2014年10月20日月曜日

ピアノとヴァイオリン

管楽器や歌は少し大きくなってからでも充分ですが、クラッシックのピアノとヴァイオリンは高校くらいになって楽器が弾けたらなぁと思って始めるには大変苦労する楽器です。

大人になって始めるクラッシックバレエが流行ってますが、大人になって始める人は小さい頃からやってる人とは体が違うから、別の楽しみ方をしますよね。でもピアノは「頭で楽譜が読める」からいつか同じように弾けると思ってしまう。

子供の頃って時間が長く感じる。
大人になると年月が早い。
その中でやる一時間は価値が違うと思います。

大人からピアノやヴァイオリンを始めて頑張ってる方は、こんなこと言うと気分を害されるかもしれません。でも子供の時間を取り戻すには、ピアノとヴァイオリンは本当に難しい楽器です。

大人は大人の楽しみ方。
出来ることは頑張って、出来ないこともきちんと受け入れていく。


それを区別しないとピアノやヴァイオリンはそのものを楽しめなくなってしまいます。

2014年10月19日日曜日

ナマケモノ

10月のカレンダーはナマケモノです。

本物もキャラクターも、いままで魅力を感じたことは有りませんでした。

しかし。
今月、このナマケモノの木のぶら下がり方にどうも癒されています。




ナマケモノがキャラクターになる理由が少しわかりました。

2014年10月16日木曜日

人生に音楽があること

舘野泉さんが、脳梗塞で倒れてピアノが弾けなくなったときまるで呼吸が出来なくなったみたいだった、とおっしゃっていました。


私は弾きたくなくて弾かなかったことはしょっちゅうでしたし、少しの時間しかピアノに触れる事が出来なかった時期も長くありましたが、まったく問題ありませんでした。弾きたくても弾けなかったことはありません。

舘野泉さんのご両親は音楽家で、人生に音楽がある幸せを教えてあげたいということで舘野さんにピアノを習わせ、また舘野さんも同じ気持ちでお子様たちに楽器を習わせたそうです。

人生に○○があること…。

私の人生にあって良かったものはたくさんあるし、もしかしたら私の知らない「これはあるといいよ〜」というものも有るかもしれません。

でも今の私が言えるのは、よくぞ私の人生にピアノがあってくれた、ということです。

2014年10月15日水曜日

大人ならでは

本番で間違えない、について書きましたが、ちょっと付け加えますと「本番で間違えてもいい」のです。

間違えない演奏より心に響く演奏という意味でもありますし、もう一つ、趣味の大人ならではの楽しみとして「弾きたいから弾く」というものです。


間違えないようにしたい気持ちはやまやまでも、それは本当に大変な作業です。ですので「趣味なんだから間違えても楽しめればいい」という考え方もあっていいのです。
実はそうでないと趣味としてのピアノは成り立たなくなってしまう面も多いにあります。

ヒマラヤ登山には厳しい訓練が必要です。それはわかります。でも高尾山だって甘く見てはいけません。でもピアノはサントリーホールで 間違えても市民会館で間違えても命には別状ないのです。

要は自分の目的が何か、です。

本番で練習通り完璧に弾くことを目指すなら自分のレベル以上の物は弾いてはダメです。その上で、絶えず正しい練習をして本番直前はもう一度ゆっくり、片手、部分と抜かりなくやらなくてはいけません。これがめんどくさい人は人前で弾いてはいけないのか、ピアノやめろってことか、というとそうではありません。

レベル以上の弾きたい曲をめんどくさいことはせず楽しく弾きたいってことなら、 本番で間違えてもいいや、と自分で納得した上で弾きたい曲を弾けばいいのです。自分でお金を払う催しなら、「自分の目的」で弾いていいのです。

この曲を発表会で弾いてみたい。

失敗してでもチャレンジしてみたい。

大人のピアノのいいところはこれですよね。満足感は様々です。本当は聴いている人のことを考えるのも大事なことなのですが、なにしろお金を払ってるのは自分。たまには目をつぶってください、という気持ちで、失敗しても弾けて良かった、勉強になった、というのもいいと思います。また、ものすごい苦労してやっとここまで弾けるようになったという演奏をきくと、多少間違えても感動するものです。

これはピアノ云々より性格や生き方の問題ですね。
答えは自分で出してください。




幸せを味わう

朝は必ず日本茶を入れてゆっくりします。

ちょうど今、うちではルッコラが 豊作なので毎朝摘んでサラダにして食べてます。
オリーブオイルとバルサミコ酢にケッパーの実、塩こしょうで味付けしたドレッシングをその都度作り、そこに粉チーズをかけます。

私は料理に関して、美味しいかどうかの周りの判断は二の次という勝手な人間です。自分が美味しければ満足です。
儀式のようにこれをやることで、忙しい朝も幸せを堪能することが出来ます。
幸せは感じたもん勝ちですね。

ルッコラと唐辛子が終わったら土作りです。
次は何を育てようかとわくわくします。

2014年10月14日火曜日

ピアノ学習法

本番で弾けない、については何回か書きましたが、私も相変わらずなので自分に言い聞かせるつもりで書きます。


家では弾けるのに本番では弾けない理由は3つです。

1 あがる

2 練習不足

3 曲が自分のレベルに合っていない

家で弾けている場合、自分は1と思ってしまう方が90%でしょう。
しかし、ほとんどの方が2か3です。
その中でもだいたいが3でしょう。

そう思う根拠はまず自分でもあるし生徒さんをみていても
例外なくそう思います。

1の10%の方は、声に出して歌いながら弾く練習が効果的です。
右だけも左だけも両手のときも。口が回らなければドレミで歌わなくてもタラララ〜で、ただし必ず声に出して。これで音楽に集中出来るようになり弾けるはずです。
歌いながらだと弾けない、という方は1でなく、2か3です。


ピアノは楽譜が読めてそれなりに音符が拾えたら「弾ける」と認識してしまうのが間違いの始まりです。
その後が100万倍大変ですから。

だまされやすいのが、遠心力です。
遠心力とは回り始めるとそのまま慣性で回っちゃうことです。辞書で調べると「見かけの力」と書いてあります。
これです。実は家ではこれで弾いているのです。
リラックスした状態で弾き始めるとわりと勢いで弾けるものです。

しかし本番は。
緊張しなければ弾けるのに、ってことはそもそも存在しません。
「これから何かをやる」人間はちゃんと緊張するように出来ているのですから。
緊張とあがるは少し違いますが、そのどちらもがない人は天才か病気で、ごくごく少数派ですので宝クジより低い確立めざして生まれ変わらないと無理です。
あ、認定講師の堤陽子先生はこれらしいので大変貴重な人類です。

普通の人は普通に緊張します。緊張して普通です。
緊張した状態で遠心力は働きません。見せかけの力ですから。
フィギュアの選手も硬くなって回れなかった、と言いますよね。
逆にフィギュアは変に回り過ぎても減点になります。
要するに、遠心力だけではコントロールが利いてないってことです。

なので本番も弾けるようにするには、ほんとうの力で弾く練習をしないといけません。
あえて遠心力を働かせないようにするのです。
それにはものすごいゆっくり弾く。わざわざ止まる。
ゆっくりだと暗譜出来てないところは一目瞭然だし、止まったあとすぐそのテンポで弾き出せないはまさに勢いだけで弾いていたってことです。その時間違えなかったら本物の力です。歌いながら弾く、途中で止まる、これが出来るようになるには2の練習不足であるわけがありません。


だからだいたい3なんです。
つまり、1、2の対策の前に本当はもっともっともっとその前にやることが。。


やっぱり基礎がないんですね。
音楽性は大事ですが、ピアノは指が出来てないと弾けないのです。だからあえて音楽に乗らずに指を鍛える。 運動機能を鍛える。基礎しかありません。

緊張して弾けないのではなく、緊張した中で弾く力がないだけです。
そのこと自体その曲を弾く力はまだ備わっていないということです。緊張はするもの。緊張して弾けるようにするのがピアノです。緊張すると弾けない人は外人と話せない英会話ぺらぺらの人です。ピアノは末端の神経を使いますから、話すよりもっと細かい神経やら筋肉やらを鍛えないと弾けないのです。

超超簡単な曲を様々なテンポでいつでも何百回でも1度も間違えずにどんな場所でも弾けるようにしていく。錦織選手も出来ることを繰り返しやった成果だと言っていました。

出来るまでやるのではなく、出来ることをいつでも出来るようにする。いつでも。
同じ曲を何度も繰り返す。それが出来るようになったら、曲のレベルをあげていく。
ただし常に正しい練習をしながら。ここが大事です。
ちょっと弾けるようになるともう基礎は付いてる、なんて錯覚起こしますので。

これが本番で弾ける、言い換えれば見せかけではない本当の力がつく一番の学習法だと思います。近道はありません。なにしろ自分に言い聞かせてます。


というわけで、私は再来週急遽別の曲に差し替えることにしました。あがる、練習不足と言い訳するには10年早かったです。出直します。












2014年10月12日日曜日

いつか返上出来ると信じて、、

今日はピアノ弾き合い会でした。


中村誠先生のアドヴァイスはいつもながら的確で、1回弾いただけでこれだけ多くのことを聴き取り、今出来ることとこれからの課題をご提示されることに驚きです。
また1曲1曲への解釈が深く、きっとご参加の皆様は、自分の曲へのアドヴァイスだけでなく他の方へのアドヴァイスもとてもとても勉強になったと思います。
はじめてピアノの会の中でも価値あるイベントです。
どうしたら魅力あるピアノが弾けるんだろうか、とお悩みの方、是非一度のぞきに来てください。

さて、私も2週間後に本番を控えて、まだ全然出来ていない曲を弾かせていただきました。よくも人前で弾いたものだというくらいひどかったです。20カ所は間違えて2カ所は立ち止まって考えてしまいました。練習不足で完成度がとんでもなく低いのは自分が一番わかっているのに、家では出来ているのに、と言いたくなって(笑)「違うでしょ」と自分に突っ込みを入れながら帰ってきました。

人前で弾けないことを「弾けていない」と言います。
仮に家で出来ていても「本当の実力はない」と言います。

家で出来ている    人前で弾ける
この  がピアノの練習で一番大変なことであり一番大事なことでもあります。

家で弾ける = 人前で弾ける 
だったらどんなに楽でしょう。

一人で英会話を練習しているときはすっと英語が出てきても、目の前の外人と話せなかったら、その人は「私は英語で話が出来る」と言わないですよね。
外人が目の前にいたら緊張する。でもそこで話せなかったら緊張しようがしまいがその人は英語が話せない、ということなのです。


中村先生に「差し出がましいようですが、楽譜を見て弾いたらいかがでしょう?」とアドヴァイスいただきました。
「次の音、次の音」と探っているのがバレバレでした。大変貴重なアドヴァイスでした。

20カ所も間違えて立ち止まることは本当は涙が出るくらい恥ずかしいのです。
こう見えてとてもプレッシャーに弱い人間です。本当は逃げたい。。
でも友人のピアノの講師が言っていました。
「この仕事は恥知らずか卑怯者のどちらかの選択」と。
卑怯者は逃げること、恥知らずは大失敗すること。
その友人は続けて言いました。
「もし恥知らずなことになっても頑張っていけばいつか恥知らずは返上出来るかもしれない。だけど卑怯者は常に後ろめたさとの戦い。だから私は恥知らずを取る」と、、。


私は今回もまた恥知らずをやらかしました。が、大失敗してでも弾かせていただいてよかったです。以前みどり先生が言ってた「本当はピアノって人に聴いてほしいものだと思う」という言葉と、いつか恥知らずは返上出来る、という思いで頑張ります。




2014年10月11日土曜日

おうちごはん

外でお食事をする時は、自分で作れないお料理が好きですが、でもそれだけじゃなく、近くにあったとか、安さで勝負とか、長居出来るとか、逆にすぐ出てくるとか、大人数で入れるとか、お部屋が個室とか、お庭がすごいとか、お手軽とか、店員さんがイケメンとか、いろいろアリです。美味しいかどうかわからないからとりあえず入ってみるも多いです。これらは特別美味しくなくても何の問題もありません。目的が違うので。
また創作料理系は自分で作る参考に、お店に行ったりお惣菜を買うことも多いです。

でも「おうちごはんのカフェ」は研究のためにも入りません。
「おうちごはんのカフェ」で目的が達成された試しがないからです。
安さで勝負!長居出来る!プロの味!珍しい!美味しい!インテリアが好き!
どの目的にもマッチしません。

そう、そうでした。
オサレなおうちごはんというのに大いなる違和感ありき、でした。
カフェのおうちごはんは色んな種類をちょっとずつです。
全然なってないです。
この間ムール貝13個食べました。おでんのがんもどき8個食べました。
少量のちまちましたごはんはうちのごはんではないのです。


2014年10月9日木曜日

大人と子供のレッスンの違い

大人の方で子供の頃ピアノをやっていたけどやめてしまった方の理由を聞くと「小さい頃の先生はすごく怖かった」「基礎ばっかりでつまらなかった」のどちらかです。

そして「こんなやさしく楽しくレッスンしてもらえたら続けられたのに」「先生に出会っていたらやめなかったと思う」と言っていただくこともあり、大変有り難い限りですが、でも違うんです。


今大人の方がレッスンが楽しいのは大人の頭脳を持っているから。大人の精神を持っているから。

大人は理屈から入ってなぜこの練習が必要か考えながら練習できる。
わからないところはここが分からないと質問が出来る。
楽譜が読める。楽譜の意味が理屈でわかる。
あの曲が弾きたいという「あの曲」がある。
自分の意志でやるやらないを決めている。
練習しなくても先生に上手く言い訳出来る(笑)。
練習しない理由を自分にうまく言い訳出来る(笑)。

というように頭で考えられるので、そんなに無理が無いのです。
でも子供は大人のような知能がないから体に覚えさせるしかない。

楽譜は国語の教科書をたどたどしく読むのと同じくやっとこさ大人の何倍も時間をかけて読む。
例えば和音など理屈で理解すれば簡単なことも、回数をやってただ丸暗記するしかない。
大人がさっと書けることでもノート出して鉛筆出して消しゴム落っことして椅子から降りて消しゴム拾って椅子に座り直してやっとこさ一字一字を書く。
やっとこさ字を書くくらいの手だの指だのだから大人のように使えない、、、、。


ここに書いただけでも大人が何の苦労もせずに出来ることが子供には難しく、それをやるのだから苦労もするものです。

けれど子供は説明は聞いていなくても音楽は聴いている。
頭を使わない分耳を使っている。
日本語が通じない分、音楽が通じる。

実は大人は楽しいレッスンの代償に、音楽より日本語が通じるようになってしまっているのです。ま、楽しければいいので代償ってことでもないですね。
どちらがいいって問題ではないので。

子供のレッスン、大人のレッスン、やることは同じでも 受け止めかたも身に付くことも全然違います。


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2014年10月7日火曜日

媚びない

若い頃はいかにレッスンを楽しんでもらえるかを考えていました。少なからず媚びていたところもあったと思います。私は自信がないので人に媚びます。とくに強いものと太い物と長いものには媚びます。いや、子供でも同じです。好かれて人気のかわいい先生になりたいと思っていました。

でも年をとって、かわいいもへったくれもなくなり、ようやく大事なことが少しずつ見えるようになりました。私は真面目なので、大学で教わった通り音楽の楽しさを主眼に置いてレッスンしてました。これはもちろん一番大事な事ですし、ピアノレッスンは音楽の総合力になるので、そういう意味ではピアノテクニックがつかなくても充分効果はあります。

でも長年やっていくうちに、どんなに楽しい!と思っていても、ピアノが弾きたければテクニックがないと、楽譜が読めないとピアノを弾くことは楽しめなくなるとわかりました。やはり「ピアノ独自のテクニック」を学ぶ必要があります。

子供なら骨が形成される小さいうちだからこそちょっと気をつけていけば良い手が出来やすくなる。大人でも諦めず指のことを言い続けるとちゃんと良くなってくる。
テクニックをつけることで、ピアノの楽しさはグンと広がる。そしてそれこそがピアノを更に好きになりピアノを続ける原動力になるのです。
「上手でなくても味わい深く、、、」は、テクニックを捨ててるから言うわけではありません。テクニックという大きな山を登って見えるものは全く違うのです。


褒めることと媚びることは違いますが、褒め過ぎても事実が伝わりにくくなります。
必要以上に褒めない。
本当の事を伝える。
子供でも大人でもこんなことが大事かなと思うこのごろです。


2014年9月29日月曜日

子どもの楽しいピアノレッスン

以前、私は知育玩具が嫌いだと書きました。
ですので子供のレッスンでも音符やリズムを覚えるグッズなどは使っていません。
これははじめてピアノの会のやり方って訳ではありません、念のため。

先生になりたてのころは色々使いました。
使わなくなった理由の一番は、大きな声では言えませんが、年をとってめんどくさくなったからです。

二番目の理由は「練習の仕方を覚える練習」と「嫌なことだけど必要だからやる努力」と「なかなか出来ないものをどうやったら出来るか考え工夫すること」を早いうちからすこしづつ覚えてもらうためです。言い訳がましいです。いえいえ、半分は本当です。

グッズを使わなきゃ覚えられないほどの苦労をするときは、譜読みはやらなくていいと私は思っています。まだ譜読みには早い時期です。そんな時期の子供には譜読みよりやりたいことがいっぱいあるのでそっちに時間を使いたいです。

でもちょっと頑張ればできる努力はしてもらいます。当然です。子供だって努力です。子供が音符を覚えるのは苦痛に決まっています。当然です。でも努力です。上達のために努力するという能力を育てなければ先が見えています。
無理をさせるのは良くないですが、実は子供の方がプラス1の地道な努力出来たりしますし。こちらがしつこく言えば、ですけど。

グッズを使うのが面倒くさいという負い目から、歌が楽しい、リズムが楽しい、弾けて楽しい、それだけで楽しいと思ってもらおうと私もグッズに負けないよう努力しています。


ピアノは「楽しい」だけでは弾けません。子供にとってめんどくさい事は苦痛ですが必要です。
先生でない親御さんにはだましだまし(笑)楽しく続けさせてもらいたいと思いますが、講師である私は、直球で音楽の魅力を伝え、それを自分で出来るようになるには努力しかないこともわかってもらいたいと思っています。
そして「努力は実る」ことを十年後、味わってもらいたいです。







2014年9月28日日曜日

秋晴れ

今日は夏の名残のような暑さがあります。
でも植物はどんなに暑くなろうともとっくに秋になっています。

大葉は見事に穂になりバジルは花を咲かせ種が出来てます。
夏の間地中に潜っていた三つ葉はまた新しい葉っぱをつけています。
ルッコラは辛かったのがすこ〜し辛みが和らいでます。

暑いだの寒いだの言葉にできる人間の方が鈍感ですね。

2014年9月27日土曜日

表現

昔は自分の感情移入が表現だと思っていました。
けれど年を重ねるうちにそれは違うと思うようになりました。

聞く側は自分のことと重ね、感情移入して聞き入ります。
けれど弾く側はそれではだめなんですね。あくまでその曲を伝える、これが表現だと思います。だから演奏は自己陶酔するのでなく情熱を持ちつつ客観的に冷静に。

クラッシックの器楽曲には言葉がありません。つまりメッセージという押しつけがないんですね。これはすごいことだと思います。聞いた人がそれぞれ自分の思いと重ねられる。

それぞれのもしかしたらバラバラの異なった感情を思い起こさせ揺さぶる何かがあります。

こねくり回しカッコ良く見せたい私とは真逆のクラッシック。
クラッシックをやっていると、自分の小ささを感じます。クラッシックの大きさを感じます。
クラッシックに出会い、才能のない私が今でも続けているのは、小さな自分を思い知るためかもしれません。

フルーツの秋

最近は丸ごとのスイカを買う人はあまりいませんが、この夏の終わりに「この夏最後のスイカ!」というフレコミに、フラフラと丸ごとスイカに引き寄せられて、丸ごと一個買いました。冷蔵庫がスイカだらけになりましたが、全然丸ごと一個いけることがわかりました。来年から丸ごと一個買うことにします。

その夏も終わり、今は秋のフルーツを堪能してます。
梨、ぶどう、いちじく、早生みかん。柿はもう少しお安くなってから。
フルーツを食べるとお腹をこわす方もいるようですね。私はそういう体質でなくてシアワセです。

2014年9月25日木曜日

時代の言葉

言葉は生きています。


私は若者言葉が大好きです。
高校生と話していると頭の回転の速さと言葉を生み出す創造性、流行をつかむセンスに脱帽します。とてもまね出来ない。言葉にはセンスが如実に現れます。ファッションはそれなりにらしく出来ますが、言葉は使いこなせないといけません。

言い方はその時代独特です。それがすこしでもずれると世代がかわります。
しかし「ナウい」が「なう」となって戻って来た時は本当に驚きました。

今、シニア世代に昭和歌謡が、団塊世代にはフォークソングが再び大流行しています。若者にも昭和歌謡やフォークソングは新鮮なようです。けれどシニアの方や団塊世代の方が「ものすごくいい」という感情移入と20代の若者のレトロ嗜好は、共感において少し違う。いや全然違う。だって、ああ上野駅と歌われても、電話に父親が出ると歌われても「???」ですよね。ナウいとなうは似て非なるものでした。

時代を時代の言葉で歌うポップスは、現代の日本の文明と文化の中で、笑ったり悩んだりの日々がそのまま等身大で歌われます。それだけに普遍的共感性がないと、残るのは難しいでしょう。

言葉も音楽も、時代というふるいで取捨選択され、残ったりあるいは新しい形にかわって発展していきます。ちなみにクラッシックはというと平安時代の文語の短歌でしょうか?クラッシックも文語の短歌も未来永劫残って欲しいものです。


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2014年9月24日水曜日

9,10,11,12,1月のイベントです

はじめてピアノの会の直近のイベントです
ご興味のあるものございましたら是非ご連絡ください!
詳細をメールにて送らせていただきます。info@hajimetepiano.org


9月19日  終了
  オペラを観る会 第2回  小金井市にて 500円


10月12日 参加者募集中!
  ピアノ弾き合い会  千代田区にて 1500円(非会員2000円)


10月15日 参加者募集中!
  清水はじめてピアノサークル体験会 清水市にて 無料 


10月29、30、31日 申し込み締め切りました
  サロンの会  目黒雅叙園にて会席午餐会付き14500円(非会員15500円)


11月12、19、26日 10/16より受付開始! 
  市民講座「はじめてのオペラ入門」全3回 小金井市にて 無料


12月22日 申し込み締め切りました
  クリスマス演奏会  小金井市にて 無料


1月未定 12月頃受付開始!
  千代田区ピアノサークル体験会  千代田区にて 100円資料代

 
日時未定
 中村誠先生「先生のための新しいピアノ練習法
        〜音色奏法入門〜」(スタイルノート社刊)出版記念講座
             ※ピアノ中級〜上級者とピアノ講師対象
            


  
  





関節の柔らかさと強さ

私は指の関節が柔らかいです。くねくねで、子供の頃ピアノの先生に「こんなくねくねの指じゃまともに弾けないわね、くねくねしすぎね、、」と声高らかに嘆かれていました。


関節が強くなりたいなぁとずっと思っていました。しかし、今教えるようになって、関節は強いだけではダメなことがわかりました。自分にあるものは気づかないものです。柔軟性は長所であって短所ではありませんでした。

関節の柔らかさと強さ。両方必要です。
サッカー選手は股関節や膝や足首がとても柔らかいですよね。
ボールにタッチする時は強さがないとボールに負けてしまいますから、もちろん強さも必要ですが、突っ張った強さではけがをしてしまいます。柔らかい強さ、でしょうか。

ピアノもそうです。
かたい関節をむりくり動かすと筋を痛めます。動きもぎこちなくなってしまいます。
昔卵を握るような手で、というたとえが流行りましたが、その形に固定してはピアノは弾けません。カチカチです。指が動かないという方のほとんどがカチカチです。

かたい方は私と逆で、強さはあるので柔らかさもあるといいですね。
弾く前だけではなく普段から関節が柔らかくなるよう指、手首、肘、肩のストレッチをししないと柔らかくはなりません。お風呂でもお家でも、そして電車の中でもカフェでも手関係は動かせますので是非普段からストレッチしてください。

私はいつでもストレッスしてないと手がかたまってきて気持ち悪いです。




2014年9月23日火曜日

無いものを嘆く

無いものを嘆くよりあるものに感謝する。

はい。
でもそれは散々嘆いたあげく、だと思っています。


少し前に求めないという本が流行りました。流行ると上っ面だけ一人歩きして、言葉だけ影響受けてしまいます。私に言わせれば人間求めなくてどうする、って話です。


あーあ、耳がもう少し良かったら。
手がもう少し大きかったら。
頭がもう少し良かったら。
顔がもう少し良かったら。

嘆くんです。際限なく。人間らしく。
だから電球も出来た。ケータイも出来た。
でも手が小さいとかかえられないものは仕方なく徐々に諦めていく。
耳や手や頭や顔の悪さも。

嘆いた果てに
悪い耳でやれる事をやる、小さい手でやれる事をやる。
嘆きに嘆いて、そのあとやれるだけ幸せだと気づく。

ようやく無いものを嘆くより有るものに感謝して活かす気持ちに行き着くというものです。

徹底的に嘆かなければわからないことってあると思います。
嘆くからこそ発明が生まれる。
でも嘆いても変わらないものなら変わらない事実を受け止める。
変わるものか変わらないものか、やってみなきゃわからない。
そしてもし変わるものなら変えていく、求めていく。

嘆いて求めて見つけるのが人生だと思っています。



2014年9月22日月曜日

9月

9月も半ばを過ぎました。
虫は嫌いですがこのカレンダーは虫って感じじゃなく見られます。ポスターとして気に入っています。


しかし、ここにいる虫たちのようなのが現実にはあらわれたら卒倒します。絶対見たくないです。
熱帯にはいるんでしょうか?熱帯魚ってカラフルですもんね。


ようやく亜熱帯の夏が終わり、こうしてちゃんと涼しい秋になって、「こんな日が来るもんなんだなあ」と感慨に耽る今日この頃です。

2014年9月21日日曜日

ピアノをやめて何をしますか?

「ピアノは向いてないからやめます」よく聞くセリフです。
じゃ向いているものは何ですか?向いてるものあるんですか?


こんないじわるな質問、面と向かって出来ないので書いてみました。
「向いていない」これはたぶんピアノにたいしてほぼ全員が一度は思うことでしょう。好きだから始めたけど難しくて自分には出来ない、と。

三枝成彰さんが、少なくとも自分の周りの音楽家は全員自分が音楽に向いてると思っていない、とおっしゃっていました。成彰さんのまわりって成彰さんを含め一流の音楽家ばかりです。

好きと思ってはじめても周りの人の方がずっと上手だと「自分は好きなんて言うのも恥ずかしい。だったらこれはやめてもっと人より出来るものを、せめて人並みできるものを探そう。。」そんなことを思います。私もそうです。ずっとそう思ってきた人生でした。


「探し物は何ですか?」と問う歌があります。
歌は続きます。

まだまだ探す気ですか?
それより僕と踊りませんか?
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?

探すのをやめた時
見つかる事もよくある話で
踊りましょう 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?



才能って探せばある、見つかると思ってしまうけれど、シビアなことを言いますが、ほとんどの人に才能は無いのです。一見ありそうに見える人でもそれが世の中で実を結ぶまでどれだけの努力をしてきたかってことです。続けられる人なんて、ほんの一握りです。
ほとんどの人が才能があるからやっているんじゃなくて、やり続けるから才能があるように出来るようになるのです。

ちょっとやって「向いてない」とやめてしまうと、また次も「向いてないからやめる」ことになります。向いているからやるんじゃなくてやるから向いてくる。
最初に好きと思った直感を大事に続ければ、おおげさな目標に到達は出来ずとも夢の中へいくことは出来る。
自分の体験からそう思っています。


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2014年9月20日土曜日

負けないピアノ

ピアノで負けず嫌いは大事です。
でも人に負けたくないはよくありません。
自分に負けたくない、の方です。

コンクール前には特に「人に負けたくないと思うといつか挫折するよ」と生徒さんに言います。せっかくの勝ち気とやる気にあえて水を差してます。

コンクールなど順位がつくものでは、音楽も人との競争であり勝ち負けです。しかし音楽の場合、ストップウォッチで計れる物でないのでそれを気にしすぎると自分を失います。

音楽は自分と向き合うこと。自分に出来ることできないことを認めそこから自分を鍛えていく強さが必要なのです。練習しないでラクしたいとか遊びたい眠たいこととの戦いでもあるし、「もう出来ない」とあきらめることとの戦いでもあり、また人の方が優れていること、自分が劣っていることを認める戦いでもあります。また、失敗をさらすことへの戦いでもあります。

そして「わからない」こととの戦いです。
楽譜は暗号です。何の音かとれてもどう弾けばいいか、わからないことばっかりです。
でもそこを考えてみる。この曲は何が言いたいのか。
正解はありません。人間正解がないことを考え続けるのって戦いなんです。
究極はなんで上手でもないピアノを私は弾いているんだろう、やめようかなとの戦いでもあります。
だれも答えを教えてくれない。答えは自分のなかにしかありません。


門下で一番、学校で一番、地域で一番、都や県で一番、日本で一番、世界で一番になっても、この戦いはきっと続くと思います。

負けないピアノは、負けを知っているピアノの気もします。





2014年9月19日金曜日

ピアノの反復横跳びについて 加筆

昨日ピアノの弾き方で、反復横跳びみたいなものと書きましたら、「横に指が滑る感じですか?」と質問され、これはいけない!と言葉足らずを反省しました。

手は横にスライドしますが、指はあくまで正面から弾きます。いちいち正面からです。
ドレミファと弾くときも指が横に流れないよう正面からです。一音ずつ真正面から弾きます。釘を打つ要領です。斜めからトンカチ打っても釘はきちんと刺さりませんよね。連続でトンカチで釘を打つと思ってください。肘ごと移動しているけど真正面から打つ。これです。

反復横跳びでもどんなに速く瞬間移動していても、足首はしっかり地面をとらえ前を向き足首で体を支えています。足首でささえるそのほんの一瞬って止まっているんですよね。だから倒れたりしないですみます。

説明が悪くてまた誤解されないか心配でくどくど書いてしまいましたが、わかりましたでしょうか?ご質問いつでもなんでもどうぞ。


よろしくお願いします。











ピアノってどう弾けばいいのでしょう

譜読みや暗譜、音楽性は別として、技術的なことのみでお話しします。

私が思うに

・瞬発力
・脱力
・体幹
・関節の柔軟性、指の柔軟性
・関節の強さ、指の強さ

だと思います。
動作に例えると体力測定でやった「反復横飛び」みたいなことです。

腰を低く体全体を瞬間的に移動させる。支えるのは足首の柔軟性と強さ。あの反復横跳びの手版です。

腕を動かす瞬発力がどれだけ必要か今頃になって気づきました。
指を動かすというより腕をさっとその場所に移動させる。
よく手首をひねって指先だけで弾いたり鍵盤から離れて指を飛び上がらせてたたいたりするのを見ますが、これはだめです。
野球選手が変な格好でボールをキャッチしたり、錦織選手がエアKとかってジャンプしたまま打ち返せるのは、プロの鍛え抜いた基礎があるからこそです。ピアノもひねったりジャンプして弾けるのは鍛え抜いたプロだけです。

移動は反復横跳び、じゃあ打鍵は?というと打楽器を思い浮かべるとわかりやすいと思います。
タンバリンを指先でなでてもきれいな音はなりません。またトライアングルなんて強い音を叩き付けたら音が止まってしまいます。真正面から、瞬間的に、針先で付くように大きな音も小さな音も一瞬力を入れたらすぐ抜く、これの繰り返しがきれいな音の出る仕組みです。

でもそのときに、ついよけいな動作をしてしまいます。力を瞬間的に入れたらすぐ抜く、が難しいんですよね〜。ピアノの鍵盤を押した後、力を抜くつもりで手をパッと上に上げるのは逆です。手はひとりでには上がりませんから(笑)明らかに力を入れています。

瞬間入れて瞬間で抜く。

手が小さくて弾けない方でも瞬間移動で解決出来ることが80%はあります。ドとミを同時に弾くとかはもう残り20%のムリな部分ですが。
5指をくっつけたままさっと腕を瞬間移動させる練習をします。それには肘の力が抜けていることです。力を入れる部分だけ入れて他は抜ききる。

ピアノは指を動かすという言い方をしてしまいますが、サッカーが足でなく脚であるように、肘や腕が重要です。そして最後が足のような指先の柔軟性と強さ。

ずっとピアノをやってるのに、ちゃんと弾けるようになるにはやることがまだまだいっぱいあります。




2014年9月18日木曜日

歌うように暮らす

「歌うように暮らそう~というのがありますがどのように暮らしたらいいのでしょうか?教えてください。」
という質問がyahoo知恵袋にあり笑いましたが、考えたら私もよくわかりませんでした。


そこで試しに、楽しい曲、悲しい曲、切ない曲、荒々しい曲などまとめて歌ってみました。”歩くような速さで”と言われたとき、歩いた方が感じがつかめるのと同じです。すると何かいろいろなことがわかってきました。

1)大きな声を出している
2)常に呼吸を深くしている
3)歌詞を延ばしたり速く歌ったり変化を付けている
4)それぞれの歌の主人公に成り代わっている
5)主人公に成り代わっているけど所詮他人の人生を客観的に歌っている

おおっ!
ただ単に楽しく暮らすをカッコ良く形容したのが歌うように暮らすだと思っていたら、なんか科学的な気がしてきました。

1)声帯の筋肉をトレーニングすることは究極の老化防止であり、またストレス発散に
2)呼吸は自律神経のバランスを整える。横隔膜は腹筋などの運動では鍛えられない
3)延ばしたり自然にリズムを取ることで、体のリズムを整え脈拍や血流をよくする
4)主人公に成り代わりその感情を充分味わえる
5)客観的になることで感情にのめり込みすぎず、反対にバカにもせず向き合える


私は子供の頃、親に怒られるとプチ家出をしてました。といっても近所をぶらつくだけです。怒られているので楽しい訳じゃありませんが、そのときよく鼻歌を歌っていました。きっと気を紛らわしていたんですね。そのときの気分を思い出しました。
親はしぶしぶ探しにきていましたが、今思うと、怒られて鼻歌歌ってぶらついている小学生ってとんでもないですね。親にはかわいそうなことをしました。

「歌うように暮らす」
大きな声を出し呼吸を深くリズミカルにうっとりしかし淡々と主人公になったつもりで暮らす、でどうでしょう?

いい発見なのでたまに思い出そうと思います。








2014年9月17日水曜日

静岡清水ピアノサークル無料体験会

静岡県清水市ではじめてピアノサークルの無料体験会を開催します。


日時 
10月15日(水曜日)午後

会場 
清水市内

講師 
中村誠先生(認定講師 「先生のための新しいピアノ練習法〜音色奏法入門」著者)



ピアノははじめて、やっていたけどずっと昔、、、そんな皆様、ぜひご一緒にピアノを楽しみましょう。音楽の基本からピアノの楽しみ方まで広く深く、毎日が楽しくなるピアノのサークルです。


詳細は info@hajimetepiano.org までお問い合わせください。

沢山の皆様のご参加おまちしています♪












2014年9月12日金曜日

ピアノと歌

幼稚園のお子さんがピアノの体験レッスンにみえました。

お母様はご自身の経験から、幼児期は歌が大事な気がするのですが、、、とおっしゃっていたので「正しいです!」と答えました。ピアノは幼児期に限らず「うた」です。


「なぜですか?」という問いがあること自体本当は不思議なことです。
なぜなら音楽とはうたのことだから。うたを楽器でうたう、それが楽器を奏でることだからです。

そのお母様は「何となくそう思っているんですが、歌で何が違ってきますか?」と続けられました。


ピアノはとてもメカニックな楽器なので、右手左手バラバラの鍵盤を瞬時に弾きまくる、
右手4個の和音の時左手別の4個の和音を同時に押さえまくる、など高度な運動機能が必要です。またそれを理解する頭脳回線も作らないといけません。
これがあまりにも難しいのでここにすべてが集中し、それが目標となってしまうのです。
なのでそれが成功すればピアノが弾けたとなりがちなのです。

しかしここで音楽は完全に忘れられています。
これが成功しても音楽としての魅力はないんです。大道芸ですごいスピードでジャグリングが出来るっていうのはそこが魅力ですが、ピアノは目指すものが違います。仮にピアノで超絶技巧を目指したとしても、超絶技巧自体オリンピックに出るようなものですからほとんどの人にそれは出来ません。

私たちが一番ピアノに求めるものは、心が癒される、励まされる、楽しいということなのです。
音楽としてのピアノです。
当然なはずのことが、ピアノでは音楽が置き去りにされます。
ピアノとは物理的な作業が難しすぎるため一番音楽を忘れがちな楽器なのです。

だからあえて歌なのです。
右手左手と頭や指を鍛えている間に失われる歌心。
「音楽を奏でるためのピアノ」という当然のことをめざすために音楽の基本である歌を大切にしなくてはいけません。


幼児のときもその後もずっと、です。













2014年9月10日水曜日

カルメン

奔放で情熱的な女性の代名詞カルメン。
カルメンになりたいとしたら生き方でなく、容姿です。
ナイスなプロポーションの彫りの深い美女?


実は原作とオペラではちょっとストーリーが違います。
オペラの方が有名ですね。
オペラの中には単独で有名になっている歌が沢山あります。
オーケストラなどで聴くのもいいですがやはり歌手による歌に圧倒されます。

ストーリーはよくありがちな話で結末も知っているのに、
その都度ストーリーに引き込まれ何回も感動します。

歌のないところはオーケストラがナレーション代わりになっています。
群衆の騒ぎの中でカルメンとホセが意識し合う場面では長調の曲に短調の曲が瞬間まぎれていたり、ホセが苦悩している背景にエスカミーリョの軽薄な曲がうっすら流れてたり、深刻な場面なのになんか笑っちゃいます。

そして照明です。同じ舞台でも照明の違いによって心理描写がなされます。オペラの生まれた頃はなかった技術ですから現代ならではですね。照明の効果は絶大です。

こんなふうに音楽やその他芸術が一体となってこれでもかってくらいその世界に誘います。それがオペラです。

2014年9月9日火曜日

ともだち

もし自分をわかってくれる友達がいないとしたら。


実は分かり合える人がいたら宝くじあたるよりすごいラッキーな事なんだと私は思います。自分のまわりにいる人なんて世界中の人のほんのほんの一部。よくご縁と言いますが、分かり合えるって話ではありません。ある意味修行だったりします。もしわかり合える人がそんな近くにいたら奇跡です。

だから無理をしてあるいは自分を殺してまで違うと感じる人とおしゃべりしたりお食事したりおでかけしたりする必要はないと思います。また無理して相手をわかろうとしなくてもいいと思います。

孤独はつらいけど耐える。
耐えるには本です。

周りの人に自分をわかってもらわなくても地球の反対側にわかってくれる人がいるかもしれないし、まあ、そんなとこにいても出会えないから、もう「いないもの」と思って世の中にある本をなんでも片っ端から読む。すると、ただ寂しさを紛らわす友達より、まわりの近いはずの人よりもっともっと自分の心に沿う人がこの世にはいることがわかります。

作者だったり物語の主人公だったり主人公の友人だったり。。

でも奇跡って起こるようになっているんですよね。
無理に合わせることなく本でも読んで自分を自分らしくさせていると、なぜか身近にちょっとわかってくれるおともだちが出来たりします。全部、ではありませんよ。自分じゃない人なのに、ちょっとでもわかってもくれるってそれだけでもう奇跡です。










2014年9月7日日曜日

やり抜く

錦織選手に「やり抜く」美しさを見ました。


すぐ疲れる私は何でも途中で「もう無理」と思ってしまいます。
あきらめてしまいます。

でも4時間もの間あきらめず挑む姿に感動しました。
といっても、それまでの何万時間の努力の後のたったの4時間、なんでしょうけど。
「そうだ、、、。私もがんばろう、これくらい」と思いました。
あ、これくらいってほんとにこれくらいなんです。

人と同じようには頑張れないけど、ちょっとだけ頑張ろうと思ったのでした。



2014年9月6日土曜日

指と指の間を広げる

いつも広げていないと指と指の間は広がりません。
何しろ日常生活ではものを取るとか掴むとかの動きで横に広げる必要ないですから。
簡単な曲しかやっていなくて少し難しいのを弾こうとすると、1番に気づくのが手がパッと瞬時に広がらないことです。普段は手って握ったり掴んだり縦の運動が多いですし、手は広げても指と指の間を広げることはないですもんね。

まずはいつでも手を指をもみもみして柔らかくしておいてください。
サッカーをやっている男子高校生、レッスンで1曲弾くたび、体をひねったり肩を挙げたり股関節を広げたり、ピアノと関係ないストレッチをいちいちしていますが(笑)、習慣なんでしょうね。

手の大きさはかえられないけれど、柔軟にすることは努力で出来ます。固いうちにピアノを弾きながら広げると、手首や腕に力が入って痛めてしまうこともありますので、指はピアノを弾きながらではなく、普段の生活で広げる習慣を付けてください。
電車の中で、テレビを見ながら、友人とおしゃべりしながら、お風呂の中で。
普段からそうやっていると、曲に出てきたとき、広げやすくなっていきます。

2014年9月5日金曜日

弾けるようになりたい!

昨日弾けたところが今日は弾けないどころか、朝弾けたのに夕方は弾けないなんていつものことです。
5分前は弾けたのに今は弾けないのもいつものことです。
これはまだ弾けていないってことです。
ポロッと間違える、をなくすのがどれだけ難しいか痛感します。
練習のみですね。

それに加えて一度も弾けたことがない箇所!
こっちはどうしたら弾けるようになるのかもわかりません。練習しても弾けるようになるとは思えない、、。
時間がないと焦るから「こんな悠長なことしてられない」とテンポを出して時間ばかりが経過して弾けないままというか崩れたまま今日も終わる、、、。

「練習しても弾けない」時、理由は2つです。
まだまだ練習量が足りない
まだまだ基礎力がそのレベルでない

もっともっと基礎力をつけたいです。
そして「練習すれば弾ける」ものを少しでも増やしたいです。

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2014年9月4日木曜日

最初と真ん中

最後は指!と書きました。
最初と真ん中はというと、心、脳、目、体、呼吸、首、耳、、、
いっぱいあります。


ですが、ピアノを習いにいらっしゃる方の100%が「最初が指」「真ん中も指」、そして最初から最後まで「大事なのは指のみ」と思い続けてらっしゃる方も残念ながら多いです。

最後は指、なんです。

音楽は耳で聴きますが、演奏する人は脳で楽譜をきちんと学習する必要があります。

目は次の音次の音を追う動体視力

体も呼吸も首も脱力

出来ているか確認するのはもっぱら耳

これが出来て最後は指!なんです。


ピアノに覆い被さるような力の入った体だと耳も聞こえないし右左自由に腕は動かないし指が動く訳ありません。ピアニストが曲想で体を動かすのは指の都合でペダルの都合で体動かしている訳ではありません。


指より先にやることがいっぱいあります。
腕や脚が胴体と離れて別々に動かせるよう手首が指が関節が柔らかくなるよう、まずは関節ストレッチをしてください。



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2014年9月2日火曜日

最後は指!

私は手が小さいので上手に弾けません。言い訳です。

手が小さいから弾けない、は水戸黄門の印籠みたいに使われますが、どんなに手が小さくても瞬発力と脱力でバリバリ弾いてるピアニストさん大勢いますね。
オクターブ以上の曲は確かに難しいかもしれませんが、一瞬でもオクターブが届く人ならその瞬間に指先がその鍵盤を捉えれば弾けるのです。
速いトレモロも一瞬鍵盤をとらえたらすぐ次、と瞬間移動出来ると弾けるのです。

鍵盤を押す速さ、離す速さなんだと思います。かと言って手首や腕を上げていたら遅れます。つまり最後は指先の力だそうです。指先が一瞬触るのみで芯をとらえた音を瞬時に出せるかどうかだそうです。手首も肘も腕も肩も瞬時に力を抜く。。

出来ません。
頑張りまーす。


2014年9月1日月曜日

晩夏

晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の壜の中にて   葛原妙子『葡萄木立』


このセンス、この感性、なにごとでしょう!!
こんな鮮烈なものでなくても歌人の目の付け所、言葉の豊かさには驚きます。
葛原妙子さんも好きですが、一番好きな歌人は稲葉京子さんです。短歌を読むと心が震えます。いつでもこれくらい感性を研ぎ澄ませておきたい、と思う時です。
短歌は日本最古の歌でもあります。
万葉集についてもまた書きたいと思います。






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2014年8月31日日曜日

音楽とお料理の関係

「美しい音楽と美味しいものはイコール」とらららクラッシックで言ってました。


作曲家や演奏家は食べるのも作るのも好きな人が本当に多いです。
凝り性とか創作好きとかそういう理由以外に、「無くなるけど心が満足する」ことが一番似ているんじゃないかと思います。

私は手芸などのハンドメイドはぞうきんとか消耗品以外しません。
細かい事をやり続けられないのが一番の理由ですが、たぶん「残る」ことに抵抗があるのだと思います。雑なのでたいしたもの作れない自信があるしその消せないカタチが残ってしまうことがムリです。
今は音楽も録音録画が出来て便利にはなりましたが、カタチが残るのはやっぱり気持ち悪いです。

昔はバカみたいに凝ったお料理を作っていました。今思えば唯一の創作活動だったしストレス発散でした。今は凝ったものは全然作りません。創作活動はピアノで手一杯だしきっとストレスたまっていないんでしょう。お料理は上手ではありませんが自分で作るものが一番好きです。ピアノも上手ではないけれど、自分の思いを込められるという意味では自分のピアノが好きです。

野菜を作ってそれを使う事も、旬の素材をスーパーで買う事も、産地に行って市場で魚を見る事も、いろいろな材料を掛け合わせたり、足したり引いたり、楽しみは尽きません。
オペラ作曲家のヴェルディさんは「農作業の傍ら作曲している」と言っていたとか。


食べる楽しみと同じくらいの豊かさを音楽で届けられるよう、一般社団法人はじめてピアノの会代表として今日もお献立研究に余念がありません。




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2014年8月30日土曜日

オペラを観る会第二回

9月19日(金曜日) 14:00〜 小金井市にて 500円

前回の復習から始まりますので、前回いらっしゃれなかった方も是非どうぞ!
くどいようですが、ピアノを弾く人こそ歌を知る事が大事です。
音楽には物語があり、音符はセリフです。

オペラって何?から始まり、有名なアリア(歌)のご紹介はもちろん、今回は「カルメン」のストーリーを追いたいと思います。
オペラは演出によっては、音楽が中心になり過ぎるばかりお話が飛んでしまう事があるので、見ている最中「どゆこと?」ってならないようその辺りをしっかり抑えておいて下さい。なので今回はミニコンサートはありません。

名曲のオンパレードのカルメン、1回2回くらいじゃとても足りないけれど、今後の楽しみのきっかけになればと思います。ピアノ用にアレンジされた楽譜もありますので、オペラをイメージして弾いて頂きたいです。

カルメンの悲劇なのかホセの悲劇なのか、演出によって感じ方も違ってきます。ホセに同情して涙したり、カルメンのしたたかさと情熱に憧れたり、歌手は役者ですね〜。


お問い合わせ、お申し込みは
info@hajimetepiano.orgまで

※今回はお茶とクッキーは付きません。持ち込み可です♪


2014年8月29日金曜日

こどもとピアノ

前回子供のピアノの事について書きましたら沢山の方に読んでいただきました。
そのことに感謝するとともに、子供のピアノの悩みってこんなに大きかったんだと感じました。

私が「えー!そんな理由でやめないで!」と思うのと同じくらい親御さんは「やめたくない」「やめさせたくない」そして「ピアノが弾けるようになってほしい」と切実に思ってくださっていたんですね。

ピアノの先生は「やめないでください!」と言いたくてもお月謝を払ってくれるのは親御さんだし、金の亡者と思われそうで強く言えない、とみんな思っています。
私も若い頃はそうでした。
無理に引き止めると悪い気がして遠慮していました。

中には「家の方針で自分からやらない事はやめさせるようにしているんです」というお父様もいらっしゃいます。いやいや、そういうアナタは楽器を習得した事がありますか?と聞きたくなります。どんなに難しくて子供が一人でやるのが大変か。頭は使うし運動神経も使うしクタクタです。だからせめて誰かに寄り添っててもらいたい、それが楽器の練習です。以前三枝成彰さんは「ピアノなんて無理矢理練習させてはじめて弾けるようになる。子供に任せてたら誰も弾けるようになんかならない」「今第一線で活躍している演奏家の口から子供の頃練習が好きだったなんて聞いた事ない」とハッキリおっしゃっていました。あ、ここまでは厳しくやらなくてもいいんですが。。。

私は計画性が全くないので普段の私を知っている人は「ピアノはどうしているの?本番の日まで計画的に練習しないとだめでしょ?」と聞いてきます。しかしピアノは計画は立てなくても日々努力すればやれます。今日出来る事を毎日する、それだけです。
薄紙を1枚1枚重ねるように毎日練習する。私のように才能も実力もなく飽きっぽい人間でもやれるのは習慣以外の何物でもありません。

もし

・子供が練習しない
・やめさせたくはない
・今はお友達より弾けなくてもいつか役に立つならそれでもいい
・いつか役に立つならお月謝は払ってもいい

これに当てはまるなら先生にこの4つに当てはまる事をお話しして、先生と一緒に対策を練ってください。先生は、金の亡者だからではなく本当に続けると絶対良い事を自分の経験上知っていますからきっとその子供さんにあったやり方を探してくれます。そして指導は先生にお任せして家庭での練習は親御さんがおつきあい下さい。「家でお母様が指導」はよけいです(笑)。


私は、自分から練習せず欲もなく「無理矢理やらされている」感いっぱいで「ピアノは大っ嫌い」と公言していたクチです。
そんな私もまわりがあきらめずいてくれたおかげで(いや、あきらめていたからか?)今ではピアノが大好きで、ピアノのある人生に心から感謝できる大人となりました。












2014年8月28日木曜日

子供は進んで練習しないもの

子供は進んで練習しない。
それを前提にして下さい。

それでも「子供が将来趣味で弾けたらいいだろうなあ」と思うなら
親御さんがお手伝いして下さい。

まずは親がピアノに興味を持つ事。
子供がピアノを弾く事に親が興味を持つ事。
親が無関心な事で子供が自分から喜んでやるのはゲームくらいなもんです。
地道な努力なんてしませんよ。

そして、1曲と言わず1段だけを5回とか決め、
上手になる事には目をつぶってまずは練習をする習慣を付けてください。
リズムだけでも歌でもいいのです。
内容は先生に相談して。
これを半年はやってほしいです。
「忙しいし疲れてるしやりたくないよな〜」って大人もめんどくさいでしょう。
でもそこを座るのです。
大人がそれをめんどくさいと思ったら子供はやっぱりめんどくさいのです。

これがど〜んなに大変でストレス貯まる事かは充分わかります。
こんなこと簡単に言っててごめんなさい。
でもこれしかないのです。
「ピアノ上手になるといいな。ママに聴かせて」って言い続けて下さい。
この無駄な時間も子供とのいい思い出にきっとなりますから、どうか心穏やかに…。

続ける事が50年後、60年後の豊かな人生につながります。
趣味のために時間とお金を投資してください。
たとえ大人になってピアノを弾くことがなくなっても、音楽的基盤が出来ます。
ピアノはリズム感や音感、ハーモニー感を養うのに最適な楽器です。
リズム感や音感を大人になってから身に付けるのは、何倍も何十倍も努力もお金も必要になります。

今まで大人になってから始めた生徒さんを150人くらい見て来ました。
大人になってからでもピアノは充分楽しめるし上達もしますが、皆様がどんなにご苦労されているか目の当たりにしています。
大人のレッスンをやればやるほど子供のレッスンの必要性を痛感します。
心ここにあらずとも耳はすくすく育っています。







2014年8月27日水曜日

「子供がピアノの練習をしないのでやめます」

この台詞をご父兄から聞くたび自分のことを思い出します。
練習しない子供でしたので。


子供でピアノが嫌いでやめる子は少ないです。いないかもしれません。
「ピアノは好き。弾けるようになりたい。でも練習はしたくない(笑)」ので
「練習しなくて」「上達しなくて」お月謝勿体無いからやめさせられちゃいます。
ま、当然と言えば当然、常識的な考え方ですね。

確かに親にしてみればどうしてもやりたいならお金だすけど、頼んでやってもらう事じゃない、という気持ちになるでしょう。
親御さんて最初ほとんどが「趣味で弾けるようになったらいいなと思って」習わせに来ます。専門家にならなくてもいい、趣味で弾ければそれでいい、と。
でも趣味なら簡単ってことないし、練習量も少なくていいってことじゃないんです。

簡単じゃない事をやるのは子供にとって苦痛です。
いつも言うようにピアノはドの場所が決まっているので取っ掛かりだけ簡単だけどものすごく難しいのです。メロディも伴奏も両手十指プラス両足使って演奏するのはピアノだけです。そんな難しいもの天才じゃなければ子供が進んで練習するはずないのです。

大人も同じですよね。好きで買ったスポーツ器具、志はあっても毎日繰り返し10年間続けられませんよね。子供も大人と同じで地道な事はめんどくさいのです。才能のある100万人に一人くらいの子だけ「ずっと」「自ら」「進んで」「あらゆる練習を」するかもしれませんが、あとの子は「趣味で弾けるようになるまで」色々ありつつ長い道のりを続けるのです。
ピアノやヴァイオリンは10年やってやっと形になる。「練習しないならやめさせる」「上達しないからやめさせる」となると、ほとんどの子は出来ません。



、、、また話が長くなってきました。
熱くなりそうなので、この続きはまた明日にします。
いつもこのセリフに「そんな!わかってない!」と思ってしまうので力が入ってしまいます。

せっかく涼しい日なので一息入れます。



2014年8月26日火曜日

ピアノサークル

こんなかわいいお菓子をいただきました。




静岡限定だそうです!昨日、静岡の銘茶とセットで静岡市清水区のサポーターさんにいただきました。
私は日本茶が大好きで、毎朝急須とお湯飲みをあたため、お湯は沸かしたてのものを適温にさましていれてます。朝のかかせない習慣です。


静岡はとても音楽の盛んな地域。もしもピアノが弾けたら、、、の夢を叶えて頂くために、サポーターさんがサークル開講の準備にご尽力くださってます。正式に開講となりましたら詳細お知らせいたします。

ピアノはラクになんか弾けません。でも難しくてもよろこびがあるんです。なかなか上手にならない万年初心者の方もピアノ歴50年何でも弾けるという方も、やり続ける事に発見があり豊かさがあります。レベルを超えて一緒に楽しむ、それがはじめてピアノの会です。はじめてピアノサークルが全国に広がれば良いなと思っています。

ピアノを初めて始めてみたい方、かつてやっていた方、会の趣旨に賛同してサポーターさんをやってくださる方、講師をしてくださる方、ボランティア演奏をしてくださる方、是非info@hajimetepiano.orgまでお声かけてください。こちらから連絡させていただきます。


ホームページがなかなか更新出来ないので、ブログで随時新しいニュースお知らせします。






2014年8月25日月曜日

ガウディ

先日ガウディ展に行きました。
そこで思ったのがガウディてレオナルド・ダ・ヴィンチみたい、ということ。

ガウディというと、鉄の曲線やガラスの装飾に目がいってしまいますが、設計図を見るとものすごく細かく、また家具やドアノブ1個にしても一見見た目重視の使いにくいものに見えますが、実は人間工学に基づいた使いやすさを追求して作られているそうです。
椅子なんてとっても座りやすいんです!

とても論理的に考えつつ感覚的にもとらえ想像力豊かで創造的。
緻密で芸術的。
2人に共通しています。

そこでもうひとつ考えたのが、音楽でいうところのレオナルド・ダ・ヴィンチって誰だろうと。私は、バッハじゃないかと思います。

ダ・ヴィンチとバッハは示唆に富んだ宗教画と宗教音楽、それ自体も似ていますが、何よりバッハの音楽は彫刻のような建築のようなところがあります。
ものすごく緻密でそれでいて芸術的。
土台と基礎がしっかりしていて、それを超えた装飾的な魅力はまさにバッハです。

ということはガウディとバッハも似ている?
うーん、これはまた違いますねえ。
ガウディとダ・ヴィンチは似てる、ダ・ヴィンチとバッハは似てる、
でもガウディとバッハは別。
数学の証明みたいですが、この違いこそが芸術なのかもしれません。

2014年8月24日日曜日

やる気

努力が大っ嫌いでやる気のある人が目障りでしかたなかった若かりし日。


でも違います。間違っていました。
若い頃にやる気満々でちゃんと努力されていた方には頭が下がります。
そういう方は結果を出せます。
そういう方にしか結果は出せないと知りました。

やる気は大事です。
努力も大事です。
もともと私にやる気はなかったんですが、やる気をムンムンさせることはかっこ悪い事だとも思っていました。
間違っていました。
やる気満々はかっこ悪くありません。
気にせず堂々とやる気満々アピールしてください。

やる気はあってもそれを隠したり謙遜という名で勇気を出せないでいたら、チャンスはす〜っと音もなく通り過ぎていきます。1%もチャンスは残りません。そういうものです。

芸能人のすごいところはココですね。
実力よりやる気です。
もちろんちゃんとやらなければただの無責任になってしまいますが
やる気が実力をつけるのだと思います。


私も大人になって、やる気があるときはやる気でいます。
しかしやる気があるときが年に何回かしかありません。
もう少しアクティブになりたいものです。






2014年8月23日土曜日

仕事と趣味のバランス

月2回ピアノレッスンに通っています。

仕事のためと思いきや趣味です。
仕事に役立つ事も沢山ありますが、趣味でピアノを習っています。
上手には弾けませんが、先生に注意してもらいながら歌ってもらいながら弾くと
上達しそうな感じがしてすごく楽しいです。
ピアノをほとんど弾かず音楽の話を聞くこともありますが、それも楽しいです。

友人と連弾するのも趣味です。
練習過程では思うことが違って色々あったりしますが(笑)うまくいったときは格別です。
時々人前でも弾きます。これまたなかなか思うようには弾けませんが
次回頑張ろうね!とまたやる気になります。
ピアノの先生の友人もその友人と趣味で連弾して遊んでいるようです。

趣味を楽しむと視野が広がると言います。
交遊関係も広がると言います。
仕事ばかりしていると視野が狭くなるしストレスがたまるから仕事と趣味をうまく組み合わせると良いと言います。

私の場合、ピアノは仕事でもあるので視野も交流関係も広がりません。ピアノ以外の趣味はほとんど一人でやるものです。でもあえて交流関係を広げようとすると人見知りの私は余計ストレスがたまると思います。

これでべつにいっかと思っています。




2014年8月22日金曜日

ドビュッシーと真実

ドビュッシーは自分では印象主義ではないと言っていたそうです。

絵画の印象派はモネやルノアールなど。光や影を感覚でとらえ、ラインでなく色彩で描くのが特徴です。確かにドビュッシーの音楽と共通点はある感じです。でも本人がそうでないと言ってるんだったらそうでないのでしょう。

ドビュッシーを最初に弾いたとき、ふわふわして掴み所がなく気持ち悪くて嫌いだったのを覚えています。私が軽くて気持ち悪いと感じたものは決まって深く後々好きになるという勘の悪さがここでも見事に的中し、大人になって弾いたらその深みがしっくりと来て大好きになりました。脱力が大事と言われるドビュッシーのピアノ曲ですが、決して軽い音楽というわけではありません。

たとえば短歌。
山や川や森や草木を歌えずして心理描写は出来ないと言われています。雨の庭にどれだけ心を動かせるかで情景描写の詳細は変わります。ドビュッシーの見事な情景描写にはどんな心理が隠されているのでしょう?


深刻な顔をしてる人だけが人生真面目に生きてるんじゃないですもんね。
豊かな光と影と色彩の中にもラインを感じるドビュッシーです。

2014年8月20日水曜日

シューマンの恐怖

シューマンには苦い思い出があります。
本番の途中で忘れました。


シューマンはインテリで文学も絵画も詳しくそれが見事に音楽に集結しています。そういう豊かな感受性と明晰な頭脳を必要とするものは私にはムリです。シューマンは真面目で複雑な変わり者だったそうですが、真面目で単純な変わり者の私とは似て非なる人間です。シューマンで音楽的センスと知的レベルが試されそうな被害妄想があります。

たぶんシューマンはこの先も弾かないでしょう。

2014年8月19日火曜日

モーツァルトは音色

私はモーツァルトが好きですが、怖くて人前で弾けません。
バッハより怖いです。


モーツァルトの音楽を聞いていると、この展開はわたしでも書けそうくらいに思っちゃうのですが、暗譜するときにつくづく、え〜!こっちだったら簡単だったのに!なんでモーツァルトはここで誰にでも作れるんじゃないかと思うような絶対誰にでも出来ない事しちゃってるのおおお、と思い知ります。

ピアノ曲以外のコンチェルトやシンフォニーやオペラも好きです。
オーボエやクラリネットの美しさはモーツアルトで知りました。オペラの二重唱など、ほかに誰があれを書けるでしょう?

和音が変わる時は感情の変化なので、普通そこで表現が変わります。
でもモーツァルトは表現は変えず音だけでさらりと変化させる方が私はいいと思ってます。なので逆に言えば音色勝負って感じがします。
こねくりまわしてそれっぽく体裁を整える私が苦手なはずです。

きちんと音色で勝負出来るよう頑張ります。
モーツァルトがキレイに弾けるようになりたいです。



2014年8月18日月曜日

バッハの2声

バッハはどう弾けばいいかわからないから嫌い、という人も多いです。
バッハは弾くの難しいですね。


バッハは右手、左手がバラバラになる事が大事ですが、それには頭がバラバラになる事です。言ってる事とやってる事が違う、感じ。

インベンションの2声のうちに是非左手を弾きながら右手を歌う練習してみてください。頭の中のことははわかりませんが、目と手と口と右脳と左脳がバラバラになって頭がバラバラになりながら耳で一つになる感じが体感出来ます。

とっても難しいですが、これが出来るとそれぞれの手がよく動くようになるし歌えるようになります。そうすると他の曲や連弾にもとっても役に立ちます。
頭を使わずに2声を卒業してしまうと、そのあとの3声や平均率などで苦労します。インベンションでこれが難しかったら、もう少し簡単なバロックやポリフォニーでこれをやる事をお勧めします。


何と言ってもバッハは音楽の父ですもんね。


2014年8月17日日曜日

ヒーリング

今日は少し涼しいです。
蝉の声がすごいです。

戦後もバブルの頃もヒーリングという言葉を使う人は日本にはいませんでした。その頃は頑張る事が良い事だったのでヒーリングとか「甘えるな!」ってなったでしょうね。

ゆっくり休んで癒される事はとても大事な事です。つらい時期にはとても必要な時間です。
でも忘れてならないのは「避ける事の出来ない現実は受け入れなくてはいけない」という事です。ポジティブをはき違えると現実から逃げて、極端なヒーリングに走ったりします。

音楽はヒーリング効果絶大です。音楽は何よりの心の薬です。
でもいつも言うように洗脳でもあるのです。
目を閉じてその世界に入っていると大事なものを見落としてしまうかもしれません。
受け入れがたい現実から逃げてヒーリングにはまってしまうのは、架空の現実を作るにすぎません。

自分の人生の現実は一つです。
音楽にお手伝いしてもらいつつ、自分の頭で考え自分の手で現実を良くする努力が今の時代も必要だと思います。

2014年8月15日金曜日

色と音と占い

以前フィンランドに行った時、独特のフィンランド色を感じました。
私は北欧の音楽が好きなのですが、この色の中でこそあの音楽たちは作られたんだなあと感じました。

ピアソラはアルゼンチンの作曲家ですが、北欧と違う色を音楽から感じます。やっぱり南欧でも北米でもなくアルゼンチンの色が感じられます。


音楽はよく色に例えられます。
でも音楽には本当は色がついてないので正解はありません。
大人の方は考えすぎて&間違えてはいけないと、良く「正解」を聞いてきます。
知りません(笑)。

私が北欧の音楽が北欧の色に感じるといっても決まった色ではないのです。
アルゼンチンの音楽も別に何色とかではないのです。
色々な色がグラデーションのように変わっていったり混じったり、、、。

私はオレンジ色が好きです。
くすんだ水色なんかも好きです。
オレンジを好きとかくすんだ水色が好きとか色占いでは何かあるかもしれません。
が、それらがあたっているとは限りません。

占いがあたったりあたらなかったりするのを楽しむように、
音楽の色も自由に気楽に自分なりに楽しんでみてください。
ここはオレンジ、ここは水色、、、。
それだけで表現が豊かになります♪







2014年8月14日木曜日

音楽で変わる

音楽は空間を変えます。


和食のお店でジャズがかかっているとなんかモダンな和食っぽくなるし、イタリア料理店でカンツオーネがかかっていると本場イタリアンぽくなるしアコーディオンの流れるパリ風のカフェも多いです。定食屋であんまりクラッシックは聞かないし子供の施設で演歌も聞かない。

でも味がモダンでないのにジャズを流してそれらしくしてる和食屋やカンツオーネ流して味をごまかそうとしているお店はいただけません。
だったら音楽のないそっけない雰囲気の美味しい定食屋の方が断然好きです。
まずは本業で勝負した上、空間を音楽で味付けしてほしいものです。

音楽は空間を変えますが、中途半端だとちぐはぐさを際立たせてしまいます。






2014年8月13日水曜日

受け入れる耳

同じ事でも耳が開いていないと聞く事ができません。
「腑に落ちる」というのは耳が開いていてこそですね。

私は以前、一人の絶対的な師みたいな人がいてそういう方がすべて教えて導いてくれると思っていました。よく「恩人は○○さんでその方の一言で人生変わりました」という話を聞きますよね。それです。

でもある時気づきました。
一人の人から100助けてもらうんじゃなくて100人の人から1とか2とか10とか助けてもらえればそれで上等なんじゃないかと。それで充分な上、それだけでもどんなに有り難いことかと。そして思えばそうやって沢山の人が自分を助けてくれていたと思い至ったのでした。

そう思ったら一人一人のアドバイスがとても大事でありがたく、また良い意味でその一言をそこまで重くなく無責任に受け止められるようにもなりました。

その頃から少しずつ色々なものに耳が開いてきた気がします。
気持ちが頑であると耳を閉じてしまいます。
心を開いた時初めて耳も開きます。

ピアノがうまくいかないとき、自分の耳が閉じてしまっている事があります。
そんなときは実は気持ちが頑で、先生の言う事を聞き流して自分のやり方を通していたりする事が多いです。

先生の言う事は絶対ではありません。だからこそ100のうちの1を教わるくらいの気持ちで受け入れることです。そこにすべての責任を持たせようと思うと大きすぎて受け入れるか受け入れないかのどちらかになります。それはあまりに依存的で主体性がありません。主体性のない学びは自分の役に立ちません。

時代のギャップ、男女のギャップ、育ちのギャップ、、。
私は勝手なので相手を勝手な人にして「全然わかってないんだから」とすぐ耳を塞ぎたくなります。
でも、すべてを受け入れるのでなく100のうちの1だと思うとまあ受け入れられます。
「自分の意見は絶対だ!」なんて主張する人の意見も100のうちの1として軽〜く受け入れます。

100の軽い意見が積み重なると、自分の思考が変わって、今まで受け流していた事に大事な事があったと気づいたりします。






2014年8月12日火曜日

旅立ち

私は引越しは関東内だけでしたので、地域差というのがあまりピンと来ませんでした。
でも日本で弾くのとヨーロッパで弾くのではピアノの音が違うことなど考えると、場所って関係あるんだって思います。

その中に身をおいて始めてわかることってあります。
私は文明から取り残されているとよく言われますが、そうは言ってもここは日本の首都。
なんだかんだ文明的だと思います。

いずれにしても
場所を変えるというのは、今の自分からの旅立ちの一歩であることは間違いありません。

知らない場所では難しい選択と現実が立ちはだかるでしょう。
けれどいつでも
ラブアクチュアリー…愛はそこかしこにあるはずです。



2014年8月11日月曜日

戦争と音楽

戦争を支持するような歌が作られた時代がありました。
そんな曲を作った作曲家は後世こてんぱんにたたかれることとなりました。


戦争を支持するのは良くない事ですが、こういうことってあるよな、、、と意志の弱い自分を顧みます。

「戦争は悪い」と思わないのか。
戦争は悪いと思っているのに「悪い」と言えないのか。

私は上記2つどちらとも当てはまりそうです。
優柔不断なので、時代に流されず自分の判断で戦争に善悪つけられると思えませんし、エラい人に良くないとか嫌だとか言えないと思います。

流されていたって後になってわかることも多いです。
正しい事も変わります。
人の評価を全く気にせず出来る自信はありません。

私は自分が大好きですが、誰にも評価してもらえないと「こんな自分を好きってばかじゃない?」とか「こんな自分を好きって惨めな気分、、、」と時々思います。そんな時「センセイ!是非センセイのそのすばらしい才能で戦意をあおる曲をひとつ!」なんて言われたら、「力不足ですけど〜♪」とか言いながらこれでもかってくらい戦意をあおり倒す曲を書いて権力者に媚びまくるでしょう。

後の祭りです。。。戦犯ですね。

私はそおゆう意志の弱い人間ですので、戦争をしちゃった人も戦争音楽を作っちゃった人もなんだか同情します。

私は軽薄で断れない、言いたい事も言えないどうしようもない性格です。
しかしさいわいな事に、後世に残る曲を作る才能がないので頼まれる事もないでしょう。
おかげさまで戦犯にならずにすみます。




2014年8月10日日曜日

耳で練習

スポーツ選手の練習って
筋トレとか素振りとか連続ダッシュとかランニングとか
疲れるのによく出来るなと思います。

ピアノの場合、一番疲れる練習は耳を使う事です。
耳を澄ますことは集中することです。
なんでもそうですが、集中してやるのは疲れますね。
通して弾いて漠然と弾けてないからもう一度というのはラクですが、
上手にはなりません。
弾けてないのは、何の音と何の音の間がどんなふうに出来てない、と
集中して聴いて練習しないと。
途中からは弾けないという方は
その時点でもう耳と頭を使った練習はしていないのです。

耳は集中力の要です。


2014年8月8日金曜日

冬の歌

今ピアノの会のグループレッスンの伴奏付けの課題は「サイレントナイト」(きよしこの夜)です。

あまりに季節感ないとは思いましたが、12月に間に合うよう早めに練習し始めたのです(笑)。
いや、これがなかなかイイ感じです。
歌で涼むと知りました。

この効果を狙って冬にはアロハオエの伴奏付けをしようと思います。

2014年8月7日木曜日

占い

暇な時、ネット無料占いをします。
美容室では雑誌の星座占いとか見ます。
血液型占いとかちょっと立ち読みしたりします。

信じてそのまま行動する人がいるとは思えませんが、
面白そうだから見よう、と見たものがけっこう気になったり
私のように流されやすい人間はなんだか自己暗示にもかかっちゃいます。

占いはあたる事もあればあたらない事もある、と言います。
いやいや、あたってもあたらなくてもいいなら、それ私にも出来ます(笑)
それじゃもうインチキです。

占い師は謎めいてカリスマがないとなんか価値ないですね。
占いには「今年は思い通りにはいかないけれど、必ずアナタのがんばりを見ていてくれる人がいます。それが来年のアナタの運勢を好転させます」とか下げて上げて前向きにが全部入っていますので、教育者のような心と自己啓発本作家の文才なんかも必要かもしれません。

今日はタロット無料占いをやりました。
そこそこでした。













2014年8月6日水曜日

虫が嫌いな人は多いですね。
私も基本的に嫌いです。
夏は虫が多いですが、今は暑すぎて虫もあまりいません。
憎き蚊はいますが。

私が一番嫌いな虫は、こう書いているだけでもうあり得ないアゲハのようちゅうです。
漢字で書くのもはばかられます。
虫じゃないと言われますが、虫です。
子供の頃庭の山椒の葉っぱに乗っかっているのを目撃してしまいました。
なので、山椒は大好きですが、葉っぱに乗っかられるので山椒の木はうちに植えません。
ふと山椒の木を見つけると、さっと目をそらし見ないように早足で歩きます。
怖いものを見た時は案外走れないものです。
まだ見てないのですが見たも同然の気持ちになります。
でも本当は見てないのでラッキーだった、、、と安堵します。
山椒はエスビー山椒を買います。
食べなくたっていいです。
なので蝶も嫌いです。





2014年8月5日火曜日

若いアーティストを応援するプロジェクト

をやりたいなと思っています。


クラッシックやアコースティック系のものはなかなか披露する場がありません。
ピアノは持っていけないし。
自分で演奏の場を作るにはお金がかかります。
お金をかけても名前が売れていないと人が集まってくれません。
人に集まってくれないと聴いてもらえません。
悪循環ですね。

かたや、頑張っている若者を、若い才能を応援したいと思っている方も沢山いると思うのです。

音楽は言葉がない抽象的なものだから時として自己満足に陥りがち。
だからそれを認識するために人に聴いてもらうことが大事です。

若いアーティストさんは一生懸命練習して高い技術を身につけても聞いてくれる人がいないと、音楽のキャッチボールが出来ずプロとしての共感力が育てられません。

そんなわけで「若いアーティストを応援するプロジェクト」を立ち上げられたらいいなと思っています。

アコースティックならピアノ、歌、ヴァイオリン、ギター、、、、色々なジャンルで。


まだまだ夢の段階で実現も難しいかもしれませんが、このプロジェクトにご賛同くださる方、聴きにいきたいという方、ご寄付を下さる方、ぜひご協力お願いします!








2014年8月4日月曜日

おにごっこ

子供の頃、暑いのに外で遊んだり走り回ったりする同年代の子供たちが信じられませんでした。特に鬼ごっこは理解出来ませんでした。なるべく室内でじっとしていたい子供でした。


鬼から逃げて捕まったら鬼になって今度は誰かを捕まえ捕まえたら鬼を譲り渡しまた鬼から逃げる。。。なぜ?
しかも学校で「今日はご褒美に鬼ごっこです!」なんて言われると、ええーっ、全然ご褒美になってません!とは言えず、もっと徹底的にさぼっとけばよかった、、と内心思いながら楽しいフリまでしてました。ここに遊びの価値を見いだせない私は人知れず悩んでいました。楽しんでいる同級生たちがうらやましかったです。疲れるだけでした。

鬼ごっこには遊びながら体を動かすとか仲間の交流とか養える事が沢山あるんでしょう。でもそれは私にとって遊びではありません。
だいたい楽しい事は別の目的が生じた時点でうさんくさくなります。
私は「知育玩具」というのが大っ嫌いでした。まんまとひっかかる感があり抵抗していました。これは疲れとは別です。精神的な問題です。私にしたら鬼ごっこよりたちが悪いです。なんてへりくつを言っていたせいか、知能が伸びずじまいです。素直に使っていればよかったのかもしれません。

というわりに、人には遊びに見せかけて目的を持っているものを結構しています。リトミックもそうと言えばそうですね。
「遊びながらリズム感、音感をつける」のがリトミックですので。
でも別にリトミックをやらなくても一人で遊んだり歌ったり楽器たたいたり楽しんでいればいいのです。でも一人ではなかなか出来ない、、、そういう方はぜひリトミックへ。

















2014年8月3日日曜日

ピアノを弾く人の興味

ピアノ愛好家でもどんなピアノが好き、どんなピアノの話に興味があるというのは全然違います。

私はこうしてたわいもない事をブログに書いていますが、思わぬ反応があったり逆に全然反応なかったり面白いです。

これは元々の性格以外に、音楽的な経験よりどちらかというとそれまでの「ピアノ、音楽以外」のその方の生きてきた生き方が大きく関わっている気がします。

読んでくださる方のためになる事を書ければ良いですが、元々の性格に加えピアノ以外の経験や興味が一般的でない私のような常識がない人間が、多くの方が納得する、ためになるピアノの話題を提供するのは大変難しく思われます。

思うがままにわがままにたわいもない事を書いていますが、お役に立てたときはとても嬉しいです。





2014年8月2日土曜日

音楽の位置

美しい田園風景を久しぶりに見ました。
そこには鳥の声や蝉の声があり、その中に時々車のエンジン音も混じっていました。

芸術の分野では建築や彫刻、絵画があってそのあとが音楽の位置だそうです。空間を彩るのが音楽だそうです。

成育中の稲はさやさやゆれていましたが、音はありませんでした。
音はなかったのに、音楽が流れているようでした。





2014年8月1日金曜日

ステキに弾きたい

好きな曲が弾けるようになりたくてピアノを始めます。
「好きな曲が弾ければそれでいい」
私もそうです。もちろんそうです。それ以外ありません。
好きな曲さえ弾ければそれでいいのです。

Q:   じゃあそれだけやればいいじゃない、なぜ基礎の練習をするの?

 好きな曲を"ステキ"に弾くためです。
ピアニストがすいすい簡単そうにステキに弾いているのは、ちょっと薬味をプラスしたくらいの物ではないのです。基礎はすき焼きでいうところの肉みたいなもんです。

ショパンのノクターンの音が拾えたらすいすい弾けなくても満足というならそれで全然いいのです。それに充分癒されてください。
けれど「もっとステキに弾きたいんですがどうしたらいいですか?」と聞かれてしまうのです。

となると基礎なしでは無理です。
肉と一緒の白滝は肉の美味しいだしがしみ込んでいますが、白滝だけで煮てもそれは白滝の醤油煮です。
正確なリズムや拍はもちろん、「左手を弱く」「メロディを立てる」「速く」「歌って」、、、などなど所詮基礎がないと出来ないことです。

この間オペラ歌手の錦織健さんが
「声楽家は1曲を通して歌えるまでに体を作って発声をしてこれの繰り返しです」と言っていましたが、ピアノも同じです。

それって癒しでも何でもありません。
でもこれをやった人だけが、”ステキ”に近づけるのです。


基礎をやりたくなければそれはそれでいいのです。白滝の醤油煮を感謝して美味しくいただきましょう。白滝の醤油煮だって贅沢です。








2014年7月31日木曜日

夏のピアノ

ヨーロッパでピアノを弾いたことがない私はよくわかりませんが、ヨーロッパのピアノを日本に持ってくると音が変わってしまうそうです。


日本のピアノでもパーンという音が夏は出なくなります。
これはだらけてる自分に理由があるのかと思っていましたが、気候に理由があるようです。昔は亜熱帯に住んでいる人たちはなぜ引っ越さないんだろうと不思議でしたが、そう簡単に海外移住出来ない事をこの年齢になって知りました。

ピアノ共々暑くても日本で頑張ります。

2014年7月30日水曜日

あがり症

ドイツ語や英語では舞台恐怖症というそうです。


この上がる、上がらない、を直すにはまず、

1、「出来る事が本番でだけ出来なくなる」
2、「本当は出来てないのに出来てると思い込んでいる」

この1、2のどちらなのかを見極めることが重要だそうです。


出来るとは能力として出来ているか、ということだそうで、つまりピアノで言えばその1曲だけでなく、そのレベルのものは確実に出来ている、それをこなしきれる能力があるのが「出来る」です。

普通の人は能力以上の事を注目を浴びながらすると失敗するそうです。
ただし子供とトップの人は能力以上の事が本番で出来るのだそうです。
子供は天才って言いますもんね。

腑に落ちる感じです。納得し過ぎです。
「練習では出来ているのに間違えた」と弁解していた自分の大失敗の理由は「その曲はかろうじて弾けてたけどそれを弾きこなす実力はまだ付いていなかった」ということでした。

あがり症を直す、とは
「本当は出来る」人のことなので、まずは「本当に出来る」域に達しなければと反省しました。




譜めくり

この間テレビでピアニストが頭に来る事として、譜めくりを間違えられる事、と言っていました。


プロの譜めくりは責任重大です。
その譜めくりが失敗したとしても失敗を譜めくりのせいにできないし、何が起こってもその場をしのがないといけません。
私みたいなやっとこさ弾いてる人間には、譜めくりの失敗は致命傷です。なんとかしのいだとしても心の動揺はもうおさえきれません。暗譜すればいいじゃんって話ですが、伴奏や連弾ではそうもいきません。
譜めくりは初見能力と関係ありますので、弾いているつもりになって楽譜をめくらないと必ず遅れます。かといって早けりゃいいってものでもないし。難しいです。

普段のレッスンでは、指が乾燥していたりページがくっついていて、めくりそびれることがよくあって、指なめる訳にいかないし大慌てです。

でも本番の楽譜は角を折るなど工夫して絶対譜めくり事故ないようにしないといけませんね。譜めくりをあなどってはいけません。
やるときは奏者に迷惑がかからないよう心して臨まなくては、と思いました。




2014年7月25日金曜日

オペラの会

オペラは一番わかりやすいクラッシックだと思います。言葉があるってこと以外に、表情がそのまま見えるからです。悲しい顔して嬉しい歌詞歌ってるわけないですから。


中道友香さん   木村翠先生

今日のオペラの会では、
ソプラノの中道友香さんとピアノの木村翠先生のオペラアリアが大好評で、とくにフィガロの結婚の伯爵夫人のアリア「幸せな日々はどこへ」には多くの感動が寄せられました。

オーケストラ伴奏を一人でピアノで弾いちゃうこと。

語っている部分も歌の部分もボリュームのあるそれでいて透き通った美しい声。

表情を見て音楽を聴いていると引き込まれてしまいます。







またオペラの会やります。
ヴァイオリンの会とかもやりたいな〜。
ピアノの会なのに!?って思わないで下さいね。
オペラも管弦楽も身近になってくると、絶対ピアノが変わります。



”””””””””” 中道友香コンサート情報 ”””””””””””””

2014年 9月7日(日曜日)14:00開演
会場 音楽室ゆらぎ (板橋区)
料金 3000円

予約制です



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